0404.そして彼女は
「……そうじゃの、及第点と言った所かの」
渺茫(びょうぼう)たる黄砂の海が広がっている只中に巨像が倒れ伏していた。双角は二本とも半ばから折れてしまい、尻尾も同様に半ばから切断されている。全身に弾痕と裂傷を刻まれたディアブロスの瞳には既に生気の色は絶無だ。
剥ぎ取れるだけ素材を剥ぎ終えた四人は、ディアブロスを背凭(せもた)れにして、暮れなずむ黄昏の空を見上げていた。遠方には砂竜・ガレオスが飛び跳ねている姿が見受けられるが、こちらに向かって来る様子は無い。四人が去った頃には彼らの餌として巨大な屍骸が自然に還る事だろう。
「……今まで有難う御座いました、ワイゼン様」
ワイゼンに視線を向けず、藍色が滲むように浮かぶ空を見上げたままリボンは口を開く。その台詞を聞き逃さなかったギースが驚いたように顔を向けてくる。
「ど、どういう意味じゃ……っ?」
「どういう意味も何も、――もうワシは用済みなんじゃろ? リボンや」
「…………」
ギースの震える声に反応したのはワイゼン。彼もまたリボンに視線を向ける事無く、瞳を上空に固定したまま、どこか寂しそうな声音で呟く。対しリボンは即座に言葉を返せず、場には沈黙の帳が下りた。
「……そっかぁ〜、リボンちゃんが決めた事なら仕方ないけど、お姉さん寂しいなぁ〜」
ワイゼン同様、リボンに振り向かずに言葉だけを返すロザ。その表情は発言どおり寂しさの色が滲んでいた。ギースは三人の発言に就いていけないのか、視線を三人の間に行き来させて完全に困惑していた。
「大事な事は、もう学んだつもり。後は自分の足で進みます。……でも、ワイゼン様が用済みだなんて、これっぽっちも思ってません」
そこで一呼吸間を置き、リボンはワイゼンに振り返った。
「ワイゼン様は、今日を過ぎても私の大切な師である事に変わりありません」
「ほっほっほっ、じゃったら一生ワシに仕えてみるつもりはないかの?」
「それは万が一にも有り得ません」
「そんなハッキリ言わんでも!? ワシゃ悲しいぞ!! リボンをそんな風に育てた覚えは無いぞ!!」
「育てられた覚えもありませんが」
「うわーんっ、リボンがワシを苛めるんじゃ〜っ!!」
ロザの胸に飛び込んで行くワイゼンだったが、「よしよし、お姉さんが慰めると思ったら大間違いだぞ☆」と鼻を摘ままれて「いふぁいっ、いふぁいっ」と変な声を上げ始める。
「……あー痛い。全くロザはワシに肉体的苦痛を与え過ぎじゃ。ワシももう若くないんじゃから、傷が残ったらどうしてくれるんじゃ……」鼻を摩りながらロザから離れるワイゼン。その視線がリボンへ向く。「――リボンや。要らぬお節介だとは思うが、これをやろう」
そう言ってワイゼンが黒子ノ装束の懐から抜き出したのは、一枚の羊皮紙だった。リボンはそれを受け取り、中身を検(あらた)めていく。
「ギルドナイツの推薦状……?」
「ワシの知己がギルドナイツの一人での。口利きが出来ると言うだけの話じゃ。……ヌシが今よりも狩猟の腕を磨きたいと言うのなら、そこへ行く事を勧める。凄腕級の猟人がゴロゴロおるからのう」
ほっほっ、と楽しげに笑うワイゼン。リボンは羊皮紙を握り締めたままワイゼンに視線を向け、――微苦笑を浮かべる。
「……初めから私の目論見など、全てお見通しと言う訳ですか」
「はて? 何の事じゃ?」惚(とぼ)けるようにワイゼン。
「推薦状は有り難く受け取っておきます」羊皮紙をクルクルと纏め、クックレジストの内側へと納めるリボン。「次に逢う時は――ワイゼン様の隣にいても遜色無い腕前になった時です」
「無理な大言を吐くでない。己を追い詰めるだけじゃぞ?」
「その時はワイゼン様と逢えなくなるだけですので、大丈夫です」ふ、と口唇に笑みを刷くリボン。
「何が大丈夫じゃ! ワシが寂しくなるじゃろ!!」ぷんぷんと怒り始めるワイゼン。
「おやっさん……発言が幼稚過ぎると思うんじゃが……」思わずツッコミを入れるギース。
「お姉さんは楽しみに待ってるよ! リボンちゃんと一緒に狩猟に行ける日を!」
皆の視線を受けてリボンはどこかぎこちなくはにかみ、――背を向けた。
そして三人の猟人がディアブロスの狩猟を終えて屋敷へと戻ってきた時だ。一人の幼い少女がワイゼンに弟子入りを志願したのは――――
それから数年の月日が流れた或る日のラウト村。
「あれ? ティアリィさん、どこに行くの?」
いつもの時間に酒場へ訪れたベルが見たのは、遠出用に着替えたティアリィの姿だ。以前オートリアへ向かう時に着ていた私服で、メイド服以上に彼女の可愛さが映える服装である。ウェズが見ると興奮して何を仕出かすか判らない程の。
ティアリィは「はい♪」とはにかみ笑顔を浮かべて大きな鞄を手に応じる。
「昔から手紙をやり取りしていた方からお誘いを受けまして、ちょっと遊びに行って参ります♪」
とても楽しそうに告げるティアリィに、ベルは何かに気づいたように「にやぁ」と意地悪そうな笑みを浮かべる。
「もしかして、好きな相手からのお誘いだったりするぅ?」
ティアリィは朗らかな笑みを微塵も崩さず、小さく首を否と振る。
「私の命の恩人なんです♪ 偶に顔を出さないと拗ねちゃう寂しがり屋で……」
「へぇ〜。……って、あたしの師匠もそんな奴でさぁ……何だか親近感湧いちゃうなぁ……」
「ふふふ、そうですね♪」
楽しげに笑うティアリィ。何故かティアリィが自分の奥に映る何かを見て笑っているような気がするベル。
「では、お留守番宜しくお願いしますね♪」
告げて、ティアリィは酒場を後にする。ベルはそれを笑顔で見送り、思い出したように手を打つ。
「当分はご飯は毎食こんがり肉か……」
ぺたり、と円卓(テーブル)に突っ伏すベルなのだった。
EX4【リボンとワイゼン】―――【完】
…………………………
「こんにちは〜♪」
「おぉ、よく来たのう、リボンや」
「あれから如何お過ごしですか?」
「やっぱりベルがおらんと寂しいのう。そうじゃ! これからリボンがここに住めば全ての問題が解決するぞ!!」
「それだけは有り得ないのでご心配なさらず♪」
「相変わらず良〜い笑顔でサラッ☆と酷い事を言うのう……そうじゃ、あの三人に依頼を出してみたいのじゃが、どうじゃろう?」
「ギルドを介さないのですか?」
「うむ。ワシの私用じゃからの。内容は簡単じゃ。ワシの古い友人の手伝いをしてやって欲しいのじゃ」
「ワイゼン様に友人なんていたのですか? 初耳です♪」
「……ワシってそんな悲しい奴に見られとったの……? とほほ……」
「冗談と思わせて冗談ではないのですが、……古い友人と言うと……あの方、ですか?」
「そう言えばリボンは一度逢った事があるんじゃったな。――そうじゃ、あの変わり者じゃ」
「いえ、ワイゼン様も負けず劣らずの変じ……変態じゃないですか♪」
「今言い換える必要なかったよね!? 言い換えなくても酷いけど!! ワシゃ普通じゃよ!! ワシほど色欲に忠実な人間はおらんぞ!!」
「ですから変態と申し上げているじゃないですか」
「変態って言うな!! ……ともかく! この依頼、頼まれてはくれんかの?」
「因みに聞きますが、ワイゼン様が依頼を受ければ良かったのでは? 古い友人と逢えるのならば積もる話もあるでしょうに」
「ワシはな、リボン。――可愛いオア美しい娘からの依頼しか受けんのじゃよ!」
「流石は変た……色魔ですね♪」
「ふふん、そうじゃろそうじゃろ」
「色魔は否定しないんですか……」
「よしっ、今日はご馳走じゃ! リボンに美味いモノを作って貰うぞい!!」
「客人に振る舞わせるとは……いいでしょう。私がいる限りは常にこんがり肉で済ませますので♪」
「中性脂肪が溜まったらどうしてくれるんじゃ!! そろそろメタボを心配せにゃならんと言うのに!!」
「その時は狩猟に出てダイエットして下さい♪ 良い運動になりますよ♪」
「ダイエットに出掛けて死んだりしたら笑い話にもならんぞ……」
「それにしても……あの方とベルさん達が逢うとなると……楽しそうですね♪」
「人の不幸は何とかの味と言うしの。後でまた書簡に認(したた)めてくれ。楽しみに待っとるわい」
【ベルの狩猟日記P】――第1部――【完】
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ベルの狩猟日記P
ベルの狩猟日記
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風雅の戯賊領P