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19 思えてるから、それでいいの



 
 起きてしまったとんでも勘違いを正せるのは、この場で湊しかいない。その事実に胃が痛くなりながら、湊は軽く頭を抱えた。
「まず、私はエンデヴァーさんに怒られてないよ」
「アァ? じゃあンで一人で呼び出されとんだ」
「それは……ともかく。あの、エンデヴァーさん。三人が言っているのは、私があの護衛任務のあった日の深夜、その……悪夢を見て、怖くなってしまって、勝己く……ば、爆豪くんのお部屋に行ったことで……今回の件とは無関係です……」
「……それは、なんとなくわかったが。…………貴様、バクゴーと……」
「こいつら付き合ってんだ。めちゃくちゃ仲良しなんだ」
「轟くんちょっと静かにしてようか!?」
 何この辱め。湊はつい遠い目をしてしまう。両者の事情を知っているのが湊しかいなくて、自身の失態の説明をさせられている状態。もうテレポートして逃げてしまおうかという悪魔のささやきを聞かなフリして、エンデヴァーの視線から目をそらした。爆豪との関係を恥ずかしいと思っているわけではもちろんないが、私たち付き合っています、と大声で言うのも違う。あと轟くんは黙っていてほしい、切実に。
「何か文句あンか」
「いや、ない」
「じゃ問題ねェだろが」
「かっちゃんもなんで喧嘩腰なの!?」
 ツッコミは緑谷にお任せして、やっぱり逃げてしまおうかな。そう思っていれば、爆豪が「オイ」と苛立ち混じりでエンデヴァーに突っかかる。
「その件じゃねェっつーんなら、ンでこいつだけが呼び出されとんだ」
 う。とっさにエンデヴァーと湊は視線を交わしてしまって、何か特別なことがありましたよと白状してしまう形になる。もうこれは隠しようがないと、諦めて湊は口を開いた。
「……時数さんの弁護士さんが、私に会いたいって言ってるんだって」
「えっ」
「は?」
「ハァ?」
 べべべベ弁護士!? どもった緑谷に、呆気に取られた轟、眉を寄せた爆豪。三者三様のリアクションを眺めて、少しだけ安心して息を吐いた。
「よかった、三人には何か、私が弁護士に呼ばれるようなことの心当たりがあるのかと思って焦った……」
「ねーだろ普通」
「でも何かあるからこんなことになってんだよな」
「え、標葉さん、会うってひとりで……?」
 こくり、と湊が頷く前に、エンデヴァーがそれを遮った。
「俺も立ち会うつもりだ」
「え、お忙しいのに、いいんですか?」
「インターン中は俺が監督者だ。どんな話になるかわからんが、貴様ひとりでさせるわけにはいかん」
 そう言われればたしかに納得できる話だったので、湊も礼を言って頷いた。事情を知っていてくれる大人がいるだけでも、ありがたい。心強い気持ちになれた。
 
「つか、それってこっちも弁護士とかつけたほうがいいんじゃねぇのか?」
「話の内容も相手の要求もわかんねェのにどうやって依頼すんだアホか」
「それもそうか。まぁ、親父がいんなら多少マシかもしれねぇが、気をつけろよ標葉」
「何を気をつければいいかわからないけど、わかった」

 こくり、と頷きを返すと、緑谷が心配そうにこちらを見ていた。爆豪は、なにかを考えるようにして、目を伏せている。なんにせよ、実際に会ってみないと話が見えてこないのは確かだった。



 エンデヴァーを通じて了承の連絡をした翌日には、弁護士が事務所を訪れた。髪を綺麗に撫でつけた、スーツの男性だった。当然ながら、初めて会う人だ。年は四十か五十くらいだろうか。湊とエンデヴァーはヒーローコスチュームで出迎える。
「お時間いただきありがとうございます」
「いえ。それで、お話しというのは」
 エンデヴァーが、責任者として同席させてもらう、と言えば、彼はあっさりと了承した。エンデヴァーが話を進めてくれるので、湊はただそこにいるだけだ。これから何が起きるのか、嫌な予感しかしなくて、心臓がバクバクとうるさかった。

「こちら、ご覧ください」
 湊に向かって差し出されたのは一枚の紙だった。受け取ってざっと目を通せばそれが、研究機関による書類だとわかる。DNA親子鑑定と呼ばれるものだ。
「……えっ、と」
「おや、時数は、あなたがもう勘付いておられると思っているようでしたが、違いましたか」
 エンデヴァーは何も言わない。湊はそう言われて、あぁ、と何かが腑に落ちた感覚だった。

 本能的な直感も、もっと理性的な理由づけも、たくさんあったはずだった。それでも、みないふりをしていた方が良いのだと、それこそ無意識に思っていたのだろう。こんなにもわかりやすいことに、気がつかないふりができたのは。
「……いえ、大丈夫です。続けてください」
「では。こちらのDNA鑑定ですが、勝手ながら先日着用いただいた服に付着していた毛髪で行いました。簡易検査ですが、親子であることはほぼ間違いないかと思われます」
 先日エンデヴァーの元に舞い込んだ護衛任務の依頼者が、湊の遺伝子上の父親だった。
 なんて確率だと思うが、顔を合わせてしまえば勘付くのは時間の問題だと思えるほどに、確かに納得できるところはあった。彼の個性は「超計算」。湊の頭脳系の個性と似通っている。そして、同じ色をした瞳。髪。性差があってわかりづらいが、彼の娘と湊の顔立ちは、たしかに並べると共通点がある。
 湊とて、何度か、あの親子を他人とは思えていなかった。自身にその過ちの記憶がある時数からしたら、なおさらだろう。
「おい、ちょっと待て。話が読めん。つまりなんだ? ここにいるポルテが、時数氏の娘だということか?」
「はい、おっしゃる通りです。こちらは簡易的な鑑定ですが、ほぼ間違いないかと。理由としては、個性使用時の虹彩の変化ですね。特に公表はしていませんが、こちらは時数の一族に遺伝するものでして」
 弁護士の男はつらつらと理由を述べていく。エンデヴァーは気まずそうにこちらを見て、絶句した。まさかこんな内容だとは思っていなかったのだろう。もちろん湊も予想ができていたわけではないけれど。

「こちらの要求を申し上げます。貴方には、この手切金をもって、時数との関わりの一切を断ち、また今後いかなる場合でも他者にこのことを漏らさず、言及された際もはっきりと否定していただきたい」
「なに?」
 てぎれきん。その言葉を理解するより前に、エンデヴァーが声を上げた。手切金、つまり口止め料のようなものだ。

「時数にはもう家族があります。標葉さんは、ご息女の才華さんと当日お話しされていたようですね。もしも貴方の存在が明るみになれば、今ある時数の家族に亀裂が入るかもしれません。彼女らの幸せが、侵されるかも」
「おい、待て。そんなこと、この子の知ったことではないだろう。それは時数の行動が招いた結果であり、この子に落ち度はない」
「ええ、えぇ。ですから、こちらもそれ相応の謝罪の意を込めて、金額を提示しております」
 手切金として出されている金額は、5000万円。湊にはそれが多いのか少ないのか、それ以前にこの申し出が妥当なのかそうでないのか、全くわからない。
 エンデヴァーは、少し高圧的な、というか淡々と他人事のように話を進める弁護士の男に怒りをあらわにしていた。なんとなくだけれど、轟との血のつながりというか、似たところを感じて、嬉しくなる。そのくらいには、心に余裕があった。
「あの。今すぐに回答が必要ですか」
「いいえ。ただ、お早めにいただきたいところではあります。人の口に戸は立てられずとも申しますし」
 人の口に戸は立てられない。それならばこの契約自体もほぼ、無意味なものになるだろうに。彼らにとっては、湊が好奇心のままにこちらへ踏み入ったり、権利を振り翳したり、やけになってゴシップ誌に持ち込んだりしなければ問題ないのだろう。権利といったって、湊は無戸籍児だったのだから、そもそも生まれの母とも戸籍上繋がりはない。だから、どんな権利があるのかよく知らないけれど。

「では、数日中にこちらから連絡します。少し時間をください」
「わかりました。こちらまでご連絡ください」
 渡された名刺の番号をチラリと見て、念のため暗記した。エンデヴァーはまだ何か言いたげにしていたけれど、弁護士はさっさと帰っていく。
「……いやに冷静なんだな」
「そんなことは。結構びっくりしてます。でもなんだか、腑に落ちるところもあって」
 ぐるぐる、思考とお腹が、一緒くたに回っているようだった。迷っているとも違う。いろんなことが一気に起きて、折り合いがつかない。
「少し、休んでいろ。俺は仕事に戻る」
「ありがとうございます。すみません、お手間をおかけして」
 エンデヴァーは少し、何か言いたげな顔をしてから応接室をあとにした。少しして、バーニンが「どうした? めちゃくちゃ説教でもされた? 珍しく気使ってたよあのひと」と半笑いでお菓子とお茶を持って来てくれた。やっぱりやさしい人なんだなぁ、と思いつつ、手渡された高価そうな饅頭を頬張った。



 弁護士が来る、という話を知られてしまった以上、三人に話を全く知らせないわけにもいかない。というか、湊が黙っていたってエンデヴァーに非難が行くだけなので、夕食の後、3人を呼びだして、口止めをした上で話をした。
「エエエ」
「ンだそれ、自分の保身のために端金払って終わりにしようってのか? ありえねぇだろ」
 驚いてリアクションも取れない緑谷に、怒りを露わにする轟。爆豪は、ひたすらじっと湊を見つめていた。
「標葉さん、あの……何て言ったらいいかわからないんだけど、その、大丈夫? ごめんね、辛い話をさせて」
「なぁ、お前それ受け入れるのか?」
「あ、ううん。大丈夫だよ。辛い話……だともまだ、あまり思えてなくて。受け入れるよ。一応、エンデヴァーがツテで弁護士さんを手配してくれるから、いろいろお願いすることになるんだけど」
 受け入れるとて、では湊が先ほどの弁護士に電話して、お金をポンともらって終わりというわけにはいかない。手切金には税金がかかってしまうし、念書の締結だとか色々なことがあるらしい。難しいことはあまり考えたくないな、と思っていたら、エンデヴァーが親身になって教えてくれたし、弁護士だの、税理士だの、方々の手配もしてくれた。まさかその年で税金繰りに苦労するとはな、と哀れなものを見る目で見られたけれど、きっとなるようになるだろう。
「本当にいいのか。金もらって、それで終わりで。もっと、ほかに……望んだって、いいんじゃないのか」
 轟は、優しいひとだ。何を言いたいかは、なんとなくわかる。もし湊がこの生まれじゃなかったとしたら、味わうことのなかった苦労や、受け取れていた幸せや、愛情なんかがきっとあったのだろう。
「いいんだ。きっとね、ないものねだりなんだと思うの。もし、こうじゃなかったら、ああじゃなかったら、それを全部追いかけて辿り着く先は、私のほしいものが何もない未来な気がする。そうやって思えるようになったから、いいんだ、これで」

 轟はまだ何か言いたげだったけれど、話を切り上げる。明日もインターン活動だ。はやく支度して寝ないとね、と話題を逸らすと、緑谷は「そうだね、明日も頑張ろう」と笑ってくれた。轟も、「そうだな、おやすみ」と部屋へと戻っていく。ずっと、じっと黙っていた爆豪だけがその場に残った。手を引かれて、人の目がないことを確認してから爆豪の部屋へと入る。今日くらいはきっと、もし知られてもエンデヴァーは見逃してくれる気がした。

 爆豪の性格上わかっていたことだけれど、部屋はとても綺麗に整えられていた。脱ぎ散らかしたものがあるわけでもなく、籠手も綺麗に揃えられて、メンテナンスを待っている。ベッドに座らせてもらって、隣に爆豪が座る。それだけでもう、なにもいらなかった。

「キツいか」
 探るような言葉だった。きっと、これは大変なことなのだ。緑谷の反応も轟の反応も、なにもおかしくない。どちらかといえば、湊がおかしいのだと思う。でも、おかしくてもいい、と思えるだけの根拠があった。
「ううん。本当に平気……なの。もちろん、生物として、父親がいるのはわかってたよ。だけど、意識して生きてこなかったから、いたんだ、ってびっくりして……しかも、家族もいて、幸せそうで、よかったなって思う」
「……ハァ。そーかよ」
 爆豪は少し呆れたみたいに言った。吐き出した息に安堵が混ざっている。心配をかけてしまっているのが申し訳なくて、言葉を重ねた。
「昔は、ずっと、自分の居場所が欲しかったの。誰かに、そこにいていいって言って欲しかった。だから、お父さんがいて、お母さんがいて、お家があって、そういうのに憧れてた。でも、雄英に入って、今はね、私は一年A組の生徒なんだって胸を張って言えるよ。お友達もたくさんできた。それに、きっとなにがあっても、勝己くんが隣にいてくれるって思う」
 思えてるから、それでいいの。
 取り乱してしまうほどの悪夢を見て、何が一番ショックだったかって、爆豪に忘れられたことがショックだった。雄英生でなければこの場にはいないし、彼と関わることもない。一年A組の生徒でいることもできない。それが一番いやだった。きっと、何を差し置いても。
 だからもう、いいんだ。自分を捨てたとも言える父親を恨みもしなければ、彼の幸せを壊したりもしたくない。今こうしていられる自分が好きだから、ほかには何も望まない。

 爆豪の腕が伸びて、肩を引き寄せた。正面から抱き合う形になって、胸板へ頭が埋まる。
「お前が思っとるだけじゃねぇ。離すつもりなんかこれっぽっちもねェわ。ずっと、隣でニコニコ笑ってろ」
「えへへ……うん、ありがとう」
 そうやって優しく言ってくれるから。湊にはこの現在以外、どんなものだっていらない。たくさんの傷も、痛かった、辛かった思い出も、このためだったのならそうあってよかったと思える。

 胸板から顔を上げて、爆豪の端正な顔を見つめる。少し身を乗り出して、湊のほうから唇を重ねた。冬だからか、カサついた唇がすこしひっかかって、離れる。
「ふふ、大好き、勝己くん」
「ッ……ァに、かわいいことしとんじゃ……」
 ハァ、と吐き出された息に心配の色はない。したくなっちゃったの、と浮かれて言えば、もう一度大きなため息をつかれてしまった。



 エンデヴァーの手配してくれた弁護士は、優しそうな若い女性だった。懇意にしている弁護士さんの事務所のひとらしい。よろしくお願いしますね、と渡された名刺をじっと見つめる。
「今回のご依頼は、あちらの弁護士の提示額のままの慰謝料の受け取りと、それに係る書類等の締結ですね。ご依頼いただいた以上、今後あちらの弁護士と湊さんが直接やり取りすることはありません。全て私が引き受けます」
「ありがとうございます。あの。一つだけ、あちらに交渉してほしいことがあるんですけど、いいですか?」

 湊が交渉してほしいこと、それは、湊の実の母親に関する、知る限りの情報を渡してほしいということだった。
「私、母がどんな人なのか、どこで生まれて生きていたのか、何も知らないんです。もう、知る術もほとんどありません。だから、彼が知っていること、なんでも構わないから、教えてほしい。それが、今回の交渉に応じる条件です……と、伝えてほしいんです」
「わかりました。でも、それだと、「何も知りません」と返されて終わる可能性もあると思うのですが、いいんですか?」
「いいんです。何も知らないなら、それで」

 そうして弁護士に託したところ、時数さんはやはり、こう表現するのが正しいのかどうかはさておいて、誠実な人だった。湊の母親である人物のことについての情報が、箇条書きではあるけれど、何項目にもわたって書かれた書面を受け取ったからだ。
 これを受け取ったから、今すぐどうこうということはできない。でもいつか近いうちに、辿れるところまで辿りたいと思っていた。自分のルーツを。何か、きっと得られるものがある気がしたのだ。





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