Episode002:【Chapter03】魔人の偶像!
「――近いな」
悲鳴が澄んだ空気を駆け抜けてきて、すぐに反応したのは逆月(サカヅキ)だ。頭の上に生えているネコ耳がピクリと動き、表情が険しくなる。
「ビズギナルギツネの大群にでも出くわしたかな?」澄まし顔のライアからは緊張感が窺えなかった。
悲鳴が聞こえてきたのは前方左側――比較的近くで聞こえた悲鳴だったにも拘(かかわ)らず、隆起している地面のせいで先が見通せないため、音源を視認する事が叶わなかった。俺は「ちょっと見て来る!」と慌てて駆け出した。
「やれやれ、リーダーのお人好しには困ったものだね」と嘆息交じりのライアの声が聞こえたけれど、俺は足を止めなかった。
隆起している大地を駆け上がり、小高い丘になっている場所の頂上に辿り着くと、――見えた。夢魔(ムマ)に襲われている〈ドリーマー〉の姿が。
「……って、何だあれ……?」視覚が捉えた映像に、俺は怪訝と僅かな恐怖を懐いて呟く。
「あいつァ――」数瞬遅れて駆けつけた逆月が瞠目して呟きを落とす。「“魔人の偶像”……?」
小高い丘から見える、盆地で繰り広げられている光景――それは、岩石で出来ている巨人が5人の〈ドリーマー〉に向かって攻撃を繰り出している、戦闘風景だった。岩石巨人の大きさはここから見ても分かる程に巨大……5メートルはあると思う。ゴツゴツと角張った黄土色の体、そして四角い顔には目玉と思しき薄い緑色の宝石が1つ施されている。
5人の〈ドリーマー〉は戦闘から離脱しようとしているのか、岩石巨人から距離を離すように駆け回っているのだけれど、一定の距離以上は離れられないのか、岩石巨人の周囲をグルグル回るように攻撃を躱している。
「――ふむ。透耶(トウヤ)君の言うとおり、アレは“魔人の偶像”に相違無いな」
隣にライアが辿り着いたのを声と気配で察する。2人が告げる“魔人の偶像”とは、まさしく眼前で戦闘体勢に入っている岩石巨人の事だろう。俺はゴクリと生唾を呑み込みながらも、何とか舌を動かす。
「あれって……この平原のボスモンスター……なのか?」
フィールド……モンスターと戦闘が行われるような場所であれば、ボスモンスター……縄張りのボスがいてもおかしくない。けれど、キツネしかいないような平原に、いきなりあんな岩石の巨人がいるなんて……と思うと、納得し難いけれど。
「いいや、ビズギナル平原の“夢魔王(ムマオウ)”はオオカミ……“ビズギナルウルフ”だ」淡々と応じたのはライアだ。“魔人の偶像”を見つめながら、顎に指を添えている。「“魔人の偶像”はビズギナル領に出現するような夢魔ではないよ」
「え……? じゃあ何でこんな所に……!?」理解不能だ、と俺は驚愕を刷(は)く。
「誰かが召喚した、のかもな」醒めた瞳に、小さな闘志の炎を宿す逆月。「御しきれずに暴走したって線も考えられるけどな」
「――要するに、あそこにいる〈ドリーマー〉じゃ何とかならないんだな!?」
重要なのは、そこだった。“夢魔王”……多分ボスモンスターの事だろう……と戦っているにしても、そこにいる〈ドリーマー〉で何とかなるのなら、手出し無用だ。けれど、そうではないのなら――あの場にいる〈ドリーマー〉が全滅の危機に瀕(ひん)していると言うのなら、後で文句を言われようが詰(なじ)られようが構わない、助けに行く!
俺の確認の怒号に、2人の〈ドリーマー〉は顔を見合わせると、小さく“肯(うん)”と頷いた。
「――だったら助けに行くぞ!」
告げ、俺は駆け出した。困ってる人がいる。ならば助ける以外に選択肢は無い!
小さな丘を駆け下り、“魔人の偶像”の戦闘域へと――
◇――◇――◇
全力疾走で丘を駆け下りて行くアークを見送る2人の女性〈ドリーマー〉は、互いに顔を見合わせて微苦笑を滲ませた。
「……やれやれ、困ったリーダーだよ。己の実力を心得ていないのだろうね。彼がいかに有能だとしても、敵う相手ではなかろうに」やれやれ、と肩を竦めるライア。
「わざわざ危地を用意してくれるたァ、嬉しい限りだがな。ただまァ……やっぱり長生きできねえな、あの調子じゃあ」ふっ、と皮肉った笑声を落とす逆月透耶。
「でも、」「だが、」2人同時に口唇を動かす。
――面白い。
互いに顔を見やり、相手が達した結論を見透かすような表情を見て取ると、どちらとも無く視線を外す。逆月透耶は腰のベルトに差していた白鞘の柄に触れ、ライアは腕を組んで指を顎に添える。
「まァ、この程度の危地じゃあ満足できねえんだがな」とんっ、と軽やかなステップで踏み込み、――姿を消すほどの早さで丘を疾走する逆月透耶。
丘を駆け下りて行くネコ耳の女を見下ろす形で戦況を睥睨(へいげい)する幼女は、満足そうな笑みを浮かべてとん、と自分の額に人差し指を添える。
「やれやれ、やんちゃ者ばかりで困るな。――まずはお手並み拝見と行こうか」
◇――◇――◇
窪地とでも言うべき場所へと辿り着いた俺は、眼前に佇む巨人が本当に馬鹿でかい事を思い知った。足許まで行かなくても判る。俺の持つビズギナルダガーでは、刃圏は恐らく腰にも届かない。精々で太ももまでだ。
戦闘圏――“魔人の偶像”の攻撃射程域に辿り着いた俺は、周囲に群がる5人の〈ドリーマー〉に大声を投げる。
「助太刀に来ました! 手伝える事が有ったら何でも言ってください!」
多分、今まで眼前の岩石巨人に意識を奪われていたためだろう。戦闘圏に突撃しても気づかなかった彼らは、爆発した大声を聞いてようやく俺の存在を認識したようだ。皆の瞳から恐怖の色が僅かに衰退し、希望の灯が点る。
「僕達の攻撃じゃダメージが通らないんだ! 全部ダメージが0になるんだよっ!!」
すぐに反応したのは野球帽を被った金髪碧眼の青年。格好も野球のユニフォームで、胸元にはブドウに手足の生えたマスコットキャラが描かれている。プレイヤーネームは“トシロー”と白色で記されている。武器はモチロン、バットだったけれど、振るわれる事は無く、“魔人の偶像”から一定の距離を保って走り回っている。
「ダメージが0になる……?」
俺は見上げる高さにある、魔人の偶像のHPバーを見やる。確かに、HPバーは1ミリも削れていない、満タンのままだ。それはつまり、攻撃力が低過ぎるとかじゃないって事か……?
「ゴォォォォ……」
HPバーを眺めている間に、魔人の偶像が鈍重なアクションを開始する。長い右手をゆっくりと振り上げ、狙いを澄ますようにしばし滞空した後、――重力に任せて振り下ろす。
「皆っ、避けろォォォォ――――――ッッ!!」
トシローの叫び声に呼応するように皆が喚きながら走り回る。俺も彼の言葉に従うように、頭上へ視線を投げて――思っていた以上の速度で落下してくる巨大な拳に驚き、全力疾走で攻撃圏から離脱する。
ず――ずんッ、と衝撃が大地を駆け抜け、鳴動となって俺の足の裏へと伝達される。あまりの衝撃の重さに、体が一瞬、宙に浮くほど。振り返ると、4人の〈ドリーマー〉は全員離脱し終えていた所で、腰を抜かしながらも肩を貸し合いながら距離を取ろうと動いている。
――ふと、小さな疑念を覚えたけれど、些細な事過ぎて思考からすぐに消え去った。
「フゥゥゥルスウィィィィングッ!!」
そして彼らに避難を勧告した張本人はと言えば、木製バットを振り被って巨人の拳へと“フルスウィング”していた。かっきーんっ、と小気味良い音が奏でられたが、――俺は見た。魔人の偶像のHPバーは、微塵も動かなかった。
トシローがめげずに何度と無く木製バットを振り抜くが、いずれもダメージには繋がっていない。やがて巨人の拳は再び上空へと戻って行き、――品定めを始める。大地には巨人の手形が付いている――かと思ったけれど、何の跡も付いていなかった。道理で辺りを見回しても何の痕跡も残っていない訳だ、と勝手に納得。
「くそぅっ! 僕じゃ力不足だって言うのか……ッ!!」
ガンッ、と木製バットで大地に八つ当たりするトシロー。悔しくて悔しくて堪(たま)らない気持ちが、俺にはスゴく判った。
巨人を見上げる。……正直、トシローよりも攻撃力が不足しているであろう俺が敵うような相手じゃない事は、現時点で既に理解してる。――でも、やるだけやってみなくちゃ判らない。
「トシロー! 俺の話を聞いてくれないかっ?」
突然の申し出にトシローは瞠目したが、即座に「手早く頼むよっ!」と駆け寄って来てくれた。まさにワラにも縋(すが)りたい気持ちなのかも知れない。
俺が言われた通り手早く説明すると、トシローは再び瞠目した。それから魔人の偶像を見上げ、「なるほど……でも出来るかな……いや! やるしかないんだ!」と頷いてくれた。
「トシローだけに危ない橋を渡らせるつもりは無いからっ。とにかく、やってみよう!」
トシローと視線を交えて頷き合う。トシローは4人の〈ドリーマー〉の許へ駆けて行き、説明をしてくれたようだ。俺は巨人の動向を窺い、即座に走り出せる体勢で待機する。
――その時はすぐに来た。
狙いを定めた魔人の偶像が、再び拳を大地へ叩き下ろす。4人の〈ドリーマー〉は恐怖に彩られた表情を隠しもせず、本能の赴くままに駆け抜ける。俺とトシローはそれを視野に納めながら、――落下地点へと向かって駆け出す。
――ズンッ、と大地が割れんばかりの轟音が走り抜け、大きく大地が震動する。その瞬間、俺とトシローは跳躍――巨大な拳の上へと跳び乗った。
「うはっ、やっぱり身体能力が向上してんだなっ」
普段の俺――元の世界の俺の身体能力ならば、2メートル近くの垂直跳びなど出来る訳が無い。ゲームの中とは言え、こういう補正はとても嬉しい。
ざらつく巨人の拳の上に跳び乗った俺とトシローは、互いに視線を交錯させると、どちらとも無く坂道になっている腕を駆け上がり始める。急勾配の道だが、トシローの履物は恐らくスパイクだろう、ガッシガッシと岩石に小さな穴を穿って駆け上がって行く。
一方の俺はと言えば――「ひっは、ひっは!」――両手を使って這いつくばるようにして彼の背中を追い駆けていた。岩石だから滑り難いと高を括(くく)っていたけれど、やっぱりただのシューズじゃウマく走れず、何度と無く転げ落ちそうになった。
「――はぁっ、はぁっ、」荒い息遣いが頭上から降りてくる。「よぉし、今度こそ!! フゥゥゥルスウィィィィングッッ!!」
二の腕辺りで立ち止まり、音源へ視線を向けると、巨人の肩にスパイクを踏み下ろしたトシローが木製バットを思いっきり振り被り、真四角の顔の中心――薄い緑色の宝石目掛けて叩きつける! 瞬間を見た。
カッキーンッ、とこれまた快音を響かせる――が、俺は愕然とした。
「そん、な……ッ!?」
トシローも気づいたんだろう、ショックを受けて顔を歪めている。――端的に言えば、魔人の偶像のHPバーに変化は無かった。俺の目論見は、完全に外れていた。
「ゴォォォォ……」
巨人の体内から発せられる重低音と共に、俺を乗せたままの右腕が持ち上がって行く。「う、うおわっ!?」全身を襲う衝撃に振り下ろされないように、全力で腕にしがみつく俺。てか今の俺、メチャクチャ格好悪い気がするんだが……
腕が持ち上がると同時に、今度は左腕が動き始めた。考えるまでも無く、俺とトシローを排除するためだ。地上4メートルと言えばだいたい校舎の2階の高さだ。飛び降りるのはちょっとばかし躊躇してしまう。
「トシロー! 一旦飛び降りて体勢を立て直そう!」
二の腕に格好悪くしがみついたまま、俺は怒号を投げる。トシローはショックから立ち直っていたのか、俺の姿を見て即座に頷いてくれた。ただ、その顔には絶望の色が滲み出している。もうこれ以上、手の出しようが無いと思い込んでいるのかも知れない。
俺の主張を即座に受け入れたトシローは躊躇う素振りも無く、魔人の偶像の肩から飛び降りた。俺も後を追おうとしたけど――やっぱり怖い。足が竦んでしまう――ってそんな事を言ってる場合じゃないっ!
「えぇーいっ、ままよーっ!」
頭上から巨人の左手が振り下ろされる直前、俺は転げ落ちるように二の腕から飛び降りた。高いと思っていたのに地面はすぐそこだ。体勢を立て直す事も出来ずに落下――顔から着地ッ。鼻がもげる痛さを発してますッ。
「いづづッ、鼻血出てないかな、くそうっ」
涙目になりながらも立ち上がるだけの根性は残ってた。見上げると、蚊でも潰す要領で右の二の腕に左手が覆い被さっている姿が映った。……あと少し遅れてたら、蚊のように押し潰されてたと思うと、思わず鳥肌が立った。
「だ、大丈夫?」
ぽん、と肩を叩いてくれたのは、金髪碧眼の野球青年。その気遣いだけで妙に救われた気になる俺。この世界に来て優しくされたのは、これで何度目だろうか……周りの連中がヒド過ぎて、偶にある優しさに涙が出そうだった。
「あ、あぁ、ありがとう……。――くそっ、あの宝石、弱点だと思ったのに……やっぱり飾りだったのかな……」
赤くなってるだろう鼻を押さえながら、巨人から距離を取るようにして見上げる。宝石は無傷で、HPバーも変化が無い事を再確認し、俺は落胆に肩を落とした。
トシローも俺に付き添う形で魔人の偶像から距離を離し、同様に頭上の宝石を見据える。「僕も、あの宝石は怪しいと思う。君に言われて“確かに”って思ったもん」
トシローは同調して頷いた後、周囲に視線を走らせる。「それに、今思うと、あの巨人の動きの隙を衝けば、宝石に攻撃を加える事も難しくない。あの宝石は、きっと意味がある部位だと思う」
――そう、俺もそう感じたからこそ、俺より攻撃力が優れているであろうトシローに声を掛けたんだ。実際、トシローの動きは最良を最後まで貫いていた。ここまで完璧に作戦どおりに動いてくれるとは思っていなかっただけに、これで決まる! と確信もしていた。
けれどその実、結果は没――効果が無い。夢魔の挙動、怪しげな部位、両者を照らし合わせた結果を否定されて、俺は再度思考をフル回転しなければならなくなった。
――その時だった。轟――と突風が走り、俺の隣を超高速で何かが通り過ぎたのは。
一瞬だけ目に留まった後ろ姿。頭に生えたネコ耳と、腰から生えた灰色の尻尾、そして両手を白鞘に添えた姿――見紛(みまが)うハズが無い、彼女は――
「――『居合いの翔型・飛斬(ヒザン)』!」
魔人の偶像と逆月の距離が5メートルに縮まった瞬間、彼女は目にも留まらぬ速度で白鞘から白刃を走らせる。シャランッ、と鈴が鳴るような涼やかな音と共に大気に触れた刀身から、視覚化された刃風が放たれる。
大気を薙ぐ純白の刃風は、過たず魔人の偶像の宝石を切り裂く――――
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Episode002
ドリームワールドオンライン
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