010:騎士に到る〈其ノ捌〉

 ――どれだけ無理をすれば気が済むんですか、局長! 全く……流石(さすが)に今回は肝が冷えましたよ……
 混濁する意識の中にふと女性の声が混ざった。〈牙(キバ)〉を諫(いさ)めているのが分かる、怒りを孕(はら)んだ声音で言葉は流れていった。
 ――偶(たま)には張り切らないと、鉄火場の感覚を忘れてしまいそうになるからな。……ところで朔雷(サクライ)。首尾はどうだ?
 続く声は、すぐに分かった。仮面を被っている者特有のくぐもった感じのする声。〈牙〉だ。
 ――賊は全員殲滅しました。盾貫(タテヌキ)、日林(ヒバヤシ)両名は門の警備に当たらせ、現在応援待ちですが、あと一時間もすれば到着するでしょう。……全く、竜華(リュカ)ちゃんが駆けつけなければ、確実に誰かに発見されていましたよ、局長。
 発言の内容からして傍にいるのは朔雷だろう。声調から呆れ果てた色がまざまざと散見できる。
 ――そうですわ、〈牙〉様。わたくしが朔雷様をお呼びしなかったら、貴方が誰かに見つかっていたのは必至ですわ。もっと感謝して頂かないと。
 ――感謝します。俺に突き刺さった大剣を無理矢理引っこ抜いて服をズタボロにした事を微塵も意に介さず、是烈を屋上まで運ぶ手伝いを欠片もしてくれなかった、機転が利く君がいてくれたお陰で本当に助かりました。ありがとう。
 ――……そんな棒読みで感謝されても嬉しくありませんわ!! 併(しか)も感謝してますの今の発言は!? 限り無く侮辱された気分ですわ!!
(……あれ、今の声って、姫様……?)
 是烈(ゼレツ)は徐々に意識が浮上していく感覚を覚えながら、ゆっくりと瞼(まぶた)を開けていく。
 ――視界一杯に蒼穹(そうきゅう)が広がっていた。
「…………あれ、……俺、は……」
 雲が疎(まば)らに千切れて浮かぶ様を眺めつつ、ゆっくりと起き上がろうとして、――背中と左肩、そして脇腹に刺すような痛みが走り、思わず「ぐァッ」と呻きを漏らし、渋面を作って動けなくなる。
「――あぁ、動かないで、是烈」朔雷の心配げな声。「今はそこで寝てなさい。動くと傷に響くわ」
 火照(ほて)った額に細く冷たい指が押しつけられ、そのまま再び仰向けの体勢に戻されてしまう。澄み渡る蒼穹が再び視界一杯に広がる。
 顔を横に向けるとそこには朔雷ではない、まだ幼い少女が座り込んでいた。
「大丈夫? まだ動かない方がいいですわよ」
「…………あれ、君は……」
 思考が混濁している。顔はすぐに思い出せたのに名前が思い浮かばない。
 学習院の制服を身に纏った少女は、是烈に向かって気品の有る所作(しょさ)で微笑みかけた。
「竜華ですわ、是烈様。……まだ混乱されているようですわね。もう少し眠っていらしたらどうかしら?」
 竜華。現〈竜王〉の第三王女。今回の事件の当事者。依頼主の娘。
 ――やっと思考が繋がり始めた。是烈は痛む体を押して何とか起き上がると、第三王女に向かって正座した。
 竜華はきょとん、として是烈を見つめている。小首を傾げ、不思議そうに声を掛ける。
「どうなさいましたか?」
「……いや、その……寝たままだと、ご無礼かと思いまして……」
 その場に居合わせた全員が一瞬ぽかーん、と言葉を失った後、〈牙〉が「ぶふっ」と吹き出し、朔雷が「あはは……」と苦笑し、竜華が口に手を当てて「ふふっ」上品に笑い出した。その中心で今度は是烈が呆然とする番だった。
「ふふふ、良いのですよ、是烈様。わたくし、無礼には慣れていますし、何より怪我人相手に無礼も何もあったものではありませんわ」
 面白い人、と再び口に手を当ててクスクス笑い始める竜華の正視に耐えられず、思わず俯(うつむ)いて赤面する是烈。
 そこに助け舟が出された。
「是烈は聞いてないと思うから説明するけど、竜華ちゃんと局長は昔から懇意(こんい)なのよ。ほら、局長って昔から王族と繋がりが有るでしょ? だからと言って礼儀が無い訳じゃないけど、竜華ちゃん、他人行儀って好きじゃないから」
 落ち着いた口調で告げたのは朔雷だった。視線を向けると微苦笑を浮かべて正座していた。
【臥辰(ガシン)】に在る本局で事務を行っている時と変わらぬ格好で、薄紫の無地のTシャツに黒のスラックスと言うラフな出で立ちに、腰まで届く長さの深緑色の髪を馬の尻尾のように纏めている。青紫の瞳はアーモンド型で、野暮ったい格好に合わぬ、キツめの顔立ちをしている。
 まだ二十三の若さでありながら、〈神災対策局(しんさいたいさくきょく)〉の中でも局長に近い位置にまで上り詰めた、エリート局員である。
 お洒落(シャレ)に全く気を遣わず、職務だけを全うする姿勢を貫く女性、と言う印象を是烈は強く受けている。
 まだズキズキ痛む脇腹に手をやると、包帯が巻いてあった。湿っているのは恐らく赤い液体が大量に付着しているためだろうと、見ずとも推測できる。是烈は顔を顰(しか)めるのを必死に堪えながら朔雷に向かって言を投げた。
「朔雷……〈牙〉さんは、無事……なのか?」
「俺、ここにいるんだけどな。それとも俺の姿が見えないのか? その二つも有る瞳に、俺の姿は見事に映らないのか?」
 朔雷の正面に胡坐(あぐら)を掻いて座している〈牙〉が、いつもどおりの口調で応じてくる。それがあまりに現実味を帯びていなくて、是烈には夢か幻かの識別も出来ない。
 朔雷の正面に座り込んでいる〈牙〉は、いつもと変わらぬ仕草で是烈を見やっている。――胸部には大量の血痕。仮面の下の方には黒い染みが確(しっか)り残っている。それが先刻の殺陣は虚構ではなかったと嫌でも思い出させる。
 では何故〈牙〉は平静でいられるのか?
「〈牙〉様は不死身なのです」
 是烈が答を導き出す前に竜華が常識だとでも言わんばかりに断言した。
「不死身……? ……不死身……すか」
 思考が再び現実に置いてけぼりを喰らったような錯覚に陥り、凍結寸前にまで追い込まれる。確かにそれ位しか納得できる説明は無いが、おいそれと受容できるような内容ではない。
 ここは恐らく学習院の屋上なのだろう。初夏の澄んだ風が辺りを通り過ぎ、一瞬だけ涼気を感じる。どこまでも続いている青い空を背景に、〈牙〉が是烈に仮面を向け直す。
「是烈。〈禍神(カガミ)〉って単語は聞いた事くらい有るよな?」
「……えぇ、まぁ。〈救世人党(きゅうせいじんとう)〉の連中が、世界を滅ぼした四人の神だって言ってる奴でしょう? 《神災(しんさい)》を擬人化したような話で、俺は信じちゃいませんが……」
 そうやって自分達の宗教の喧伝(けんでん)に使っているとしか思えず、是烈は不快な想いを懐(いだ)かざるを得なかった。過去の惨事を食い物にしているような気がして仕方ないのだ。
「俺が、それなんだ」
 端的な返答。〈牙〉は自分を指差して短くそれだけ言うと、是烈の反応を待った。
「…………は? それって、何がです? 話が見えないんですが」
「〈禍神〉の一人なんだ、俺は」繰り返し告げる、〈牙〉。
「…………は? ……あの、よく意味が理解できないんですが。〈牙〉さんが……〈禍神〉?」
「そう。俺は〈禍神〉の一人なんだ」
「…………えーと、つまり、」
「――ああんもう! 焦(じ)れったいですわね!」突然喚声を上げたのは竜華だった。ぱんっ、と小気味良い音を立てて両手を合わせる。「是烈様! 〈牙〉様は〈禍神〉だからこそ百年間も歳を取らず、怪我もせず、生き続ける事が出来たのですわ! 有体に言えば不老不死なのですよ!」
 捲(ま)くし立てるような説明から数秒の間を置いて、ようやく理解に扱(こ)ぎつけた是烈は暫(しば)し動きが固まった。視線だけが同僚の女性へと向けられる。おめかしなどとは全く縁遠いのに、素のままでも充分な魅力が有る尻尾頭(ポニーテール)の女は、同僚に向けて苦笑を浮かべた。それが全てを物語っていた。
「……本当、なんですね……?」
 再三の確認に〈牙〉は頷いて応じる。是烈は俯き、小さく嘆息を零した。
「……局長が百年もの間、ずっと仮面を被っていた理由がこれで分かりました。一人だけ全く歳を取らなければ流石におかしいって気づきますからね。……長年の謎が、今やっと解けました」
「今の心境はどう? 局長が〈禍神〉だったって知って」
 朔雷が不安げに言葉を投げかけてくる。首を巡らせると竜華が難しい顔をして是烈を睨(にら)んでいる姿が映った。〈牙〉はいつもどおり、仮面に隠れた感情はおくびにも出さず、ただ淡々と仮面越しに是烈を見据えている。
 是烈は俯いたまま、言葉を選ぶようにしてポツリと呟いた。
「……親父は、――我烈(ガレツ)はその事を知っていたんすか……?」
「――あぁ」
 躊躇(ためら)いなど無かった。〈牙〉は即答を返してきた。是烈はそれだけで心の靄(もや)が晴れたような気がした。
 面(おもて)を上げ、微笑と苦笑が入り混じった表情を滲ませる是烈。曖昧(あいまい)な表情には後ろめたい感情は全く無さそうに映る。
「〈牙〉さんが〈禍神〉って奴だって知っても、正直何も思えないですね。だって……俺にはどっちにしたって、〈神災対策局〉局長の〈牙〉さんにしか映りませんし……」
「そうか。……朔雷、俺の勝ちだな」
 是烈の返答を聞いた〈牙〉が朔雷に向けて言葉を掛ける。朔雷は苦笑を更に濃くする。
「勝ちって……。まぁ私としてもこの結果を望んでいたように思います。何だかんだ言っても是烈は同胞ですし。……私とは受け入れ方が違いますが、是烈もそういう面では寛容みたいですね」
「……? 朔雷、何の話だ? それ」
「えーと、局長と話してたのよ。局長が〈禍神〉だと知った時の是烈の反応に就いて」頬を掻きながら応じる朔雷。
「わ、わたくしは、是烈様なら受け入れられる筈だと信じていましたわ!」何かを隠すように断言して胸を張る竜華。
「とどのつまり、賭率(オッズ)は俺の方が高かったってだけの話さ、是烈」
「き、〈牙〉様!」「局長……」竜華の金切り声と朔雷の嘆息が重なる。
「はぁ」とよく分かっていない様子で応じる是烈。
「――是烈。お前に話していない事を話そうと思う。俺の、これからする事に就いてだ」
〈牙〉はそう前置きすると、是烈が返事を返す前に言葉を連ね始めた。
「俺が〈禍神〉だと言う事は今話した。その〈禍神〉は、〈救世人党〉の経典どおり四人存在する。つまり俺以外に三人の〈禍神〉がこの世に存在しているんだ。その一人がとある遊戯(ゲーム)を思いついた。その名は――【神戯(しんぎ)】。神同士が世界と言う舞台で行う、殺し合いだ。
 この殺し合いには様々な規則(ルール)が課せられている。その一つが〈神騎士(かみきし)〉――名の通り神を守る騎士様(ナイト)の事だ。〈神騎士〉は神一人に就き二人まで雇える。〈神騎士〉には神の力が一つだけ与えられる。〈神騎士〉はその力を使って仕える神を守り通さなければならない。その〈神騎士〉自身も神にしてみれば、言わば制約の一つに当たる。
〈神騎士〉が一人でも存在していれば神は不老不死でいられる。が、〈神騎士〉が一人もいなくなった瞬間、神は不老不死の力を失う。簡単に言えば一介の人間でも神を殺せる状態になる。〈神騎士〉は神を守る盾でありながら、急所でもあるという事だ。
【神戯】は《神災》より百年後に執り行われる。あと一ヶ月もすれば世界を巻き込んでの殺し合いが始まるだろう。百年の間は神に不老不死の力が宿っているが、百年後――つまりあと一ヶ月ほど経てばその効力は失われる。それ以後は〈神騎士〉の存在が必至なんだ。
 ……ここまで話せば俺が何を言いたいのか分かると思うが……是烈。お前にその〈神騎士〉をやって貰いたいんだ」
 長い説明が一つの区切りに到達したところで〈牙〉は口を閉ざした。
 高い高い空を望める屋上のコンクリートに座したまま、是烈は今の言葉を全て理解しようと、ぼやける頭の中を無理に働かせ、数秒の間(ロス)を置いて何と無く概要だけは把握する。
「……それは、局長としての命令、ですか?」
 口から漏れた言葉に冷気は纏っていなかった。それだけは知っておきたいと言う、確認の意を込めた質疑だった。
 視線の先で凝然(ぎょうぜん)と佇む〈牙〉は、その問いに静かに首を振って、“否”と応えた。
「俺個人――ただの〈牙〉としての、頼みだ」
 是烈はその確認だけで満足だった。鼻から大きく空気を吸い込み、決意を固めた顔で舌を滑らせる。
「その話、――受けます」
「……いいのか?」〈牙〉の短い確認。
「俺が〈神災対策局〉に入ったのは、親父のような男になりたいと思ったから。そして何より、〈牙〉さんに仕えたかったから。それだけなんすよ。それに――悩むって行為は俺にゃ似合わねえ。――って、親父、我烈も言ってませんでしたか?」
 不敵に笑む是烈。そこには何の後ろめたさも無かった。ただ前を向き、真剣に〈牙〉と向き合う事を決めた、決意が表れていた。
〈牙〉は数瞬黙り込んだが、やがて頷き、――ふっと、微笑んだような、……気がした。
「……何とか試験は及第点、だな」
 ――そんな呟きが〈牙〉の仮面の隙間から漏れ出たが、聞いている者はいなかった。


 それが【神戯】を一ヶ月後に控えた、初夏の出来事。
 是烈と言う一介の男が、【神戯】と言う壮大で、悍(おぞ)ましい歯車に組み込まれた瞬間であった――――

◇――◇――◇

「取り敢えず、お前入院だと思うから。暫らく体休めて、その後確り働いてくれよ、是烈」
「……ですよね、この体じゃ流石に死にますよね、俺……つか、実は死んでるとかってオチは……」
「――是烈、入院費は給料から天引きだから宜しく」
「――えぇ!? そりゃ無いでしょ!? 労災下りないのか!?」
「あらあら。始まったと思ったらいきなり大変そうですわね。でも頑張って下さいね、是烈様♪ わたくし応援していますわよ?」
「……あぁ、ありがと。……はぁ、どうしよう……来週から食べていけるかな、俺……」
「人選誤ったか? はっはっは、まぁ気にしたら負けだよな」



【騎士に到る】――了

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