0401.悪夢の後に

 狩猟。それは猟人(ハンター)とモンスターの互いの存命を賭したサヴァイヴァル。喰うか喰われるか、――狩るか狩られるかの、二極化した世界である。故にこそ死の影が常に隣にあり続け、その妖しい光に魅入られた者から命の灯火を掻き消されていく。
 人間にとって過酷な環境である砂漠。陽が落ちても尚、降り注ぐ月の淡い光が煌々と照らし出す、視界に広がる渺茫(びょうぼう)たる砂地。そこで今、一つの狩猟が終わりを迎えようとしていた。
 人間ほどの大きさは有ろうかと言う二本の角を額から突き出した、二本足で聳(そび)え立つ巨像。堅牢なる黄土色の甲殻は月光を受けて鈍い輝きを放っているように映る。飛竜種である事を示す二対の翼は、砂に塗(まみ)れていても尚、その鋼のような筋肉が視認できる。人間の五倍以上の体長に加え、獰猛(どうもう)そうな雰囲気に誰もが恐怖に息を呑むモンスター――“砂漠の暴君”とも言われる、“角竜”ディアブロス。
 彼は鋭く逞(たくま)しい二本の角の一本の先に付いた肉塊を、自然が作り上げた土壁に叩きつけ、その深い色合いの瞳に勝者の余裕を浮かべる。
「……ぁ、…………あぁ……ッ!!」
 角の先に付着した肉塊――まだ息のある猟人が角で刺し抜かれた状態を見て、一人の少女が言葉にならない嗚咽(おえつ)を上げる。彼女が先刻まで全力で振るっていたハンマーは地に落ちている。そして先刻までハンマーを握り締めていた両腕には、深々と刻まれた裂傷。滾々(こんこん)と溢れ出る流血は直(じき)に致死量へと至るだろう。それでも尚、少女は動けずにいた。
 鮮烈に網膜に焼きつけられる映像。仲間が――先刻まで共に戦っていた同胞が、どう足掻いても生きて帰れない現状に置かれ、少女は狂(イカ)れる寸前だった。視認した映像が脳内で上手く再生されない。――現実を許容できない。
 ディアブロスは角の先に付いている肉塊を見て「ゴァァ、グァァ」と唸りながら、その生死を見極めるでもなく、既に己が勝利は確実と言わんばかりに弱者に対する目で肉塊を見つめている。
 肉塊はまだ意識があるのか、喀血(かっけつ)しながらも虚ろな瞳で何かを探している。ショック死してもおかしくない致命傷を負いながらも少年はまだ死ねずにいた。煉獄よりも苦しい生き地獄の中、少年は掠(かす)れた声で言葉を紡ぐ。
「…………逃げ……ろ……ごぼッ。…………オレに……構う……な……ッ」
 それは少女に向けて放たれた命令だった。間も無く消え去る命の灯火を更に激しく燃え上がらせ、懸命に少女へ伝える最後の言葉。
 だが、少女にはそれが出来ない。唯一の仲間である彼を置いて逃げる事など、出来る訳が無い。――併し少女には彼を助ける術など無かった。己が扱う武器は、両腕に走る裂傷が使用を阻害する。
 少年と二人で戦っていた時には希釈(きしゃく)されていたモンスターに対しての恐怖心が、彼の致命的な状態を目視した瞬間、発露した。二人で何とか狩猟できるかも知れなかったモンスターをこれから一人で相手にするなど、少女の精神状態で叶う道理が無い。
 弱者は強者に屠(ほふ)られる……それが自然の摂理であり、猟人はその摂理を覆して強者を相手にする屈強な戦士だ。それが出来ぬ今、少女は眼前に佇む生態系の頂点に座す怪物に喰われる瞬間を待つだけの“餌”としてしか機能しない。
「…………に、げろォ……ッ!!」
 自己の生命など無視して、断末魔の声を張り上げる少年。その灯火が消え去る瞬間まで少女の身を案じている。瞳から流れ落ちる雫は頬を濡らし、赤く汚れた角の上へと落ちていく。
 それが聞こえても少女には動く事が出来なかった。見捨てて逃げるなんて出来ない。今まで一緒に狩猟して来た仲間、一番信頼を置いていた同胞、互いに高め合った同志――そんな相手を捨て置くなど、出来る訳が無かった。
 少女の瞳には絶望の色が濃く浮かび上がり、落涙する激情の雫も尽きない。このまま彼が死に逝く様を見届けたい訳ではない。どう足掻いても助かる筈の無い彼を、己が手で救い上げたい――彼女の望みは、それだけだった。
 ――不意にディアブロスが角を大きく振り上げ、進路を変えて走り出した。突進――向かう先には、この狩場を包むように聳え上がる自然が形成した土壁。そこへ向かって直走(ひたはし)るディアブロス。角の先には――虫の息の少年。


 ――やめて。


 少女の脳髄に反響する絶叫は喉から出る事は無かった。代わりに喉から走り出たのは、言葉にならない喚声――
 ずんっ、と大地が鳴動すると同時に、ディアブロスの角の先で串刺しにされていた少年が――――


「―――――ッッいやぁぁぁぁぁあああああああ――――――――――ッッッッ!!」


 意識が覚醒すると同時に少女は布団を跳ね上げて自分の体を抱き締めた。徐々に意識が内から外へと向かうと共に、ここが砂漠ではない事、――悪夢の中ではない事を理解していく。
 寝台(ベッド)に寝かされていた自分の周囲には無数のメイドの姿。彼女達は皆一様に心配そうに自分を見つめている。
「大丈夫かしら?」「気分は悪くないかしら?」「お水をお持ち致しましょうか?」「酷く魘(うな)されていましたわよ?」「安心して、ここは安全な場所ですわ」「私達が付いていますわよ!」「今ご主人様をお呼び致しますわ」「寝間着を替えられた方がいいですわね」
 同時に発声するため、誰が何と言っているのか理解が追いつく前にメイドの数人が部屋から出て行く。彼女達の優しく柔らかな笑顔を見て、やっと思考が現実に追いついた。
「そうだ……私……助けられたんだ……」
 ここは死後の世界ではないと、感覚で理解する。全身を覆う気怠さと鈍痛、そして無数に浮かぶ汗の粒が少女に現実を認識させる。悪夢の世界から解放された事に虚脱感を覚え、少女の目許に感情の雫が浮かび上がる。
「……ふむ。心に深い傷を負ったようじゃのう」
 部屋中に反響していたメイド達の囀(さえず)りが止み、嗄(しわが)れた男声が少女の耳朶(じだ)を打った。未だ鳴り止まぬ鼓動を抑えるように胸に手を添えたまま少女は顔を上げる。部屋の戸口からメイドに傅(かしず)かれて入って来たのは、長い白髪を有した老爺。白い口髭が胸元まで伸びている事からも歳は相当の筈だろうに、何故か歳を感じさせない生気を感じさせる男。
 老爺は少女の元まで歩み寄ると、その顔を眇(すが)めた瞳に収める。少女は未だに悪夢を引き摺っているのか、恐怖に彩られた表情を浮かべている。その額を人差し指で突き、老爺は優しげな表情で口を開いた。
「今は何も考えずに休むと良い。身の回りの世話はメイド達に任せてのう」
 それだけ告げると背を向け、老爺は部屋を立ち去ろうとする。少女は呆気に取られた顔で老爺を見つめていたが、彼が戸口を潜ったその時、閃いたように舌を動かした。
「――レットはッ、」大声を張り上げて、そのまま硬直する少女。どう告げたらいいか判らず、舌が麻痺したように動きを止める。その間、老爺は黙って戸口に立ち続ける。「……その、私と一緒にいた、猟人は……」何とか言葉になったそれは、少女の最後の希望を託されていた。
 老爺は黙して戸口に立ち続けている。振り返り、――厳しい表情になっている事に気づいた少女は、その時既に最悪の返答を予期していた。
「――助かったのは、ヌシだけじゃ」
 簡潔に、老爺は言い放つ。そしてそれが全てだった。
 少女は耐え難い現実を突きつけられ、思考が停止した。やがて回転を始める思考は一切の言葉を作り出せず、意味も無く空回りを始める。
 そこで少女は心の淵に芽生えた激情に耐え切れず、意識を失う。その時に見た悪夢は、妙に空虚なものだった…………


 少女が悪夢に魘される日々は続いた。幾日も双角の暴君に追われ続ける夢を見続け、眠る事自体に恐怖を覚える程に少女は憔悴(しょうすい)していく。何度も蘇る地獄。幾度と無く彼が死ぬ瞬間が繰り返される悪夢。少女の精神は磨耗し、感情が外に出なくなりつつあった。
 そんな或る日の事だった。いつも身の回りの世話をしていたメイドの姿が無く、珍しく少女は一人でぼんやりと窓の外の景色を眺めていた。美しい街並みが広がる景色。悪意に満ちた凶夢とは掛け離れた平穏な世界。それをぼんやり見つめていると、どっちが現実なのかよく解らなくなりつつあった。
 本当はあの時に既に自分は死んでいたのではないか。老爺に助けられず、ディアブロスに食い殺され……今少女の肉体は死後の世界にあり、現実と言う名の夢を見ているに過ぎないのではないか……そんな気がするのだ。
 かちゃ……、と扉が開く音が聞こえ、少女は虚ろな動きで戸口に視線を向ける。いつも叩扉(ノック)してから入ってくるメイド。今日は珍しく叩扉を忘れたのだろうか、と思って視線を注ぐと、そこには自分と同年代――十代半ばと思しき少年と少女の姿があった。
 少年は黒髪をリーゼント――“ゲリョスソウル”と言う髪型に固めた、顔中傷だらけの、取っつき難そうな雰囲気を纏っている。執事服を身に纏い、両手をズボンのポケットに突っ込んだままこちらを見つめている。尤(もっと)も彼の瞳は“見つめる”ではなく“睨みつける”の方が正しそうだが。
 少女は緑髪を短く切り揃えた、欣々(ニコニコ)と終始笑みを浮かべている、見るからに愉しそうな雰囲気を纏っている。メイド服を身に纏っている事から、あの無数にいるメイドの一人だと思うのだが、メイド達が十代後半に見えるのに対し、眼前の少女は十代半ばに見えるためか、彼女には初めて逢ったと感じた。
 メイド服の少女はトテトテと覚束無い足取りで寝台に座り込んだ少女へと歩み寄って来る。執事服の少年はブスッと面白くなさそうな表情のまま蟹股で乱暴な足捌きでこちらへやって来る。
「こんにちはっ!」
 ぴょこんっ、とメイド服の少女は飛び跳ねながら挨拶(アイサツ)を発する。快活な表情と共に放たれた明朗な声に、猟人の少女は即座に言葉を返す事が出来ず、呆気に取られた顔でメイド服の少女を見つめる。
「オンドリャ挨拶も出来んのかァ? 最近の猟人は礼儀も知らんようじゃのう」
 ドスの聞いた声を発したのは、執事服の少年。忌々しそうに猟人の少女を睨み据える姿からは悪意以外の何も感じられなかった。
 猟人の少女は感情の起伏が無いまま、執事服の少年を見据える。それからメイド服の少女へ視線を転じ、小さな声で、「……こんにちは」と挨拶を返す。
「お姉さんはねっ、ロザって言うのっ! 宜しくねっ♪」
 手を伸ばして握手を求めるメイド服の少女――ロザに、猟人の少女は再び呆気に取られるも、今度は執事服の少年が小言を言う前に「……私はリボン。宜しく」手を差し出し、ロザと握手を交わす。
「ワシはギースじゃ。……ふん、猟人とか言うけえ、どんな奴かと思っちょれば……ワシらと変わらんのじゃけえのう」
 執事服の少年――ギースはそう吐き捨てると、猟人の少女――リボンを横目で見やる。瞳に映った少女は悄然とした面持ちで目許に涙を蓄えていた。
「…………っ、そうだよ、あんた達と何も変わらない……ッ、もう私は……、猟人じゃ、ない……ッ」
 堪えきれずに溢れ出る激情にリボンは嗚咽を殺すように胸を押さえた。ギースは慌てたように「な、泣く事は無いじゃろ!?」と狼狽(アタフタ)し始め、ロザは「もうっ、ギース君は意地悪なんだからっ!」と眉根を寄せた顔で彼を非難する。
「安心してっ、リボンちゃん! ギース君はああ見えても、酷い事も言うけど、悪い子じゃないのっ。きっとリボンちゃんの事を元気付けようと思って空回りしちゃってるだけだから♪」
「ロ、ロザ姐っ! そんな事は言わんでいいんじゃ!」
 ロザが「よしよしっ」とリボンの頭を撫で、ギースは背を向けて黙り込む……リボンが泣き止むまで、それは続いた。
 やがて激情が納まり、リボンはどこか恥ずかしそうに二人を見つめる。
 ロザとギース。年齢が近いからか、メイド達に比べると、彼らと一緒にいるとどこか安心できた。ロザは終始にこやかにリボンに話しかけてくるが、ギースは黙り込んで勃然(ぼつぜん)としたまま。それでも立ち去る事はせず、暇そうにしている。
「リボンちゃんを助けたお爺さんってね、ワイゼン翁、って人なんだよーっ」
 ロザが嬉々として告げた内容にリボンは思わず瞠目する。その名は猟人の世界では有名な部類に入る。【猟賢】の渾名(ふたつな)で知られる、ギルドに狩猟の腕を認められた実力者――ワイゼン。“黒子を纏いし龍弓使い”と言えばそれだけで通じる程に、猟人の世界では名が通っている老練な猟人だ。
 猟人の端くれでも解る著名人に、リボンは驚きのあまり言葉を失ってしまう。
「おやっさんはもう歳じゃのに、ワシらのために今も猟人として路銀を稼いでくれちょる。猟人としては勿論じゃが、ワシもおやっさんみたいなでっかい人間になりたいんじゃ」
 リボンの反応に気を良くしたのか、突然嬉しげに語り始めるギース。その瞳には喜色が満ち、彼が心底からワイゼンを慕っている事が窺い知れた。
「ギースも……猟人、なの……?」
 ポツリと漏れた言葉に逸早く反応したのはロザの方だった。
「うん、ギース君もそうだけど、実はお姉さんもなんだよ〜♪ ここのメイドさん達はみーんな、猟人としての実力も兼ね備えた凄い人ばっかりなんだよ〜♪」
「メイドも、皆っ!?」
 思わず大声を張り上げて驚愕するリボン。立ち居振る舞いでは解らなかっただけに驚きは大きかった。口をポカンと開けて、呆然としてしまうリボン。
「猟人業は副業みたいなもんじゃがのう。おやっさんを守るために狩場に繰り出す時もあるけえ、自然と猟人としての知識も必要になってくるじゃきん」
 猟人が副業。この時世、脚光を浴びたい、名を売りたい、富を築きたいなど、多くの欲を懐(いだ)いて猟人になる者は後を絶たない。皆が皆猟人として食って行ける訳ではなく、多くが致命的な失敗を犯して怪我を負うなり命を落とすなりして一戦を退かざるを得ないと言うのに、それを副業にする者など、そう多くはいないだろう。
 猟人は狩猟が成功した時の報酬が、言ってしまえば美味い事が多い。流石に簡単な依頼……特産品の採取や小型モンスターの間引きなら報酬は少ないが、猟人として脚光を浴び易い巨大モンスターの狩猟になると報酬はでかい。それだけで何ヶ月も生活できる程に、だ。だからこそ猟人を志願する者は後を絶たない。
 その報酬を無視してでも、ワイゼンに仕えるメイドと執事。その絆に、リボンは何故か自分にも通じる物があると感じてしまった。
「……ねぇ、ロザ」だからだろう、不意にその思考が脳裏を過ぎり、そのまま言葉として喉を通過した。「――私、ワイゼン翁に弟子入りしたい」

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