朝日が昇りきってもう随分と経つ。なんだよあいつら、戻ってくるとか言ってたのに。一人で残され待つこと数刻、いっそふて寝してしまおうかという気分になる。高尾と緑間君のことだから職務放棄でいちゃついてたりしないだろうか。うん、すごく不安。主に高尾が。 「降旗ぁ、ごめん遅くなった」 「……高尾。やっと来たのかよ、」 どれだけ待たせるんだと抗議をたっぷり含めて振り返る。しかし今度はひどく驚かされるはめになった。 「なんでお前、そんなに暗くなってんの?」 高尾が暗い。あの普段へらへらとやたら明るく生きている(事実どうなのかは知らないが、少なくとも俺からしたらそう見える)高尾が、少なくともぱっと見でわかる程度には気落ちしていた。地べたに座ってくつろいでいた俺の隣に降り立つ様子も、苛立ちを隠しもせず荒々しかったし。 「てか緑間君は?」 「猫に連れてかれた。なんなんだよあの猫、真ちゃんに馴れ馴れしくさあ…」 緑間君はもう猫と合流したのか。しかし事情はわからないにしろどうやら高尾には面白くないことらしい。岩山の頂上を睨み付ける様子に予定通り長の所へ行ったのだろうと大体の察しはついたが、高尾がこんな顔をするのも珍しい。詰まる所嫉妬とかそういうのだろう。面倒臭い。てか長の所へは皆で向かうはずだったのに、なんでお前ら俺を置いて二人で行ってんの。せめて一声かけてくれよ。 「で、お前は何しに戻ってきたの」 「ああそうだ、真ちゃんに降旗を連れてこいって言われてたんだった」 一応俺を連れてく気はあったのね。除け者にされたわけじゃないようなので一先ず安心したが、それにしてもこれだけ待たされるとは。不満は残るので密かに高尾を睨むと、それを察したのか高尾はごめんと小さく頭を下げた。 「忘れられたかと思ったよ。お腹空いたし心細かったんだからな」 「悪かったって!あ、そだ」 悪態をつきながら隣を向いて、高尾を軽く責める。悪意があったわけじゃないのはわかっているけれど。すると高尾はなにか思い付いたように腰の袋に手を伸ばし、がさごそ中身をあさりだした。 「どっかに菓子があったはず…っと!?」 からん。袋の口を目一杯広げ中を荒らしていた高尾の手が不意に何かを弾き落とした。小さなそれは静かに地面へ落ちて、弾むことなく岩肌を少しだけ転がって静止。咄嗟にしゃがみこんで拾う高尾の表情を窺うと、ぽかんとしたなかに一筋の汗が伝っていた。 「あ、やっべえ…コレ真ちゃんに渡すの忘れてた…」 丈夫そうな動物の革に綺麗な石が括られた、恐らくお守りのようなものだろう。天狗の村では見たことがないから高尾のものでもないはずだ。緑間君に渡す?と聞こうとしたが、視界に映るそれになにかぞくりとしたものを感じ口を開く間を失った。 (あれ) なんだろう、この感覚。高尾の掌に収まるそれに嫌な寒さが背筋を駆けた。間もなく高尾が袋に戻したので、それきり何も感じなくなったけれど。 ……いや、あれはただの装飾具だろ、なら気のせいか。夜通し動いていたから疲れているのかもしれない。高尾に言ったら笑われるよな、止めておこう。 「はい降旗、腹減ってんならこれ」 「へ?……あ、ああ、ありがと」 少し思案に浸っていると、いきなり饅頭を手渡された。昨日の余りだろう、しかし持ってきていたとは。用意周到なところが高尾らしい。 高尾も自分の分を取り出してかじりついたので、俺もそれに倣うことにする。一晩置いたためかぼそぼそしていたけれど、空きっ腹にはそれでも十分満足できた。 「そういや高尾、さっきの何?」 「あのお守り?狐の遺品だってさ。日向さんから預かったの」 「遺品かよ……」 まさかお化け方面か。先程あれが怪しく光って見えたのも、あながち間違いではなかったのかもしれない。 ……寒くなってきたからこれ以上の詮索はよそう。 ◆◆◆◆ 「ふう…終わったのだよ」 「おう。お疲れ」 「ありがとな緑間、助かったわ」 黄瀬と黒子は穏やかな寝息をたて寝台に臥している。これでもう心配はいらないと後ろを振り返ると、興味津々といった様子で俺の手元を覗きこんでいた今吉さんと火神が小さく拍手をした。ちなみに事の発端であるはずの青峰は早々に興味を無くしたらしく、寝台の反対側に頭を突っ伏しいびきをかいている。 「じきに目を覚ますでしょう。主に栄養失調なので、なにか食べるものを用意させてください」 「ん。任しとき」 黒子たちに外傷はほとんどなく、精々かすり傷がいくつかある程度だった。おかげでなけなしの薬草をほぼ使わずに済んだのだが。 代わりに酷かったのは過労と栄養失調である。火神に説明を求めたところ、集落の入り口に程近いところで拾ったらしいので、相当長い距離を歩いてきたのだろう。おまけに岩山に日差しを遮るものなど皆無だから、こいつらにはかなりこたえたに違いない。ここ数日は雨がなかったので、尚更。 荷物もほぼ無く、狩りもできるのだろうが慣れない道で迷わないようにするには獲物を深追いできず、食事も十分にとれていなかった筈だ。疲れは術で癒すことができるが、栄養に関してはどうにもならない。 雪の村の現状はこちらにも噂で流れてきている。十中八九助けを求めに来たのだろう。 (……辛かっただろうな) 狭いところに二人一緒に寝かせるのは可哀想な気もしたが、他に場所がないので二人には我慢してもらうことにしよう。今吉さんが火神を連れて部屋を出たのを確認して寝台に腕を伸ばす。顔色を見るために水色のやわらかな髪を押し上げると、黒子の少し肉の落ちた頬が僅かに弛められた気がした。 彼らは村を守るために最善を尽くそうとしたのだ。立場上無茶をするなと言いたいところだが、一先ずは労いを込めてその髪を優しく鋤く。顔色も思っていた程悪くはない。 「珍しいな、緑間が優しいとか」 「っ!?青峰、起きていたのか…!」 しばらくそうしていると、不意に前方からからかうような声がして慌てて顔を上げた。にやにや意地の悪い笑みを浮かべた青峰が上目にこちらを見ている。くそ、やられた。てっきり爆睡しているものだと思っていた。よりによってこいつに見られるとは、全くもってついていない。 「今のは忘れるのだよ!」 「怒鳴んなって。ほらよ、病人が寝てんだぜ?」 今すぐこいつの記憶を消し去ってやりたい。俺としたことが油断していたのだよ。先程のような己の姿を見られるのはなんとなく気恥ずかしくて、それを理解してわざと指摘する青峰にも腹が立つ。黒子たちのことを突かれて反論できないのも悔しい。もう無視してやろうとそっぽを向くと、青峰が大声で笑いだした。やかましいのは貴様もだろう。 「煩い黙れ」 「ぷぷっ…、いや、お前変わんねえなって、」 一気に急降下した機嫌を持て余していると、笑い続けていた青峰がふと言葉を詰まらせた。不自然である。どうしたのだろうと向き直っると、彼のぴんと尖った耳がぴくりと揺れるのを捉えた。 「……青峰?」 「…誰か来る」 突如、扉がばあん!とけたたましい音を立てて勢いよく開いた。さすがの青峰も驚いたのか二人で肩を跳ねさせ扉に視線を惹き付けられる。 状況が飲み込めず瞬きをしていると、扉の向こうから見覚えのある黒い影が姿を現した。 「高尾!?」 「真ちゃん大丈夫!?変なことされてない!?」 一瞬で緊張感が消え去った。青峰も同じようで既に呆れた顔をしている。 扉の向こうには息を切らせ佇む高尾。そしてそれに引きずられてきたらしい虫の息の降旗が床に伏していた。 「落ち着け。なにがあってそうなるのだよ」 「だってさっき真ちゃんの怒鳴り声がしたから」 なるほど、あれが聞こえて走ってきたのか。変なことってなんなのだよと尋ねると、高尾は不自然に言葉を濁らせた。 「とにかく、何もないのだよ。病人が寝ている。静かにしろ」 「あっ……、ごめん」 視線で黒子と黄瀬を示すと、高尾は素直に謝りこちらへ近づいてきた。降旗はもう駄目らしくすぐに近くの椅子に目をつけ腰を下ろした。高尾はどれだけ全速力で走ってきたのだろう。心配性だなと思うと同時、少しだけこそばゆい感じがした。 「この子たちは?」 「雪の村のやつらだ。こいつらを診るために連れてこられたのだよ」 「へえ…」 高尾は視線を青峰に移すと、普段はやたらと開かれる口を一文字に固く結んだ。そしてじろりと青峰を睨む。 あわや喧嘩になるのかと息を飲んだが、青峰は既に興味を無くして黄瀬の髪を引っ張って遊んでいたし(病人がどうのと言った奴のすることか)、高尾も口を開くことなく大人しく俺の隣の椅子に腰掛けた。 「真ちゃん」 「なんだ」 「なんでもない」 そのまま高尾の体重が左肩に預けられる。一応言いつけた通りに降旗を連れてきたので、こいつも疲れたのかもしれない。全く名前を呼ばれた意味がわからなかったのだが、珍しく真面目な高尾の表情に詮索するのは躊躇われた。こいつにはこいつなりに思うことがあるのだろう。まだ猫を警戒しているのかもしれない。 「あれ、なんか増えてね?」 「火神。緑間の友だちだってよ」 声がしたので再び扉の方に視線を遣ると、両手に大きな碗を抱えた赤い猫が目を見開いていた。同時に温かな食欲をそそる香りも漂ってきて、口のなかに唾が沸いてくる。先程頼んだばかりなのにもう食事ができたのか。肩に乗せられた高尾の頭からも喉をならす音が伝わってきた。 「ん…。あれ、なんかうまそうっスね」 「黄瀬!」 匂いに釣られたのか眠っていたはずの黄瀬がいつの間にか体を起こし、寝ぼけた瞼を擦っている。散々青峰にいじられたせいで自慢の髪はぐちゃぐちゃだ。後で鏡を見たら愕然とすることだろう。 「あー…、なんかよくわかんねえけど、皆で食うか。朝飯まだだろ?」 火神の言葉にその場の全員が頷いた。 prev next |