幼児化した勝己夢主をA組が面倒見る話

*神野編後の謎時空
*交際バレなし
*ご都合個性事故なので深くは考えないでください


「さていきなりだが、標葉が小さくなった」
「いきなりですね!?」
 ハイツアライアンスの1階、共有スペースにクラス全員が集められて、相澤が簡潔に状況説明を行った。脇には、不安そうにきょろきょろ、と視線を彷徨わせる子供がいる。
「インターンの帰りに個性事故に巻き込まれた。一日かそこらで戻るらしいのと、戻ってる間の記憶は残らないらしいからな。お前らも要救助者の子供と接する訓練だと思え」

 その子供は、柱に身体を隠すようにして、じっとこちらを窺っていた。相澤にも心は開いていなさそうだ。
 爆豪が進み出て、その姿を見る。半身は見えていたのがまたほとんど見えないくらいに隠れてしまう。
「おい、センセー、そいついくつなんだよ。個性犯罪に巻き込まれた時期なら、さすがにまずいんじゃないんか」
「3歳程度と考えられている。個性もまだ発現していないみたいだ。だから、まぁちょっと警戒心の強い幼児だな」
 これがちょっと……? とクラスメイト全員が思っただろう。警戒心剥き出しの瞳でこちらを見るその子は、近寄ってくることもなければ言葉を発することもない。ただ、じっと見つめるだけだ。
「ってことで、頼んだ。俺は仕事に戻る。どうしようもなくなったら声をかけろ」
 トイレトレーニングは終わってるらしい、とそこそこ重要な情報を落として、消える。

「めちゃくちゃかわいいけどめちゃくちゃ影のある感じだな標葉……」
 上鳴が独り言のようにこぼしたそれに、声もなく皆同意した。大きな瞳に真っ黒な髪はかわいらしい幼児であるのに、への字に曲げられた口が哀愁を漂わせていた。
 蛙吹が進み出て、湊の目の前でしゃがみ込む。目線を合わせると、湊もじっと蛙吹を見返した。
「こんにちは、湊ちゃん。私、梅雨っていうの。梅雨ちゃんと呼んで。よろしくね」
 その言葉にも、黙って返事はしない。手を差し伸べても、柱の影から出て来ることはない。クラス全員、黙ってその姿を見守る。蛙吹でダメなら、他の人もダメそうだからだ。
「私たちと遊ばない? ソファに座りましょう」
「……」
 まずは柱の影から出そうと、蛙吹がソファを指す。それにも反応はせず、湊はじっと蛙吹を見たままで視線すらそらさない。
「もしかして口きけなかったりする……?」
「耳聞こえないとか……?」
 ヘレン・ケラー? と背後のオーディエンス達が囁くのを八百万が「おやめください」と止める。八百万は、彼女が聞こえない・話せないわけではないとなんとなく気がついていた。

「ソファに行くのは嫌かしら? あぁ、喋らなくても大丈夫よ。首を振ってくれれば、わかるもの」
 蛙吹は優しくそう微笑みかける。困った顔すらしない。その姿になにか感じ取ったのか、湊はまた少し黙ったあとで、コクリ、とうなずいて柱の影から出てきた。

 これ幸いとばかりにソファへ座ってもらって、机には飯田が持っていたオレンジジュースを置いた。それに口をつけることもなく、なんなら話すことすらしない湊に、それでも蛙吹が隣に座って、絶えず話しかけた。
「湊ちゃんは何をするのが好きかしら」
「なんでもいいですわよ。私の個性で、用意できますから」
 近くにいた八百万がそう言うと、湊はそちらを見てから、また蛙吹を見る。眉が下がって、困っているのがよく分かる。どうしたの、と蛙吹が聞くと、もごもご、と口を動かして、意を決したように唇が動く。
「……なんでも?」
「! えぇ! なんでも」
 声を出してくれたことに喜んでも、大げさに反応することはしない。それで怖がってしまうといけない。張り切る八百万のほうを湊はまた見て、蛙吹を見る。
「……おこらない?」
「怒りませんわ、絶対に」
「…………ほん、が、いい。いっぱいあるの……」
 怒らない? と聞いたあとなのに、それを発してから八百万と蛙吹の反応を怯えながら待っている。まるで、怒られるのを怖がっているみたいに。それが分かってしまうから、蛙吹はゆっくり手を伸ばして、湊の頭を優しく撫でた。「本ね。どんなのがいいかしら」と努めて穏やかに声を出しながら。
 はて、いっぱいあるの、とはどういう意味だろうか。本なら八百万や飯田が持っているだろうが、まさか3歳児に適したものはない。絵本なら図書館などにあったりするかもしれない。オーディエンスをしていた生徒たちも、自分の持ち物に本がないか考えるが、あっても文庫本くらいだ。
「絵本……でしょうか?」
「…………おしゃしん、あるやつ……」
「あっ、図鑑とかじゃないかな」
 聞いていた緑谷がそう言うと、びく、と湊は緑谷を警戒して視線を逸らした。蛙吹の手をぎゅっと握る。緑谷はそんなふうに幼児に怯えられたことがなかったので、内心凹んで泣きそうだった。

 八百万が「図鑑でしたら私の部屋にありますわ」と立ち上がって、部屋へ戻る。ものの数分で戻ってきたその手には、分厚い図鑑が握られていた。湊の目の前に置くと、ズン、と大きな音がした。「あの本ワンチャン今の標葉より重そう」と上鳴が引いた反応をした。
「これ……」
「これが気に入ったのね。湊ちゃんには少し難しくないかしら?」
「……おこる?」
「いいえ、怒らないわ。湊ちゃんがそれでいいなら、いいのよ」
 蛙吹と八百万が肯定すると、湊はおずおずと図鑑を開いてそれに没頭し始めた。眺めているだけじゃなくて、どうやら内容まで読んでいるらしい。集中しているのか、何にも反応しなくなった。

 紙面に入り込んでしまった湊の隣から、蛙吹と八百万が離れる。落ち着いたその様子にクラス皆がほっとして、思い思いに動き始めた。小さくなった湊に何かしてあげたいけれど、少し難しそうだったからだ。思い描いていた子供と相違があるというのもある。皆の知っている三歳児といったら、遊び盛りでうるさいものなのに。
「……心配だわ。本を読みたいって言うだけであんなに怒るか心配して怯えているなんて、少し異常だもの」
「あの歳で本を読めるのは、ある程度の教育は受けているように見えますけれど……ちょっと、警戒が強すぎますわね」
 子供の扱いに一家言ある蛙吹や、切島、八百万、緑谷が固まって話している。異常性については皆が感じ取っていることだ。怒る? だなんて、あんな子供に聞かれて、何をされても怒る気になんてなりはしないのに。

 微動だにせず図鑑を読み進めていた湊が顔をあげる。横にいたお茶子が一番に気がついて、湊ちゃん? と声をかける。びく、と肩を震わせたのを見て、お茶子はにっこりと人好きのする笑みを浮かべた。
「湊ちゃん、わからへんところでもあった?」
「……」
「お姉さんたち、これでも頭ええんよ。聞いてみて?」
「……おこらない?」
「怒らへんよ! 大丈夫」
 お茶子の雰囲気にほだされたのか、少しはこの場に慣れたのか、今度はすぐに口を開いた。また怒らないという言葉を噛み砕くみたいに少し黙って、湊は首をかしげながら、少し舌足らずな口調で疑問を口にする。
「ぶらっくほーるにぜんぶがすいこまれちゃうなら、ぎんがもぜんぶすいこまれないの?」
 予想外の質問にお茶子が黙った。近くにいた蛙吹たちも驚いて目を見張る。図鑑のページはちょうど宇宙に関するところで、見ていて疑問に思ったのだろうか。高校生の自分達ですら全くわからないようなことを。

「……おこった?」
「……ううん! ぜーんぜん! でもごめんな、私たちじゃわからんくて……あ、八百万さん分かるやろか」
 お茶子が黙っていたからか、怯えたようにまた怒ったかどうか確認した湊に、お茶子は明るく笑う。八百万が「はい、」と返事をして近づいた。
「ブラックホールについて知りたいんですの? 湊さんは興味の幅が深いんですのね。素晴らしいですわ」
「飯田くんも分かるかもしれへんし近くにいてあげて」
「ウム! 力になれるかもしれないからな!」
 近くにいた飯田が、挙手をしてソファの端へ腰掛ける。八百万が丁寧に、ブラックホールの原理から説明し始めた。
 たった一度の説明で飲み込めてしまった湊は、「ありがとう……」と言ってうなずいた。また図鑑に目線が戻る前に、八百万が「湊さん」と声をかけると、湊は素直に八百万の方を見る。
「湊さん。質問するのも、したいことを言うのも、全く悪いことではありませんわ。ここにいる人、全員誰も怒りません、絶対に」
 湊はただじっと、八百万の目を見ている。逸らしてはいけない気がして、見つめ合う。すこしして、ふいと湊のほうから逸らされた。ありがとう、またそう呟いて、今度こそ図鑑へ視線を戻した。



 夕食時。ランチラッシュ監修の夕食が寮に配られて、配膳をしてから食べるのがいつもの流れだ。湊の分も特に何か考慮されているわけではなく、メニューは一緒だ。ただ、先が丸くなった小さなフォークとスプーンのセットがついていた。
 蛙吹たちで適当な量取り分けて、湊を椅子に座らせてその前に配膳する。湊は不安そうにキョロキョロとして、手を伸ばそうとはしない。蛙吹が隣に座って、椅子をピッタリと近くにつけた。
「湊ちゃん、食べられないものや嫌いなものはあるかしら」
「……」
「大丈夫よ。嫌いなものは食べなくても良いのよ」
「みなと、ぴーまん、や……」
 少しずつ主張をしてくれるようになったその姿に、聞こえていた皆がほわ、と優しい気持ちになった。ピーマン嫌いなんだ、かわいい。そう唇がゆるんでしまう。
「お、湊ちゃんもそうなん? ピーマン俺も好きじゃねーの。お揃いだな!」
 明るく言った上鳴に、湊は視線をやって、「おそろい……」とつぶやく。かわいい。上鳴も思わず、「カーワイー」と笑った。
 幸いにも今日のメニューにピーマンは入っていなかった。小さなスプーンで少しの量を口に運び、もぐもぐと一生懸命咀嚼している。蛙吹が汚れた口許を拭ってあげると、ありがとう、と律儀に礼を言った。
 
 食事も終わって、少し警戒の解けた様子に、男子たちが集まってきた。特にずっと気にしてくれていた、上鳴や切島が近寄る。小さな湊に合わせて、できるだけ身体を折りたたんで目線を合わせた。
「なぁ、湊ちゃん。好きなものは? 好きなものなんかねぇの?」
「…………」
 距離の近い上鳴の質問にも、もう特に怯えることはなかった。ふるふる、と首を振って、ない……とつぶやく。
「じゃあ、好きなヒーローは?」
 切島の問いにも、ふるふる、とまた首が横に振られる。「いない……」と言った湊に、誰もそれ以上聞くことはできなかった。



 小さな湊はぐずりもしなければわがままも言わない、言葉を選ばないのであれば扱いやすい幼児だった。それは心配になる一方で、子供慣れしていない高校生たちにとってある意味では救いだった。わがまま放題で暴れられては、途方に暮れてしまっただろうから。
 ただ、そうは言ってもまだたったの3歳だ。多少ぐずるのは仕方がなく。お風呂も入ってさぁ寝よう、誰と寝ようか、と話しているうちに、「おかあさんは……?」と涙声で聞いてきた。今日ずっと母を見ていないことに、急に不安になったのだろう。
「おかあさん……どこいったの……? おかあさん、みなとすてちゃった?」
 何か言葉をかけようとして近寄ったお茶子が、ぴくりと固まった。すてちゃった? という言葉は、まるで今までずっとそれを恐れてきたような、そんな響きを持っていたから。
「みなと、いいこにするから……もうへんなおはなししないから……すてないで、おかあさん……」
 声も上げない泣き方だった。ぼろぼろ、涙は落ちるし声も涙声なのに、叫びもしなければ嗚咽も上がらない。ただ静かに、全身で悲しみを伝えるみたいにしてまろい頬を涙が伝っていく。
「いらないこでごめんなさい……みなと、きもちわるくてごめんなさい……やだ、おかあさん……」
 とっさに、お茶子が湊を抱きしめる。それでも涙は止まらなくて、ただひたすらに、声も上げずに泣いていた。いらない子なんかじゃないよ、捨ててなんかいないよ。そう言ってあげたいのに、お茶子は声を出すことが出来なかった。だって、湊の行く末を知ってしまっていたから。

 しばらくして、泣き疲れて眠ってしまった湊を取り囲む全員が、まるで葬式のような鎮痛な面持ちでいた。
「俺ナメてた……親戚の子供の相手するぐらいの気持ちだった……」
 切島が、まるで何かを懺悔するみたいに言った。
 悪いことではない。ただ、よくいる子供だと思ってはいけなかったというだけだ。可愛くて幼い、無害な子供。無条件に守られてきた存在。自分がそうだったように、この子がそうではなかったというそれだけ。
 でも、そう割り切って思えたら、きっとこの場に居る誰もが雄英のヒーロー科に入ってヒーローを目指したりはしていない。
 なぁみんな。眠った湊をソファに寝かせたお茶子が、目尻の涙を拭いながら言う。
「朝、ホットケーキ作らへん? 今の湊ちゃん、甘いもの好きやし、この湊ちゃんも好きなんやないかな!」
「そうだよ。私らが落ち込んでもしょうがないじゃん。今できる最大限、湊にやってあげよ!」
 それに同調するように、芦戸が声を上げた。ホットケーキパーティー! という言葉に、女子勢や砂藤、切島や上鳴など、その場にいた男子もいいなそれ、と賛成した。キッチンで材料を探したり、クラスのメッセージグループにその旨を投稿したり。手分けして準備をする中、蛙吹が眠った湊を部屋へと回収していった。



 翌朝。爆豪はホットケーキパーティーの開始時刻、8時よりもはるか前に、共有スペースへ降りた。念の為言っておくと、ホットケーキパーティーに参加するためではない。いつもの生活をしていたらこの時間になるのである。ただ、当然ながら、隠れて付き合っている相手が個性事故に巻き込まれたというので気にしてはいるけれど。
 湊のことは気になるが、クラスメイト達が構っているし問題ないだろう。ホットケーキパーティーなんかに参加するのもだるいし、声をかけられても適当にあしらおう。そう思っていれば、勢ぞろいした女子勢は焦りを顔に貼り付けて、大慌てで騒いでいた。
「湊ちゃんがおらへんの」
「おっきいのに戻ったとかじゃなくて?」
「16歳のほうも見ていませんわ」
 どうやら、湊が消えてしまったらしい。片耳を傾けながら、朝食の準備をする。「個性が発現しちゃったのかも」「暴発してどっか行っちゃったってこと?」その話に、爆豪は思い出す。個性が発言した当初の話しを。気づいたら知らない場所にいた、というようなことを、たしかに言っていた気がする。
「手分けして探しましょう。見つけたらメッセージグループにて連絡を」
 八百万が音頭をとって、捜索する運びになる。寮にいる者はみな探しにいくようで、各自エリアを分けて散り散りになっていく。麗日が「爆豪くんは行かへん? なら湊ちゃんがもし戻ってきたら教えてな!」と言い残して去っていった。

 静まりかえった室内。座っていたソファから立ち上がって、爆豪はエレベーターへと向かう。そして、いままで一度も使ったことのない下のボタンを押す。寮の地下には、機械室があるのだ。生徒には用事のない場所だし、基本的に立ち入らないようにアナウンスされている場所。
 ポーン、という音の後に、ドアが開いて真っ暗な空間が開ける。ぱち、とスイッチを押して電気を点けた。暗闇が照らし出されて、機材やら何やらが並んでいるのが見えた。
 根拠はないが、湊の話を聞いた記憶から、個性の暴走=不随意での発動であって、個性上限が取っ払われたわけじゃないんじゃないかと推測をしていた。湊の個性上限は入学時点で20メートル。つまり、個性が暴発してしまっても、意味のわからないところには飛ばない。せいぜい、半径20メートル以内のどこかにいるのではないか。共有スペースのどこかににいなければ各個人の部屋、または空き部屋を探す必要がある。それには人の手が必要だが、まずは爆豪一人で探せる場所から探すべきだ。
 真っ暗闇から電気がついたら流石になにか、声を上げるんじゃなかろうかと思いながら、少々無機質で肌寒い室内を歩く。子供が入れそうな細い隙間も見ていく。あの子供が型にはまった動きをするかわからないから、声を上げないからいないとは言い切れなかった。
 そしてやっぱり、怯えた表情で声もあげず、震えながら機器の隙間に蹲る湊を見つけて、読めないなぁと思うのだ。
「湊」
 びく、と震えたのを見ないふりして、膝をついて右手を伸ばす。こちらから触れることはしない。この姿になってからは一度も触れ合ったことはないので、怯えられるのは当然だ。
「もう大丈夫だ。こっち来い」
 でも、爆豪は今の湊に一番近い場所にいる。少しは扱いがわかると思うのは、自惚れではないだろう。今と同じ澄んだ色の瞳が爆豪を見据えている。絶対にこちらからはそらさない。まるで野生動物の取り扱い方のようだが、目をじっと合わせる癖は今と変わっていなかった。
「一人でじっとして偉かったな。怖かったろ」
 噛み砕きやすいようにゆっくり、努めて優しく話す。決して声を荒らげない。こちらから手は差し伸べるが、手を取るよう促すこともしない。安心できると知れば湊の方から寄ってくるはずだ。
 爆豪の思ったとおり、しばらくの見つめ合いののちに湊は立ち上がって、爆豪の手に触れた。おそるおそる、指を握ってくる。
「……みなと、えらい?」
「おー、偉い」
 えらい……そう噛み締めている小さな頭に手を置いて、ぽんぽん、と撫でる。その感覚に目を見開いて、ぽかんと空いた口にふっと笑ってやった。
「戻んぞ。歩けるか」
「……うん、あるける」
 うなずいたのを見て歩き出す。しかし、爆豪の目線から外れるほどに後ろをついてくるから危なかしくてしかたない。もういいか、と思って、しゃがんで目線を合わせた。片手を伸ばして、膝を地面につける。
「来い」
「こい……?」
「こっち来い、運んだる」
 こてん、と首を傾げて、何を言われているかわからない様子だ。それでも爆豪のことは信頼してくれたようで、わからないなりに従って近くへと寄ってくる。その身体を抱き寄せて、持ち上げる。
「わっ」
「軽ィ……ちゃんとメシ食っとんか」
「めし……くっとんか……」
 わからない言葉を何も考えず反復するのは癖なのだろうか。間抜けっぽい、と思ってしまって口角が緩んだ。またポンポン、と頭を叩く。湊は離れていくその手を、目線で追いかけていた。
「好きか、これ」
「…………て、おおきい……あったかいの」
 爆豪くんの手、安心する。そう言っていた湊が思い出された。
 この先、湊は辛い経験をたくさんする。人格形成においてそれらが影響を及ぼしていないはずもないし、あの出来事がなければ湊の性格は間違いなく異なったものとなっただろう。しかし、好きなものは変わらないし、挙動も面影がある。やはり、この湊と今の湊は地続きなのだと思えた。
「そうかよ」
 安心感があるかと思って、片手だったのを抱え直して両手に変える。スタスタと歩いてエレベーターに乗って、一階のボタンを押した。密室にふたりきり、きっとまだ共有スペースにも誰も戻っていないだろう。メッセージ入れるかどうするか、と思っていれば、湊がくいくい、と爆豪の服を引っ張った。
「あ?」
「どうして……ここにいるって」
 分かったの、とまでは続かなかったが、何を言いたいのかは分かった。持ち上げているおかげで、目線が近い。控えめに握られた服を離させることもなく、じっと目を見返した。
「俺は、お前のことならなんでも分かる」
「……? そういうこせい……?」
「ちげぇよ」
 ポーン、と音が鳴って、エレベーターのドアが開く。やはりまだ共有スペースには誰も戻っていなかった。そのままソファに戻って、座る。膝の上に乗せたままにした湊は、爆豪の言ったことを理解しようとしているのかその姿勢にも何も言わずにじっと目線を固定させて宙を見ていた。
「湊。俺は、お前のことが大事なんだわ。だから、何でもわかりてェし、わかんだ」
「だ、いじ……」
「そう、大事。わかるか」
 わかんない……。そう呟いて、大事、という言葉自体初めて聞いた単語のように噛み締めている。昨日からの態度で嫌というほど理解できた。湊は、少なくとも両親から大事にされていないし、目に見えて愛されてもいない。たった一日だけの状況で断ずるのは難しいにしても、ネグレクトや虐待を受けている可能性も高そうだ。
 相澤の話を思い出す。これは記憶と肉体の逆光であり、この湊に何かをしたって湊は覚えていないし、当然今の湊に影響もない。でも、それでも自然と口が動いた。
「じゃあ覚えとけ。俺がお前を大事にしてること、なんでも分かること」
 その、大人にすら疎まれる優秀な頭脳で、覚えていればいいのに。辛いことがあったとしても、何かの支えになればいいのに。そう思って、また頭へ手を置いて毛流れに沿って撫ぜる。湊は目線を落として、もごもご、と唇を動かした。
「……わかった。おぼえてる」
 こくん、と頷いた姿に、いい子、と頭を撫で続けた。唇をむぐむぐ、と動かしている湊はそうしてもらうのが好きなのだろう。ただその気持ちが何かわからないのだ。だから求めることもできないし、嬉しいと思うことすらない。仕方がないから嫌がられるまでそうしてやるか、とゆっくり頭を撫で続けた。

 しばらくそうしていたら、ポン! とコミカルな音がして、膝の重みが増した。はっと手を引っ込めると、ぽかん、と間抜けな顔をした湊が膝にまたがっていて、至近距離で見つめ合ってしまった。
「!?!? ど、ど、どういう状況……!?」
「……おけーり」
「な、え、なんで爆豪くんは動じてないの!?」
 大慌ての湊になんと説明したものかと黙っていれば、ぱっ、とテレポートをして、距離を取られる。なんとなく気に入らない。確かに目が冷めた瞬間膝の上にいるのは驚くだろうが、わざわざ個性を使って距離を取ることもないだろう。大抵いつも状況把握を即時に行ってしまう湊がわけも分からず慌てているのは見ものだけれども。

「あー! 湊!」
 逃げんなや、と言いかけた爆豪よりも早く、芦戸の大きな声が共有スペースに響いた。はっと二人で視線を逸らす。不自然な動作だったが、見咎められることはなかった。芦戸のほかにも、麗日、蛙吹が揃って戻ってきた。
「寮戻ってたのかぁ」
「無事でよかったわ。もとに戻ったのね」
「爆豪くん! 戻ってきたらメッセージちょうだいって私言ったよな!?」
 知るかよ、と吐き捨てて麗日の追求を避けた。湊は何がなんだか理解が追いつかないようで、右に左にと忙しく目線をやって、頭上にはてなマークを浮かべている。
「皆どうしたの……? 何があったの?」
 女子三人は揃って目を見合わせた。湊はどうも、個性事故にあったことすら頭から抜け落ちているようだ。もし自分が子供の姿になっていたと知ったら、余計な気を使ってしまうだろう。そう思ったのか、三人ともにっこりと笑って、首を横に振った。
「何でもあらへんよ!」
「それより湊、今日は朝、ホットケーキパーティーだからね!」
「ホットケーキパーティー?」
 ホットケーキ焼いて、好きにトッピングして食べるパーティーよ。そう言って蛙吹が湊の手を引いて、キッチンへと連れていく。わざわざホットプレートまで用意したようで、テーブルの上に鎮座していた。いつの間にか戻ってきた捜索チームと、時間になって集まってきた参加者たちで共有スペースが賑やかになっていく。爆豪も切島や上鳴に捕まって、「お前も参加してけ! な!」と、その場に留められたのは誤算だったが。

 「私、ホットケーキって初めて食べる」と嬉しそうにするその笑顔が、小さな頃には見られなかったものだったから。爆豪は仕方なく、黙って好きでもないホットケーキを頬張った。




あとがき(読まなくてもいいです)
 リクエストありがとうございました。
 幼児化……!!!!! と頭を悩ませました。この子過去が暗すぎるので、やばい幼児が誕生してしまうのでは……と。何とか3歳でどうにか。それでも暗くなってすみません。
 リクエストはクラスのほのぼのなのかなと読み取ったのですが、こんなに扱い辛い子だと、いくらA組とはいえ対応出来る子限られるのでは……と思って多くは出せませんでした。申し訳ないです。
 ところで私は赤子が好きでして、赤ちゃんの動画とかよく見てます。ぷにぷにの腕とかほっぺとか、あそこからしか吸えない栄養素ありますよね。勝己視点の時に私の自我が出ないように気をつけました。腕吸いたがってる勝己やばいなと思って……
 繰り返しになりますが、リクエストありがとうございました! お気に召していただけたら幸いです。




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