「まったくお前は……もう少し考えて入ってくるのだよ!」

「はは……、わりい、笑ってる場合じゃねえよな、っいてっ!」

右腕のぱっくり開いた傷口に乱暴に消毒用の薬湯をかける真ちゃんは、少なからずお怒りのようだ。包帯を替えるために取り払われ露になった傷口は、いまだに赤黒い血液を滲ませている。
上空から自慢の目を凝らして館の様子を窺っていた俺は、中庭のほうで緑のなにかが動くのを捉えた。毛並みが緑の狐は真ちゃんくらいしか見たことがなかったので、真ちゃんに違いないと突撃したのだ。
結果、真ちゃんには違いなかったのだが。生憎隣にいたでかい奴に不審者と間違われ、見事に撃ち落とされて今に至る。おかげで腕は木に引っ掛け切り裂けるわ、軽く頭をぶつけて軽く気絶するわで散々な目に遭った。

「そういやあのでっかい座敷童は?あいつにも謝んねーとだよな」

かといって、今回の非は完全に俺にあるわけで。俺を撃ち落としたあいつも、今思えば侵入者に対して当然の対応をしたまでなのだ。
迂闊だったなあ、と内省する。天狗が嫌われていることを、なぜかあのときは計算に入れていなかった。
予想よりあっさりと真ちゃんを見つけられて、浮かれていたことは否めない。周りがよく見えているようで、俺は案外盲目的なのかもしれないな。

「あいつは紫原だ。最初は警戒していたようで、俺が運ぶと言ったのにここまお前を担いできたのだがな。お前が俺の知り合いだときちんと説明したら、興味を無くして早々に何処かへ行ったのだよ」

「そっか。てかあいつが運んでくれたんだ」

「もしお前が暴れたら捻り潰すためにな」

「えっなにそれ怖っ」

地面に叩きつけられた俺はあっさり意識を失い、気がついたら薬臭いこの部屋に寝かされていたのだが。
まさかそんな危険に身をさらされていたとは。あの座敷童、紫原とかいうやつは油断ならないらしい。

「できたのだよ。まさか二日連続で天狗の世話をするはめになるとはな」

「へへ、お世話になってます」

「笑い事ではないのだよ」

俺だって思ってなかったよ。二日連続で狐の世話になるなんて、普通だったらまず有り得ない。
ぎゅ、と固く締め付けられた包帯は、昨日のものよりも大きかった。受け身に成功したお陰で昨日みたいに全身を傷つけることはなかったが、右腕の傷だけは酷かったようだ。俺が寝ている間に一度真ちゃんが処置をした(と、本人から聞いた)にも関わらず、回復に手間取っているのだから。

「痛みはどうだ」

「んー、見た目ほど酷くない。真ちゃんが術かけてくれたおかげだな!」

ありがと、と微笑みかけると、真ちゃんは照れ臭そうに顔を背けた。それが仕事だから仕方ないのだよとか小さく言い訳をしているけれど、それは聞こえないふりだ。
可愛いな、なんて。そっぽを向きながらも労るように包帯をなぞる手はしなやかで、どこか神聖さをも感じられる。照れ隠しに伏せられた翡翠の目は長い睫毛に縁取られて綺麗で、思わずどきりと心臓が跳ねた。

(雄のくせに……綺麗で可愛いとかずりいだろ)

あ、わかった。俺真ちゃんのこと好きだ。
勿論、恋愛的な意味で。雄だとかそういうことは関係なく。
所謂一目惚れの部類に入るくらいの短い付き合いかもしれないが、それがあまりに自然なことのようで、特に疑いなんて持てなかった。その感情は思いの外すとんと俺のなかに入ってきて。
たぶん、最初に助けてもらったときからだ。まさか誰もいるまいと思っていた森の中で出会った、ぞっとするほど美しい狐。狐が美しいのは世の習いだけれど、それを差し引いてでも。そんでもって、俺が天狗ということも気にしない変わり者ときたもんだ。そんな奴に介抱されたとあらば、惚れない奴がどこにいる。
そうか、だから真ちゃんを見つけたとき、らしくもなく考えなしにつっこんでいったのか。お陰で大怪我を被るはめになったのだが、ようやく合点がいった。

「高尾?どうした、痛むのか」

なるほど、と一人うんうん頷いていると、悶えていると勘違いしたのか真ちゃんが下から首を傾げて覗き込んできた。可愛いな畜生。いやあね、真ちゃん、自覚したての俺としてはかなりきっついんだけど。それ何の拷問。

「や、大丈夫なんだけどさ、」

「どちらにせよこの様子では、今日中に治すのは無理だな。仕方ない、今日は泊まっていくのだよ」

「えっ」

ここでお泊まりのお誘いってどういうことなの。いやね、真ちゃんは俺をただの患者としか見ていないとは思ってる。たぶん正解だし。
けれどもここは、どこからどう見ても真ちゃんの部屋なわけだ。薬師がつきっきりで患者を診ることはざらなのだろう、今俺が寝ている寝具こそ客用のもののようだが。使い古されたたんすやら書きかけの封書が置かれた文机やら難しい医学書がつまった本棚やら、広い部屋のあちこちに見られる生活の跡が雄弁に物語っている。

「いやそんな、わりいってかさ」

「何を遠慮している。じきに日も落ちるし、その怪我で飛ぶのは危険だろう」

それはたしかに頷けるけど。遠慮って言うより自己防衛と言いますか。真ちゃんと一晩中一緒に、なんてむしろ心が踊りそうなのだが、生憎俺もまだ若いのである。そのあたりを考慮していただきたいのだよ、真ちゃん。

「や、でもね、」

「いいかげん観念するのだよ。薬が嫌なのはわかるが、いい年をして情けない」

ふう、と子供を宥めるような口調で、それでも中身は結構辛辣な言葉を投げ掛けられた。必死の抵抗を続ける俺が治療を怖がっていると勘違いしたらしい。
全然そんなことないし、痛いことに変わりはないけど真ちゃんに触ってもらえるならむしろ本望ってか。まずい、これでは俺が変態みたいだ。

「安心しろ、後はお前の治癒力に任せるだけだ。痛むようなことはしないのだよ」

呆れたように言われては、断るなんてできるはずない。ここで断ったら、完全に俺は臆病者扱いだ。一方的ではあるがせっかく芽生えた恋の芽を、わざわざ始まる前に摘み取るような馬鹿はいない。

「あんね真ちゃん、俺怖がってんじゃないのよ?」

「本当か?」

「本当だって!でもまあ、真ちゃんがそこまで言うならお言葉に甘えるとすっかな」

「最初からそうしておけばいいのだよ」

内心の混乱をおくびにも出さず空元気で乗り越えた俺を誰か褒めてくれ。伊月さん、日向さん、高尾くんは恋をしました。そして今から果敢にもまさかの試練に挑んでゆくのです。故郷で俺の武運をどうかお祈りください。
なんてこの場にいない二人に心のなかで呼び掛けるあたり、既に冷静ではないのだが。真ちゃんは見ため通りの堅物鈍感らしく、俺の挙動不審を気にかけることもなく俺を説得した自信に満ちた様子で右腕以外の傷を窺っていた。

「うむ、他はもういいな。昨日摘んだ薬草はなかなかなのだよ」

「へー、薬草っておんなじのでも良く効くとかあるの?」

「当然だ。生育にもよるし、採れた場所も関係している」

「へー……、あっ!てか薬草!」

薬草、と聞いて思い出した。今日俺はお礼と称して薬草をたんまりと持ってきていたのだ。
枕元に丁寧に畳まれた俺の服を手繰り寄せる。ちなみに今は狐の寝間着らしい上下の分かれていない着物を着せられている。ただし羽があるため上半身ははだけているが。やたら上質な絹だと思ったら、狐の長が俺と同じくらいの体格でそれを借りてきたらしい。どうしよう、絶対に汚せない。
薄汚れた自前の服を探り、腰巻きにくくりつけておいた麻袋を取り出す。ぎゅうぎゅうに詰め込まれた薬草からは、天狗の村に馴染んだ香りがした。

「どうしたのだよ?」

「これ、高い山の上でしか採れない薬草らしくてさ。なんか昨日のお礼になるもんないかな、って持ってきたんだけど」

ほい、と真ちゃんに手渡すと、最初は怪訝そうにしていた彼も中身を開けた途端目を見開いた。無表情を保っているが、見に纏う雰囲気はどことなく嬉しそう。ぴんと尖った耳は興奮ぎみに見えるし。

「すごいのだよ……!これは解熱剤として狐にも重宝されているものだ。しかしここは平野だから、天狗や猫の行商から仕入れるしかないのだよ」

「へえ、すげー、詳しいな」

「仕事だから当然なのだよ」

饒舌に話す真ちゃんは、それでも得意気だった。なにやらかなり気に入ってもらえたようだ。俺は薬の知識など皆無だからよくわからないけれど、そんなに良い薬草だったのか。

「これはお前が摘んできたのか?」

「ああ、うん。先輩に案内してもらって、そっからは俺が集めた。すごくたくさん生えててさ、こんなならもっと持ってくりゃよかったな」

山の頂上の村から少しだけ下ったところにある、深い木々に囲まれた場所だった。天狗以外に荒らされるすべがなく、この薬草はそれこそ数えきれないほど生えていた。

「高尾、俺をその場所に連れていくのだよ」

「は!?」

「勿論怪我が治ってからだ。今回の治療費代わりに、というのではだめか?」

「いや、それくらいお安いご用だけどさ」

翡翠の瞳で迫られ、思わず了解の返事をしてしまう。ていうか案外ちゃっかりしてるな。珍しい薬をしこたま仕入れようという魂胆だ。
まあどうせ、外泊するかもという旨は伊月さんに伝えてあるし、何ら問題はない。案内するのは嫌じゃない、逆に真ちゃんとお出掛けというのは楽しみでもあるし。

「じゃ、俺が明日よくなってたらすぐ行こっか」

「ああ。頼むのだよ」

かくして、俺はまんまと「真ちゃんと一緒にお出掛け」という約束に漕ぎ着けたのである。




prev next