0102.イルム

 ずぅん……ずぅん……と、砦全体を揺さ振る震動が徐々に大きくなるに連れ、エリア2で待機する猟人達の間に俄(にわ)かに緊張が走る。エリア2に限らず砦は周囲を霧に覆われ、視野があまり利かない。その中で遠雷のように響く地面を踏み締める音と、それに伴う震動に恐怖を覚えぬ者など絶無――
「にゃーっ、ワクワクするのにゃ! 早くラオシャンロン来にゃいかにゃ〜♪」
「まぁ落ち着けってザレア。――俺が一番に殴るんだからな!? 順番間違えんなよ!? 俺が一番だぞ!!」
 ――の筈だったが、二名ほど別の意味で落ち着いていない。
「……なぁ、あんたら怖くないのか……?」
 何と無く敬語は要らないような気がしたイルムは、ギルドナイツ騎士長、並びにその愛弟子に向けて溜口を利くが、二人とも全く意に介さず応じる。
「だって初めてラオシャンロンを見るのにゃよっ!? ワクワクせずにいられにゃいにゃっ!!」
「イェア! 一番に射撃・砲撃するのは許すが……奴を最初に殴るのは俺って決まってるんだ!! ウオォォォォ!! 燃えてきたぜェェェェッ!!」
 と、突然発狂したのかと思う程の喚声を上げるヴァーゼ。思わず顔を顰(しか)めて耳を押さえる間に、何故かギルドナイトスーツを引き毟り上半身裸になるヴァーゼ。
「何してんすかあんたァ!?」思わずツッコミを入れざるを得ないイルム。
「ハァハァ……ん? いやもうラオシャンロンがすぐそこまで来ていると思うとよォ……体の底から熱が込み上げてきてよォ……もう我慢できねェんだよォォォォ!!」
 ばりーんっ、と筋肉の蠕動(ぜんどう)だけでギルドナイトスーツを完全に粉砕するヴァーゼ。その下から現れたのは一枚のフンドシだけ。もう殆(ほとん)ど全裸である。
「ふぅ……よし、いっちょ体を温めるか! ザレア!! 無限スクワット始めるぞ!!」言いながら既にスクワットを始めているヴァーゼ。
「はいにゃ!! あ、イルム君もどうかにゃっ? 一緒にやらにゃい?」隣で仲良くスクワットを始めるザレア。
「いや、遠慮しとく……」思わず視線を逸らしてイルム。
 エリア2には何故かラオシャンロンの闊歩音とそれに伴う震動の他に、二人の猟人が発する呼気が響き始めた。勿論周囲に屯(たむろ)する待機組の剣士達は皆物凄く気まずそうだ。
「うぅ……何か凄く気まずい……」
 同じパーティの仲間と言う事もあり、気まずさMAXのイルムは赤面して二人からこっそり距離を取る。
「ふっ、ふぅっ! まだまだ準備体操が足りねェぞザレアァ!! もっとだ!! もっと熱くなれよ!!」
「にゃっ、にゃっふぅっ! だったら師匠! ガチ組手をするしかにゃいにゃっ!」
 十分ほどで二千回近くのスクワットをしておきながら、まだやり足りないと吐(ぬ)かし始めるヴァーゼに、同じく十分ほどで二千回近くスクワットをしたザレアが提案したそれは、良からぬイメージしか湧かない単語だ。
 イルムは「いや、もう充分熱くなってるよ! 寒中水泳でもそんなにしないよ!!」と必死にツッコミを入れるが、二人とも全く聞いていない。
「ガチ組手か! なるほど……あれなら確かにガチで熱くなれそうだ!! だがなザレア……死んでも、文句は言うなよ?」
「にゃっふっふっ……遂に師匠を越える時が来たのにゃ! 覚悟にゃーっ!!」
 そう言って始めたのは――両者共にモンスターを狩るために使う武器を使った、真剣勝負(ガチバトル)だった。
 ヴァーゼは大長老の脇差を鞘から引き抜き、一切の加減も無くザレアへと突っ込む。洗練された動きに躊躇(ちゅうちょ)の色は絶無。本気で殺しに掛かっている。
 対するザレアもデッドリボルバーを引き抜くと、脇に抱えるように力を溜め込み、ヴァーゼの突きを紙一重で躱しつつ溜め込んだ力を解放するようにデッドリボルバーを振り上げる。ブォンッ、と空気を裂く音は、モンスター相手にしても尋常ではない膂力(りょりょく)が込められている。
 一撃でも当たれば即死――そんな危険を孕んだ組手が、何故かラオシャンロンを待機する狩場で勃発した。
 敢えて端的に言おう。――理解不能である。
 ラオシャンロンが侵攻しつつある中、突然二人してモンスターを狩猟するための武器を持ち合って殺し合いを始めたのだ。猟人として以前に人間として色々間違っていると言わざるを得ない。
「ちょちょッ!? 何やらかしちゃってんだあんたら!?」
 ツッコミを入れるが手は出せないイルム。周囲の凄腕猟人ですら声を掛けるのに躊躇いを隠せないにも拘らず、イルムは敢えて中央に入り込むようにして仲裁する。片や轟音を響かせるハンマーを振るい、片や大気すら切り裂かんと太刀を振り回している。その只中に飛び込む様は“勇者”以外の何者にも映らなかった。
 その場に居合わせた猟人全員の脳裏にイルムの絶命が過ぎった――が、現実にはその妄想が履行される事は無かった。
 ピタリ。イルムはヴァーゼとザレアの手首を握り締め、動きを完全に止めたのだ。その行動に周囲の凄腕猟人だけでなく、先刻まで争っていた二人の変人も動揺を隠しきれなかった。
「ラオシャンロンがもう目の前まで来てんのに、何だっていきなり殺し合ってんだよ!? ちょっと頭を冷やそうぜ!?」
 イルムの諫言(かんげん)が朗々とエリア2に響き渡る。その時点でイルムは自分が注目の的になっている事に気づいた。顔を紅潮させ、慌てて周囲に向かって頭を下げまくる。
「すすす済みませんッ、何でも無いんですッ、皆さんは持ち場に――」
「――兄ちゃん、おめえすげえな」「何だ、今の……?」「不覚にも動きが見えなかったぞ……!!」
「――戻って頂けると……え?」
 不意に掛けられた言葉に顔を持ち上げると、周囲の凄腕猟人が感心したような面持ちで自分を注視している姿が視界に飛び込んできた。併も先刻までの疎外感を与える余所余所しい視線ではなく、尊敬や憧憬を孕んだ、熱い視線が大半を占めていた。
 イルムが訳も解らず困惑していると、大長老の脇差を鞘に戻したヴァーゼが驚き冷め遣らぬ表情で肩を叩いてきた。
「ヴァーゼ?」振り返るイルム。
「いや、お前よォ、猟人の全力の攻撃を止められるか普通? どんな反射神経してんだよ」
 ――そうなのである。猟人が繰り出す攻撃とは即ち、強靭な生命力を誇るモンスターの息の根を止める程の威力を有している。速度も然(さ)る事ながら、その威力は暴力の権化たる金獅子(ラージャン)には遠く及ばずとも、同業者である猟人でも制止する事など不可能だ。
 そしてタイミングも絶妙と言えた。あと僅かでも遅れていれば、イルムの体は両断されていたか弾け飛んでいたか……何れにせよ即死だったに違いない。
 イルムはキョトンとしていたが、遅れて頬をポリポリと掻き始める。
「いや……てか、猟人って普通この程度の事は……」
「出来ねーよ。――で? どんな鍛練積んだらこんな事できるようになるんだよっ?」
 言うまでも無くヴァーゼの瞳には爛々(らんらん)と眩(まばゆ)い光が点っていた。新しい玩具(オモチャ)を見つけた子供の目である。イルムはどう反応すればいいのか困ってしまい、今度は後頭部を掻きながら呟きを落とす。
「鍛練って……おれっちの村の近くって、ランゴスタとかカンタロスが繁殖期になると大量に発生するんだよ。あいつらの挙動ってよく見るとパターンあるだろ? それを見極めて素手で捕まえるよりは、この方が何倍も楽だと思うけどなぁ……」
 イルムが苦笑混じりに言を投下すると、その瞬間エリア2はラオシャンロンの足踏み以外の音が消滅した。「うわ、おれっち何か変な事言ったか……?」と恐る恐る周囲の猟人達の顔色を窺うように怯え始める。
「――すっげぇなイルム!」
 音が消えた世界にヴァーゼの喉から発せられた爆音が木霊する。
 思わず周囲に集まっていた猟人達が両耳に手を当ててしゃがみ込む中、ヴァーゼは瞳を爛々と輝かせてイルムの肩を叩く。イルムは突然の咆哮に呆然としていたが、恥ずかしそうにヴァーゼの手を振り払う。
「何が凄いんだよっ、こんなの猟人なら誰でも……」
「ンな訳ねーだろッ! ランゴスタを素手で捕まえるだァ!? 確かに奴は武器を使えば数撃で木っ端微塵だがな、あのスピードを素手で捕捉するなんざ猟人でもいねーよ!」
 ヴァーゼの発言に周囲の猟人達が頻(しき)りに頷いている。
 ――ランゴスタ。甲虫種に分類されるこのモンスターは巨大な蜂を連想するとイメージが掴み易い。あらゆる狩場に存在する生命力の高さ、そして繁殖力の強さで猟人の周囲を付かず離れず飛び回り、ここぞと言う時に麻痺毒の針を刺しに来る。ランゴスタの些細な一撃で、飛竜の攻撃をマトモに浴びて戦線から離脱せざるを得なくなった猟人は少なくない。猟人が忌み嫌うモンスターである。
 そんなランゴスタだが、あくまで甲虫種――巨大化した虫に過ぎないので、猟人から武器による攻撃を受けると二・三撃で粉々に砕け散ってしまう。そこで狩場や目的となる大型モンスターによっては、エリア内にいるランゴスタをある程度殲滅してから狩猟を行う猟人も少なくない。ただ、ランゴスタの動きはどんなモンスターよりも機敏――地上最速を誇るキリン程ではないにしろ、宙を舞う生物の中なら一・二位を争う程である。
 近接攻撃が専門の剣士は勿論の事、遠距離攻撃を主とする銃士(ガンナー)ですら手を焼く厄介者――それがランゴスタなのだ。それを素手で捕まえるなど前代未聞である。
「イルム君、凄いのにゃ! 今度オイラも挑戦してみるのにゃ!!」
 何故か〈アイルーフェイク〉の瞳の部分が輝いて見えるが、錯覚だと言い聞かせるイルム。彼は苦笑を滲ませつつ周囲に群がる猟人の視線が一変した事に気づいた。先刻までの視線――疎外感を感じさせる余所余所しさが消え、羨望とはいかないまでも“イルム”と言う存在を認めてくれたような、温かさを感じさせる視線になっていた。
 イルムはそれをこそばゆく感じながら、頭を掻いて照れ隠しをする。
「――つまりだ。ランゴスタを素手で捕縛する術を身に付けたら、猟人の繰り出す攻撃を見切れる上に、的確なポイントを衝けるようになる……と。――くはッ、堪(たま)らねェ!! ゾクゾクしてきやがるぜ!!」
 隣でブツブツ呟いていたと思うと突然体を震わせて嬌声を上げ始めるヴァーゼに、違う意味で背筋がゾクゾクするイルム。大丈夫か、この人……とツッコミを入れそうになるが、敢えて口内に押し留めた。
 やがてラオシャンロンの姿が朧気に見え始めた――――

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