2 めずらしいだけだよ
ヒーロー科といったって、日本の高等教育機関である。すなわち当然のように、中学校にあったような通常科目が授業の半分以上を占める。入学翌日から、ハイレベルな授業が始まった。
プロヒーローは高卒が多いのだが(有名ヒーロー科は高校に多いので)、彼らはどこで教員免許を得たのだろうか。もしかしたら、ヒーロー科の教師は通常の教員免許の取得過程とは違うのかもしれない、そんなことを考えながら授業を受けた。座学はもともと得意であるが、予習・復習も怠らない。ただでさえ、これからの実技に不安がいっぱいなのだ。座学まで足を引っ張ってしまったら、これから先学校にいられる気がしなかった。
「わーたーしーがー!! 普通にドアから来た!!」
バァン、と大きな音を立てて開いた扉に思わず身体をすくませた。現れたのはオールマイトで、クラスメイトは皆嬉しそうなざわめきを上げる。さすが、現役ナンバーワンヒーローだ。
「ヒーロー基礎学! ヒーローの素地をつくる為様々な訓練を行う科目だ! 単位数も最も多いぞ! 早速だが今日はコレ! 戦闘訓練!」
Battle と書かれた小さなプラカードを掲げたオールマイトがそう言うと、またクラスが盛り上がる。湊はそれに、心配と恐怖で重くなる足を叱咤しながら、必死についていった。
ヒーローは皆、特徴的なコスチュームに身を包んで活動する。それは見た目をアイコニックにすることで敵へプレッシャーを与えたり、大衆に覚えられることで支持率をあげたりするわけだ。当然機能性も高く作られる。個性によっては通常の衣服・装備では活動に支障が出る場合もある。
ヒーローの卵たるヒーロー科生徒も当然、自分に合ったコスチュームを申請し、それで活動の練習をする。プロになるまでに必要なステップだ。
しかしまぁ、数日前まで中学生だった者に、急にコスチュームを考えろと言ったって、大した案など出るわけない。湊だって難しい。だから、取り急ぎ一番慣れ親しんだ「制服」から改良・要件を追加して想像してみた。スカートの下にショートパンツ、上にはオーバーサイズ気味のパーカーを着る。個性の特性上、装備品は軽く、動きを制限しなければ問題はない。そして七割ほど個人的な理由から、透明ゴーグルとマスクを着用して顔面を隠す、というものだった。
いざ、受け取ったアタッシュケースを更衣室で開いてみる。表面は真っ黒、裏地やパイピングに水色が使われた生地で、チャックを上げるとマスクがわりに口元まで隠してくれるインナーと、その上から羽織るパーカー。グレーのチェックのスカートはそのままどこかの制服を持ってきたのかというくらいのプリーツスカートだ。靴下とスニーカーを履いて、仕上げにパーカーのフードと、ゴーグルをする。ぴょんぴょん、と飛び跳ねてみてもすぐに脱げる気配はない。
「湊ちゃん、顔全然見えへんやん!」
「あはは……顔出ししたくないの」
「そういう指向性のヒーローもいますものね」
各々コスチュームに着替えていたお茶子と八百万にそう言われ、もごもごとごまかす。口元まで布がある分、少し話しにくさは感じたが、別にいいかと思い直した。
更衣室内を見渡す。ヒーローコスチュームは大別すると、ヒーロー的ジャンプスーツのようなものと洋服的な見た目のコスチュームがあるが、A組はヒーロースーツのほうが多かった。
思ったよりはずかしいなぁ、なんて言っている彼女らを横目に、ロッカーを閉める。更衣室にあふれる期待の空気に、少し場違いな感じがして早く出たかったのだ。
「格好から入るってのも大事なことだぜ、少年少女! 自覚するのだ! 今日から自分は……ヒーローなんだと!」
訓練場に着くと、すでに着替えた男子たちも集まっていた。一部フルフェイスでわからないが、消去法で考えればなんとなく予測はできる。男子とはまだ、それほど親しいわけではないので難しいところもあるが。
「先生! ここは入試の演練場ですが、また市街地演習を行うのでしょうか!?」
そう問いかけたフルフェイスマスクが、エンジン個性のど真面目くんだとわかった。名前は飯田くんだ、入学初日に教室全員に挨拶していたのを覚えていた。担当教師のオールマイトがその言葉に「いいや!」と元気よく否定する。
「屋内での対人戦闘訓練さ!!」
設定は以下だ。
二人組、ないしは三人組で、「敵」役と「ヒーロー」役に分かれて屋内戦を行う。敵はアジトに核兵器を隠しており、ヒーローはその処理・制圧を試みている。
コンビと対戦相手はくじだ。湊の引いたくじには、Hと書かれていた。
「湊ちゃん、H? 私もなのよ」
「梅雨ちゃん、よかった。知ってる人で……」
女子メンバーとは初日に全員と自己紹介しあい、名前と顔が一致している。記憶力にはそこそこ自信があるが、男子の話したことがない人は顔すらぼんやりしているのでたぶんわからない。
「俺もHチームだ」
「常闇ちゃん。よろしくね」
梅雨ちゃんが呼んでくれたので、黒い鳥のようなその人が「トコヤミ」くんだとわかる。標葉です、よろしくお願いします、と小さく言えば、彼も名前を名乗ってくれた。常闇踏影くん。
初戦は爆豪・飯田vs緑谷・麗日。例の如く男子の名前は知らなかったので、覚えなくては、と心に留める。名前は知らなかったけれど、なにかと目立つ人たちだったので、すぐに覚えられそうだ。
皆が唖然としてしまうほどの死闘が繰り広げられて、モニタールームに緊張感が走る。こんな、まさか初日の訓練から殺し合いみたいなことになるとは微塵も思っていなかったのだ。当然と言えば当然だが。
モニタールームに音声は届かないようになっているが、爆豪くんが怒鳴り、激昂しているのは伝わってくる。それを緑谷くんは個性を使わずしていなし、怒鳴り返す。怒鳴り声が苦手な湊にとっては、遠慮したいシチュエーションであった。
繰り返し放たれる、派手な威力の爆発。手のひらから出ているように見え、それ以外から爆破することはないのでおそらくそういう個性なのだろう。手のひらから爆発を起こす、もしくはそれに準ずるような。
戦闘センスも抜群にあるようだ。高校に上がったばかりの子供が嗜む選択肢としてはなにかの武道かヤンチャした喧嘩術くらいしかないものだが、彼の動きはもう熟練されたもののようで、センスの他に言いようがない。
目の前の映像から汲み取れることは、出来るだけ分析して頭に入れる。爆豪という男は、数日しか関わっていない中でも言葉遣いは荒く態度は悪いイメージであったが、それが一変する。すごい人だ。あの態度は自信と実力と自己肯定に裏打ちされたものであったのだと、分かってしまう。
その爆豪を個性なしでいなす緑谷はまるで爆豪の動きを知っているようだった。そういう個性なのかと思うほど、次の一手を読んでいる。しかし、個性把握テストにて彼はハンドボールを指一本でぶっ飛ばすことをしてのけたので、分析系個性ではないとわかっていた。
のちに二人が幼馴染であると知り、あの緑谷の予測は経験によるものだとわかるが、それはさておき。入学間もない対人戦闘訓練にて死闘を繰り広げた二人を見て、湊は挫けそうになる心を叱咤した。
結局、訓練は爆豪・飯田チームの敗北に終わった。しかし、勝利チームの緑谷・麗日は両者とも満身創痍で、オールマイトの選出するMVPも飯田という、なんともちぐはぐな結果となった。
その後の第二戦は、ヒーローBチームvsヴィランIチームだった。Bチームは半分髪の男の子と、多腕の男の子。Iチームは透ちゃんと、尻尾が生えた男の子だ。
個性はおそらく……と考えるまでもなく、実習は一瞬で終わった。半分髪の男の子が、ビル丸ごと凍らせてヴィランチームを無力化したからだ。
そしてその後、第三戦。Hチームの名が呼ばれ、モニタールームから演練場へと移動する。
「さて、5分後にスタートするぜ! 準備しておけよ、両チーム!」
ビルの前に立つと、耳元のインカムからオールマイトの声が聞こえた。作戦を立てよう。だれともなく、そう言う話になる。訓練でも手を抜かない、負けたくないと思っているのが伝わってきて、気が引き締まった。
「このビル……20メートル、横10メートル、奥行きが15メートル……」
「どうしたの、湊ちゃん」
ビルを目の前にしてブツブツと呟き始めた湊に、蛙吹が声をかける。湊はぱちぱち、と瞬きをいくつかして、蛙吹へと向き直る。
「あの、私が作戦を立ててもいいかな」
「いいけれど、策があるの?」
「得意なのか、そういうのが」
そう問いかける常闇に、頷くのは憚られた。当然ながら、経験があるわけではないのだ。本音を言うと、頭脳労働以外で役に立てるか不安だったのもある。ただ、自分の個性の活かし方は自分が一番よくわかっている。勝率を高める作戦を立てられる自信もあった。
「あ、いや。そういうわけでもないんだけど……この状況なら、最適解かなって」
「聞きたいわ、湊ちゃん」
優しくそう言ってくれる蛙吹に、頷いて、あのね、と話し始める。緊張でかすかに震える指先は、長いフードの袖口に隠した。
屋内対人戦闘訓練、スタート! その言葉が無線へ入ってくる。それを聞いて、二人と目線を合わせた。
「いくよ、梅雨ちゃん」
頷いた蛙吹の肩に触れる。その瞬間、モニタールームで観戦していた全員の目から、蛙吹の姿が消えた。
「なんだあれ!?」
「えっ今、消えっ!?」
モニタールームの声は聞こえないが、動揺されているだろう。今まで見せたことはないのだ。別に隠していたわけではないけれど。
作戦は、単純なものだ。梅雨ちゃんをビルの最上階の壁へと飛ばす。彼女は個性で壁へ張り付くことができる。そうしてビルの外から中を窺い、核の場所を教えてもらう。場所さえわかれば、同じ要領でその場に常闇くんを飛ばせる。
ぺたぺたと壁を這ったあと、梅雨ちゃんの指が数字を表す。あらかじめ決めていたコードで距離を教えてくれたのだ。こくり、と頷きを返して、「常闇くん、いくよ」と、頷きを待って建物内へ飛ばした。数秒待って、足元にあった石を窓ガラスの中心へとテレポートさせ窓を破り、梅雨ちゃんの侵入経路を確保する。
二人を送り出せば、あとは信じて待つのがよいかと思っていた。だが、このまま何もしなくてもよいのだろうか。一応建物の中へ向かうべきか。行ったところで何ができるかと言われれば、わからないがーー
「ヒーローチーム、Wiiiiiiiiiiiin!!!!」
戻っておいで、両チーム! そう無線から聞こえてきて、ほっと息をついた。あれが破られたら、予測されていたら、今のところ打つ手なしだった。それに、湊がビルの外で棒立ちになっている状況では、せっかくあった数の利も手放していた。今回は勝利できたが、最善の策ではなかったかもしれない。そんなふうにグルグルと反省が頭を巡る。
「素晴らしかったわ、湊ちゃん」
「まさか、上から常闇降ってくるなんて思わねーだろ!」
モニタールームへ戻る途中、敵役であった赤髪の、切島くんがそう言う。初見殺しの技だとは思っていたし、個性が知られていないアドバンテージを最大限に生かした策だ。
「ごめんね」
「いや、そういう訓練だろ! すごかったぜ、えーっと、標葉!」
素直に褒められて、ありがとう、と返す。彼はとっても真っ直ぐで良い人だと思った。
「おかえり、少年少女! 講評の時間だ!」
モニタールームに戻るや否や、オールマイトがそう告げる。参加していた生徒はその正面に並び立つ。
「冷静な作戦、役割分担! ヒーローチームの圧勝だ。作戦を立てたのは標葉少女かな?」
「あ、はい……互いの個性はまだ、知られていないと思ったんです。だから、意表を突くことができるかなと」
「うむ、すばらしい判断力! それに、個性コントロールがずば抜けてるね。あんなに誤差なくよく飛ばせるものだ。しかも、見えていない場所にも!」
そう言われ、はい、としか返せなかった。No. 1ヒーローにそう言われているのだから素直に喜ぶべきなのだろうが、そうはできなかった。だって、冷静な時に、危機を感じていない時に、狙った座標へ飛ばせるのは、当たり前のことでしかないのだ。
少し気を落としていれば、気づけば講評は終わり、トントン拍子に残りの演習も終わってしまっていた。興奮冷めやらぬ様子で、更衣室へと先を急く皆にも置いていかれてしまっていた。なんだか、ぼーっとしてしまっていけなかった。もう授業は終わり、家へ帰るだけなので支障はないが、この調子では先が思いやられるばかりだ。
「オイ」
あまり聞きなれない声に、しかし少し気になってそちらに目線を向ける。そこにいたのは明らかに強そうな顔の、爆発を個性とする同級生だった。爆豪くん。しかも、どうやら今の声は湊に向けられたもののようで、えっ、と驚きに立ち止まってしまう。
「オメー、なんでそんな弱っちい面しとんだ」
「えっと……? どういう、こと……」
ゴーグルを外してフードを下げているので、面、というのは顔のことだろう。たしかに急に話しかけられてびっくりしてしまって、怯えたように見えるだろうが、そういうことだろうか、と考えていれば、「あ?」と追い討ちをかけるようにまた爆豪は威嚇をする。びくり、と肩が震えて一歩後ろに下がる。しかし、思っていたほど怒鳴られないな、と思い直す。
どうしてだかわからないが、彼はいつもより怒っていない様子だった。先ほどのように怒鳴り散らしていなかった。ただひたすら疑問に思っているような、本当に湊に対して疑問を投げかけているようなその姿に、恐怖と不安で凝り固まった心が少し落ち着いた。怒る人と対峙するのは少々苦手で、怒っているとそれだけで萎縮してしまう。
「そんな強個性持ってて、なんでそんな小動物みてーに振る舞っとんだっつっとんだ」
真っ直ぐな言葉。理解できないはずもないが、即答はできなかった。感情がすっと冷えるのがわかる。無意識に、ふぅ、と息をついてしまうと、爆豪はそれをため息と受け取ったのか、あ゙? と喧嘩腰になるのがわかったが、それに構っている心の余裕は正直なかった。
「強個性……かな、そうかな」
「はぁ?」
言葉を選ばなければ。そう思うけれど、否定の言葉しか出てこない。そんなんじゃない。この力は便利でも、強者でも、ない。
「めずらしいけど……めずらしいだけだよ、こんなの」
彼の言葉を待たずに、ふらり、とその場を立ち去る。どくどく、と心臓が高鳴っている。緊張、怯え。爆豪くんのせいではなくて、向けられた感想にだ。
強個性なんかじゃない。そんなんではないのだ、この個性は。そんなことは、誰よりも自分がよくわかっていた。