2.

 テスが泣き止むのを待って、トルクは嬉しげな表情ではにかみ笑いを浮かべた。
「オラァ、今までそんな風に泣いてくれる娘がいなかったからぁ、すげぇ嬉しいだぁ……」
 何を理由に泣いたのか。もしかしたらあまりにもトルクの発言が幼稚過ぎて馬鹿馬鹿しくて涙が出たのかも知れないが、トルクはそうは思わなかった。――自分のために泣いてくれたんだと、信じた。
 テスは赤くなった目許を隠すようにグシグシと掻きながら「えと……ごめん、いきなり泣いちゃって……」と微苦笑を浮かべた。恥ずかしげに視線を逸らす彼女は、やはり魅力的な女性だった。
「それじゃあ、オラァもう行くだ。話聞いてくれて、あんがとなぁ」
 そう言って立ち上がろうとして、イーオスアームの裾を引っ張られた。視線を向けるとテスが裾を掴んでトルクを見上げていた。真剣な表情のテスを見て、トルクはキョトンとしてしまう。
「――“一回だけ”、一緒にクエストを受けない?」テスは静かに意志を込めて、告げた。「その後ならハンターを辞めてもいいから。お願い……一回だけ、私と一緒にクエストを受けてくれない?」
 どういう意図を含む発言なのか、当然トルクは理解を示さなかった。判るのは、こんな自分に一緒にクエストに行って欲しいと言う意志のみ。ならばトルクに断る理由など無かった。
「一緒にクエストを受けてくれるだか!? 嬉しいだぁ〜、是非一緒に行かせて欲しいだぁ!」
 トルクが満面の笑みで承諾したのを見て、テスの顔にも笑顔が戻った。その笑顔の裏にある決意にトルクは気づいていなかったが、トルクにとってそんな事はあまりにも瑣末な事柄だった。
 目の前の女性が笑ってくれている。重要なのは、それだけなのだから。

◇―――◇―――◇

 翌日。ドンドルマの大衆酒場を待ち合わせ場所に指定したテスは、トルクが来るより早く到着し、クエストカウンターでどんな依頼があるのか受付嬢と話をしながら依頼書に目を通していた。
「あれ、テスさん、お出かけですかっ?」
 クエストカウンターで依頼書と睨めっこをしていたテスの背後から声が掛かった。振り返らずとも声で相手はすぐに分かった。セァラだ。
「うん、ちょっとクエストを受けたくなってね」と依頼書を示しながら振り返ると、セァラは驚きと嬉しさの混在した顔で「そうなんですか〜♪」とテスの肩を叩いた。
「お相手は昨日の彼ですかっ?」
 セァラの浮ついた声に一瞬テスは考え込んでしまう。難しそうな顔をするテスに、セァラは「あれ、違った?」と小首を傾げた。その時になってやっとテスは彼女が誰の事を指しているのか察した。
「そうそう、彼だよ彼」大人びた微笑を浮かべて返すテス。「よく分かったね?」
「うわぁー、白々しいったらありゃしませんよ!!」受付嬢と肩を合わせて内緒話をするような仕草をするセァラ。「これが大人の色香って奴なんですね!!」
「違うって」笑顔に苦りが滲み込むテス。それから少しの間を置き、「……ただちょっと、放っとけなかったんだ」と呟きを落とした。
 セァラは受付嬢と顔を見合わせると、「まぁ何であれ、今度のパートナーは少しくらい骨がある人なんですよね!? 見た感じ、あんまり頼りになりそうじゃなかったですが!!」徐(おもむろ)に失礼な言動を吐き出す。
「そうだね〜」思わず苦笑を浮かべてしまうテス。頬を掻きながら「セァラの印象は強(あなが)ち間違ってないと思う」
 そんな雑談に花を咲かせていると、大衆酒場の入り口から「大変だぁ〜! 遅れただぁ〜!」とドタバタ音を立てて埃を舞い上げながら少年が駆け込んで来た。視線を向けずとも判る。遅刻した訳でもないのに、彼が慌ててやって来たのだ。
 ゆっくりとテスが振り返る頃には、トルクがイーオスシリーズを纏ってジェイルハンマーと呼ばれるハンマーを担いで息を切らして立っていた。走って来た事は判るが、どれくらいの距離が有ったのか、ドンドルマの街の中を走っただけで息切れを起こすのは明らかにスタミナ不足である。
 にも拘らずテスは彼を笑顔で受け入れた。「遅れてないよ、おはよう」
「おはようございますだぁ〜!」テスの前で大きく頭を下げて挨拶を返すトルク。
 そんな二人を見守っていた二人の給仕は目を白黒させていた。間を置いてセァラがテスに耳打ちする。「本当に頼りにならなさそうですけど、大丈夫なんですか? この人……」
 セァラのこれまた失礼に尽きる発言にも、テスは微笑を浮かべながら振り返った。「頼りにはならないかも知れないけど、大丈夫だよ、きっと」幽かな自信さえ見えるような態度で、テスは依頼書に目を戻した。
 トルクも若干肥満体の体を揺らしながらテスの隣に立ち、依頼書の束を見やる。その糸のように細い瞳からは、どの依頼書を見ているのか窺い知る事が出来ない。テスはそんな彼に「これなんかどうかな?」と一枚の依頼書を差し出した。トルクはそれを受け取り、上から順に文面を追っていく。段々不安そうに表情が曇りだした。それを見た受付嬢の二人の顔が曇りだす。
「大丈夫かなぁ……オラァ、こいつと戦った事はあるがぁ、倒した事はねぇだぁ」そう言ってトルクはテスに羊皮紙を返した。
「経験はあるんだね」と羊皮紙を受け取り、テスは流れるように羊皮紙をセァラに渡した。「このクエスト受けたいんだけど、彼と二人で」
「どれどれ……?」羊皮紙を受け取ったセァラに、その内容を覗き込むように受付嬢が首を曲げる。そして二人同時に目が点になった。「このクエストって……ッ!!」
 二人の受付嬢が羊皮紙から顔を上げてテスに視線を向けると、彼女は涼しげな笑顔で応じた。「“赤き翼の軌跡”――火竜リオレウスの狩猟。……大丈夫、私達なら狩れるよ」


 大老殿ギルドからの依頼である“赤き翼の軌跡”と呼ばれるクエストは、何の事は無い、火竜リオレウスを狩猟してきて欲しいと言う依頼である。ただその依頼には、“一定のダメージを与える事”により、無理に狩猟できずとも成功報酬の一部を与えると言う契約が追加されていた。通称“サブターゲット”と呼ばれる追加契約が付いている。
 その一定ダメージの判断を新たに規定し直すために、ハンターズギルドの人間が遠くから見守りたい、それだけの依頼だった。
 併し一定ダメージの測量はあくまで序でであり、依頼の主目的はリオレウスの狩猟である。サブターゲットで帰途に着けるのは、狩猟が続行不可能な状態に陥った場合の保険でしかない。中には目当ての素材が手に入らなかったハンターがサブターゲットだけを熟して狩場を退却する場合も少なくないそうだが、今回はそれに当て嵌まらない。
 草食竜であるアプトノスが牽く竜車の幌の中で、車窓に映る遥かなる緑の大地に視線を向けていたテスは、ふとトルクがこちらに意識を向けている事に気づき、忘我の淵から身を起こした。
 トルクは何もテスの容姿に見惚れていた訳ではないらしい。不思議そうな、何故自分が? と言いたげな表情でテスに見入っている。
「……どうして一緒にクエストに行きたいって言いだしたのか、知りたい?」
 トルクの考えを見抜くように口を開くと、案の定彼は慌てた仕草をして「どっ、どうして分かっただぁ!?」としどろもどろになった。それがおかしくてテスも微笑を濃くしてしまう。
 やや間を置いて、テスは徐に口を開いた。「……ハンターを辞めるって聞いて、何かね、いても立ってもいられなくなったんだ」トルクを見据えたまま、視線を逸らそうとしなかった。「ハンターを辞めるのは勿論その人の自由だよ? でもさ……」そこで少し間を置き、「……でもさ、ハンターを辞める最後の狩猟が失敗だったら、まるでハンターだった時の全てが失敗だったように感じるんじゃないかって。そう思うと、嫌だったんだ」
 勿論、テスの考えが万人に当て嵌まる訳ではないだろう。たまたまハンター生活最後の狩猟が失敗だったとしても、今までハンターとして生活して来た人生を否定される訳ではない。そういう運命だったと片付けられたとしても、それぞれのハンターの考え方であって、テス一人が異を唱えたところで詮無い話である。
 だけどテスはトルクの話を聞いている内に、彼がそうは思わないのではないかと思った。毎回のように狩猟に出ると何かしらの失敗をしでかし、仲間に罵倒されて別れる。そんなハンターとしての生活を繰り返してきた彼が、最後の狩猟まで失敗で終わってしまえば、彼はその後の人生で、ハンターでいた時は“不幸だった”と思うのではないか、そんな気がしてならなかったのだ。
 ハンターとして生きる事が必ずしも幸運に繋がる訳ではない。中には狩猟中に大型モンスターに襲われて命を落とす者だって少なくない。ちょっとしたミスで人命が損なわれる世界である、今まで五体満足で無事だっただけでも、凄まじい幸運で成り立っていると言えよう。
 無数の幸運の上に成り立っていたとしても、その幸運を実感できない者が殆どだろう。テスはそう思っていた。トルクが今までハンターとして生きてきた年月を真っ向から否定するつもりは無いが、話を聞いて、失敗と別ればかりだったように思える彼のハンター人生に、せめて最後だけでも華を持たせてやりたかった――そんな意識から、テスはトルクを狩猟に誘ったのだ。
「ハンターを辞めるとしても、やっぱり最後は成功で終わらせたいじゃない。トルクは、そう思わない?」
 無論、その意志全てをトルクに伝えるつもりは無かった。“最後の狩猟は成功で終わりたい”――その意志さえ伝われば、テスは何も言う事は無かった。
 ゴトゴトと幌が揺れる度にトルクの体が共鳴するように揺れる。車窓から射し込む陽光を半身に浴びながら、トルクは満面の笑顔を浮かべた。
「そうだなぁ! オラもやっぱり最後は成功で終わらせたいだぁ!」
 トルクの笑顔を見て、テスは誘って良かったと心底から思えた――が、もう一つ話しておかねばならない事が有った。その内容はこのクエストでも発生するかも知れない事であり、且つトルクにとって最後の狩猟になるかも知れないクエスト自体が破綻する事になるかも知れない、重要に尽きる内容だった。
 まだ始まってもいないクエストの成功を夢見てはしゃぐトルクを見て、罪悪感がテスの総身に染み渡っていく。本当にその内容は今話すべきなのか? そんな仄かな悪意が鎌首を擡(もた)げた。今回もそうなるとは限らないのに敢えて告げれば、言霊となって逆に彼の行動を制限してしまうのでは――と、一度生じた疑念が波紋のように心を歪ませる。
「……絶対に、二人とも無事で、狩猟を成功させよう!」
 グッと拳を固めてトルクに向ける自信に満ちた顔の裏側は、不安で泣きそうになっていた。言えない――もし言って、トルクが依頼を取り消したら。実直なトルクに限ってそんな事は無いと思いながらも猜疑心は納まらない。
 結局狩場である“森丘”に至るまでの数日、テスは己に課せられた渾名(ふたつな)とその意味を切り出せないまま、火竜リオレウスが住まう地へと着いてしまう。

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