文学者の込めた秘密と救えぬクズ


小説を読むとき、どんな作品、ジャンルにもよるけれど特にミステリーとかその作品の書いた作家の意図、気持ちを完全に知り分かってしまうとどれ程の名作であろうと昂りが冷めて萎え、面白味は消えてしまうと思う。

しかし、名作と先程は例えとして出したけれども世論評価をされた世間の名作よりも、自分自身が名作だと感じたものを大切にした方がいいと言わせてもらいたい。
何故ならばどの界隈にも流行りというものはあってそれが冷めきってしまえば、世間の名作は案外埃を被って隅に置かれやすいから。他人に面白いと進められて、それにハマるか否かの問題なのだ。
つまりは存外そういうものだから。世間の流行りよりも自分が本当に面白いと思った。自分自身にとっての名作を大切にした方がいいと思うよと私は言いたい。これも只の一般論処かあたし個人の意見なのだけれど。
流行りの波に乗っかるのも別に悪くはないんだけどね。

始めはマイナーで極一部の人間が細々楽しんでいたものが、何かの影響で世間に広まるのは普通に純粋に喜ぼうじゃないか。同じ話題で盛り上がることが出来る人が増えるという事なのだから。
相手の気持ち主張を否定せずに受け取るのは大切。
だけど過度は気を付けて。
しかし、それでも自分の主張は飲み込まれないようにね。それは誰のものでもなく自分だけのものだから大切にしなきゃ。


さてさて、どこの誰かも分からない私の主張は置いておいて。

場所は沢山の蔵書量があった書庫と思しき場所から一転。パラパラと適当に流し読みしていて初めて気付いたこの本。『日の出(デイ・ブレイク)』へ抱いていたこの疑問と違和感。正体はこれからじっくり見なければ分からない。



そう判断して、ポケットに風詠みの眼鏡が入っているかどうか確認をしてからあの場をダラグニルさんに任せて来て時間は早くも十五分程経った。
腐っても公爵本人が現在進行形で住んでいる屋敷。無駄に上にも下にも広くきらびやかで豪華なレイアウトが成されていてどれもいったい幾ら掛かっているのか。ある程度の検討はつくけれど、それでも興味の対象外であるため詮索も何もしはしないのだけれど。

場所はそんな無駄に小綺麗という言葉ではお世辞にすらならない悪趣味なゴテゴテの場所から一転して地下の下水道。
下水特有の濁った水が流れ、漂うはこれまた特有の臭い。そんな場所で一人本を読む様は浮いているの一言に尽きるだろう。文字を何倍速にも早く読み込むことが出来る風詠みの眼鏡の使用により数時間はかかるであろう本を読破して漸く気付いたこの本の一つの秘密。
それは、何年も何年もたった一人の息子を思って書かれたこれ以上に無い最高の傑作。

そして、それを知り分かってしまったあたしにはこの本を燃やすことが出来なくなってしまったのを意味した。


「ドラグニルさんと合流せねばなりませんが、この独特の下水の臭い…服とかに付いていないですよね」


「ボヨヨヨ…風詠みの眼鏡を持ち歩いておるとは。主も中々の読書家よのう…」
「さぁ言え。何を見つけた?「その本の秘密とは何だ?「ん?」


「痛ぅ…、あ、貴方なんか…アンタなんか、サイテーよ…文学の敵だわ!」


彼の使っている屋敷の床を穴だらけにしているその魔法は、どうもそこまで場所は選ばず、背凭れにしていた壁から細い腕が生えたと思った瞬間遅かった。
両腕共に簡単に捕まれば、体勢と性別の差で振りほどく事が中々叶わない。更に不幸にも先の衝撃で星霊の鍵が束で落としてしまうという不幸。まだ、足を伸ばせば届く距離ではあるものの、それでも手が届かなければ何も意味が無く。
気持ち悪いその顔を少しずつ近づけられるのに抑えきれない鳥肌は隠すこともせず。あたしが彼に向けているこの蔑み侮蔑を込めた眼差しを一切気にしていない様子からずっと鈍い男だという事が分かる。

ここまで恨み辛み敵意殺意を簡単に売る人生を送ってきたくせしてこうも鈍いとよくこれまで生きてこれたなという考えが浮上する。
しかし、それと同時にそれ程のこの趣味の悪い変態親父の持っている権力が強いという事なのだろう忌々しい。
それで人生を失った人はこの世にいったい何人いるのか。


それ程のゲス野郎は愚かにもこの本に隠された秘密が何かの財宝とかそういった物理的な宝と考えるのはこの男に罪の意識が一切存在しないという事。それ程にまで愚かしい人間がこの世に存在しているというのはある意味悲しく哀れな事ではあるもののそこまでの賢人にして聖人のような慈悲も情けも持ち合わせていないのだけれど。
ただただ私が今現状に置いて持っているのは彼への抑えきれない怒りと理性によって今現在は抑えられている殺意のみ。それもいつまで抑えきれるのかは分からないのもまた現状。


「言え!言わんとこの両腕をへし折るぞ!!!」

「っ、…ふふ。お断りします、そもそも貴方如き方が知れるものとでもお思いですか?烏滸がましいにも程がある。恥を知りなさい!!」

「むむむっ!!調子に乗るでないぞ小娘がぁあ!!!その本は吾輩の物だ!!!!吾輩がケム・ザレオンに書かせたんじゃからな!本の秘密だって吾輩のものなのじゃあっ!!!!!ぅおおぉ!!?」

「!?」


ボキッという骨が大きな音をたてて折れる音が下水道に響き渡った。一瞬は私の両腕のどちらかか、若しくはどちらもから聞こえたのだと錯覚した。しかし、音が鳴ってから瞬間を待てども激しい鈍痛、痛みは襲ってこない。神経は何も反応を示さず、脳にいつまでも到達しない。
恐る恐る音のした方を見てみれば…。

公爵の針金のような腕がボッキリと”く”の字に、ハッピーさんによって綺麗に折られてしまっているという現状が視界いっぱいに入ってきた。
死角からの不意の攻撃。
そのために、今まで一切の反応を示していなかった公爵は、自身の腕を折られたことによって思わず取り捕まえていたあたしの腕を離して右手で折れた左腕を思わず抑え込み耳障りな苦悶の声を上げる。
その隙を見てあたしは公爵から離れ、床に落とした星霊の鍵を手に取る。ハッピーさんは公爵の腕を蹴り折った勢いでそのままクルクルと空中で華麗に回転をし見事着地地点は濁った水が溜まり澱み、ゆっくりながらも流れている下水だった。そんな場所にドン引きつつも本人は特に気にした素振りも見せずに水が気持ちいですとのこと。何度も言うようにその水は下水なんですがね…。仕事が終わり帰り次第お風呂に入らせなければ…。

巨蟹(きょかい)宮の扉を開くための鍵を手に取り、公爵に突きつける。


「形勢逆転ですね。この本をあたしに頂けるのであれば見逃す事も検討に入れましょう。複数の暴力によって貴方を痛めつけた上で評議員に渡したいという本音もありますがね」

「ほぉう、星霊魔法か…。だが、文学少女のくせに言葉の使い方を間違えておる。“形勢逆転”とは勢力の優劣状態が逆転することだ」


「猫が一匹増えたくらいで吾輩の魔法土潜(ダイバー)はやぶれんぞ!!」


そう叫ぶや否や公爵は再び穴を空けて、地面に潜りその丸い姿を視界から消し去る。しかし、少々の地響きと揺れが今建っている場所の直ぐ真下から来ていて、思わず後ろに飛び引いてみれば先程潜っていた公爵が折れていない右手に拳を作り、突き出すようにして勢いよく飛び出して来た。
しかし、それも束の間。また潜ってはあたしに攻撃を仕掛けるために飛び出て拳を振るってくる。そこまで早い動きでも無いため今のところは躱し続けている事は可能ではあるけれど、それも一体何時まで続くか。


「この本に書いてありました。内容は公爵が主人公の酷い冒険小説でした」
「なんだそれ!?」

「吾輩が主人公なのは素晴らしい。しかし内容はクソだ。ケム・ザレオンのくせにこんな駄作を描きおって、けしからんわぁっ!!」

「無理矢理書かせたくせに随分と偉そうな物言いですね!」

「偉そう?何を言うとるのか、この小娘は。吾輩は偉いのじゃ!その吾輩の本を書けるなど物凄く光栄な事なのじゃぞ!!」

「脅迫をして書かせたのにですか!!」
「脅、迫?」


「それが何か?書かぬと言う方が悪いに決まっておる!」



あぁ、もう救えない人間、ですね。この公爵は。



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