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10 嬉しいから




 文化祭まで残り数日。無事に中間テストも乗り越えて、準備も練習も順調だ。あとは本番を迎えるだけ。そんな日のことだ。
 湊だって、やるべきことを全力でやっていた。少し詰め込みすぎかもしれない、というほどには。そしてカレンダーを見て、気がついたらあのインターンの日から1ヶ月が経っていることに気がついた。
 インターンは激動だった。そう思うと、時が経つのが早いなと思うと同時に、あの日爆豪にしてもらったことを思い出す。あの日が1ヶ月記念日なのだから、つまり今日は2ヶ月記念日だ。

「今日、記念日、だよね」
 爆豪の部屋を訪れて、ベッドに座らせてもらう。隣に座った爆豪の手を湊の方から握って、覚悟を決めたように話し始めた。
「べつに、毎月祝う必要ねェんだよ。毎月やってたらこれから先、クソ大変だろうが」
「うん。でも、先月すごく嬉しかったから。何かしたくて……その、私も考えたくて」
 好きだとか大事だとか、誰にでもわかる平易な言葉で繰り返してくれるわけじゃない。でも、触れる手の優しさや、立ち居振る舞いから伝わってくる。爆豪が、湊のことをどれだけ大切にしてくれているのか。
 何も返せていないと言った湊に、爆豪は「話したくて話して、頼りたくて頼っているならそれでいい」と言った。その言葉の意図を汲み取れるほど湊は情緒がないけれど、爆豪が言うのだからきっとそうなのだろう。でも、やっぱり湊だって何か、爆豪にしてあげたい。少なくとも、してもらった分は。

「何か、物を渡そうかとも考えたんだけど。全然思い浮かばなくて。それで、その……な、名前」
 ア? と爆豪が口を歪める。不安が心を埋め尽くすけれど、ここまで言ってしまってもう引けない。ぎゅっと目を瞑って、爆豪に向き直る。えいや、と気合を入れた。
「か、勝己くん、って、呼んでもいいですか!」
 大きく声を荒げたつもりはないのに、言い切ったら息が上がっていた。
 恋人同士というのは、心の距離が近いことを表すように苗字ではなく名前で呼び合うことが多いらしい。そう言われてみると、爆豪から湊への呼び方は下の名前だ。
 爆豪くん、という呼び名にもう慣れてしまったからどことなく気恥ずかしくて、何度か自室で練習した。恥ずかしいから絶対に言わないが。

 爆豪から、「ハ」と微かに息が漏れた音がする。ぎゅっと目を瞑って俯いてしまったまま、目線を戻せない。爆豪がどんな反応をするのか予想ができなかった。
 身体を縮こまらせていれば、爆豪の手が肩に触れる。ふと目を開いて、視線を上げた。爆豪が真剣な顔で、こちらを見ていた。
「もっかい」
「……勝己くん」
「ン」
 乞われるままに呼ぶ。満足そうに返事をする姿がなんだか可愛らしくて、左胸のあたりがきゅん、と鳴った。もう一度、勝己くん、と呼べば、腕が伸びてきて閉じ込められる。あたたかい体温が心地よくて、身体を預けた。
「呼び方なんてクソどーでもいいと思ってたけどよ、悪くねぇ」
「うん、湊って、呼んでもらえるの、嬉しいから……」
 ぽんぽん、とあやすように弱く肩を叩かれて、安堵が広がる。喜んでくれたのが嬉しくて、ほっと息をついた。すん、と息を吸うと、鼻腔に爆豪の匂いが広がる。安心するにおい。とろり、と意識が曖昧になる気がして、全身から力が抜けた。



「湊、こっち向け」
 湊は少し身体を話して、素直にこちらを向く。瞳が潤んでいて、全体的にぽや、と雰囲気が緩くなっている。コイツ本当に警戒心ねぇな、と思いつつも、その姿も欲を煽った。小さな顎から頬を右手指で挟む。固定した顎を逃さないようにして、唇同士を合わせた。
 ん、と驚いた声は爆豪が吸い取る。いつもよりも長いキス。ちらり、と目を開けて湊を窺えば、ぎゅうと力をこめてまぶたを閉じている姿が見えて内心微笑んだ。嫌そうな素振りは微塵もない。
 そろそろ先に進んでもいいかと、一瞬唇を離す。ふと肩の力が緩んだのを見て、しかし爆豪は顎に置いた指を離すことはしない。
 不思議に思ったのか、湊が瞼を持ち上げた瞬間にまた唇を重ねる。今度は、湊の唇を割り開くように舌でなぞった。薄い唇はそれでも柔らかく、歯を立てればすぐにでも食い破ってしまいそうで恐ろしい。2度、3度と舌で舐め、隙間を作らせるように間をぐいぐいと押してみて、異様に頑なな力で閉じられていることにやっと気がついた。
 目を開いてみてみれば、湊は顔を青くして、身体を硬くして震えていた。やらかした、そう思ったってもう遅い。
「怖いか」
 聞くまでもない話だった。顔は少し青ざめて、手は震えている。「こわくない」と返ってきた言葉だって、どう考えても反射的にそう返しただけだろうとわかる。
「悪ィ」
「な、なんで、謝るの。ごめんなさい、私……」
「お前こそなんで謝んだよ」
 完全に黙ってしまった湊は、目線をキョロキョロと彷徨わせて、どうすればいいのかわからないと訴えているようだった。
「湊」
 名前を呼んだだけで、びくり、と肩が震える。宥めるようにして肩を撫でても、そう簡単には警戒は解けない。あぁ、頭を抱えてしまいそうだ。
「ほ、本当に、あの、違うの、…………な、なんで、くちびる、なめたの……?」

 なんで。
 哲学だろうか、と思った。
 なぜ唇を舐めたって、そりゃ、先に進みたいからで。唇をくっつけるだけの子どものじゃれあいのような触れ合いではなく、恋人同士がするようなキスをしたいと思ったからで。
 と、そこまで考えて、一つの可能性に思い当たる。
「……なぁ、ディープキス、わかるか」
「……深い、きす?」
 直訳文をたどたどしく呟いた様子に、一瞬で察した。こいつ、何も知らないんだ、と。

 はぁ、と大きくため息をついて、脱力した。頭を抱える。あぁ、そうか。そりゃそうだよな。いや、そんなもんか? こんなに汚れなく生きられるものか。とにかく、事実湊は何も知らないし、そんな湊を怖がらせたのは爆豪だ。初心なところも、世間知らずなところも全部受け止めてやりたいと思っていたのに。
「ど、ど、うしたの、ごめんなさい、私何か……?」
「いや、いや。俺が悪い」
「爆豪くんは悪くないよ……」
 悪くないわけがあるか。そう思ったところで、湊は認めはしないだろう。こんな不毛なやり取りもないと、っはぁ、と大きくため息をつく。焦って呼び方も戻り、挙動不審になった湊の手を握って落ち着かせることに集中した。
 少しして、ようやく落ち着いた湊が「あの……」と所在なさげに視線を彷徨わせたから、爆豪も少し安心して距離を縮めた。今度は警戒されずに済んだ。
「悪かった。もうしねぇ」
「ま、まって。違うの、本当に、あのね、嫌じゃないよ。爆豪く……か、勝己くんに、されて、いやなことなんてない、ないんだけど、どうすれば良いかわからなくて、びっくりして……変なことしちゃったらどうしようって、こわくて……」
 知識を得て心の準備ができるまではしない、という意味だったのに。湊は自分の反応で爆豪をがっかりさせたとでも思ったのだろう。必死に弁解する姿に誤解を解いてやらなくてはと頭ではわかるのに、爆弾発言に身体が固まる。
「湊」
「は、はい」
「嫌なことなんてないとか言うんじゃねぇわ」
 俺のためにも言うな。それは「何でもするから」とかと同義だ。煽らないでほしい。
 湊は「わかった……」と分かってないそぶりで言って、黙った。爆豪はとりあえず落ち着くためにフゥ、と息を吐いた。わかってない湊のことは一旦置いておいて、このままでは爆豪の欲望のままにことが運んでしまいそうな危うさがあった。

「……あの、本当にね、勝己くんのこと、怖がってはいなくて」
「わーった。でも、そうだとしても何も知らねぇお前に無理やりはしねぇんだよ俺ァ」
 だから落ち着け、今日は終わり。そういう意味で言った爆豪の言葉を、湊は一ミリも察してくれなかった。
「うん。だから、勝己くんが教えて……?」

 ガツン、と頭を殴られたかと思った。何言ってんだこいつ、屁理屈か。無防備にも程があんだろ、そう一蹴はできなかった。その言葉に、気のせいでは片付けられないほどに興奮してしまったからだ。ゴクリ、生唾を飲み込む音がいやに生々しく頭に響く。いつもよりも赤く色づいて見える唇が美味しそうで、湊の後頭部へ手を添えて引き寄せる。驚きに見開かれた目からほんの数センチの距離で見つめ合う。
  
「ディープキス、もしくはフレンチキス、っつーのは、キスの一種だ。舌と舌を触れ合わせるやつ」
 舌を……とほぼ無意識のように呟かれた言葉ごと食べてしまうように、唇をあわせる。唇が閉じてしまう前に舌をぬるり、と差し入れた。
 ビビって引っ込められた舌を誘い出すように、舌を舐め回す。舌根から奥歯の歯茎の裏まで、余すことなく舌先でくすぐってやれば、肩に入っていた力が少しずつ抜ける。後頭部だけでは足りなくて、もう片方の手で肩をがっちりとホールドした。もう逃げようとはされなかった。
 ちらり、と湊の顔を見れば、真っ赤に染まって瞳は強く閉じられていた。少なくとも、怖いという気持ちは払拭できたらしい。ぎゅう、と縋るように爆豪のTシャツの胸元を掴むしぐさに、ぞくり、とよくない感覚が首筋を走った。

 身体に見合って小さな口は、爆豪の舌をもってすればある意味暴力的に蹂躙できる。口角からこぼれる唾液も無視して、食べ尽くしてしまうように貪っていれば、胸元に置かれた手に微かに力が籠もったのを感じて唇を開放した。つぅ、と透明な糸が二人の間をつなぐ。

 ふるり、と瞼が震えて、隠されていた宝石のような瞳がゆっくりと姿を表す。涙が膜を張って、蛍光灯の光が反射する。それがあまりにも目に毒で、爆豪のほうから目線を外して、ベッドサイドに置いてあったタオルでぐい、と唇を拭ってやった。
「っは、ぁ……くるし……」
 はぁ、はぁ、と呼吸を整えるその声すら煽られているようで、ダメだ、とかすかに残った理性がブレーキをかけた。このままでは彼女を傷つける。
「……わかったかよ」
「ん、うん……」
 こくん、首肯を見届けて、「今日はここまでだ」と言えば、残念そうな、ホッとしたような顔でわかった、と今度はちゃんと理解している素振りでそう言う。
「もう寝ろ」
「……うん。おやすみなさい」
 ぽや、とふわふわした雰囲気のままで、微かに口角を上げて一瞬のうちに湊は消えた。静かになった自室に、はぁああ、と爆豪が吐き出した安堵の息が大きく響く。

 あっっぶねぇ。マジで喰っちまうところだった。
 自分の理性が保てるうちに危機感を持たせるべきか、いやでも、あのふわふわしたのが可愛いのだ。爆豪相手にどんな態度でも、結局爆豪が我慢できれば問題ない。我慢できるか? と聞かれれば正直絶対大丈夫とは言えないが。
 とりあえず今は。
「……トイレ」

 



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