Episode001:醒めない夢「人、それを現実と言う」

【ドリームカンパニー】がゲーム業界に一石を投じた、新時代を予感させるオンラインゲーム――【ドリームワールドオンライン】。プレイヤーは〈ドリギア〉と呼ばれる専用のヘッドセットにLANケーブルを繋ぎ、それを被ってスイッチを入れるだけで広大な夢の世界を旅する事が出来る、と言う画期的なゲーム。
 販売価格が3000円を切る安価だったので、日本で先駆けて発売された際は予定していた百万本が瞬く間に完売。国内でその名を知らぬ者はいないと言わしめる程に有名になったゲームの総人口は一ヶ月で500万人を突破したと発表された。
【ドリームワールドオンライン】の斬新且つ画期的なシステムではプレイヤーが睡眠時にのみプレイできる。〈ドリギア〉をセットして電源を入れると睡眠へと導入するシステムが働き、如何な不眠症の者とて数秒後には眠りの世界に落ちてしまう。
 また眠っている間にゲームを楽しむ事になるため、肉体が休眠状態であるのは勿論脳も休眠状態である、些(いささ)か不思議な話だ。学者達は様々な推論を飛び交わせたが、【ドリームカンパニー】はシステムの一切を秘匿。ただ一度だけ行われた記者会見でこう回答している。
「【ドリームワールドオンライン】をプレイする時には、人間が生きている内に使わない脳の一部を使用するため体に負担が掛かりません。また普段は使わない脳の一部を使うからと言って体に悪影響が出る事も有りません」
 その言葉のどこまでが真実なのか、専門の学者ですら回答に窮(きゅう)したと言う。そう言われればそうかも知れないと納得できるし、違うと返そうにも何が違うのか明確に指摘する事が叶わない。事実上【ドリームカンパニー】が世間に対して行った発表はこの一度きりで二度と公式な発表は行なっていない。それ故に500万ものプレイヤーは自分がプレイしているゲームがどういう原理で動いているのか、どういう仕組みになっているのか、全く知り得ぬままプレイしている。
 そしてそれ以上に辞められない程の魅力が【ドリームワールドオンライン】にはある。現実では体感する事が出来ない、五感を支配する幻想世界の現実感。一度経験するとどんなゲームも薄っぺらに感じてしまう程に、【ドリームワールドオンライン】はプレイヤーの心を鷲掴みにしてしまう面白さがあった。
 オンラインゲームゆえに定期的な課金が必要になるが、月額税込みたったの315円。携帯電話で遊べるゲームと同程度の額しか支払わずに済むのだ。ゲームの完成度を比較すれば異常な低価としか言いようが無い。
【ドリームワールドオンライン】は瞬く間に世界に浸透していく。いつしか人類は夢の世界へ想いを馳せるようになっていった……

◇――◇――◇

「ただいまーっと」
 自宅であるアパートの一室に帰宅し、扉を施錠しつつ靴を脱ぐ。暗く冷え切った室内を見て、廊下の壁面に備えつけられた電灯の電源を入れ、部屋に灯りを点す。じじ、と僅かなラグの後に部屋全体が薄明るい光に満たされる。
 六畳一間の小さな我が家。中にはベッドとコタツ、タンス、テレビとビデオデッキ、勉強机と椅子一式、床一面に乱雑に散らばった衣服と雑誌、単行本など。コタツの上には据え置きのゲーム機が1台鎮座している他に教科書などがばら撒かれている。
 見馴れた景色に感慨も無く、俺は電器量販店で購入した品が入っているレジ袋をコタツの上に置くと、衣服に潰されたコタツの電源を掘り当て電源を入れる。ぶぅん、と電気が走る音と共にコタツの中に紅灯が点る。暫くは寒いままだけど俺はコタツの中に足を突っ込み、冷えた感触に下半身全体を浸した。電源の入っていないコタツは外よりも寒く感じるのはどうしてなんだろう。
 俺はレジ袋から段ボール箱を取り出した。大きさはサッカーボールほど。外装には“夢の世界へ飛び立とう! ドリームワールドオンライン”と綴られ、全面に幻想的なイラストが描かれている。俺は心が躍るのを抑え切れず、段ボール箱を無理矢理抉(こ)じ開け、中から〈ドリギア〉と呼ばれるヘッドセットを引き抜いた。
“ヘッドセット”と言うより“ヘルメット”と言った方が近い気がする。全体的に丸いフォルムで、頭をすっぽり覆うタイプだ。額の部分にLANケーブルを繋ぐための端子が設けられている事と右耳に当たる部分にスイッチが設けられている事、それ位しか特徴の無い金属製のヘルメット。
 段ボール箱から更に取扱説明書を取り出し、斜め読みで読み終えるとコタツの上に置いてあるゲーム機からLANケーブルを引き抜き、〈ドリギア〉へと挿し込む。いそいそと〈ドリギア〉を被ると、まるでヘッドフォンを付けたように外界の音が遮断されて静かになった。〈ドリギア〉を被っても、プラスチックのような膜に覆われただけで視界が閉ざされる訳じゃないみたいだ。相変わらず小汚い自室が視界に映し出されている。俺は右耳付近にあるスイッチを手探りで探り当て、カチッ――と言う音と共に電源を“オン”にする。
 ヴン、と電気が走る音と共に透明だった膜に映っていた小汚い部屋は消え失せ、色鮮やかな映像が映し出されると共に幻想的な音声が流れ始めた。
「おぉ、いきなり始まるのか」と思わず独り言を漏らしてしまう。
 映像は製作会社のロゴなのだろう、【ドリームカンパニー】と言う文字が独特の写植を使って表示されている。と同時に女性の滑らかな発音で会社名が囀(さえず)られる。俺はもうこの時既に興奮しっ放しだった。これから始まる物語に期待が膨らまない訳が無い。
 画面が切り替わり、水面に波紋が広がる映像が映し出される。
『ようこそ! 【ドリームワールドオンライン】へ!』
 先刻と同じ女声が鼓膜ではなく直接脳髄に叩きつけられるように響く。快活な声と共に画面には発言と同様のテキストが映し出されている。
『これからあなたは広大な夢の世界に生きる夢の住人……〈ドリーマー〉として生活していく事になります』
 波紋が広がる映像の中央に映し出されるテキストが快活な女声によって紡がれていく。
『まずはあなたの性別を教えてください※音声入力です』
「音声入力なのか」俺は驚きを感じつつも、「えーと、男」と発音を確(しっか)りして応じる。
『――男性ですか』ラグも無く即座に応じる女声。『次は容姿を教えてください』
 と言う感じで色々と音声入力で聞かれたり、実際の映像を見せられたりして、自分のアバター……“【ドリームワールドオンライン】上での自分”を生成していく。キャラクター作成に必要となる部位……要するに瞳はどんな形でどんな色なのか、どんな体型でどの位の身長が有るのか、どんな声なのかなど、それらに幾つのパターンが有るのか俺には計り知れなかった。全てのパターンを確認するにはどれだけ掛かる事やら……と思える程に種類が豊富だった。
『――以上で質問を終わります。あなたの〈ドリーマー〉はこちらで宜しいですか?』
 女声が告げると同時に表示された映像は、まさしく俺が質問に応じて作り上げたキャラクターだった。
 短めの茶髪。空色のどんぐり眼。女性と間違われるかも知れない中性的な顔立ち。身長は165cm。中肉中背だが、ちょっと痩せ気味の体型。手足が細く、それもまた女性っぽく見えない事も無い。頭の上に表示されている『アーク』は俺のキャラクターの名前だ。
 ……別にそっちの気がある訳じゃないが、現実の俺の見た目があまりにあまりだから、格好良い路線ではなく中性的な方に突き進んでみたんだが……まあいいか。
「それでいいです」何故か敬語が出た。
『――では、これよりあなたは“アーク”様です。改めて――ようこそ! 【夢の世界】へ!』
 突然映像が消え失せ、視界が白色に塗り潰される。目を瞑(つむ)っても消えない白光に俺は顔を顰めて〈ドリギア〉を一旦外そうとして――手が髪に触れた。サラサラの髪の感触はあれど、どこにも〈ドリギア〉の感触が無い。いつの間にか瞑目(めいもく)していた俺は瞼(まぶた)を開き――そのまま瞠目(どうもく)した。
 眼前に広がっているのは見渡す限りの雲海。頭上に天道の姿は無く、薄明るい靄(もや)が空一面に広がっている。
 さわさわ、と雲海が流れると共に風を感じる。俺は髪に触れたまま茫然自失の態で雲海を見つめていたが、やがて我に返ると〈ドリギア〉を探そうとして自分の頭をあちこち触ったが――無い。どこにも〈ドリギア〉が見つからない。
「え……?」と声を発して自分の体を見下ろすと――見た事の無い服を着ている事に気づいた。高校のブレザーを着ていた筈が、いつの間にか地味な色合いのシャツとズボン姿だ。そして今更だが〈ドリギア〉を付けた時は座っていた筈なのに今は直立している。
 足を動かすと自然な動きで自分の足が動く。――とか自分で言っといてアホみたいだが、正直に言うと感動を通り越して驚愕した。鏡が無いから判らないが、恐らく俺は今先刻設定したキャラクター“アーク”としてこの場に立っているんだろう。コントローラーなどではなく、自分の体を動かす事でキャラクターが動く……その点に驚愕した。
「うはっ、凄いな!」
 と勝手に感動したまま歩いてみた。足を動かす毎に足の裏が地面を踏み締める感触が伝わり、少し早く歩けば風を切る感触を全身で感じる事が出来る。衣擦れの感触、風が運んでくる爽やかな匂い、地面に落ちている小さな砂の1粒1粒……最早ここまで来るとゲームを通り越して、地球とは別の世界と錯覚せざるを得ない程だ。
 雲海の只中にいるが、別に雲の上に立っている訳ではなかった。雲海の只中に浮かぶ石造の足場に立っているのだ。端まで行くと突然視界に『危険! 飛び降りると死にます!』と警告文がテキストとして眼前に出現すると共に女声が鼓膜を揺さ振って驚いた。試しに下界を見下ろしてみるも雲海によって視界が遮断され、どれだけの高さに有るのか判然としなかった。
「てか飛び降りると死ぬって……誰か飛び降りたのかな……」
 怖いモノ見たさも作用して俺も飛び降りてみようかな……と悪魔な自分が囁(ささや)きかけてくる。流石にこれだけリアルなゲームだと死んだ時の衝撃を考えるだけで怖くなる。でも一度死を体験してみたいとか……
「興味本位で飛び降りる方がいらっしゃるので、念のための警告なのです」
「わぁっ!」
 唐突に背後から声を掛けられ、俺は危うく足を滑らせて下界へ真っ逆さまに落ちる所だった。血の気が引き、心臓が飛び跳ねるリアルな感覚を味わいつつ俺は振り返る。
 振り返った先には小さな光の球が浮いていた。明滅を繰り返す発光体を見つめ、俺は恐る恐る近寄ってみる。
「えーと……誰? って問うべきなのか?」
「初めまして、アークさん」発光体は明滅を繰り返しながら女声を発した。「私は【夢の世界】の案内人“ナヴィ”です」
 ナヴィと名乗る小さな発光体はふわっ、と飛翔すると俺の周りを回り始めた。
「案内人かぁ。宜しくな、ナヴィ」握手しようと思ったけれど手がどこに有るのか判らなかった。
「はい、宜しくお願い致します」ふわっ、と今度は俺の眼前で浮遊するナヴィ。「まずは簡単な説明をさせて頂きます。――ここは【夢世界】と【現実世界】の狭間――【夢現(むげん)の境界】です。遥か上空には【現実世界】が、下界には【夢世界】が広がっています」
 俺はナヴィに言われてすぐに空を仰ぎ見た。まるで海底から空を見上げた時のような、どこか朧気な景色が広がっていた。太陽のような明確な光源が有るのではなく、空全体に薄い靄が掛かり、その靄の更に上から光が降り注いでいるように見える。幻想的と言えるし、何だか見覚えが有るようにも思えるし、心が落ち着く光景のようにも感じた。
「てーと、ここから飛んで行けたら現実の世界に戻れるのか?」
「〈飛翔〉等のスキルを会得、あるいは飛翔できる生物を連れて来る事が出来たら、確かに可能です」
「おぁ、こういう質問する奴やっぱりいるんだな」
 俺は驚きつつも、ナヴィと言うキャラクターが機械で自動的に動かされているキャラクターだとしたらよほど高性能なんだろうなぁ、と頷く。流石にこれだけの映像をリアルタイムで再現できる程の技術が有れば難しくも無いのだろうか。
 ナヴィがクルッと宙を舞うと石造の地面に光の円陣が滲み出るように出現した。煌々(こうこう)と緑色の輝きを放つ円陣は公衆電話がすっぽり納まる程の大きさ。あくまで地面に滲むように出現したためか平面的で、立体的には展開しないようだ。
「この緑光のサークルに入ると【夢世界】へと下りる事が出来ます。一般的に〈転移陣(てんいじん)〉と呼ばれています」
「おぉ、魔法っぽい!」ナヴィを指差して頓狂な声を上げる俺。
「魔法っぽいのではなく、魔法です」即座に切り返すナヴィ。
「すげぇな、こんなどうでもいいツッコミにまで反応するのか」うんうん、と何度も頷いてしまう。
「……『NPCにしては色んなパターンの話をしてくれるんだな』とか、あなたもそういう事を仰る方でしょうか?」
 俺は驚いて二の句を継げられなかった。黙したままナヴィと見つめ合う時間が過ぎていく。
「……えと、ごめん。俺何か勘違いしてたみたいだけど……ナヴィってNPCじゃないの?」
 NPCとは“ノンプレイヤーキャラクター”の略称で、簡単に言えばコンピュータが予め設定した通りに動く、キャラクターの姿をしたプログラムだ。RPGモノで言えば武具屋の店主や、村人や町人、王様などが当て嵌まる。
 ナヴィは“頷く”モーションなのか“怒る”モーションなのか、明滅を繰り返しながら上下に飛び回った。
「私はNPCでは有りません。……尤もそう言っても信じてくれる〈ドリーマー〉は極小数ですが。予め説明しておきますと【夢世界】にはNPCなるプログラムは存在しません」
 NPCがいない。オンラインゲームなのだから、常にプレイヤーの誰かがログインしている筈だ。本来ならば道具屋や武具屋、村人などはNPCで賄(まかな)えるのに敢えてプレイヤーで補っているとしたら……【ドリームカンパニー】とは一体何人体制で【ドリームワールドオンライン】をユーザーに提供しているのか。俺は感嘆せずにいられなかった。
「――本題に戻ります」クルッと俺の眼前で1回転するナヴィ。「まずは3つのゲージに就いての説明から始めます」
 ナヴィが告げた直後、俺の頭上で「ぽんっ」と軽い爆発音が弾けた。俺は驚いて身を屈め、それから頭上を見上げる。“アーク”の白い文字が浮かんでいる、その下に三色の短い横線が走っていた。――と、視界の左下の方にも同色の横線が出現した。
「上から順に行きましょう。1番上の緑色のゲージがヒットポイント――通称“HP”と呼ばれるモノで、正確には体力を示します。HPのゲージは何らかの攻撃を受けると減少します。逆に回復効果のある飲食物を摂取するとゲージが回復します。休憩などの状態が続きますと徐々に回復します。ですが、怪我、毒、疲労などの状態異常の時は自然回復せず、逆に減少していきます。そしてHPのゲージが無くなりますと〈ドリーマー〉は肉体を失い、〈ゴースト〉になります。〈ゴースト〉の状態が長時間続くと強制的に【冥界(めいかい)】に送られます」
「〈ゴースト〉って……幽霊か。【夢の世界】なのに【冥界】とか在るんだ」
「はい。【冥界】に送られた〈ドリーマー〉は一定のデスペナルティを受け、再び【夢の世界】に復帰します」
 デスペナルティ。蘇る時に受ける罰則か。死んだら相応の罰が有ると言うのはつまり……所持金が半分になったり、装備していた武具が無くなったり、レベルが下がったりだろうか。
 腕を組んで色々想像を膨らませている間にナヴィは次の説明に入った。
「真ん中の水色のゲージはテクニカルポイント――通称“TP”、正確には気力を示します。〈ドリーマー〉が全力疾走する、回避行動をする、技・魔法を使用する、生産活動をする等、様々なアクションを起こす時に消費します。TPもHP同様、自然に回復するのですが、空腹、寝不足、疲労などの状態異常の時は自然回復せず、逆に減少していきます。TPが無くなってもペナルティは生じません」
「えーと、何か覚える事が多過ぎて頭がパンクしそうなんだけど……」
 目が回りそうな説明の多さに俺は少し混乱気味だった。説明書を斜め読みした事も有って理解が追いついていないような気がする。
 ナヴィは暫し沈黙を設けた後、俺の頭の周囲を1回りすると眼前で明滅した。
「今私が説明している事は【夢の世界】ではいつでも確認が可能です。アークさん、ズボンのポケットを漁ってみてください」
「ズボンのポケット?」俺は言われて地味な色合いのズボンの前ポケットに手を突っ込む。確かな革の手触りに、また驚いてしまう。中に入っていたのは1冊のメモ帳。俺はそれを取り出して、ナヴィに言われる前に中を開いてしまう。「――なるほどね」
 メモ帳の中にはついさっきナヴィが説明した【ヒットポイント“HP”】、【テクニカルポイント“TP”】の説明が綴られている。次の項目は――【マジックポイント“MP”】。
「……これ以上の説明は必要ありませんか?」
 どこか寂しげに明滅を繰り返す発光体に何故か俺は慌てたが、ぽり、と頭を掻いて、
「……ごめん、俺ってさ、習うより慣れろ派だから……」
「いえ、謝らなくて結構です。では私からの説明はこれで終了させて頂きます。――良い夢を♪」
 最後に明るい声で告げると発光体は突然消滅し、再び【夢現の境界】は俺1人だけの静かな世界に戻った。
 俺は暫し消滅した発光体がいた場所を見つめていたが、ぽりと頬を掻く。
「……悪い事しちゃったかな……」
 呟き、緑光の円陣を見据える。――【夢世界】への入り口。待ちに待っていた幻想世界への入り口。俺は胸をときめかせて円陣へと駆け込んだ。
 ぱぁ、と緑光が湧き上がり、全身を包み込んでいく。視界は緑光に覆われるが、不思議と眩(まぶ)しさは感じない。目に優しい光がやがて消えるとそこには――――

次回
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