0403.砂漠の暴君
「……本当にその服で戦えるの……?」
過酷な環境として知られる砂漠。日中は軟弱な生物を死滅させる灼熱の世界、夜間は真逆で氷点下の極寒の世界、どちらにせよ人間には苛烈(かれつ)に尽きる環境である。
厳格な環境に耐え得る生物は往々(おうおう)にして強靭な生命力を有している。独自の進化を経た結果とは言え、その生命力の強さは人類とは比肩できない程だ。
狩場としてギルドに認定されている地帯へと、アプトノスが牽(ひ)く竜車に乗って辿り着いたのはリボンだけではなかった。
荷台に乗っている猟人はリボンを含めて四人。黒子シリーズに龍弓【輪】を装備したワイゼン、メイドシリーズにオーダーレイピアを装備したロザ、コンガシリーズにスティールガンランスを装備したギース、そしてクックシリーズにショットボウガン・白を装備したリボンである。
因みにギースは御者台に座り、アプトノスの手綱を握っている。
「ん〜? お姉さんはいつだってメイド服を欠かさないのさ!」
「ほーっほっほっほっ! ワシがそう調教したんじゃ!」
「ロザ姐は良く出来たメイドじゃけえ、おやっさんの戯言でも確(しっか)り守るんじゃ……」
リボンの訝(いぶか)しげな問いかけにロザが胸を張って答え、それに気分を良くしたワイゼンが高笑いし、労(いたわ)しげに遠い目になるギースと続く。
「……ワイゼン様に仕えていたらいつかロザみたいになれるかな……」
感慨深そうに呟くリボンに、ワイゼンが透かさず噛みつく。
「そうじゃよ! だからずっとワシのメイドに――」
「それは生理的に嫌」即断するリボン。
「まるで汚物でも見るような目でワシを見ないでッ!?」
悲しそうにロザの胸に飛び込むワイゼンだったが、即座にロザにこめかみをグリグリと拳で抉られ、「うぐぇぇぇぇ」と、あまりの痛みに落涙し始める。
「――おやっさん、着いたぞ」
御者台から聞こえてきたギースの声に三人は顔を上げる。荷台から出ると灼熱の陽光が突き刺さり、まるで頭からこんがりと焼かれるような錯覚を覚える。湿度が低いため息苦しさを覚える事は無いが、炎天の世界に脳髄が融けてしまいそうだ。
眼前には自然が形成した岩山が聳えている。岩山の外周を回るように築かれた螺旋上の坂道を上り詰めると、砂漠に於いての拠点であるボロボロの天幕(テント)が見えた。中には簡素な寝台(ベッド)が置かれ、近くには地下水を汲み上げるための井戸が設置されている。
岩山を刳(く)り貫くように築かれた拠点。直射日光が刺し込む事は無く割と快適な空間だが、茹(う)だるような気温だけはどうにもならず、皆全身に汗の粒を浮かべている。
「今回の目標はディアブロスの狩猟じゃ。――リボンは四人一組の狩猟は行った事が無いと言っておったな?」
岩山が織り成す影の世界にワイゼンは腰を下ろす。直接地面に胡坐(あぐら)を掻き、皆に腰を下ろすようにジェスチャーする。リボンも胡坐を掻いてからワイゼンに首肯を返す。
「仮に今回の狩猟が成功したら、ヌシも猟人として再び狩猟の世界に戻る訳じゃ。四人一組のチーム編成に慣れといた方が良いじゃろ。それで、じゃ。ヌシは今回、半年振りの狩猟……勘を取り戻さねばならん。ワシがリーダーを務めるが、最低限の指示しか出さん。――自由にやってみぃ」
「……了解」
幾許の緊張を孕(はら)みながらリボンは頷いて応じる。ワイゼンの言うとおり勘を取り戻さねば始まらない。狩場に来たら全て思い出せるとも考えていたが、それは慢心だと気づいたリボンは認識を改めた。
面構えにその機微が出ていたのか、ワイゼンは満足そうに首肯を返すと、ぱんっ、と膝を打って立ち上がった。
「では、始めるとするかのう。――狩猟の時間じゃ」
広大な砂漠を二人一組に別れて散策する事になり、リボンはワイゼンと組んで灼熱の大地を彷徨(さまよ)った。蜃気楼が浮かぶ遠方を見晴るかしても、双角の巨像が視界に映る事は無い。
併しギルドの情報に誤謬(ごびゅう)が無ければディアブロスはどこかにいるのだ。渺茫(びょうぼう)と広がる砂の海の、どこかに……
リボンは意識を全方位に放ち、些細な音も逃さないと言う風に険しい表情で砂漠を駆ける。その背後からワイゼンが追い駆ける形で走っている。何も走らなければならないほど時間に切羽詰っている訳ではない。単に気が急いているだけだ。
――と、尻に何かが触れたのを感じたリボンは、悪寒と共にショットボウガン・白を、振り向き様に構える。そこには頬を緩ませて発情している老爺の姿。その姿を視野に納めたリボンは重たい嘆息を零すと共にショットボウガン・白を背に戻す。
「……巫山戯(ふざけ)ないで。今は狩猟中。幾らなんでも怒りますよ?」
「――嫌な顔をしとったぞ」
「え……?」
だらけた表情を改め、ワイゼンはリボンを見据える。リボンは彼が告げた言葉の意味を量り損ね、二の句が継げない。
リボンが戸惑いを沈黙で返したのを見て取り、ワイゼンは肩に手を置いて、先に前へ進む。
「ヌシは猟人であって、復讎者(ふくしゅうしゃ)ではない。そこを履き違えるな、と言う事じゃ」
それだけ告げるとワイゼンはリボンを追い抜いて駆け出す。リボンは暫し彼の言葉を頭の中で反芻(はんすう)した後、――表情を引き締め、彼の背を追い始めた。高齢にも拘らず健在な体力で砂地を駆けるワイゼンの隣に追いついたリボンは彼の顔を見ないように口を開く。
「……レットの敵討(かたきう)ちするようにでも見えた?」
「さてな。――併しじゃ、仮にそんな気持ちで狩場に赴くと言うのなら、猟人になる事は諦めた方がいいのう」
ワイゼンの声は軽い。実際そうだが、まるで他人事のような口振りでリボンに言葉を投げかける。リボンはその意図が判らず、冷たい怒気が胸を焼く痛みに顔を顰(しか)める。
「……ヌシは言ったな。“モンスターから仲間を守れる位に強い猟人になりたい”――と」
走りながらだと言うのに息も切らさず言葉を紡ぐワイゼン。年老いても尚、猟人としての技量は衰えを知らないのだろう。
ワイゼンの顔に視線を向けると、黒子ノ面隠(オモカクシ)に隠れてはいるものの、その表情が苦いもののような気がするリボン。
「ワシは今まで猟人の世界で多くのモンスターを狩猟してきた。中には古龍と呼ばれるものもおったわい。……じゃけどな、全部が全部成功した訳ではない。仲間も、何十人と喪(うしな)った。自分の小さなミス一つで、仲間の命など軽く消し飛んでしまう」
【猟賢】と呼ばれる老爺の長き猟人人生にも、汚点は幾つも存在する。失敗を何度も繰り返し、仲間を幾度と無く喪い、信頼を無くした事も数え切れないだろう。
「それが猟人の世界じゃ。リボンよ、仮にワシじゃない者を師事したとして、“モンスターから仲間を守れる位に強い猟人”に近づく事は出来ても、なる事は絶対に出来ん。それだけは、覚えておくがいい」
モンスターも猟人同様、生物である事に変わり無い。両者が衝突(ぶつか)れば、強き者、賢(さか)しき者、どちらが最後まで立っているかなど、相手が絶命する瞬間まで判らない。モンスターを仕留める事、仲間を救う事、それを絶対に出来る猟人など一握り……いや、存在し得ないだろう。
「……それでもワイゼン様は、今も尚、猟人を続けてる」
ワイゼンが語る話は間違っていない。事実猟人とはそういうものなのだろう。リボンとてその事を頑なに否定するほど心は幼くない。ワイゼンが仲間を助けられずに狩場を後にし、街へと戻って来た時の心境は今のリボンなら理解できる。唯一信頼できる仲間を喪った自分だから、喪う怖さと守る難しさを理解できる。
「きっと私の根幹は、ワイゼン様と同じなんだと思う」
本当にワイゼンと同じ志で狩場に立っているのか問われても、リボンには応えられない。ただ、彼が今諭(さと)そうとしているのは、自分が辿ってきた道を他の者には進んで欲しくない意志のような気がしたのだ。
猟人の世界とは、酷く険しい山道なのだと思う。併も頂上は天空を遥かに超え、人類では到達できない所にある。それでも――この山道を下りる事は、リボンには有り得ない選択だった。亡き友レットの意志を継ぐ――それもあるが、自分には猟人の世界しかないのだと、リハビリと銃士(ガンナー)の基礎を教わっている時に熟々(つくづく)感じたのだ。
死の淵に立たされて尚、猟人の世界を諦められなかった自分だ、恐らく死ぬまでこの意志は変わらないだろうと、リボンは自嘲の念を懐(いだ)かずにいられなかった。
彼女の意志をどう汲み取ったのか、ワイゼンは「やれやれじゃわい」と嘆息を落とすが、その顔には微笑が浮かんでいるような気がした。
――その時だ。ペイントボールが弾けた時に発せられる、独特の臭気が漂ってきたのは。
「どうやら向こうの連中が先に見つけたようじゃの。――急ぐぞ」
足を更に高速回転し、砂の大地を駆け抜けて行くワイゼンに負けじとリボンも全力疾走を始める。砂の海を駆け抜けるリボンの顔には、どこか憑き物が落ちたような清々しい色が滲んでいた。
地図上ではエリア7と呼ばれている、東側に湖が面した、拠点の岩山が作り出した影に位置する場所に、その巨像が佇(たたず)んでいた。……否、佇んでいた、と言うのは語弊がある。――二人の猟人目掛けて突進を繰り返していた。
ギースはスティールガンランスに付随する巨大な盾で双角の突進を真っ向から受け止め、ロザは軽やかな身のこなしで限々(ギリギリ)のタイミングを見極めて突進を躱している。
巨像の突進を受け止めるも、その勢いを殺す事が出来ないギースは、足から砂埃を巻き上げて後退していく。何十メートルも移動して行くが、押し負けて吹き飛ばされる事は無い。執事でありながら鍛練を積んだギースの健脚を以(もっ)てすれば、ディアブロスの突進さえも受け止められるようだ。
やがてディアブロスの勢いが止むのは、土壁に獲物を叩きつけた時だ。――が、ギースは寸前で土壁に一瞬だけ浮かせた右足で突き、そこで完全にディアブロスの勢いを殺してみせる。ディアブロスの双角の間に挟まったギースは、奴の双角が壁面に突き刺さった事を確認するまでも無く、スティールガンランスのレバーを引き、腰だめに構える。
「これでも喰らっちょれ!!」
スティールガンランスの先端から青白い火柱が立ち上がり、それがチリチリとディアブロスの顔を炙(あぶ)っていく。その先端が眩(まばゆ)く弾けたかと思った瞬間――轟音と共に焦熱(しょうねつ)が暴君を襲う。
大タル爆弾が爆発したかと見紛(みまが)うような轟音と共に、スティールガンランスの先端から吐き出された焦熱は、ガンランスと言う武器種が扱える必殺の技――“竜撃砲”と呼ばれる、飛竜のブレスを応用した代物である。その威力は――「ゴァァ!?」――ディアブロスに思わず踏鞴(たたら)を踏ませる程の火力を有する。
ディアブロスが踏鞴を踏んでギースから数歩分距離を離した瞬間、一人の猟人がその股下に潜り込む。オーダーレイピアと呼ばれる双剣を手にしたメイド――ロザである。ディアブロスが困惑している隙を狙って、足の内側を華麗な舞いによって切り刻んでいく。斬撃を加える、と言うよりも、演舞をしているかのような動きでディアブロスに裂傷を刻んでいく。
「ゴォォォ……ガァァァ……!!」
バシンッ、と尻尾を地面に強く叩きつけて、鎌首を擡(もた)げるようにして唸りを上げるディアブロス。その一連の動きにリボンは見覚えがあった。――怒り。全ての攻撃が加速し、一撃一撃が重くなる状態――激昂状態に入ったのだ。
素早い動きで双角を地面に突き下ろし、両翼を使って地中へと潜って行く砂漠の暴君。それに巻き込まれないように慌てて後退するロザだったが、彼が立てる風圧に思わず動きが止まってしまう。
――その一連の流れにも、リボンは見覚えがあった。次の瞬間に訪れるであろう、最悪の結末が脳裏で再生される。ロザが、亡き友の面影と重なる――――
――べしゃっ、と言う音が聞こえた。
それは悪夢が再現された音ではなかった。――ロザの頭にペイントボールが叩きつけられ、風圧で動きを封じられていた彼女は、その衝撃で動きを再開する。慌てて武器をしまって走り出した――その瞬間、一瞬遅れて先刻ロザがいた真下からディアブロスが双角を突き上げて飛び出して来た。……そう、一瞬でも遅れていたらレット同様、肉体を角で串刺しにされていた所だ。
「助かったよご主人様ーっ! お姉さん、感謝しちゃうよーっ!」
地中より飛び出してきたディアブロスへと再び肉薄しながら歓喜の声を上げるロザに、ワイゼンは「良い良い、後で体で払ってくれればのう」と清々しくも邪心が表出している顔で親指を立てて応じる。
「おやっさん!? ドサクサに紛れて何を言うとるんじゃ!?」
スティールガンランスを折り畳み、ディアブロスへと向かう最中にツッコミの声を入れるギース。ロザは眼前に佇むディアブロスへと斬り込みに入りながら「もうっ、ご主人様ったら〜♪ 後で逆エビ固め三十回で、お姉さん許してあげるよ♪」と朗らかな笑みで告げる。
「恩を仇で返すとはのう……ワシゃ悲しいぞ……」やれやれ、と肩を竦めて応じるワイゼンは、隣で呆然としているリボンに振り向き、不思議そうな顔をする。「どうしたんじゃ? 狩猟は始まっとるぞ、しゃきっとせんか」
――ディアブロスが地中へと潜る時に生じる風圧。それを防ぐためには専用の武具が必要だ。そして防げぬ場合は咆哮同様、短時間と言えど猟人は行動を封じられる。その隙を狙って地中からの突き上げ攻撃を受ければ――如何(いか)な猟人と言えど致命傷は忌避できない。現にレットはそれでリボンの前から姿を消した。
その隙をペイントボールの衝撃で復帰させるなど聞いた事が無い。否、猟人にはそんな事をする余裕など無いのだ。常に武器を構えてモンスターに攻撃を加える事を優先し、如何に素早く狩猟を終わらせるか。そればかりを優先していたリボンにとって、衝撃的な動きをしたワイゼン。
リボンは二人の猟人が懸命にディアブロス相手に立ち回っているのを尻目に、ワイゼンを真正面に見据える。リハビリの内容も、ボウガンの教養も、全て的を射て的確に指導し続けたワイゼンだが、セクハラ行為が日常茶飯事で、いい加減な所もたくさんあった。それでも――今ようやく確信した。彼を師事して良かった、と。
リボンは言葉を発さず一つ首肯を見せると、ショットボウガン・白を構え、ディアブロスと対面する。その顔つきを見て満足そうに口の端に笑みを浮かべたワイゼンも、龍弓【輪】を背中から抜き放つ。
トラウマになっているかと思えたディアブロス。けれどいざ対面してみたら――間近にいる仲間の温もりの方が強くて、恐怖が姿を現す事は無かった。
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