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22 舌を噛みました




 機械音があまりしない静かな車内で、エンデヴァーは「貴様らには早く力をつけてもらう」と三人に話していた。今後は週に2回ほど公欠で、インターンをしていくのだという。
「お前ん所もそうか?」
「うーん……わからないな。ホークスに確認しないと」
「期末の予習もやらなきゃ……轟くん、英語今度教えて」
 実際のところ、ホークスはこれから相当忙しくなるのだから、ホークスの都合ではなくホークス事務所の都合になるだろうと湊は考えていた。この一週間、たくさん得るものがあったので、それでも不満には思わないけれど。

 ん? と誰かが声を発した。三列シートの最後尾に座っていた湊は何かを視認するよりも前に、開いていた窓から聞こえた狂気的な声で以上を察知する。
「良い家に住んでるな、エンデヴァー!!」
「夏兄!!」
 二列目に座っていた轟が身を乗り出して叫ぶ。言われて初めて、夏雄が白線に捕らえられていることが認識できた。
「頭気ぃつけろ、ジャリンコ!!!!」
 運転手さんがそう言うや否や、車道上にいた男を避けるためにハンドルを急に切る。横滑りする社内で、湊はガラス窓に頭をしたたかに打ち付けた。
「いっっっ!!」
 車が止まるや否やエンデヴァーが助手席から飛び出す。湊以外の三人もその衝撃に怯んでいれば、敵の個性であろう白線が伸びてきて、車のドアや窓が覆われる。
「チッ!! ンだこれ、出れねぇ……!」
 ガチャガチャ、焦りからシートベルトを外すだけでも手間取りつつ、じんじんと痛む頭を切り替える。何をすべきか、自分にできることは。
「いまから三人とも外に出すよ。サポートアイテムもテレポートさせるから、何が必要か言って!」
 車なんて、数センチの鉄の板だ。こんなものでインターン生を足止めしているつもりならばめでたいものだ。言い終わるか終わらないかのうちに、とりあえず横にいた爆豪と、目の前の轟、次いで緑谷をテレポートで外に出す。運転手にトランクを開けてもらって、自身と運転手もテレポートで外に。常にないほど乱雑にコスチュームトランクを開ける。
 テレポート直前に告げられた、籠手、背中のやつ、グローブ、をそれぞれの手にとれる場所へ飛ばす。自分も手袋をして敵へと向き直る。どくどく、耳元で鼓動がうるさい。今、自分ができる範囲でなにをすべきか、考えろ、判断しろ! 焦りと努めて冷静になろうとする思いで、過去かつてないほどに頭が高速で働く。

 不思議な感覚だった。自分を置いて、世界がそのスピードを緩めたみたいに、すべてがスローモーションに見える。そんな驚きに気を取られている暇もなく、目の前の状況を理解することに専念した。轟が敵を攻撃しようとしていて、爆豪が車に轢かれそうな夏雄を救い出し、敵に操られた白線によって空中に放り出された車を緑谷が黒鞭で落ちないよう捕らえ、安全に地面に下ろせている。あれらは、彼らに任せていれば大丈夫。ではどこか、なにか、湊の手が必要な場所がないか。できることは、しなければならないことは……ものすごいスピードで頭が働く。そして、視界の端で、恐怖に怯えて立ちすくむ女性が、パニックになって暴走した車に突っ込まれそうになっていることに気がついた。
 ぱっ、ぱっ、と二度テレポートをする。車の速度、位置関係、そこから導かれる猶予時間。気がつくのが遅かったからかなりぎりぎり、間に合うか賭けだとすら思ったのに、世界のスピードがいつもよりも遅くて、拍子抜けするほど素早く離脱できてしまう。いつものように地上から十数センチの位置に現れて、地面に足がつく感覚がするまですらも、じれったいほどに遅い。

 何だろう、これは。思考のスピードだけが世界を置き去りにしているみたいな。助け出した女性に声をかけてあげたいのに、振り向くことも、口が開く速度すらも待っていられないほどに遅い。自分の身体が、自分のものではなくなってしまったような感覚に、ぞ、っと恐怖を覚えた刹那、びりり、となにか電流のようなものが脳に走った。
「※△%」
「えっ」
 自分の口から出た言葉とは思えないほどに意味不明な言葉が発された上に舌を強かに噛み、「ンンッッ」と言葉にならない悲鳴が漏れた。女性は「えっ、え?」と困惑しているし、湊は個性を過剰使用しすぎて鼻血が出る寸前のような頭痛を今更ながら感じて、困惑に固まる。そんなに使っていないのに、というかあれ、もとに戻っている。おかしなほどスローモーションな世界も、言うことを聞かない身体もない。残されたのは、反動の頭痛だけだ。
「す、みません。大丈夫ですか、痛いところは、ありますか」
「私は、大丈夫……あなたが助けてくれたのね? ありがとう……」
 いいえ、と返しつつ、口の中の血生ぐささを飲み下す。どれだけひどく舌を噛んだのだか、それなりに血が出ている気がする。頭が痛すぎて舌の痛みまで認識できない。
 ぺこぺこ、と礼を言って立ち去る女性を見送って、車の影でガードレールに手をついた。頭が割れそうだ。いつも通りなら、個性を使わなければ次第におさまるので、ただ安静に努める。

「何だっけなァNo.1!! 『この冬』!? 『一回でも』!? 『俺より速く』!? 敵を退治してみせろ!?」
「ああ……!! 見事だった……!! 俺のミスを、最速で、カバーしてくれた……!」
 声が震えていて、エンデヴァーの感情の揺れが伺えた。「燈矢も……俺が殺したも同然だ……!」そうやって夏雄に、懺悔のような気持ちを吐き出す姿はおよそナンバーワンではない。ただの、一人の人間のように見えた。
 俺を許さなくていい。許してほしいんじゃない。償いたいんだ。そう言ったエンデヴァーを、夏雄は泣きながら責めた。それにも何も言い訳すらしないエンデヴァーを見て、「あああああああ!!!! やめろォオオオオ!! エンデヴァアアア!!!」と、轟に捕らえられた敵がなにか叫んでいる。得体がしれなくて怖かった。

 ウゥーー、という音が遠くからこだましている。警察が来てくれたらよっぽど大丈夫だろう。そろそろ血を飲み下すとあまりの生臭さに吐き気がしてきていて、というかこれは血が止まっていないので止血したい。頭痛が少しだけ収まったのを見計らって車の影からふらふらと出て一番近い緑谷に近寄っていけば、あ、標葉さん、と緑谷が声をかける。ガーゼか、この際ティッシュでもいいから持っていないかと聞こうとして口を開いてしまえば、どうなるかなんて火を見るよりもあきらかだった。
「ごぱ」
「ええぇぇ!?!? どう、えっ!?」
「おいうっせ……ハァア!? どしたァ!?」
 ギャグみたいに口から血をぼたぼた吐いた湊に、二人が目を白黒して近寄ってきた。
「ひたを噛みまひた」
「びっっっっくりした……いや、止血!」
「クソデク、ガーゼもってこい! ったくテメーは、ンでそうも想像できねぇとこで怪我できンだ……!!」
 爆豪の手が口を開けたまま湊の顎を押さえて、患部を探るように街頭を頼りに覗き込んでいる。ごめんなさい、と言いかけて、動かすな! と怒られる。もう言われるがままになるしかない。
 テンパって何枚もガーゼを持ってきた緑谷から一枚をひったくって、爆豪の指でガーゼが舌に押し当てられる。「痛ぇか」との問いには、首を横に振って答えた。痛いけれど、頭のほうがまだ痛い。
「痛くないわけないよね!?」
「うっせぇわクソデク!! テメーはサボってねェで事後処理してこいや!!」
 緑谷の手からもう数枚ガーゼをひったくって、足蹴にする爆豪は相変わらず遠慮がない。湊も自分で何がどうしてこうなったのかよくわからなかったものだから、恥ずかしさと痛みに耐えるしかなかった。口を開いたままで斜め上を向いて、ただ大人しく立っている湊の顎にしたたる血や喉元の汚れを自身のハンカチで拭う爆豪に抵抗しようとしたところで、「動くなっつったろ!」と怒られるし、ごめんなさい、と言おうとしたところで「喋んな!」と怒られてすべてを諦めた。
「湊テメーこれ、偶然噛んだわけじゃねェな……?」
 えっ。舌を出しているせいでほとんど「お」と「う」と区別がつかなくなっている音が喉から漏れた。それがほとんど「正解です」と言ってしまっているのと同じで、爆豪の瞳が釣り上がる。あれっ、なんで怒られてるんだっけ。
「顔が青いンだわ! 今度は何無茶しやがった!」
「おい、何騒いで……爆豪お前、標葉のこといじめてやるなよ」
「どォォォこがいじめとんじゃ!!!!!」




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