Episode002:道草は食べ物じゃない「でも食わされる」

“境界塔(きょうかいとう)の都・スライトン”と“初夢王(はつゆめおう)の都・ファストム”を結ぶ街道には名前が無いらしく、代わりに周囲に茫漠(ぼうばく)と広がっている草原地帯に“ビズギナル平原”と言う名前が付いているらしい。起伏が多い草原地帯で、あちこちに小動物……ウサギやキツネと言った愛らしい生物の姿が点在している。ただ、ちょっぴり大きいかな。騎馬できる大きさだもん。いや、キツネやウサギだから“騎馬”じゃなくて、“騎狐”や“騎兎”になるのか?
「なーんか、平和な景色だナァー……」
 街道を前へ前へと進みながら、ホンワカした気分でそんな言葉を漏らした。空気は澄んでいるし、恐ろしい魔物がいる訳ではないし、車の排気ガスにまみれる事も無い。街道を往来する〈ドリーマー〉の姿が点々と見えるだけで、事件が起こる訳でもない。
「街道を逸れりゃ、話は別だがな」
 ほのぼのとした俺の空気をぶち壊すように、逆月(サカヅキ)が鼻で嗤(ワラ)う。隣を歩く逆月に視線を向けると、彼女は遠方を眺めながら何かを指差す。視線で追うと、数人の〈ドリーマー〉が大きなキツネを相手に武器を振るっている姿が見受けられた。
「この辺にゃあ街道まで近寄って来る“夢魔(ムマ)”は早々いねえが、街道を逸れりゃいくらでも戦えるぜ?」
「“夢魔”?」初めて聞く単語にオウム返ししてしまう。
「アークくんの言う、モンスターの事だよ〜♪ “【夢世界】の魔物”――それで“夢魔”って、皆は呼んでるんだよ〜♪」人差し指をクルクル回しながら説明するコロロ。
 なるほど、と納得しつつ、俺は遠方に見える大きなキツネを見つめる。フサフサの小麦色の体毛に覆われた、愛らしい顔をした生物。どう見ても、害意など感じさせない出で立ちにも拘(かかわ)らず、遠くに映る〈ドリーマー〉は、一体どんな恨みを懐いているのか、近くにいるキツネから順に殺していく。
 その光景を眺めていて想起したのが、RPGで言う所の“経験値稼ぎ”だ。モチロン、武具を新調する事でも強くなるのだが、キャラクターの基礎ステータスを上げるには、雑魚モンスターをひたすらに狩り続ける作業が必要になる。ひたすら同じ行為を繰り返す単調な作業ゆえに、そのまま寝落ち……ゲームを起動させたまま眠りこけるユーザーも多いと聞く。それだけ面倒な作業なんだけど、経験値稼ぎはRPGの醍醐味(だいごみ)とも言える要素であるから、それが無いと有るじゃ随分とゲーム性が変わると思う。
「レベル……じゃなかった、DRを上げるには、やっぱりああいう雑魚モンスター……じゃなかった、雑魚夢魔を倒し続けなきゃなんないのかな」
 相手が醜悪な姿の夢魔……例えば昆虫系なら殺しても何の罪悪感も湧かないと思うんだけれど、愛らしい小動物の姿をした夢魔を殺すのには、さすがに抵抗感がある。……これも多分、慣れなんだとは思うんだけど……
「アーク君。DRとレベルは違うんだよ。DRを上げるには、条件さえクリアすればいいのだから、無理に夢魔を倒す必要はないんだ。ステータス画面で確認してみるといい」
 背後からライアに声を掛けられ、俺は言われるがままにステータスウィンドウを表示する。『DR』の項目に人差し指で触れ、内容を確認する。確認すべき内容は――『ランクアップに必要なリスト』。
「何々……『住人登録の申請』……? あれ? もうこなしたハズなんだけど……」
 確認するようにコロロへ視線を飛ばすと、彼女は「したねー」と微笑を返してきた。
「条件をクリアしているのなら、リストのカラーは反転しているだろう? ウィンドウの右下に“DRのランクアップ”と言う項目が出現しているハズだから、それを押せば、君は晴れてDRをランクアップする事が出来る」
 ライアの懇切(こんせつ)丁寧な説明のお陰で、すぐに“DRのランクアップ”と言う項目を見つけ出す事が出来た俺は、そのまま人差し指でその項目を押した。ポーン、と言うポップ音の後、ステータスウィンドウの中央に『DRが“2”にランクアップしました!』と言うテキストが出現し、短いが賑やかな音楽が流れた。
「おぉ! DRが2にランクアップしたよ!」思わず歓喜の声を上げてガッツポーズを取る俺。
「おめでとう、アーク君。ちなみに、DRが1段階上昇する度に、“SP”――スキルポイントが5ポイント加算される。ポイントをどのスキルに振るか、それは〈ドリーマー〉の自由だよ」
 柔らかな微笑と共にそんな説明をしてくれるライア。スキルか……やっぱり戦闘職に就きたいから、戦闘系のスキルを会得したいナァ……と思いつつ、ステータスウィンドウを眺めていると、リストの中に『SP割り振り』と言う項目を見つけた。恐らくこの項目を選択して、スキルの会得や、スキルの熟練度を上昇させていくんだろうな。
 試しに『SP割り振り』に指を触れると、『習得可能なスキル一覧』と言うウィンドウに切り替わった。スキルの数は、正直、数え切れない。まだ色が反転しているスキルがあるのは、恐らくそのスキルを習得するための条件がクリアできていないんだろう。要因の1つは現在のDRだと、即座に俺は気づいた。こんな低DRで習得できる強力なスキルはないんだろうさ。
 スキル一覧を見てると、取捨選択にメチャクチャ悩んでしまう。戦闘系のスキルを習得したいと考えていたけれど、その戦闘系のスキルだけで1ページ埋まる程に多いんだ。武器固有のスキル……ウェポンスキルだったら、さっきの武具屋で見た多くの刀剣類があったけれど、その分のスキルが用意されてるみたいで……確認するだけで日が暮れそうな勢いだ。
 それだけでなく、パッシブスキル……常に働き続けるスキルや、オートスキル……自動で発動するスキル、サポートスキル……自分だけじゃなくて仲間に補助的な効果を与えるスキルに、生産系のスキルなどが加わり、スキルの欄はちょっとしたカオスになってる。この中から取捨選択するなんて、目移りしない方がおかしい。
「優柔不断なアーク君に朗報だ。一度振ったSPは振り直せない訳じゃない。もう少しDRが上がれば、一度振ったSPを全て還元し、再び振り直す事が出来るようになる。加えて、DRが上がったらすぐにSPをスキルに振らなければならないと言うルールはない。……あまり難しく考えず、好きな時に、好きなスキルに、好きなだけSPを振るといいよ」
 ステータスウィンドウを見つめたまま固まっていた俺を解(ほぐ)すためだろう、ライアが柔らかな語調で説明をさえずってくれた。視線を持ち上げて彼女を見据えると、語調同様の柔らかな微笑を浮かべて、俺を見つめていた。
 難しく考えるな、か。今すぐ振らなくても良くて、更に後で振り直せるのなら、確かにそうかも知れないな、とフッと強張っていた体から力が抜ける感覚がした。肩肘張ってやらなくても、ゲームは楽しんだ者勝ちだ。俺はリラックスした気持ちでステータスウィンドウを閉じた。
「SP、振らないの?」キョトン、とした顔でコロロ。
「うん。まずは【夢世界】に慣れる事から始めようと思う。スキルはそれからでも遅くないだろっ?」
 にへら、と笑んだ俺に、コロロは「そうだね〜♪」と無邪気な笑顔を返してくれた。その反応に俺は安堵の念を覚えずにいられなかった、
「だったら、そこの“ビズギナルギツネ”とでも戦ってみたらどうだ? 良い練習になると思うぞ」
 逆月が顎で示す夢魔――騎狐できる大きさだが愛らしいキツネを見て、俺はベルトに手挟んでいるビズギナルダガーの柄に手を触れる。
「でもさ……あのキツネって、別に俺達に危害を加える訳じゃないんだろ? 俺達を襲ってくるのなら、否応なく戦うだろうけど……」ゴニョゴニョと言い訳を並び立てる俺。
「戦う理由が欲しいのか? ――ちょっと待ってろ」
 まごつく俺の反応に嘆息を落とすと、逆月は街道を逸れて草原地帯をズンズン進んで行く。俺達がそれを見送る形で逆月の背中を見つめていると、彼女は“ビズギナルギツネ”と呼ばれる巨大なキツネの家族と思しき一団に歩み寄って行く。小さな子供と思しきビズギナルギツネを抱えると、――全力ダッシュで戻って来た。
 モチロン、それを視認していたビズギナルギツネ一家は驚きを露(あら)わにすると、可愛い子供を奪われた事に怒りを爆発させ、猛然とこちらへ向かって来た。皆、目が怖いです。メチャクチャ怒ってるのがよく判ります。
 先に戻って来た逆月は困惑しているビズギナルギツネの子供を抱えたまま、俺の肩をぽん、と叩いた。「後は任せた」
「うへぃ!? ちょッ、あんた何やってんだッ!?」驚愕を声にして出す俺。
「お膳立てだ。見て解れ」ビズギナルギツネの子供に頬擦りする逆月。「あぁ……モフモフ可愛いなぁ……」頬に朱が差して、ご満悦の逆月。
「うおぉーい!? 何してくれちゃってんの!? 逆月さん!? 早く返して来なさい!! 母さん怒らないから!! ほらッ、早くッッ!!」抱えているビズギナルギツネの体を引っ張ろうとする俺。
「何ドサクサに紛れて母親面してやがる。ツベコベ言わずに戦え。戦う理由なら出来た。可愛い子供を守るためには戦う以外に術はない。――だろ?」澄ました笑顔で何言っちゃってんの、この人。
「まず勝てないと思うケド、今の俺は逆月を敵に回したくて仕方ないよ……」「――アーク君、その子の親が既に眼前にいるんだが」「え」
 逆月から視線を逸らし、先刻ビズギナルギツネの一団がいた場所へ視線を向けようとして――モフっ、と柔らかい感触が顔一杯に広がった。温かい……とホンワカした気分で魂が抜けかかった瞬間、――俺は空を飛んでいた。
 空中で錐揉(きりも)み状態になりながら落下したが、不思議と大した痛みは感じなかった。ただ、視界の左下に浮かんでいる1番上の緑色のゲージがちょろっと減少していた。……いや、何故か既に随分とHPのゲージが減少しているんだが。
「いてて……」頭から落ちたけれど、首の骨が折れなくて本当に良かった……。「な、何、今のモフモフ感」改めて視線を向けると、――巨大なキツネさんが愛らしい瞳で俺を見つめていた。
「さ、戦え」子供のビズギナルギツネを抱えたまま、ビシッ、と俺を指差す逆月。「心配するな、お前の装備でも勝てる」
「お前の思考を心配させて!! 子供拉致って無理やり親御さんと戦闘って、それが人のする事なの!?」有り得ない! と絶叫する俺。
「アーク君。叫んでいる暇があったら武器を構えた方がいいと思うがね。――来るぞ」
 ライアの諫言(かんげん)が飛んできた瞬間、俺は視界に映っていたビズギナルギツネの親御さんの突進に気づき、慌てて横合いに向けてヘッドスライディングを敢行する。ズザザ、と草地に学生服が擦れる感触が腹から伝わってくる。
「ちょッ、マジで戦うの!? 子供を返してあげて!? 何も悪い事してないんだから!!」立ち上がりながら懸命に訴える俺。
「ビズギナルギツネは普段は温厚だが、数が増え過ぎると凶暴化し、街道を往来する〈ドリーマー〉を集団で襲う習性がある。ビズギナル国もその事を憂慮して、低DRの〈ドリーマー〉の育成も兼ねて、ビズギナルギツネの間引きのクエストを提供している程なんだよ」
 ペラペラと、まるで危機感の無い語り口調で説明するライアに疑問を感じた俺は、ライアの姿を探す。すると彼女は、逆月の隣で涼しげな表情でこちらを眺めていた。――と同時に、コロロの姿がどこにも見えない事に気づく。
「コ、コロロはどこに行ったんだっ!?」まさか、ビズギナルギツネの一団に――!?
「コロロ君なら、君がビズギナルギツネの突進を喰らっている間に、全力疾走で戦闘圏から離脱したよ」ニコ、と遠距離から微笑を投げてくるライア。心配してものすごく損した気分になった。
 改めてビズギナルギツネと向き合ってみる。大きいだけで、可愛さは変わらないし、ダメージ量も予想よりかなり下回っている。攻撃は突進くらいで、大きな図体の影響か、動きは予想通り早くない。
 ……何とか、なりそう……?
 腰に差していたビズギナルダガーを鞘から引き抜き、格好良く構えてみる。……うん、いかにも厨二っぽいぞ。ちょこっとだけウキウキしてきた。ただ、相手があまりに可愛いもんで、攻撃に躊躇(ためら)いまくるが。
「スキルを習得していない君が使える攻撃手段は、通常攻撃――ただ短剣を振り回す事しか出来ないよ、アーク君」
 安全地帯からありがたいご忠告が飛んでくる。通常攻撃。ただ振り回すだけで、ちゃんとダメージを与えられるのか。
 俺を見つめて「きゅー」と愛らしい鳴き声を発すると、再び突進を開始した巨大なキツネを見据え、俺は肉薄する巨大キツネの脇を通り抜けるように――前進する。図体こそでかいが、相手の動きは鈍い。運動神経に自信が無くとも避けられるレベルだ――
 そう信じて、俺はビズギナルギツネの横合いへと走り抜け――俺の真横を通過する巨大キツネの横っ腹を短剣で掻っ捌(さば)いた。
 ズバッ、と鋭利な音声が弾け、同時にビズギナルギツネの横っ腹から鮮血が噴き出る。が、鮮血はあくまでエフェクト……そういう演出なのか、ビズギナルギツネの横っ腹に傷が出来る事も、草地に鮮血が飛び散る事もなかった。
 その映像を捉えた俺は、またも混乱してしまう。
「これ、やっぱりゲームの世界なんじゃないのか……? 皆して俺を騙してるんじゃ――」思わず呟きが漏れる。
「――確かに、ゲームの世界でもあるんだろうね」ライアがうなずく様子が見て取れた。「同時に、ここは異世界でもあり、――現実でもある。それが【夢世界】と言う“世界”なのさ」
 ……ライアの言う事はイマイチ理解できなかったけれど、これが現実だとしたら――俺の中にある価値観が根本から破壊されそうな気がした。
 そんな逡巡を現実が待ってくれるハズもなく、ビズギナルギツネは横っ腹にダメージを受けた事で突進を急停止し、――今度は機敏な動きで反転すると、俺に向けて突進を開始した。今度の突進は、先刻のような鈍重な速さではなく、自動車が突っ込んで来ると錯覚しそうな速度だ。
「いぃッ!?」驚き、それでも辛うじて横合いに飛び込んで突進を躱(かわ)す俺。「か、加速したっ?」驚いて立ち上がると――いきなり視界がブラックアウトした。「ほぁ!?」
 生温かい空気が顔を覆い、……生臭い匂いが鼻腔(びこう)を衝(つ)く。んでもって、胸と肩甲骨の辺りがやたらとチクチク痛い。……何だかとっても嫌な予感がする。
「ケーン」と脳味噌を揺さ振る鳴き声が顔中に響いた。と同時に、胸と肩甲骨を起点に体が浮くッ。
「食われてるッ!? 俺まさか、あの可愛いキツネさんに食われてるッ!?」絶叫を張り上げる俺。その声がやたらと顔付近で反響する。
 こふー、こふー、と荒い呼気と共に生温かく生臭い風が顔中に吹きつけられているこの状況はとってもマズい。てか最悪だ。俺は焦燥に駆られて右手に握り締めていた短剣を取り落としそうになる。――が、辛うじて我に返り、落ち着いて深呼吸。……とっても生臭いんだが……
「……てか、食われてるって言うよりアレだな。甘噛みだ。銜(くわ)えられてる」冷静に状況を分析して、声に出してみたが、……これってアレか? 親御さんが子供達のためにご飯を持って来ましたよー、的な展開なのか? 
 嫌な予感しかしない展開に終止符を打つべく、俺は短剣を握り締めた右手に力を込め、巨大キツネの顔があるだろう箇所へ切っ先をブッ刺してみた。ザシュッ、と鋭利な音声が再び鼓膜に届くと、ブラックアウトしていた景色が一変して、鋭利な歯がズラリと並んだ上顎が視界に飛び込んできた。
「うひょっ!?」頓狂(とんきょう)な声を上げつつも、倒れ込むように前へ転がり、即座に体勢を立て直すと、――自分がビズギナルギツネ6匹に囲まれている事態に気づいた。
 1匹は小さいから恐らく仔ギツネだろう。2匹は明らかに夫婦です本当にありがとうございます。残りの3匹は夫婦の友達かな? いや、旦那さんの同僚かも知れない。皆、殺気立ってて、お小水をチビリそうです。
 俺はゆっくりと立ち上がり、短剣を握り締める右手に力を込める。ヒドい展開だけど、遠巻きに見ているお仲間が助けに来てくれない事は、よぅく判った。だから――「覚悟を決めるしかない、か」――歯を食い縛り、巨大なキツネの群れへと跳びかかった。

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