0105.伝説と初恋
「嫌にゃーッ!! 絶対に、絶対にヒロユキは渡さないのにゃーッ!!」
ラオシャンロンが前進を再開せずに彼是五分が過ぎた頃。ザレアが対巨龍爆弾“ヒロユキ”を抱き締めて五分ほど経過した。
「ドルァ!! 我儘(ワガママ)言うんじゃありません!! 母さん怒りますよ!?」
フンドシをはためかせつつ、腕を組んで仁王立ちのまま般若(ハンニャ)の形相で怒号を張り上げるヴァーゼ。
「いつからザレアの母さんになったんだよ!? あんた見るからに“漢(おとこ)”じゃねえか!!」
至極真っ当なツッコミをぶつけるイルム。
「ヒロユキは……ヒロユキは渡さにゃいのにゃ!!」
ヒロユキを抱き締めたまま〈アイルーフェイク〉をブンブン振り回すザレア。それが掠(かす)っただけで大爆発を起こすのではないかと思っている周囲の猟人達は、怯えながら外周部の端で縮こまっている。中には「や、止めてくれーっ、ここで爆発だけは止めてくれーっ!」と泣き喚いている者もいる。
駄々を捏(こ)ねるザレアにイルムはどうしたものかと腕を組む。と言うか、もうこれ以上ラオシャンロンに攻撃を加える必要は無いのでないかと思う。巨像を見るにもう怯えきって一歩たりとも前に進もうとしない。尤も引き返すには図体がでか過ぎてUターンも許されないため、その場に硬直しているだけかも知れないが……
「ザレア」す、と前に出たのは言うまでも無くヴァーゼである。「俺の話を、聞いてくれるか……?」
いつに無く真剣な表情のヴァーゼ。その声音に気づいたのだろう、ザレアは〈アイルーフェイク〉の正面をヴァーゼに向け「……にゃ?」と上目遣いに小首を傾げる。流石に〈アイルーフェイク〉に上目遣いをされても何も感じないが。
ヴァーゼはザレアの前に跪(ひざまず)き、ゆっくりとヒロユキの方へ視線を投げる。
「……俺にゃァな、ヒロユキの声が聞こえてきてんだが……ザレア。手前は、違うのかよ……?」
「ヒロユキの、声……にゃ?」
ンな馬鹿な、とツッコミを入れるにはあまりに空気がシリアスなので、イルムは口を噤(つぐ)んだまま二人の様子を見守る。
ザレアがキョトンとしてヴァーゼを見つめていると、彼はふっ、と柔らかな微笑を滲ませ、ヒロユキの横腹を叩いた。全員がその挙動にビクリと体を震わせるが、幸い爆発は起こらなかった。
「こいつァ……とんだバカヤロウだぜ。もう、今か今かと奴を吹っ飛ばす機会を窺ってやがる」どこか遠い眼差しで呟くヴァーゼ。その独白は更に続いた。「この熱いパトスを、手前が聞こえてねェ筈がねェだろ? ――ザレア」
ヴァーゼの澄ました表情で語られる妄想に、イルムは全身を真っ白にして聞いていた。本当に逝っちゃってる人間って、間近で見ると恥ずかしいを通り越してもうどうしようもなくなるんだな、と悟りの境地に達しようとしていた。
対するザレアは何故か〈アイルーフェイク〉の瞳が見開いたかのような錯覚と共に、バッと即座にヒロユキに向き直り、やがて静かに震えだした。
「ヒロユキ……オイラが、オイラが間違っていたのにゃ!! ごめんにゃ、ヒロユキ!! オイラ、オイラ……ッ!!」
何か通じてるーっ! と言うツッコミを脳内で入れるイルム。現実では真っ白のままだが。
ザレアはヒロユキに抱きついて落涙(しているように見える)すると、やがて一滴の涙も流れていない〈アイルーフェイク〉の目許を腕で乱暴にごしごしと擦り、ヴァーゼに向き直った。
「オイラ……ヒロユキと一緒に……――行くにゃ」
その表情は〈アイルーフェイク〉で視認できなかったが、何故だろう――〈アイルーフェイク〉が誇らしげな表情を浮かべているように、輝いて映った。
ザレアが誇らしげに敬礼をすると、ヴァーゼも澄んだ表情で敬礼を返す。
「……ヒーロユキ、ヒーロユキ、」
ふと、どこからともなくコールと共に拍手が始まる。
「ヒーロユキっ、ヒーロユキっ!」
隣の者からその隣の者へ、そして更に隣の者へと、まるで波のように伝播(でんぱ)する拍手と“ヒロユキコール”にエリア2は埋め尽くされていく。
その中心にいるザレアとヴァーゼ、そしてイルムは、自らを包み込む拍手と“ヒロユキコール”に爽やかな微笑を返し、――敬礼を返した。
「ヒーロユキッ!! ヒーロユキッ!!」
エリア2を包み込む喚声は徐々に、そして確実に大きくなっていく――――
やがて“ヒロユキコール”が絶頂を迎えようとする頃。三人の猟人とヒロユキはエリア2に架けられた石橋の上に立っていた。地上三十メートル程の高さにある石橋。その下には丁度ラオシャンロンの背中が見える。
「それじゃ――行ってくるにゃ、皆!!」
ビシッと敬礼をするザレア。彼女を止める障害は何一つとして無い。皆彼女の背中を押しているのだ。ヴァーゼも、イルムも、爽やかな笑顔でその背中を見つめている。
「――イルム」
空気に流されるだけ流されて、「おれっち、なぁにやってんだろーなー」とふと心の底で自分の行為に疑念を感じたイルムに、隣から声が掛けられた。貼り付いたままになっている微笑のまま振り向くと、似たように爽やかな微笑を浮かべているヴァーゼと目が合う。
「ザレアを……頼んだぜ?」
「おう、任せと……何?」
ザレアがラオシャンロンの背中に向かって飛び降りるのと同時に、何故かイルムの体も宙を舞っていた。背中に感じた軽い衝撃――ヴァーゼの手が伸びていた事を落ちながら知り、思わず両眼を掻っ開く。
「ちょッ、何でおれっちまで――――ッッ!?」
数瞬の滞空時間が過ぎ去り、尻からラオシャンロンの背中に着地するイルム。「いっづァッ」と思わず痛みに呻き声を発し、臀部(でんぶ)を押さえて蹲る。隣では三回転捻りに加えて頭の上にヒロユキを載せて着地に成功するザレア。
「よいしょっにゃ!」
とん、と頭の上に載せていたヒロユキをラオシャンロンの背中に設置するザレア。何故か〈アイルーフェイク〉の無機質な猫顔が達成感に充ち満ちている気がして仕方ないイルム。
それで脱出するのかと思いきや、ザレアはその場に胡坐(あぐら)を掻いてヒロユキと相対する。イルムは徐々に痛みが和らいできた臀部から手を離し、そろりそろりとザレアから離れていく。
「――イルム君」
ビクッと体が震える。まるで悪事が露呈(バレ)た悪ガキになった気分である。そろ〜っと振り返ると、ザレアはヒロユキを見つめたまま動いていない。気配だけで察したのだろうか。
「オイラの初恋……見届けて欲しいのにゃ」
最早理解不能を跳び越えて危険領域に達している。イルムはゴクリと唾を嚥下(えんげ)した。このままここにいれば確実に自分は死ぬ……ラオシャンロンやシェンガオレンを撃退するために造られた特注の爆弾――対巨龍爆弾の威力がどれ程のモノか判らないが、一つ言える事は大タル爆弾Gの比ではないだろうと言う事。そんな爆発に巻き込まれたら大怪我で済む筈が無いと断言できる。
彼女の我儘に付き合って死ぬのか。それとも彼女を見捨てて自分だけ生き残るのか。或いは彼女の意志を殺してヒロユキから引き剥がして一緒に脱出するのか。
イルムは一つ、――頷いた。
「――おう、分かった」
ザレアの元まで中腰で歩み寄り、やがてヒロユキの眼前で胡坐を掻く。その行為にザレアは驚いたようだが、やがて〈アイルーフェイク〉に笑顔が宿ったような気がした。
彼女は――古龍迎撃戦で明らかに浮いていた自分に声を掛けてくれた、奇特な猟人だ。奇特ってモンじゃない。明らかに異常者の領域に分類される猟人だったが、それでも――純粋に嬉しかったのだ。その時の事を思い出したイルムは、彼女と共に散るのなら、それはそれで良いかも知れない、と思ってしまった。
下方では相変わらず“ヒロユキコール”と拍手が沸き起こっている。それももう終わりが近づいているのだろう。コールと拍手は加速し、ただの喚き声と化している。
「イルム君。……ありがとにゃ」
「いや、気にするなよ。おれっちも……ザレアに出逢えて、良かった」
そう、微笑みかけた瞬間だった。
視界が、閃光の濁流に呑み込まれたのは。
「――おぉ!! ラオシャンロンが引き返していくぞーッ!!」
……遠くから喚声が聞こえる。
酷く現実感の湧かない台詞だ、と感じた。あの彷徨(さまよ)う災厄と呼称される古龍の一種であるラオシャンロン。それが猟人とは言え矮小なる人間に撃退されるなど……俄(にわ)かには信じ難い話だ。
併し、ずぅん……ずぅん……と、鳴動する大地から伝わる巨像の足踏みは徐々に遠ざかっていく。本当に……成し遂げたのか。
良かった、と思った。自分の命と引き換えに砦を死守できたのだ。これほど名誉な事は無い。村の皆にも胸を張って言える。「自分は、ラオシャンロン撃退を成し遂げたのだ」――と。
まだやり残した事はある。未練も山ほど残っていたが、ここで眠りに就くのも悪くないな――と思った。併しどうにも体が重い。全身が痛む。と言うか頬を幾度と無く打たれている気がする。
「いででででィ!! 何!? 地獄!? 打たれ地獄なのここは!?」
「あ、起きたにゃ」「よう、目覚めたか英雄!」
飛び起きて頬を摩(さす)っていると、眼前には見覚えのある二人組。そして泣きそうな顔で後退しているラオシャンロンの巨像。
何が起こっているのか解らずにフンドシ一丁の青年に視線を転ずると、彼は快活な笑顔と共にイルムの肩を叩いた。
「ラオシャンロン迎撃戦、無事に成功したぜ!」
「……いや、そうじゃなくてさ。何でおれっち……生きてるの!?」
確実に対巨龍爆弾“ヒロユキ”の爆心地にいたイルム。爆発が直撃したのだから死んでいなければおかしい――仮にヒロユキの威力が弱かったのだとしたら、今度はラオシャンロンが撤退する現在の映像が虚構になってしまう。
訳が判らないと言った様子でヴァーゼを見つめていたイルムだったが、そこに二匹の獣人族が地面から突然飛び出してきた。飛び出た場所がイルムの眼前だったため、「うわっ、何だッ!?」と驚いてたじろぐイルム。
「ニャニャーッ! そこは我ら“爆造のロージョ”のお手伝いネコが説明するニャ!」飛び跳ねながらアイルー。
「対巨龍爆弾……あれは古龍だけに効果がある爆弾ニャ! 人間にはニャんと無害なのニャ!!」同じく飛び跳ねながらメラルー。
「え……って無茶苦茶な設定の爆弾だなおい」どうツッコミを入れるべきか悩むイルム。
「お陰でオイラもピンピンしてるのにゃ! 流石は“爆造のロージョ”の特注品……最高にゃ!」
嬉々として“爆造のロージョ”のお手伝いネコと手を繋ぐザレア。一人と二匹(と言うか三匹)は輪になって「にゃーにゃー」言いながら踊り始める。
それを呆然と見つめていたイルムだったが、何だか考えるのが馬鹿らしくなり、思わず口から笑声が零れた。
久方振りに出る心底からの笑みに、イルムは暫し時を忘れて大笑した。
ラオシャンロンが器用にバックで去って行った後。ローグ砦では撃退成功を肴(サカナ)に宴が開催された。
その中でイルムは二人の猟人の姿を探していたが、どこに行っても見つける事は叶わなかった。
あんな猟人には未だかつて出逢った事が無い。だからこそ彼らともう少しだけ時間を共有したかったのだが……もうローグ砦に二人の姿は無かった。
幻だったのか。――否。彼らはこの場に居合わせた猟人全員の心に深く刻み込まれている。彼らを忘れる事など不可能だ。それほどまでに鮮烈に光り輝く猟人だったのだから。
――やがてその物語は大陸を席巻する。……が、誰もその話を信じなかった。
曰く、フンドシ一丁の猟人が拳でラオシャンロンの頭を地中に沈めた。
曰く、〈アイルーフェイク〉だけの猟人が砦を地雷原にし、ラオシャンロンの侵攻を止めた。
曰く――その二人の猟人の攻撃を素手で止める猟人がいた。
誰も信じ得ぬその伝説は――今も大陸の随所で語られる、有名にも程がある御伽噺となった。
辺境にある村。雪に閉ざされた寒村に、一人の行商人が訪れた。
「ちは〜、行商人のウェズっす〜」
酒場の戸を抜けて現れた青年に、双剣使いの猟人が「おう、久し振りだな〜、ウェズ」と樽のジョッキを掲げて応じる。
「よっ、イルム。景気はどうだい? 僕の厳選された道具が必要なんじゃないかい?」
「景気は悪くねえな。そうだなぁ……っと、そうだ。カクサンデメキン売ってくれよ。そろそろ在庫が尽きそうなんだよ」
イルムが苦笑混じりに応じると、ウェズは「あ〜、悪いな」と言って手を合わせた。
「お? 無いのか? お前いっつも在庫が有り余ってるから買ってくれって言う程なのに」
「それがさ〜、これまた辺境の村に変わった奴がいてさ〜。〈アイルーフェイク〉しか被ってない、爆弾使いの女の子なんだけどね〜」
「――何? もしかしてそいつ、ザレアって言うんじゃ……」
「え? 知ってるのか?」
ウェズが驚いたように反応すると、イルムも同様に驚いたような表情を浮かべ、やがてそれは崩れて笑みになった。
「――あぁ。あいつはおれっちの――」
そこまで言って口を噤むイルム。次に出た言葉は、彼の本当の想いとは違うが、嘘でも無い言葉――
「――大事な……狩友さ」
彼女はまだ伝説の世界で生きているのだろう。だったら自分は――遠く離れた地で見守っていた方がいい。
彼女に見初められたら――もう、マトモな人生が送れなくなるような、そんな気がして…………
イルムは苦笑に似た笑みを浮かべるのだった。
EX1【ザレアとヒロユキ】――【完】
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