003:騎士に到る〈其ノ壱〉
神々は手ずから創りし箱庭で戯れる
世界は屠殺の遊戯盤 民は皆等しく駒
〈禍神〉が互いを咬み屠る遊戯――名を【神戯】
終焉に到るには己以外の〈禍神〉の死滅
壊世より始まりし狂宴が今――鮮血の幕を開ける
――【第壱章】――
〈一新紀元前篇〉
◇――◇――◇
或(あ)る日、世界は滅んだ。
――それから随分と月日が流れ、噂に寄れば今年が丁度百年目になるらしい。とは言え百年もの長い月日が流れれば当事者も大半が涅槃(ねはん)へと旅立ち、今を生きる者は目前の諸問題で手一杯だ。過去に想いを馳せるのは考古学者や研究者、或いはその年代を生きた年配者くらいだろう。
百年前の世界滅亡の災害を、学び舎では《神災(しんさい)》と習うのが一般的だ。地殻変動、異常気象、その他の様々な自然現象が重なり、世界規模の大災害は世界を大きく変貌させた。
現在“新人大陸”と呼ばれる、台形に似た形をした大陸に住まう人間の数は、《神災》以前の百分の一にまで衰退したとされている。《神災》の影響で人の住める環境も随分と変化した。
新人大陸には三つの大国が存在する。新人大陸の東北に位置する【竜王国(りゅうおうこく)】、中央に位置する【中央人民救済枢軸国(ちゅうおうじんみんきゅうさいすうじくこく)】、西南に位置する【燕帝國(えんていこく)】の三つ。
三つも大国が存在する訳だが、そこに住まう民族・人種に外見上の違いは無い。つまり髪・瞳・肌などの色、身長や体格、言語、訛りなどに、国による差異は殆(ほとん)ど見られず、相手を見て話を聞いても、田舎者だのどこそこの国の出身だの区別する事はまず無い。
例えば【竜王国】に住む〈竜人(りゅうじん)〉と呼ばれる人種の若者である是烈(ゼレツ)にしても、髪が鮮やかな朱色である事や瞳が赤褐色である事、長身に分類される上背を持つ事くらいの特徴しかなく、別段変わった耳が生えている訳でも角が生えている訳でも羽が生えている訳でもない。尤(もっと)も【竜王国】の人間が皆赤系の髪や瞳をしている訳ではなく、青や金など色取り取りの髪や瞳を持つ人間が大勢いる。
人種差別という悪しき風習が存在しないため、例え肌の色が黒かろうと白かろうと或いは黄色かろうと、差別意識が湧く事は無い。そういう意味では今の世界は昔より住み易くなったのでは、と言う年寄もいる。とは言え是烈自身二十六歳になったばかりで、百年も昔の頃の生活など学び舎で学んだ位で知っている訳ではない。オマケに学び舎での授業は殆ど寝て過ごしていたため、憶えている知識も僅少(きんしょう)でしかない。
因みに【竜王国】で生まれ育った者を〈竜人〉と称する以外に、【中央人民救済枢軸国】の場合なら〈中人(ちゅうど)〉、【燕帝國】なら〈燕人(つばめびと)〉と呼ぶのが通例となっている。その言葉を意識して使う者は、是烈自身あまり見た事が無いが、そういう面での人種差別なら確かに存在する事を知っていた。
◇――◇――◇
――正直な感想を述べるなら、是烈は退屈だった。
場所は【竜王国】の首都【臥辰(ガシン)】にある学び舎の一つ、【臥辰都立総合学習院】と呼ばれる、六歳から十八歳までの少年少女が、目が飛び出る程の高額な授業料を支払って、教諭の眠くなる説法を聞くための施設。
その学習院の中に在る、教室と呼ばれる比較的広く間取りがしてある部屋の後方に是烈は突っ立っていた。心底退屈そうに欠伸(アクビ)を漏らし、それを上司に気づかれないように噛み殺しながら。
是烈の視界――学徒達の鞄が納まった棚を背にして、教室の前の方、教壇の方へと視線を向けると、まだ着任して間もない女性教諭が緊張の面持ちで、紺のスーツ姿で教鞭(きょうべん)を振るっていた。その話を真剣な表情で聞いている学徒はどれ位の割合なのだろう。常々疑問に思っている是烈は、今この場に限っては恐らく最悪だろうと感じた。
「……あの、〈牙(キバ)〉さん」是烈は堪(たま)らず小声を漏らした。「暇じゃないですか?」
是烈は隣に立つ、長身と自負している自分と十センチ以上も差がある上司へと視線を向ける。
〈牙〉と呼ばれる上司の顔は是烈が見上げる先に在ったが、その表情を窺う事は出来ない。〈牙〉と呼ばれる所以(ゆえん)でもある、口許が大きく裂けて歯が剥き出しになった絵が描かれた灰色の仮面を装着しているためだ。瞳や鼻の部分は描かれておらず、口許に描かれた剥き出しの歯もあくまで仮面に描かれた絵であって、開く事は無い。
更に初夏と呼べる季節だと言うのに、全身を覆い隠すように、仮面と一体化した灰色の頭巾(ズキン)と、頭巾に繋がった潜水服(ウェットスーツ)のような、枯れ木のような細さを露(あらわ)にした肌にピッタリと張りつく服を身に纏っている。服は“防災服(ぼうさいふく)”と呼ばれる、防刃・防弾・防炎・防水など種々(さまざま)な加工が施された上に限界まで軽量化が図られた代物で、言わずもがな、一般には出回っていない特注品の着衣である。
腕から手に掛けては灰色の手甲が嵌められ、靴は灰色の深編靴(ブーツ)だ。“防災服”の上にはこれまた灰色の外套(がいとう)を纏い、全身を灰色で統一している。この気温の中で平然と佇(たたず)んでいる姿は、一種異様なものを感じさせる。
そもそもそんな異形が学習院の後方に佇んでいる事自体、違和以外の何物でもなかった。
「…………」
是烈の言葉に何の反応も返さない〈牙〉。腕を組んだまま仁王立ちし、全く動く気配を窺わせない。その無言から何か意味を察するとすれば――「授業中は静かにしていろ」――と言ったところか。
“上司”と先程は形容したが、〈牙〉は是烈の属する組織の頂点に君臨する男だった。
組織の名は〈神災対策局(しんさいたいさくきょく)〉。組織名の由来は、百年前に世界を襲った大災害《神災》から来ている。
詳しい話を是烈は聞いていないが、〈神災対策局〉は《神災》の被災者を救うための慈善事業(ボランティア)団体として組織されたらしい。
初期の〈神災対策局〉は専(もっぱ)ら《神災》被災者の救助、保護、物資の援助などを無償で行っていたようだ。お陰で被災の傷痕は殆ど残っていない。後になって新人大陸に出来たばかりの小国同士のいざこざ――分かり易く言えば領土拡大目的の侵犯及び侵略行為、更に発展した紛争と言った火種などの鎮圧活動や、活動拠点が【竜王国】にあるために、【竜王国】の王族の住まう【竜王城(りゅうおうじょう)】の警備や市街地の警邏(けいら)活動など、多岐(たき)に亘(わた)る活動も行うようになった。慈善事業を称しても全部が全部無償で行っている訳ではないが、貰える報酬は微々たる物で、苦しい生活を強いられるのは言うまでも無い。
その無償活動団体の頂点(トップ)である局長の座に君臨するのが、今是烈の隣で黙然と立って女教諭の方を向いている仮面の男――〈牙〉である。
局長と言っても、その正体を知る者は王族以外にいない、と是烈は思っている。いや、いなくなった、と言うべきかも知れない。三年前まで在職していた副局長である我烈(ガレツ)――是烈の父だけは〈牙〉の正体を知っていたのでは、と是烈は推測している。
〈牙〉には不明瞭な点が多い。一番に挙げられるのが――年齢。
噂に寄れば〈牙〉の名を継ぐ家系が存在し、何十年置きかに人知れず入れ替わっているらしい。
と言うのも是烈には知りようも無い事だが、百年も前から現在に至るまで、〈牙〉と名乗る局長が延々とその座に君臨し続けているからだ。その間に副局長は何人も代わっている。〈牙〉だけが百年間ずっと局長を続けているのだから、そんな噂が立つのも無理は無かった。
是烈はその噂に四分六だった。流石に百年もの間、同じ人間が変わらぬ姿で、変わらぬ声で、変わらぬ動きで生き続けられる訳は無い。だが、人知れず入れ替わる事には無理が有り過ぎる。幾ら同じ家系でも、背丈に差異は有るだろうし、声も全く同じと言う訳にはいかない。更には口調や仕草までも完璧に真似る事など不可能ではないかと思うのだ。
謎多き男、〈牙〉。彼に不明瞭な点が多いとは言え、常に部下を率いて最前線を駆け抜けて行く様は、是烈以外にも好感を懐(いだ)く者は多い筈だ。
謎が多く、だが民衆には好かれている仮面の男は寡黙に佇み、まるで一つの完成した絵画のように、そこに自然と――否、違和を黙殺させる不自然さを周囲に撒きながら、そこに屹立(きつりつ)していた。
(……流石は局長、ってトコか。子供の頃も、その辺のガキとは違って優等生だったんだろうなぁ……)
沈黙を守って授業に聞き入る〈牙〉の隣で、退屈と同時に感嘆も覚え、二つの意味を込めた嘆息を静かに吐き出す。
スーツ姿の女教諭は静かな教室を見渡しながら、幾許(いくばく)かの緊張を孕(はら)んで話を続ける。よく見ると、授業を聞いている筈の学徒の大半が背中がむず痒そうにソワソワしている。何人かは女教諭の話を無視して、チラチラと後方を見やり、隣の学徒と密々(ひそひそ)と密談を交わしている。
言うまでも無いが教室の後方に佇む――勿論是烈ではなく――〈牙〉に緊張しているのだ。
【竜王国】で、牙が描かれた仮面を被っている長身の男はかなり有名である。小さい子供にはある種の英雄(ヒーロー)として映っている事だろう。悪しき者を倒し、弱者を助けて回るのだから、自然とそういう印象(イメージ)が定着するのも無理は無いと言える。
十代前半の少年少女が主な学徒であるこの教室に限らず、どこの教室に出向いても恐らく似たような反応だろう、と是烈は思った。年齢性別を問わず好かれる型(タイプ)の人間、それこそが〈牙〉と言う固定観念が是烈の中で出来上がっていた。
「…………んぁ?」
何かに気づいたような声が隣から聞こえ、思わず是烈は見上げるようにして仮面を見やる。表情は一切窺えないが、漏れ出る声からどうやら欠伸を浮かべているのが分かった。
「あぁ〜……、っと。――是烈、何か言ったか?」
若者らしい瑞々(みずみず)しさを感じさせる声と年寄り染みて落ち着き払った声が重なったような、若年寄とでも形容すべき独特ののんびりとした声が、仮面の牙が描かれた部分から聞こえてくる。歯が剥き出しになっている絵の部分には小さな穴でも開けられているのか、そこから若干くぐもった音調の声が漏れ出てくるようだ。
「は?」何を言われたのか理解できず、是烈は一瞬ぽかーんと口を開けた間抜けな顔を晒(さら)した。「えーと……あ、いや、暇じゃないですか、って聞いたんですが……」
突然の反応にしどろもどろになって返す是烈を意に介さず、〈牙〉は首の骨を小さく鳴らし、両手の指の骨を鳴らし、肩をグルグル回すと、「ふぅ」と吐息を漏らした。「ああ、暇だよな。眠くなるよな。つい眠っちゃうよな」
表情は全く見えないが〈牙〉が笑っているように感じた。
「……〈牙〉さん。もしかして……寝てた、んすか?」
「バッチリ寝てた」コックリと顎を引く〈牙〉。「授業ってのは何年経っても慣れるもんじゃないな。面白くも無いし、眠気しか湧かん。退屈以外の何物でもないな」
小声で喋(しゃべ)ってくれて良かった、と是烈は心底思った。新米教諭である教壇に立つ女性の鼓膜にまで届いたら、泣きながら教室を出て行きそうな気がしたからだ。学徒達からは笑いと共感が得られそうだし、是烈も共感を覚えていたが、それをこの場で発表するほど人間を辞めたつもりは無い。
「……流石に百年も経ったら授業も違った風に聞こえるかと思ったけど、やっぱり無理だったか」
「へ?」〈牙〉が呟いた言葉が上手く聞き取れず、聞き直す是烈。
「や、何でもない」
教壇で辿々(たどたど)しく語られている授業の内容は新人暦――百年前の《神災》から始まる歴史だった。
女教諭の話す、舌が縺(もつ)れそうになる授業を聞き流しながら、再び欠伸を漏らしていると思しき〈牙〉へと視線を向ける是烈。
「〈牙〉さんは子供の頃ってどんな感じだったんですか? 俺は勿論、授業はポカして金稼いでましたけど」
自分の事を進んで話そうとしない〈牙〉にこうやって話しかける者は少ないので、是烈は今を好機(チャンス)と見て思いきって尋ねてみた。答が返らなくて元々、もしかしたら面白い話が聞けるかも知れない、と思っての試みである。
腕を組んだまま直立不動を保っていた〈牙〉は、歯が剥き出しの絵が描かれた仮面を傾けて、小首を傾げるような仕草を取った後に再び首を元の場所に戻した。
「まぁ、同い年の女の子と毎日のように遊んでた記憶しかないな」
「――彼女がいたんすか?」
初耳だった。〈牙〉には今まで浮いた話が一度も出てこなかったので、もしかしたら男色か何かかと思う者も多かったが、まさか子供の頃に女と遊び歩いていたとは。
思わぬ収穫だ、と感じた是烈だったが、〈牙〉は苦笑染みた小さな笑声を漏らして否定した。
「そいつは女の子って意識するような奴じゃなかったよ。仲間であり、敵であり、……親友でもある、そんな奴だった。それにその子とだけ遊んでいた訳じゃない。あと二人男の子がいたよ。あの頃が、今思えば随分と遠く感じるな……」
懐かしい、哀愁(あいしゅう)を仄かに漂わせる語調に是烈は「昔、何か遭ったんすか?」と思わず訊いた。訊いてしまってから、踏み込み過ぎたかと悔悟(かいご)したが、〈牙〉は気にした風も無く仮面を僅かに上向けて応じた。
――何故か是烈は、彼が今遠くを、ここではない別のどこかを見ているような気がした。
「――約束をしたんだ。今言った、仲間でもあり、敵でもあり、親友でもある、三人とね」ふ、と短い笑声を零し、首を正面に戻す。「……そして今、果たすべき時が間近に迫っている」真剣みを帯びた、奥歯を噛み締めるような声で括る。
是烈には〈牙〉が何の事を言っているのかよく判らなかった。ただ、それが彼にとって如何に大切な事で、掛け替えの無い何かだと言う事は、その雰囲気から知れた。
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