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17 忘れるわけねェ




 エンデヴァー事務所に着く頃には、すっかり夜になっていた。事後処理などで時間を取られたのが大きな要因だ。
 さっさと食事を済ませて、部屋へと引っ込む。今日はというか、インターン中は同じ宿舎とはいえどさすがに爆豪と逢引することは難しく、電話で言葉だけを交わした。一応お互いの部屋番号は共有しているけれど、万が一にも部屋を行き来していることがバレたりすると困るからだ。ただ話すだけでも安心できて、安眠材料になるので何の文句もない。もともと湊は福岡にいるはずなのだから。
 電話を終えて、メッセージで「おやすみ」を言い合ってから布団へと潜った。
 
 

「湊お嬢様、おはようございます」
 ゆさゆさ、と身体を揺すられて、意識が覚醒する。ぱちりと目をひらけば、使用人が湊に笑いかけていた。
「朝ですよ。学校に遅刻してしまいます」
 枕元の時計はまだ朝早い時間を指していたけれど、その言葉に納得してベッドから降りる。ふわふわのスリッパを履いて、空調の効いた部屋ではちっとも寒さなんて感じなかった。

「本日は授業後にピアノのレッスンと、家庭教師が来ますから、お早めにご帰宅くださいね」
 食卓に並べられているのは和朝食だった。白いご飯に、味噌汁、だし巻き卵に焼き魚。野菜の小鉢もある。口に運びながら、告げられるスケジュールを頭に入れていく。
「……でも、もうすぐ期末試験だから、トレーニングもしないと」
「……? 湊さま、まだ寝ぼけてらっしゃいますか? 期末試験には体育はありませんよ」
「お姉様、おはようございます」
 あくびをしながらやってきた才華が、隣に腰掛けて朝食を取り始める。目の前の大きなテレビでは、たくさんの人が笑っていた。

「あらお父様、おはようございます」
 その声にそちらを向くと、いつの間にかソファに新聞を手にした男性が座っていた。
「湊、どうしてまだ着替えていないんだ」
 えっ、と言う間もなく、後ろから使用人が手を出すと、服が途端に変わった。白いシャツに、紺色のジャンパースカート。これじゃない、と強烈な違和感を抱いて、困惑した。
「でも、制服が……」
「熱でもあるのか。お前の制服はそれだ」
 誰も何の疑問も抱いていないので、それ以上は言えなかった。それに、湊だって何が正解なのかと言われたら困ってしまったので、黙って食事をとる。

 家を出て、通学路をたどった。見慣れた住宅街を歩いて、山を登って少し、ガラス張りの特徴的な校舎が見えてくる。Hを模した、見慣れた建物。何度も潜った門の手前で、グレーのジャケット、濃緑のスラックス、肩に通学カバン。見慣れた姿の男の子に、つい声が出た。
「勝己くん」
 彼はちらりとこちらを向いて、「おはよう」と言った湊に、「あ?」と怪訝な声をあげた。

「誰だテメェ」

 え、と喉が潰れたような声が、滑るように出た。
「モブが気安く話しかけんなや。つかなんで名前で呼んどんだ。ストーカーかァ?」
 喉に何か張り付いてしまったみたいに、声が全然出ない。どうしてそんな、ひどいことを、私は何かしてしまっただろうかとぐるぐる考えていたら、「つーかよォ」と彼は矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「そもそも雄英生じゃねぇだろ、テメー。なんでここにおんだァ?」
 ガシャーン、と音を立てて校門が閉まる。部外者を弾き出すみたいにして。「違うよ、私は、」と言ってみたけれど、確かに自分の制服は雄英のものではない。
 なんで、どうして、どうすれば、気付けば尻餅をついていて、真っ赤な瞳がこちらを見下ろしている。かと思えばその姿は才華のものに変わって、上品ににこりと微笑んだ彼女はこちらに手を差し伸べた。
「たくさんお勉強して、良い大学に行って、それがお父様の娘として正しい姿ではなくて?」
 どうしてヒーローなんて目指すの? 雄英に通う必要はどこにもないでしょう?
 笑った顔がどろりと溶けて、その姿までも液体になって消える。気付けば真っ暗闇で、不気味な笑い声だけが響く。
 いやぁっ、という悲鳴が口をついて出て、それに驚いて目を覚ました。

 
 どっどっどっどっ、と早鐘を鳴らす心臓が痛い。真っ暗な部屋を見渡すと、エンデヴァー事務所の宿泊施設だ。まだ窓の外は暗く、カーテンの隙間からは街明かり程度の光が漏れるだけ。
 寝起きなのに手足が悴んで、震えていた。涙と冷や汗が止まらなくて、現実と今見たものの境が曖昧になる。スマホを手に取って、チャットアプリのトークルームを開く。勝己とのそれは昨晩の「おやすみ」で止まっている。
 居ても立っても居られない。心臓は鳴り止まないし、震えもおさまらない。部屋をうろうろして、心に巣食う不安が今にもはち切れて飛び出しそうな衝動だけで、扉を開いた。幸いにも廊下には誰もいない。男女で宿泊施設が分けられていないのも幸いして、すぐに男子側のスペースまでたどり着く。昨晩話の流れで聞いた部屋番号の扉を、ドンドン、と二回叩いた。
 それなりの音が静かな廊下に響く。握った拳の側面が痛い。力加減なんてできていなくて、赤くなってしまっていた。心のどこかから、「なにをしているんだろう」という気持ちが湧き上がって、ずるずると力が抜ける。ひんやりとした廊下に座り込んで、ぽたぽたと落ちる涙を見つめた。寒さも相まってか、震えが止まらない。まるで世界にひとりぼっちになってしまったみたいで、少しも動けそうになかった。

「湊?」
 まだ微睡んでいるような、それでも驚きが滲む声に、はっと俯いていた顔をあげる。目を見開いた爆豪が困惑している。それがわかるのに、それよりも優先することが今はあった。
「かつきくん」
 寝起きの声はガラガラで、音が乗っていたかも怪しかった。それでも彼は何かを察したみたいにしゃがみ込んで、震える身体を抱きしめてくれた。
「ンだ、どォした」
 その声があまりにも優しくて、抱き寄せる手が温かくて、名前を呼んで応えてくれることに安堵して。ぼろぼろとさらに溢れた涙と、嗚咽が止まらなかった。

*   *

 ず、ずび、ひっく、とひどい声を漏らして、ぽろぽろと涙がおさまらない湊を、爆豪はわけもわからないままで抱き上げて部屋に入れ、布団を被せて腕の中におさめた。手足は驚くほど冷たくて、カタカタと震えがとまらないものだから温かい飲み物でも飲ませたいが、用意するたったそれだけの時間も離れてはよくない気がしていた。
 眠気はとうにどこかへいった。夜中に扉を叩かれた時は「こんな時間に誰だよクソ」ぐらいには思っていたけれど、扉を開いて蹲る湊を見た瞬間にそんな気持ちは吹き飛んだ。誰かと何かあったのかと思ったが、そうではないらしい。言葉もうまく紡げないほど泣き崩れる姿は痛々しくて、どうすればよいのかさっぱりわからないままに背中を摩っている。
 ずず、ぐすん、と呼吸が落ち着いたタイミングで、「なぁ、どうしたんだ」と声をかけてみる。
「こ、こわいゆめ、見た……」
 余計な口を挟まずに、どんな、と続きを促す。小さな背中をゆっくり摩っていれば、血流が戻ったのか少し赤くなった頬を甘えるようにして勝己の首元にすり寄せて近づいてくる。その姿が幼子のようで、愛しさが増した。
「あの、あのね……私に、家族が、いてね……みんな、で、朝ごはん食べて……学校、行くんだけど……雄英の前で、ね、勝己くんにあって、勝己くんにおはよう、って言ったら、だ、誰だてめー、って、……よく見たら、私の制服、雄英じゃなくて、ヒーローじゃなくて、……か、勝己くんに、忘れられちゃってたらどうしようって、おもって、こわくなって……」

 おい、夢の中の俺のせいかよ。さすがに夢の中の言動まではいかんともし難いし責任もないと思うが、それを慰める役目が回ってくるのは悪くない。
「大丈夫だわ。忘れるわけねェだろーが」
「うん、うん……」
「絶対ェありえねェから安心しとけ」
 ぽんぽん、と背中を叩くと、はぁ、と安堵の息が漏れて、だんだん肩の力が抜ける。安心したことが目に見えてわかって、爆豪のほうも少し気が抜けた。
「……夢の、なかで、父親が、時数さん、で、」
「…………」
「妹が、才華ちゃんで、ね、……私、これって、どういうことだろうって……」
「夢に、理由なんかねェ」
 思うことがないわけではない。
 似通った個性、同じ色の髪、瞳。似通った目鼻立ち、それが示すことなんて、考えなくていい。第一、もしかしてと思ったところで、それを確かめる術もないのだ。だから、知らない方がいいはずだ。爆豪にはそう思えてしかたない。
「そう、だよね……」
「そーだわ。俺は湊を忘れねェし、お前は雄英生で、ヒーローなるんだ」
「うん……」
 とんとん、と背中を叩いて揺すっていると、だんだん呼吸が深くなって、体温が高くなっていく。しばらくすればおとなしい寝息が聞こえてきて、爆豪は安堵のため息をついた。
 ゆっくり、起こさないようにベッドに横たわらせる。安心しきった寝顔はしばらく起きそうもないけれど、もう少しだけ横にいてやろうと隣へ入って布団を被った。





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