「俺、退部します」 人生でこれほどの衝撃はなかった。遠ざかる10の背中を見つめ、松風にがなり、このあと家路につくまでこれでもかというほどすすり泣く。もう何度も何度も客観的に見てきたこのビジョン。そう、これは夢なんだ。 「言えよ」 すっと自分に近づく。肩を叩いても自分の名前を呼んでも一向に振り向かない自分。ただ目を丸くして、もう少ししたらキッと後輩を睨みつけるんだろう。そんな自分に一度殴りかかったことがあったが、殴った手は空を切り、バランスを崩してピッチに倒れた記憶がある。 「走れよ追いかけろよ、なあ!!」 無駄だ、わかっていても抑えられなくてぶんぶんと肩を掴んで揺らす。掴むというにも語弊があり、まるで夢の自分はホログラムのようにそこにあるようでそこにはいない。この空間でただ1人自分だけが未来を知り、焦っている。 「お前、後悔するんだぞ」 とうとう涙が出てきてうつむく。膝をついて青々しすぎるほどの芝に拳を叩きつけても幻影たちはこの前となんら変わらない台詞を吐き、茶番が終われば練習をする。浜野がボールを取り損ねるタイミングも、霧野がスライディングを掛ける相手も気持ち悪いくらい同じ。そんな中一人うずくまり動かない俺は、うつむいていた首を上げて南沢さんに向けた。 「たった五文字でいいんだ」 手を伸ばす、伸ばした手のひらで隠れてしまうくらい小さくなった南沢さん。技名を叫ぶ自分の声に掻き消えそうな声で絞り出すように呟く。10と黄色が涙で滲んでよく見えない。でもそれでよかった、だってあなたは振り向かない。 「行かないで、南沢さん」 涙を堪えて打ったであろう夢の中の俺のシュートがゴールを無視して俺の前を横切る。あなたがいた日がまた1日遠ざかるのなら、いっそこのままここで泣いていたかった。 振り向かない五文字 (行かないで、は届かない) 2012/02/26 こちらに提出しました。 南沢さん退部の日を夢で何度も味わう倉間君。 神崎様、素敵企画に参加させていただきありがとうございました。 |