にーさんは今日も働かない。

今日も働かないにーさんの日常。




「……加奈子、俺を抱き枕代わりにするのはやめろって言ってるだろ?」
 俺は妹の加奈子の腕に抱かれた状態で目を覚ました。全く困った妹である。わざわざ自分の部屋に俺を連れ込んで抱き枕代わりにするとは……もう中学二年生だと言うのに、節度やら常識をまるで意に介さない。幾ら俺が小柄だからって、本当に勘弁して欲しい。
 俺は腕から逃れて加奈子のベッドから脱出すると、欠伸を一つ漏らした。もう春が近いと言うのに、まだ部屋の中は寒々しい空気で満たされている。俺で暖を取りたかった、と言う言い訳をしかねないな、と思いながら部屋を出て行こうとする。
「むにゃ……にーちゃん……あれ? にーちゃん? にーちゃんがいない!!」
 背後から加奈子の慌てふためく声が聞こえてきたが、ガンスルーで俺は居間に向かった。
 居間に辿り着くと母さんが皆の分のご飯を既に用意し終えていて、父さんが身支度を整えている光景が目に飛び込んできた。俺は自分の席に着いて、「いただきまーす」とがっつく。
「ん、にーさん、お早う」父さんが声を掛けてきた。「加奈子が騒がしいが、もしかして、にーさんか?」
 俺は顔を上げて溜息を漏らした。「加奈子がまた俺を連れ込んだんだ」
「ちょっと、にーちゃん!! どうして加奈子置いて先に行っちゃうの!? もうっ、信じらんないっ!!」
 慌ただしく居間に飛び込んできた加奈子に、父さんが「加奈子、お前はもう中学生なんだ。にーさんと一緒に寝るのはもうやめなさい」と呆れ顔だ。俺もそれには頷かざるを得ない。
「えぇー? いいじゃん、にーちゃんと一緒に寝るのくらい」ぶぅ、と頬を膨らませる加奈子。
「「お前なぁ……」」思わず父さんと声が被ってしまう。
「はいはい、何でもいいからご飯食べて頂戴。学校に遅れるわよ?」
 母さんがキッチンからこっちを見据えてガンを飛ばしてきた。俺はさっと視線を逸らして食事に戻り、父さんは身支度に戻り、加奈子は「はぁーい」と気の無い返事を発して席に着いた。
 ご飯を適当に済ませると、俺は欠伸を浮かべながら空になった食器を母さんに預け、縁側に向かった。そこでは爺ちゃんが眠たそうに詰み将棋に現を抜かしていた。
「また将棋やってんのか?」
 気軽に声を掛けると、爺ちゃんは「おぉ、にーちゃんか」と皺だらけの顔をクシャクシャにして俺を迎え入れてくれた。
「来週、集会所で大会が有るんじゃよ。そこで負けられん奴がおってなぁ、猛勉強中じゃ」
 そう言って再び将棋盤に視線を落とす爺ちゃん。俺はその盤面を見ても、全然理解できない。
「にーちゃん、将棋できるんだっけ?」
 じいっと盤面を覗いてたからだろう、爺ちゃんが興味深そうに尋ねてきた。
「うんにゃ、俺将棋のルール知らねえし」
 フルフルと首を振って否定すると、爺ちゃんは柔らかい笑みを浮かべて、「じゃよなぁ」と再び手元にある教本をじっくり見つめて、震える指で駒を動かし始めた。
 俺はその近くで、少しずつ温かくなりつつある縁側に横になり、再び欠伸を漏らした。
「にーちゃーん、にーちゃーん! ――って、こんなところで寝てた!」
 加奈子がドタドタと廊下を走ってくる音を聞き、俺はウンザリしながら身を起こす。
「何だよ?」
「行ってきます!」
 俺の声に被せるように、加奈子が敬礼を見せつけてきた。俺は朝から疲れる想いを満面に憶えながら、「……おう、気を付けてな」と小さく手を振ってやった。
「うんっ、行ってくるね! じーちゃんも、行ってきます!」爺ちゃんにも敬礼を見せる加奈子。
「あいあい、気を付けてのう」教本から視線を上げて、クシャクシャの顔で手を挙げる爺ちゃん。
 再びドタドタと廊下を駆け抜けて行く加奈子を見送り、俺はやれやれと溜息を吐きながら再び横になった。
 やがて寒かった朝の空気は太陽の光に熱され、ポカポカした陽気を運んできた。俺は縁側でゴロゴロと自由時間を満喫していたが、掃除機の騒音で心地良い惰眠の世界から引き剥がされた。
 爺ちゃんは相変わらず詰み将棋に夢中のようだし、俺はポリポリと顔を掻いた後、二階へ向かった。普段二階は父さんと母さんの部屋しかなくて寄り付かないのだが、掃除機の音が煩い時はここで昼寝をさせて貰っている。
 敷きっ放しになっている布団の上に寝転がり、大きな欠伸。冬は冬で寒さのあまり眠くなっちまうけど、春は春でポカポカした陽気で眠くなるんだよなー。
 ウトウトして、再び眠りの世界に落ちた。が、程無くして階段を上る音を聞き取り、浅い眠りから現実に戻ってきた俺は、母さんの姿を捉えた。
「あら、にーさん。またこんなところでお昼寝?」呆れた風の母さん。「いいわね〜、大の大人が仕事無いって。毎日寝てるだけなんて幸せね?」
「まぁな。働いたら負けだと思うし」
 平然と返すと、母さんは「気楽でいいわね」と明後日の方向に視線をやって溜息を吐いた。
 ……ふん、何とでも言うがいい。俺は働かないし、毎日寝てるだけで幸せなのは間違いないのだ。母さんがいる限りご飯にも困らないしな!
「掃除するからどこか行って頂戴。邪魔よ邪魔」
 母さんが掃除機のプラグをコンセントに刺しながら横暴な口を利いてきたが、俺は「はいはい、判りましたよーっと」我関せずと言った風情で二階から一階に戻ってやった。こういう時の母さんには係わらない方が良いと既に学んでいるからな。
 気付くともうお昼が近かった。爺ちゃんが教本から顔を上げて、「にーちゃん、かーさんにご飯はまだか訊いてきてくれんか?」と俺に向かって声を上げたが、俺が「嫌だよ、自分で訊いてくれよ」と素っ気無く返すと、「ふむ、仕方ないのう。今日のお昼ご飯は何かのう……」と重たい腰を上げて歩き出した。
 俺は爺ちゃんが立ち去った後の将棋の盤面を見て、やっぱりよく解らなかったけれど、少しだけ駒をずらしてみた。ちょっとした悪戯心が働いたのだ、他意は無い。
 そうこうしてる内に爺ちゃんが戻ってきて、「にーちゃん、今日のお昼は焼き鮭じゃと! にーちゃん好きじゃろ? 焼き鮭」と意気揚々と盤面の前に腰を下ろし、「……ん? んん!? にーちゃん触った!? にーちゃんもしかして触ったか!?」と教本と俺に何度も視線を行き来させる。
「あ、やっぱり不味かった?」
 ばつが悪そうに返すと、爺ちゃんは「やっぱりか! にーちゃん将棋のセンス有るぞ! どうじゃ? じーちゃんと一局打たんか? な? 一回だけ!」とマシンガンのように勧誘を始めた。
「いや、だから俺ルール知らねえし……」若干引き気味に後ずさってしまう。
「そこを何とか! 一緒に打てる仲間を探しとるんじゃよ〜! 頼む〜!」
「無理無理。他を当たってくれ」
 これ以上ここに留まっていたら無理矢理やらされそうな気がしたので背を向けて逃げ去ると、背後から爺ちゃんの「にーちゃんのいけず〜!」と寒気のする声が聞こえてきた。当然無視した。
 お昼ご飯の焼き鮭は美味しかった。爺ちゃんが鬱陶しげな視線を向けてくる以外は平和な昼食である。母さんが後片付けを始めた辺りで、俺は再び縁側に向かった。
 横になり、寝る。朝から食べて寝てしかしていないけど、これが俺の日常で、世界だ。爺ちゃんが偶に聞いてるラジオに耳を澄ませたり、小腹が空いた時におやつをつまみ食いする位の変化しかない。
 ポカポカした陽気が広がる縁側で横になる。こんな幸せな事は無い。俺はまた眠りに落ち、睡魔に襲われるがままに寝続けた。
「たっだいまー!」
 玄関の方からけたたましい声が聞こえてきた、と思った時には日は暮れかけていた。もう一日が終わってしまった。今日も一日寝て終わってしまったようだ。実に充実した、いつも通りの生活だ。
 大きく伸びをして、欠伸。寝ても寝ても寝足りない。取り敢えず夕飯を食べて、とっとと寝てしまおう。風呂はまた今度でいいや。汚れてねーし。
「にーちゃんただいまー!」
 バタバタと廊下を走ってきて、俺の目の前で敬礼する加奈子に、「おう、お帰り」と小さく手を挙げて応じる。
「今日ねー、部活で先輩に初めて褒められてさー! お前、中々やるな。見直したぞ。だってぇー! 凄くない!? あたし凄くない!?」
 居間に向かう途中、廊下で加奈子がやんややんや騒いでいたが、俺は「そーか、そりゃすげーな」とぞんざいに返してやった。
「あー、にーちゃん話聞いてなーい! ちょっとぉー、偶には真面目に話聞いてよぉー!」ぶぅ、と頬を膨らませてカンカンの加奈子。
「はいはい、そんなとこで騒いでないで、夕飯にしましょ」
 居間では既に夕食が並べられ、爺ちゃんも席に着いていた。俺も自分の席に着き、「いただきまーす」と夕飯を貪り食う。
「かなちゃんは何の部活しとるんだったっけ?」味噌汁を啜りながら爺ちゃんが尋ねた。
「バスケだよー! 今度知らない中学と試合するんだよー! あたしレギュラーじゃないから応援だけどね〜」ご飯を掻き込みながら応じる加奈子。
「そうか〜、爺ちゃんよく解らんけど、頑張ってくるんだぞ〜!」にんまり笑顔で加奈子を見据える爺ちゃん。
「うんっ、頑張ってくるよ! 応援!!」箸で爺ちゃんを指差す加奈子。
「こら、行儀悪いわよ」母さんが透かさず注意を飛ばす。
「はぁーい。にーちゃんも応援に来る?」不意に俺に視線を向ける加奈子。
「俺はいいよ、面倒臭いし」ご飯を食べながら応じる。
「にーさんは外出ないでしょ」母さんが呆れ顔で呟いた。
「ちぇー。にーちゃんはもっと外に出るべき! そのままじゃ太っちゃうよ?」ニヤニヤと俺を箸で指差す加奈子。
「うっせーほっとけ」「こらまた!」俺の声と母さんの声が重なった。
 夕飯を終え、居間でテレヴィを見ている加奈子の隣で横になってたら、玄関の方から「ただいまー」と父さんの声が聞こえてきた。
「お帰りなさい、今日は早かったのね?」母さんが迎えに出る。
「うん、今日は面倒なお客がいなかったからね。お風呂は?」ネクタイを緩めながら居間を通り過ぎて行く父さん。
「沸いてるわよ。先にお風呂にする?」母さんが父さんの背に声を掛ける。
「お帰りー」「お帰り」加奈子と俺の声が重なった。
「ただーいま」居間を完全に通り過ぎる前に振り返って笑む父さん。「うん、お風呂先」
「はーい、それじゃあ今の内にご飯温めておくわ」母さんがキッチンに入って行く。
 慌ただしく過ぎ去る居間での出来事に、加奈子がテレヴィを眺めながら「あーあ、にーちゃんの言葉が判ればなー」と俺の前足を握り締めてプラプラと動かした。
「俺は判るぞ?」と見上げて不快感を露わにする。「だからその手を離せ」
「確かに、にーさんの言葉が判れば、もっと楽しくなりそうだね」
 半裸の父さんが笑いかけて居間を通り過ぎて行く。加奈子がそれを見送りながら「ね〜」と相槌を打っている。
「にゃーんにゃーん、にーちゃんいつも不機嫌そうだけど、何が嫌なのかにゃ〜?」
 うりうり〜と言いながら俺の前足をパタパタ動かしてる、その動きが嫌ですにゃ。
「今じゃ本当にお兄ちゃんみたいな貫禄があるからのう、にーちゃんは」爺ちゃんがうんうん頷いている。
「だって俺兄ちゃんだろ。確かに先に生まれたのは加奈子だけど、俺もう三歳なんだぜ?」思わず呟いてしまう。
「にーさんって、確かもう三歳でしょ? それって人間換算で言えば、もう三十歳過ぎてるもんね! お兄ちゃん通り越しておっさんだよおっさん! 三十過ぎた良い大人が一日寝てるだけなんて、羨ましいなー」うりうりと相変わらず俺の前足から手を離さない加奈子。
「ニートじゃないそれ? ニートのにーさん?」母さんが笑いを堪えながら呟いている。
「にーちゃんの“にー”はニートの“ニー”だったんだね!!」滅茶苦茶不名誉な事を喚く加奈子。
「いい加減にしろっ!」
 歯を剥き出しにして威嚇すると、やっと加奈子が手を離した。
「ごめーん、にーちゃん。そんな怒らないでよ〜」加奈子が苦笑を浮かべながら俺を見つめている。
「全く……まぁいいけどよ、俺はもう寝るぜ? また勝手に俺をベッドに運ぶなよ」
「あれ、にーちゃんもう寝るの? まだ八時だよ? 良い子過ぎるよ!」
 加奈子の声を無視して自分の部屋に戻り、俺は丸くなって欠伸を漏らした。
 今日も一日働かずにのんびり寝て過ごした俺は、明日も同じ一日を過ごすんだろう。忙しそうな人間を横目に、俺は人生を謳歌させて貰うぜ。
 それじゃ、おやすみ。

/了

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風雅の戯賊領P

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