3.お前は、カッコいいお前を目指せよ
「…………ふぇ?」
何を言われたのか理解できない様子で、ネーヴェが小首を傾げる。ルーグの発言をすぐに察したのはユニとヴェントだけだったようだ。
「……良ければ、理由を聞かせて頂いてもいいですか?」
神妙な面立ちで尋ねるヴェントに、ルーグは一瞬言いよどむ。言いよどんだが、何の理由も言わずにパーティから外すなど傲慢に過ぎると分かっていたルーグは、抑揚の乏しい声で説明を始めた。
「俺は女とは組めない。詳しい理由は言えないが、納得できないなら、ヴェント、お前もパーティから抜けてくれ」
柔和な空気が少しずつ張り詰めた糸のように緊迫を帯びていく。自分で蒔いた種であると分かっていたし、だからこそ今まで一人で狩猟に出ていたルーグである。彼らを説得しようとは考えていなかったし、たとえ喧嘩に発展しても致し方なし、と言う思考だった。
ヴェントは穏やかな表情ながらも芯の通った瞳でルーグを暫し見つめた後、小さく鼻息を吐き出すと、「――分かりました。悪いがネーヴェ、今回は留守番しててくれ」とネーヴェの頭をぽん、と軽く叩いた。
「えー? べんちゃん、ねーべがいなくて大丈夫ぅ?」心配そうにヴェントの顔を覗き込むネーヴェ。
「大丈夫だ、問題無い」小さく首肯を返すヴェント。
「道に迷ったりしない?」小首を傾げるネーヴェ。
「私一人じゃないから、大丈夫だ、問題無い」小さく首肯を繰り返すヴェント。
「そう? うん、じゃあ、ねーべ留守番頑張るよ!」ぽん、と叩いた胸を張るネーヴェ。
「あぁ、任せた。――そういう訳です。これで懸念は無くなりましたか?」
ルーグに向き直り、爽やかな微笑を見せるヴェント。ルーグは二の句を継げず、暫し口を開けたまま呆然としていた。
「……あぁ、それなら、問題は無い」何とか頷き、併し解せないとヴェントを見上げるルーグ。「問題は無いが、お前達はそれでいいのか? ペアで狩猟を行っている訳では……」
「いつも一緒と言う訳では有りませんし、相手の都合が悪ければこういう事だってすると言うだけの話です。別に気を悪くしてはいないので、どうかお気になさらず。それに――この狩猟は喫緊(きっきん)の問題なのでしょう? こんな事に時間を割いている暇は無いと思いますが」
ヴェントの言い分は尤もだった。ルーグは一つ頷き、立ち上がる。カジャが用意してくれているであろう竜車の元に行くために酒場を出て行く。
「べんちゃん頑張ってね〜!」と言うネーヴェの声援を背に受けながら、三人は竜舎へと向かう。
「……お前は来なくていいんだが」
道中、ルーグは左後ろを歩くユニを見咎めた。ユニはルーグの発言に驚きを見せ、「どうしてでありますか! 自分の狩猟を見てから判断すると、ルーグさんが言ったのでありますよ!?」と即座に反論を始めた。
「見るとは言ったが、今回のクエストじゃない」小さく首を振るルーグ。
「ハードコアのグラビモスを相手にするのでありますよ? 人手は多いに越した事は無いであります!」全く譲らないユニ。
「人手は足りてる。俺一人で充分だ」
「だったら自分が増えても何の問題も無いでありますね!」
「どうしてそうなる」
疲れた嘆息を零すと、隣でヴェントが微かな笑みを口唇に刷いた。
「……何がおかしい」思わず険悪な視線で睨み据えるルーグ。
「いえ、中々良いコンビだな、と思いまして」含み笑いを消して、涼しげな表情で応じるヴェント。
「お前も、無理に来なくていいんだが。待っている人がいるだろう?」顎で背後を示すルーグ。
「ネーヴェの事ですか? 彼女のように待っている人がいるからこそ、更に頑張れるのではありませんか?」
「……」
ああ言えばこう言う奴らだな、とルーグは口を開くのも億劫になり、疲れ果てた表情で反論を諦めた。
今回の狩猟が終わるまでこんな二人とずっと行動するのかと思うと、疲労感が尋常じゃなく溜まっていくルーグなのだった。
◇――◇――◇
「――ヴェントさんも、ハードコアのモンスターを何度か狩猟されてるのでありますか?」
ラティオ火山へと向かう道すがら、小舟の上で弓の整備を行っていたヴェントに声を掛けるユニ。ヴェントはその漆黒の弓を置き、ユニに意識を傾ける。
「えぇ、ネーヴェとペアで行く事が多いですが、最近はネーヴェプラス狩友二人の四人でですね」
「なるほど……特異個体は通常種に比べて強化されているって話でありますし、やはり仲間の存在は必須でありますか」
うんうん、と頷いて納得しているユニに、ヴェントはふと思いついた事を口にする。
「ユニさんもこれまでに何度かハードコアのモンスターを狩猟されたのですか?」
「はいであります! ただ、自分には狩友がいないので、普段はその場限りのパーティにお邪魔する事が多いのであります。ルーグさんのように一人で狩猟なんて、とてもとても……!」
不意に自分に白羽の矢が立った事に気付いたルーグだったが、気付かない振りをして、水平線の先に見える巨大な活火山から視線を剥がさない。
「ルーグさんは一人で狩猟する事に拘りでもあるのでしょうか」
独り言のように呟かれた言葉だが、あまりにも指向性のある言葉だった。居心地悪そうに居住まいを正し、ルーグは右手で頭を支える。
「猟団にいた頃は、ルーグさんにも相棒と呼べる人がいたらしいのであります。その人が狩場で命を落とされてから、ずっとパーティを組まずに一人で……」
「おい」
勝手に語りだしたユニに思わず振り返るルーグ。ユニはばつが悪そうに頭を掻き、「も、申し訳無いであります……」と俯いてしまう。
「自分、ルーグさんに憧れて、色んな情報を集めたのであります。【黒虎の尻尾団】の団員さん達からも話を聞いたりしたであります。どうしても、ルーグさんに追いつきたくて……」
不意に訪れた沈黙に、ルーグは嫌悪感を混ぜたため息を零し、視線を落とした。
「……そうだ。お前の言う通りだ。俺は守り抜かなきゃいけない女を見殺しにしちまって、それ以来女とは目すら合わせられないトラウマを患っちまった」
「なるほど、それでネーヴェを……」
得心した様子で首肯するヴェントに、ルーグは瞑目して首肯を返す。
「今までパーティを組まずに活動してたのは、もう誰とも係わりたくなかったからだ。当然、お前らともだ。だからこの狩猟が終わったら、お前らと係わるつもりは無い」
「えっ!? 話が違うであります! 自分、ルーグさんの弟子になるでありますよ!」思わず跳び上がってルーグに詰め寄るユニ。
「弟子を取るとは一言も言ってない。お前の狩猟を見て判断すると言っただけだ」淡白に素っ気無く応じるルーグ。
「まだ自分の狩猟を見て貰ってないであります! まだ判断を覆す余地が残ってるであります!」ルーグの肩を掴み、ガックガック揺さ振るユニ。
「いい加減気付け。俺は初めから、お前を弟子に取るつもりは無い」
ユニの手を払い除け、再び視線をラティオ火山に向け直すルーグ。
そう、もう誰にも係わらないと決めたのだ。それは己の根深い所に潜むトラウマが為す悪行だ。また失った時が怖い。……違う。また守れなかった時が、怖くて仕方ないのだ。
――お前は、カッコいいお前を目指せよ。私よりもずっと、素質が有るんだからな。
何度でも思い出す過去の映像。そして何度でも己を苦しめる空想の茨。彼女が己の全てであり、己が目指した至高の存在だった。それを失った今、もうルーグにとってこの世界は色褪せ、とても薄っぺらなモノに変わってしまった。
“生きているなら、彼女の代わりを務めねば”――その意志だけで今日まで生き存えてきたと言っても過言ではない。そして肉体的に衰えてきた現在、それすらもう敢行できなくなりつつある。己にとっての終わりが、いよいよ現実味を帯びてきたのだ。
「……自分は、諦めないでありますよ……!」
背中に、炙られるような熱意を感じた。まるで溶かした鉄鉱石のような熱量が、言葉の端々に迸っている。
振り返らずとも知れる。ユニが、不屈の闘志で挑みかかっている事ぐらい。
「絶対に、ルーグさんの弟子になるであります……!」
それは、いつかの自分と重なる台詞だった。ルーグは思い出す。あの雨の日。自分に訪れた転機と、地獄の終わりを。
◇――◇――◇
それは二十年以上昔の事だ。ルーグがまだ子供だった頃の話。小さな村で生まれ、何の不自由も無い、平穏な暮らしが約束されていた、自分の世界が平和だった頃の話。
その平和が仮初だった事に気付いた時には、全てが手遅れだった。
モンスターが村を襲撃し、逃げ惑う村民は次々と残虐に喰い散らかされ、抵抗する間も無く一つの村が終焉を迎えようとしたその時、ルーグは奇跡を見た。
一人の女が、一振りの太刀を携えて現れ、為す術の無い村人を殺害していくモンスターの群れを、あろう事か誰の力も借りずに撃滅、駆逐していったのだ。
それは子供の目でなくとも、伝説を目の当たりにするかのような輝きに満ちていた。たった一人で、自分より大きな竜を、一切の力を借りずに鏖殺し、村を救ったのだ。英雄以外の何に例えられようか。
女は何の謝礼も貰わずに村を立ち去ろうとしたが、ルーグはその背に追い縋り、何度も何度も口にした。
「俺を、弟子にしてくれ!」
女は聞く耳を持たなかった。足を緩める事も無く、村から狩場へと去って行く。だが、ルーグも譲らなかった。何度転んでも、何度見失いそうになっても、何度頭をぶつけても、何度死に掛けても、ひたすら女を追いかけ続けた。
「どうしてそこまで私の弟子になりたい?」
やがて根負けしたのか、女はルーグの話にやっと耳を傾けてくれた。全身傷だらけになったルーグは、泣きそうになりながらも、決して泣き言を漏らさず、懸命に涙を堪えて、女に宣言する。
「だって、あんたとっても――――カッコ良かった!」
女は一瞬驚きに顔を歪めると、次の瞬間ばつの悪そうな笑顔を浮かべたのを、ルーグは今でもすぐに思い出せた。
「よく分かってるじゃないか。そうさ、私はカッコいい。そのカッコ良さがお前に分かるなら、それを教えてやってもいい」
彼女はルーグにとって英雄である以前に、“カッコいい人”だった。そしてそれは正しく、彼女はそれ以来ルーグにハンターとしての、……否、“カッコいい人”としての道を示してくれた。
その彼女を見殺しにした事で、ルーグの思考は闇に囚われた。もう二度と光を見る事が能わない、漆黒の闇に……
「――死ぬな! 今、助けを呼びに行った! だから、絶対に死ぬな!」
雪山の洞窟の中で、彼女は瀕死の重傷を負っていた。相手は“雪獅子”の異名を持つ牙獣種ドドブランゴ。ルーグを庇った事によって体当たりを受けてしまい、為す術無く雪壁に叩きつけられたのだ。最早体をピクリとも動かせない程の怪我と出血量で、生気が見る見る失われていくのが目に見えて分かった。
残り二人の仲間が助けを呼びに下山している。それまで彼女の意識を保たせるのがルーグの役目だった。自分の目に悲愴感から来る涕涙が溜まっている事に気付かない程に必死に声を掛け続ける。
「おい、何か喋ってくれよ、なぁ、おい! 死ぬなよ、あんた、こんな所で死ぬような奴じゃないだろ……っ!」
女は何も言わない。虚ろな瞳を鍾乳洞の天井に向けたまま、意識が無いような態度で、小さく口を開閉する。声は聞き取れない。だが、何かを言っているように、ルーグは感じた。
「……何? 何を言ってるんだ……?」
外から聞こえる吹雪の風声、鍾乳石から落ちる滴が奏でる水音、それらが混ざった反響音が、女の声の聞き取りを阻害する。限界まで耳を口元に近づけ、必死に音を手繰り寄せようとして、やっと、認識できた。
「……カッコ悪いところ、見せちまったな……?」
彼女が発しているであろう言葉を反芻したルーグに、女は満足そうな笑みを見せると、重たそうに目蓋を閉じ、――呼吸が、止まった。
それが、彼女の発した最後の台詞であり、ルーグの思考を殺すに至った文句でも有った。
あのカッコいい人はもういない。英雄は、有り触れた脅威の犠牲になり、容易くこの世界から消えてしまったのだ。
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嘘つきの英雄
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風雅の戯賊領P