007:騎士に到る〈其ノ伍〉

 教員室に在室していた教諭に掻(か)い摘(つま)んで説明を終えると、是烈(ゼレツ)はすぐに廊下へ飛び出し、学舎の中を駆け抜けた。自分の動き一つ一つが鈍っている気がしてならない。鈍重な動きに苛々が自然と募る。
「こちら鏡堂(キョウドウ)。盾貫(タテヌキ)と合流! 〈竜騎士〉も手伝って何とかなりそうや!」
「こちら〈牙(キバ)〉。問題が発生した。岡鷺(オカサギ)が負傷。手の空いた者から裏門へ来てくれ」
「こちら日林(ヒバヤシ)! 〈竜騎士〉に正門を任せて裏門へ向かいます!」
「こちら是烈! 俺も裏門へ急行します!」
 戦況は刻々と変わって行く。だが今現在に限った事を言えば、何とかなりそうだと言う印象が強い。たった七人の少数部隊だったが、賊の侵攻を辛うじて食い止めている現実がそれを静かに物語っている。
 だが、それは慢心だ。油断だ。隙でもある。気を引き締めなければならないのは寧(むし)ろ今からだろう。敵は手負いの獣のようなものだ、どんな行動を起こすか判ったものではない。
 学舎内の構造から、是烈が〈牙〉の許に辿り着くのは遅くなると気づいた。途中でまどろっこしくなり、廊下の窓を開け放ってそこから外へと飛び出し、後は裏門へ向かって直走(ひたはし)る。
 視界に映る頃には襲撃の様相が明らかになってくる。
「…………!」
 裏門は正門と似たような造りで学徒の出入口となっている。正門が東に在るのに対して丁度正反対にあるために“裏門”と呼称されているらしい。実質は正門と然(さ)して変わり無い。裏門から学舎までの百メートル近くには何も無い開けた空間が在り、そこが今、人の血で溢れ返っていた。
 学舎ではなく裏門よりの場所に〈牙〉の姿が在った。三節槍を携え、巨漢の男と対峙している。近くでは日林――中肉中背で黒髪の三十代後半の男が、岡鷺――少し太り気味の、茶髪の二十代後半の男の肩を持って移動していた。岡鷺の脇腹と腕から鮮血が滴り落ちている。傷は決して浅くないと思わせる出血量だ。〈牙〉もそうだが、日林の判断も間違っていないと是烈は感じた。
〈牙〉の背後を見つめながら足を進めて行く。その途中で懐(ふところ)に一度仕舞い込んだ三節斧槍を抜き放ち、一振りで組み立てる。自身の身長よりも長い柄の先を下に向けて、〈牙〉の許へと辿り着く。
 辿り着くまでに敵が動く気配は無かった。巨漢の男――〈牙〉を更に上回り、二メートル以上の長身を誇る、まるで北方に現れる熊の進化種“雪熊”を連想させる程の、巨体。それに相応しい肉付きをしており、ちょっとやそっとの力で倒れる事は有り得ないだろう。
「……是烈」眼前に佇(たたず)む巨人とでも称すべき敵と相対したまま、〈牙〉が短く発声した。「お前は、手を出すな」
 一瞬〈牙〉の発した言葉が理解できず、是烈は不審な視線を投げかけるが、それには応じず、〈牙〉は巨躯の男を見つめたまま動かない。
「其の方、〈神災対策局(しんさいたいさくきょく)〉の〈牙〉殿とお見受けするが、相違無いか?」
 髭(ヒゲ)で覆われた口唇を動かし、野太い声で尋ねてくる巨体の男。茶色の髪はゴワゴワで無造作に伸び、今まで一度も手入れをした事が無さそうな蓬髪(ほうはつ)。険しい目つきには獣のようにぎらつく光が点っている。
〈牙〉がその顔を見ているのか定かではないが、男の方に仮面の正面を向けたまま微動だにしない姿勢を貫いていたが、声だけは確(しっか)りと返した。「如何(いか)にも。俺が〈牙〉だ」
「ふん」低い鼻が唸(うな)り、大柄な男は不敵な笑みを浮かべた。「やはりそうであったか。その形(ナリ)を見てそうだとは思っておったが。――某(それがし)、〈禍神(カガミ)崇信教団〉が一人、梵在(ボンザイ)と申す。某の望みは唯(ただ)一つ。貴殿との仕合である」
 梵在と名乗る〈禍神崇信教団〉の団員は、両手に携えていた巨大な武器を、ずんっ、と地面に突き下ろした。
 武器は一見すると剣だった。だが、ただの剣ではない。幅広の両刃を持つ、ただでさえでかい梵在の背を更に超える長さを誇る大剣。大きさだけなら是烈と同じ位だろう。重量も是烈と似たような物だろうか。そんな扱いにすら困るような巨大な大剣を梵在は二振、つまり両手に握り締めていた。
(……狙いは〈牙〉、なのか……?)
 何かがズレている、と是烈は気づいた。
 昨日【竜王城】に宛てられた予告状には、【臥辰(ガシン)都立総合学習院】を襲撃する、とだけしか記されていなかった。ならば狙いは学習院の中に存在する何か、と考えるのが普通だろう。これでは彼の言い分は主目的から逸れているとしか思えない。
 ――陽動。
 まさかこの巨漢――〈禍神崇信教団〉の恐らくは精鋭であろうこの男ですら、陽動だと言うのか。
 是烈は咄嗟(とっさ)に取って返そうと思ったが、背を向けた是烈へ向かって即座に梵在が声を飛ばす。
「待たれよ!」檄(げき)に近い、張り上げた怒声が是烈の足を縫い止める。「……某が首謀者である。長たる某が告げよう、この騒動、これ以上は拡がりを見せぬ、とな」
「…………!?」
 言葉を失ったまま、どう行動を起こすべきか躊躇(ためら)ってしまう是烈。
 普通に考えれば彼の言動は是烈の心情を惑わせる、陽動を更に確実なものへ昇華させようとする目論見(もくろみ)にしか聞こえない。
 だが、〈牙〉の言い分は違っていた。
「是烈。お前はここで、見届けろ。俺と、奴の、死合を、――な」
 告げると〈牙〉は三節槍を構え直し、矛先を左斜め前の下方へと向けた。但(ただ)し仮面は常に梵在に正面を向けたまま。
 梵在は一瞬呆気に取られたような表情を浮かべたが、――刹那に嬉しげで、且(か)つ鬼気とした笑みを滲ませる。
「くくっ、〈牙〉殿、某のような得体の知れない輩の話を鵜呑みにして、本当に良いのか? 一国の主とまでは言わぬが、組織の長たる貴殿がそんな有様では、部下に示しが付かぬのではないかな?」
 嘲弄に等しい笑みを滲ませる梵在。それは是烈も感じている疑点であった。梵在の言う事は嘲りの部分さえなければ、全て同意できる内容に違いない。
 是烈は思わず〈牙〉に視線を飛ばす。
(何を考えているんだ? 〈牙〉さん、貴方は一体……)
 思わず口に出そうになったが、その前に〈牙〉の口から言葉が吐き出された。
 彼とは思えない、一言が。


「そうだな。お前の言うとおりだよ、梵在」


「――――っ!?」
 是烈だけではない、梵在までもが目を丸くして驚きを禁じ得ないようだった。
 だと言うのにその中心人物は全く意に介さぬ様子で、淡々と言葉を続ける。
「梵在、お前の事を信じた訳じゃない。俺には俺のやり方が有る。お前に横槍を入れられる筋合いは無いんだよ」
 悪く言えば、身勝手。
 だが、まるでそれこそが世界の真理だとでも言わんばかりに、異論を挟ませる余地無く告げる〈牙〉。そしてそれを曲げるつもりは微塵も無いようで、三節槍を構えたまま微動だにしない。
 これこそが自身の方針(スタンス)だと誇るように、それ以上言葉を重ねる事は無い。
 梵在もその無声の圧力に気づいたのか、大仰(おおぎょう)に頷(うなず)くと巨大な大剣を二振、地面から引き上げる。アスファルトの上に積もった砂利だけでなく、大剣が置かれていたアスファルトにも裂かれたように裂傷が刻み込まれていた。何も力を加えた様子が無かった事から、剣の自重のみで刻まれた跡だと知れる。
(……どれだけの重量が有るんだ、あの剣は)と思わずにいられない是烈。
 初夏の暑さの中、流石に梵在は顔と言わず腕と言わず汗を垂らしていた。先程殺してのけた賊達とは違い、梵在の格好は別の意味で浮いている。何せ袈裟(けさ)に鈴掛(すずかけ)と言う、修験者染みた格好に身を包んでいるのだ。袖(そで)や裾(すそ)がビリビリに破れて若干涼しげには見えても、恐らく暑さに堪えている。にも拘(かかわ)らず表情は涼しげで、不敵な笑みを滲ませていた。
「なるほどな。噂に違わぬ漢(おとこ)で某は嬉しいぞ、〈牙〉殿。……そこでなのだが、序でと言っては何だが、死合をする前に一つ約束事を頼まれてはくれぬか?」
 両手に一振ずつ握り締めた大剣を眼前で交差させると、その隙間から〈牙〉の仮面を見据えてくる梵在。
〈牙〉は三節槍を構えたまま、やはり微動だにしなかった。無言で梵在に話を促す。
「某が貴殿を生かして倒した場合、その時を以て――〈禍神崇信教団〉に入団して頂きたい」
「いいだろう」即答する〈牙〉。
「〈牙〉さん!?」流石に驚いて声を上げる是烈。
「但し俺も条件を出す。俺がお前を生かして倒した時には、お前は俺の手駒となれ」
「何と! 某を手込にするとは……やはりそういう趣味をお持ちか」
「よく聞けよ馬鹿。手駒だよ手駒、馬鹿。誰がお前みたいなデカブツ相手にするってんだよ馬鹿。恥を知れ馬鹿」
「短時間でそこまで罵倒されたのは初めてだぞ、〈牙〉殿」
「そうか。じゃあそろそろ始めるとしようか」
〈牙〉と梵在の間に在った距離はおよそ十メートル。その距離を刹那に殺すと、〈牙〉の三節槍が鳥のように宙を滑走し、梵在の心臓を穿(うが)たんと迫る。
 梵在は眼前で交差させていた大剣の一方――右手に持つ大剣を槍の穂先にぶつかるように“盾”とし、左手に持つ大剣で横薙ぎに〈牙〉の胴を両断しに走らせる。
〈牙〉は受け止められた穂先をそのまま下方へずらし、地面に矛が着地すると同時に跳躍。大剣が〈牙〉の胴を薙ぐ前に宙に浮かぶと、棒高跳びの要領で梵在の背後へ着地する。
 背後に立った〈牙〉へ向かって、先程“盾”に用いた右手の大剣を振り向き様に横薙ぎに振るい、〈牙〉の胴を再び真っ二つにせんと宙を走らせる。
 着地を成功させた直後に三節槍と共にその場に転がるように倒れ込む〈牙〉。その頭上を梵在の右手の大剣が薙がれていく。恐ろしい風圧が仮面の頭上で唸り、それを聞きながら〈牙〉は前転すると、その場を離脱する。
 それを追うように振り返った反動を活かして左手の大剣を振り上げ、転がり逃げようとする〈牙〉の頭蓋へ叩き込まんと振り下ろす梵在。風が唸り、〈牙〉へと白刃が肉薄する。
〈牙〉は白刃で頭蓋から股に掛けて真っ二つにされる直前にその域を離脱し、前転を成功させると、そのまま足に踏ん張りを利かせて振り返り、立ち上がりながら槍を構え直して梵在の首を目掛けて突きを放つ。
 梵在は右手の大剣に振り回される形で自転を続け、横を向いた状態で槍の穂先を皮一枚で躱すと左手の大剣を振り上げ、〈牙〉の体に刻みつけようと動かす。
 その動きを見ていたのか定かではないが、〈牙〉は咄嗟に大剣の薙がれる方へと一歩踏み出し、跳躍。一瞬遅れて左手の大剣が〈牙〉の足許を薙いでいく。
 跳び上がった〈牙〉を、自身を覆う影で視認した梵在は自転を足の踏ん張りで刹那に凍結、後跳(バックステップ)を踏んで大きくその場を離脱する。足の踏ん張りが強過ぎたためにアスファルトには大きな足の跡が刻み込まれる。
 着地を成功させた〈牙〉は足を巧みに運び、隙を見せずに梵在を振り返る。
 再び十メートル近くの距離を置いて対峙する二人の猛者。二人とも息も上がらず、平静な面持ちで互いに様子を見やっている。
(……次元が違い過ぎる……!)
 たった十秒にも満たぬ剣戟(けんげき)。それが自分のいる空間で起こっている現象とは思えなかった。まるで、映画館の画面(スクリーン)に映った出来事のように思えてしまう。それだけ現実味が薄く、意識が奪われそうな程に壮麗な剣戟だった。
 見ている是烈に手出し出来る場面など在ろう筈が無かった。静観に徹する事しか出来ない。手を出せば即、自身の死に繋がりかねないのだ。悪くすれば〈牙〉の戦闘の妨(さまた)げになりかねない、と言う想いが胸裏に強く圧し掛かる。
 二人の強者は互いに強さを理解したのだろう。健闘し合うでも無く、ただ次の手を見つけ出そうとしているように映った。黙して状況を把握、処理、展開させていくその様は、見ている限りでは表に何も浮かび上がってこない。ただ空気だけが徐々に、だが確実に変化していく。
 自身の流れを掴(つか)もうとしているのか。或(ある)いは相手の流れを汲もうとしているのか。冷然とした、空気の流れる音でさえ聴覚が取らえるのではと言う、極限の緊張を孕んだ静寂が辺りに蔓延(まんえん)していた。


「――――是烈。これは、俺とお前の試験なんだ」


 ――初夏の太陽が、天火(オーブン)のように辺り一帯を炙(あぶ)り出していく。

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