もしかしたら、意思の疎通が図れるかもしれないと思ったのはこの家に来てから一週間経った頃だった。もうその頃には少年の買ってきたキャットフードは一周し、好みの餌の味も見つけたところだった。
この前の日曜日の朝、お母様やお兄様が起こそうとしていたのに返事だけしてそのまま寝ていた為、「(起きて、少年!)」と思っていると少年が目を覚ましたり(起き上がったのに再び寝たけど)、その昼には(少年何してるんだろう)と思う度にこちらを振り向いたり、夜にはこんなこともあった。
少年は就寝前の勉強の後、私を撫でながら携帯でブログを更新する。そのときにふと、少年の撫で方は他の人とは違うなで方のような気がした。以前少年は猫を飼っていたんだろうか。と考える。
「今まで猫なんて飼った事ないねんけどな、」
確実に私に話しかけている。それも、いきなり、だ。やはり意思が通じているのだろうか。不思議ではあったけれど訝りとかもなくそれがまるで当たり前のような気がした。なんだろうこの既視感。
「なんでか懐かしい気がすんねん」
ふわりと笑む彼が歳よりも大人びて見えた。ここ最近、勉強している姿を見て知った事だが彼は中2だったらしい。私の3つ下だから、言葉が操れれば勉強を教えてあげたかった。
言葉が操れたら。
それはとても叶わない事だと知っていながら、私は頑張って自分の声を人間のしゃべるものに近づけるように努力したりもした。結果、あうあう言うだけでとても聞き取れるものではなかった。そうとも知らず少年は私が視界に入ると笑みを向けてくれる。今、私がひとつだけ伝えたいことを言葉に出来るとするなら、ありがとうの一言だけは少年に伝えたかった。
「……!」
そう考えているとびっくりしたように目を丸くした少年がしばらくしてまた割れものを扱うように頭を撫でて笑んだ。そして確かに「どういたしまして、」と言ったのだった。
しかもそれは少年だけに起きた。甥っ子にヒゲを引っ張られたとき「(やめろ〜〜!)」と強く思い、かつ「にぁぁぁぁおう!!」と結構きたない声を出したにもかかわらず甥っ子はヒゲから手を放さなかった。少年とだけ意思疎通が図れるのかもしれない。特別に思えて嬉しいのは嬉しかったが、不便極まりないのには変わりなかった。
今朝も玄関で学校へ向かう少年に行って欲しくないなぁという意味と行ってらっしゃい、気をつけてという意味を込め「にゃ」と鳴くと「いってきます」と言った後、耳の後ろに頬を寄せられた。彼自身はただ毛並みの良い部分を気持ちいいと思いながら触ったつもりだったのだろうけれど私には心臓に悪かった。少年の整った顔が至近距離にあるというのはなかなか羨ましがるものでもない。手まで振ってくれる少年を見送ったあとも少しドキドキしていた。
と、こんな感じに最近は少年も機嫌が良く、可愛い反応を示してくれていた。
それがいきなり一転して冷たくなるなんてこのときは思いもしなかったのである。