【ベルのクリスマス日記】1.おっさんの降る夜
深々(しんしん)と雪が降る夜。ラウト村は一面銀色に染まり、あらゆる音が吸い込まれた静謐(せいひつ)な世界がそこに降臨していた。分厚い灰色が空を覆い隠し、無数の白い綿を散らしている。静かに、そして確実に嵩(かさ)を増す白い絨毯は人跡未踏の様相を呈し純白を守り通している。
そんなラウト村の中に狩人のための家が在る。傍目には“小屋”と形容した方が正しい粗末な建造物だが、ラウト村ではそれを“家”と呼ばないと村長が泣き始めるため、皆は口を揃えて“これは家だ”と村を訪れる人間に告げている。
煙突は無いし暖炉も無い。暖房器具自体が存在しない部屋の寝台ですやすや眠っている少女がいた。分厚い布団を頭から被り、幸せな夢でも見ているのか、時折「お金〜♪ お金〜♪ むにゃ……」と歌うように寝言が漏れ出ている。
そんな少女の寝言くらいしか音源の無い静かな部屋に、突如として爆砕音と共に屋根が弾け飛んだ。
「ッッッッ?!」跳ね起きる少女。「何ッ!? 何事なのッ!?」
絶叫と共に周囲を見回すと、音も無く白い小さな粒子が天井から落ちてくるのが見えた。見上げると天井が吹き飛んでいた。少女はあんぐりと口を開け、それから全身をブルルッと大きく震わせた。
「寒いッ!! えッ!? 何で屋根が弾け飛んじゃってるの!?」
「あいたたた……」
少女以外の音声が出た事に気づいた少女は、視線を下に向け直して彼の存在を認めた。
鮮やかな赤い衣服を纏った壮年の男だ。白い髭をたっぷりと蓄えた男は腰を痛めたのか蹲ったまま中々動き出さない。錆びついた機械人形染みたぎこちない動きで腰を正し、立ち上がろうとする。
「あ、あんた誰?」布団を掻き集めて体に纏わせる少女。
紺色の髪は普段なら“ナナストレート”と呼ばれる流麗な髪型なのだが、寝起きの彼女のそれは寝癖であちこち跳ねていた。青色の吊り目がちな瞳は突然の出来事に驚愕の色に染め上げられ、眠気は一切感じられない。十代半ばに見える少女の名はベルフィーユ。皆は愛称を込めて“ベル”と呼んでいる。
ベルの誰何(すいか)に赤服の男は「ワシかい? ワシはサンタじゃよ」あっけらかんと応じた。
サンタと名乗る白髭の男にベルは訝(いぶか)りの視線を濃くし、「――で、サンタさん。あんた、あたしの家の屋根ぶち壊しといて何か言う事が有るわよね?」と額に青筋を走らせ始めた。
「そうそうあるある!」サンタは腰を叩きながらベルを指差した。「煙突くらい用意しといてよ!」
サンタの鼻っ柱にベルのヤクザキックが叩き込まれたのは言うまでも無い。
「へぐぁッ!?」もんどり打って壁に叩きつけられるサンタ。「ほひぇえッ!? ひゃんたのぎゃんめんにキック叩き込むとか頭おかしいんじゃないキミ!?」鼻血ダラダラで怯え始めた。
「うるさい!!」布団をマントのように羽織ってサンタを指差すベル。「あんたそんなに偉いの!? だったらさっさと屋根直しなさいよ!! あんたのせいで幸せな夢が……」言葉が途切れ、こめかみに指を添える。「……あれ、何の夢見てたんだっけ……。――まぁとにかくあんたのせいであたしの幸せな夢忘れちゃったじゃない!!」カンカンの形相で指差し怒鳴り散らした。
「理不尽過ぎない!? ……い、いやっ、すまんかった! 子供に夢を運ぶ役目を司るサンタが、キミの幸せな夢を忘れさせてしまうなど有ってはならん事じゃった……」
ガックリと肩を落として消沈するサンタに、ベルは「言い過ぎたかな?」とばつが悪そうな表情になり、それから大きく嘆息した。
「――まぁいいわ、忘れちゃったものはどうしようもないわよ。……ところであんた、あたしの家の屋根ぶち壊してまで何しに来たの?」怪訝な表情で尋ねるベル。「強盗?」
「違う違う!」首と手をブンブンと振り、「ワシは子供の夢を叶えに飛び回っておるんじゃよ!」と告げた瞬間、サンタの全身に電流が駆け巡った。「ぐほあッ!」
「ど、どうしたの?」心配そうにサンタに駆け寄るベル。
サンタは腰を押さえたまま辛そうに蹲る。「こ、腰がやられたみたいじゃ……動く度に激痛が……」
「……あんた自分で屋根壊しといて怪我するなんて何考えてるのよ全く……今薬草練り込んだ湿布を持って来てあげるからそこでジッとしてなさい」やれやれと戸棚を漁り始めるベル。
「そ、そんな悠長な事を言っとる場合じゃないんじゃ!」ガバッと顔を上げるサンタ。「ワシのノルマはまだ終わっておらんのじゃ!」
「ノルマ?」戸棚を漁る手を止めて振り返り、「何、仕事で人ん家の屋根ぶち壊して回ってるの?」とんでもない仕事ね、とベル。
「違うんじゃって!! 屋根を壊したのは謝るからもうそこには触れないで欲しいんじゃけど!!」ぜぃぜぃ息を切らしつつ、「ワシは夢見る子供達に夢と言う名のプレゼントを配って回る役を担っておるんじゃよ!!」
「へぇー。じゃあ何、あたしはまだ子供に分類されてて、剰(あまつさ)え夢は屋根をぶち壊される事だったって言いたい訳?」ベルの顔にご機嫌な笑顔が点った。「はっ倒すわよ♪」
「違ッ!! じゃから屋根を壊したのは謝る!! ごめんなさい!! 本当はキミの夢を叶えようと思って来たんじゃよ!!」必死に訴えかけるサンタ。「ほら、これが証拠じゃ!!」
そう言って部屋に転がっていた大きな白い袋の中に手を突っ込み、ガサゴソしていたサンタだったが、やがて「あれ?」と動きを止める。
「どうしたのよ?」怪訝そうに尋ねるベル。
「……いや、その……順番を、間違えたみたいじゃ……」視線を逸らしがちに呟くサンタ。
「順番?」キョトンとベル。
「夢見る子供達に夢を送るのに順番が有るんじゃ……よく見るとベルフィーユちゃんは最後じゃないか……すまん!! キミには後でもう一度プレゼントを贈りに来るから、それまで待っとってくれ!!」土下座までし始めるサンタ。
「……何だかよく判らないけど、あんた悪い人に見えないし、――いいわ。早く仕事を終わらせて、この屋根直してね。もう寒くて敵わないの、早くしてね」
そう言ってベルは戸棚から見つけた湿布を取り出し、サンタの腰に貼り付けてやった。併しそれでもサンタはすぐに動き出せないのか、「ひぃふぅ」と荒い呼気を乱しながらガンガン汗を掻いている。
「ぐぬぬ……腰が痛くて動けん……ッ!!」ギリリっと歯を食い縛るサンタ。
「……つまり仕事が継続できないの?」心配そうに腰を摩るベル。
「サンタが任を放棄したら、世界中の子供達は絶望に染まってしまう……ッ、それだけは、断じて許されぬのじゃ……ッ!! サンタ全員の顔に泥を塗ってしまう事になる……ッ!!」
併しサンタは全く動けそうに無い。痛みに歯を食い縛り、その場で唸り続けているだけだ。その表情は必死そのもので、傍目に見ても彼が悪人に類する人物ではない事がよく判る。
ベルは苦笑を滲ませると、サンタの肩を叩いた。「じゃあ、代わりにあたしがやったげるわよ、その仕事」
「ほ、本当かね!?」ガバッと向き直り、再び顔に電流が走るように引き攣るサンタ。「いだぁいッ!! かッ、はッ、……ほ、本当に、やってくれるのかい……ッ!?」
「ちゃんとできるかは判らないけど、まぁやれるだけやったげるわよ。あんたには後でそこの屋根直して貰わないとだし」
そう言って微笑むベルに、サンタは涙ぐんだ。それを隠すようにそっぽを向き、ゴシゴシと袖で目許を拭うと、ベルに向き直った。
「ではミッションコンプリートを目指して頑張ってくれたまえ、ベル同志」キリッと軍人染みた表情で敬礼するサンタ。
「キャラが完全に崩壊してるわよあんた!?」そしてベルのツッコミが弾けた。
――こうして、ベルの孤独な聖夜の戦いが幕を開けたのだった。
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