「おーい今吉さん、変なの拾ったんすけど」

「なんや、火神か。珍しいな朝早くから」

どさりと音を立てて背負っていた二つの塊を床に落とす。今朝は早くから狩りに出ていて、帰りがけに道端で見つけたのだ。
青峰に知らせようにもまだ寝ているし、今吉さんなら何か知っているかもしれないとわざわざ山の頂上まで足を運んで今に至る。

「は?……お前、またえらいもん拾ったなあ」

「死んでるのかと思ったんすけど、近づいたら息してたんで」

今吉さんは眉をひそめて溜め息をついた。面倒な事になったという顔だ。仕方ないだろう、あのまま見捨てるというのも気が引けたのだし。

「お前なあ、こいつら雪の村の奴等やで。暑さにやられたんやろな。事情は知らへんけど、とりあえずお前の部屋に寝かしとき」



◆◆◆◆



猫の岩屋へ着いたとき、既に朝日はそれなりに昇っていた。ただし夜行性の気がある猫らしく、住民の姿は疎らだったけれど。
やはり珍しいことではあるが、ここには天狗も狐も時折訪れるので特に驚かれたりはしなかった。高尾の腕から解放されて感じた変な気分はひとまず後で考えるとして、目的を果たすため首領のいる山の頂上を見上げる。

「緑間君、すぐ行くの?」

「いや。少し早く着きすぎたのだよ。今行っても恐らく会えないだろう」

遅れて地上に降り立った降旗が同じく頂上を見上げ、そのまま俺の手元に目を向けた。手紙の入った小箱はまたからんと音を立てて、中身があることを確認してからまた懐に戻す。
初めてここに来たらしい降旗は辺りを忙しなく見渡して、天狗とも狐とも違う様子に興味があるらしい。その様子がなんだか微笑ましくて眺めていると、突然左腕にずしりとした重みを感じた。

「しーんちゃん。時間あんなら見て回ろうぜ!」

「なっ、」

思わず振り向くと、小さく口を動かす高尾が視界の端を掠めた。しかしその姿をはっきり捉える前に、風が激しく凪いで砂埃が立ちこめる。

「……別に、歩いても回れるのだよ」

「いーじゃん。こっちのが景色いいっしょ?」

完全に不意打ちである。抵抗する間もなく、気がつけば身体は地面を離れていた。
再び抱え上げられて空に飛び立ったのだ。楽しげな高尾にほだされつつもちらりと地上を見下ろすと、呆れ顔の降旗が薄く笑い手を振っているのがわかる。声は届かなかったが、その口は「ここで待ってるから」と刻んでいた。

「とりあえずぐるっと一周な。こんな高いとこ来んの久々だわ」

なるほど、だからこんなに嬉しそうなのか。しばらくの間平地にいたから、故郷のような高いところに来たかったのだろう。
かくいう俺も、こんなに地上から離れたことはないわけで。切り立って木々も殆んどない岩肌は、天狗の山へ行ったときよりもよりいっそう空を飛んでいることを感じさせた。
天狗のように気分が高揚することはないが、それでもそわそわして落ち着かない。怖いわけではないが、普段とあまりに違うからだろう。

(……まただ)

それと、もうひとつ。そわそわして落ち着かない原因。なぜそれが生まれるかは全く不明瞭なのだけれど。
こうして高尾の首に腕を回していると、どういうわけかもやもやとした感情が浮かび上がってくる。どこか甘ったるい香りを孕み、浮き沈みの激しいそれはいったいなんなのか。ただひとつ言えるのは、それが嫌ではないということだけだ。
ちりん、と左腕の鈴が風に小さく鳴いた。涼しげな音に思案に沈みかけていた意識を掬われて、慌てて今まで考えていたことを振り払う。顔に出せば、高尾だって不審に思うかもしれない。それはなんとなく嫌だった。

「あ、見ろよあれ。やっぱ速いな」

「狩りの最中なのだろう」

数匹の猫が真下の岩肌を駆けて行く。ほぼ垂直に近いような斜面をいともたやすく降りる姿には素直に感嘆の声が零れた。

(本当に、何故なのだろう)

こうして他愛ない会話をしていると、不思議と心のなかのなにかが軽くなったような気分になる。俺から話す回数は高尾よりもずっと少なくて、それでも今までこんなことはなかった。
そしてやはり、あの感覚。顔に出さないようにしつつ高尾の顔を盗み見ると、偶然なのか高尾も此方を見ていてなあに真ちゃんとはにかんだ。どうにも照れ臭くて目を背けると、からからとした笑い声がすぐそばで鼓膜を揺さぶる。
……難しく考えてもだめだ。こうなったら帰って赤司に尋ねるとしよう。あいつは大抵のことは知っているから。
それからはゆっくりと山を一周して、色々な景色を見た。底の見えない崖だとか、雲を突き抜けるような岩だとか。涼しい朝の空気に包まれて、とても気持ちが良かった。
ところが、さて降旗のところに戻るかと言った時のこと。高尾が不意に真面目な顔をして振り返った。

「……?なんだこれ」

その瞬間、山の頂上からざわめく気配を感じた。恐らく高尾もそれを察したのだろう、頂上の方角へ身体を向ける。
ざわめきが聞こえたわけではない。けれど、どこか様子がおかしかった。はっきりとは言えないが、異様な雰囲気だけは伝わる。以前影法師と出くわしたときのような不吉さがないことだけは、幸いと言うべきか。

「行ってみる?」

「ああ。どのみち訪ねる予定だったしな」

心のなかで降旗に申し訳ないと思いつつ、山頂にはそのまま長の砦がある。もし仮に大事だったらということもあるので、すぐに進路を変えた。外に誰かいる様子はないから、中で何かおきているのだろうか。
岩を掘って造られた広い入り口に降り立ち、近くにいた使用人だろう猫の少女に声をかける。猫は一瞬驚いた顔をしたが、長に用があると告げると大人しく道を指し示してくれた。

「やはり変な気配がする、」

「あっ!緑間じゃねえか!まじ良いとこに来たな」

「っ!?」

長い回廊をゆっくりと進んでいると、いきなり前方に黒い影が飛び出してきた。藍色の毛並みに、俺のものとは少し違う尖った耳。睨むような鋭い瞳が俺を捉えた。
そいつは勢いよく踏みとどまって俺の頭をがしりと掴む。一拍遅れて何が起きたのか悟ると、同時に苛立ちも込み上げてきた。

「あ、おみね…!貴様、その手を離すのだよ!」

「おまっ、何してんだよ!」

俺が口を切るのと同時、高尾が慌てて俺達の間に割って入る。しかし悲しいかな、身長がおよそ頭ひとつぶん違うせいであまり妨害になっていない。青峰は気にしないと言った態度で俺の髪をわしゃわしゃと乱してゆく。

「おい!無視すんな!」

「あ?誰だお前。悪いけど緑間借りるから」

「うわっ」

青峰は高尾の脇から器用に腕を回し、俺の腕をひったくるように掴みもと来た方へ駆け出した。単純な力では敵わなくてされるがままに走り出すと、高尾が舌打ちするのが聞こえてきた。まずい、ここで何か術でも使われたらそれこそ大変なことになる。青峰の全速力に必死についていきつつ、後ろを振り返り声を張り上げた。

「こいつは俺の知り合いだから心配はいらん!お前は降旗にここに来るよう伝えるのだよ!」

青峰とは赤司たちと同様、古くから互いを見知っている。まあ馬鹿なのだが、少なくとも身内に酷いことをするような奴ではないので無駄な抵抗をするのはやめた。
高尾は不服そうに顔をしかめる。しかし高尾がなにか言うよりも先に青峰が近くの部屋の扉を勢いよく開け放ったので、最後まで様子を窺うことはできなかった。

「あれ、緑間。今日は珍しいお客さんがやたら来るんとちゃう?」

肩で息をして現状をどうにか整理しようとしている俺の頭に、やたらと能天気な声が降り注いだ。緩慢な動作で顔を上げると、ひらひらと手を振る猫の首領、今吉さんが椅子に腰掛け微笑んでいた。

「……おはようございます、おひさしぶりです」

「あー、疲れとんならそこ座り。青峰、お前もあんまお客さんに無理させんなや」

近くにあった椅子を指差され、言われるままに腰を下ろしてしまう。半分徹夜のような状態で先程の全力走はきつかった。この馬鹿、の意を込めて青峰を睨むと、彼は初めて見る赤い毛並みの猫にあれやこれや話している最中で。
若干不機嫌になりつつ机に肘をつく。しばらくして青峰は俺を呼び、今吉さんの脇にある寝台を目で示した。

「つーわけで緑間、お前治癒得意だったよな」

「は?」

「ごめんな緑間、ワシには治すん向いてなかったみたいなんや」

ぽりぽりと頭を掻く今吉さんに、あああの気配はこのせいかと納得した。よく見ると彼の手元には見るも無惨な消し炭があって、何かの術に失敗した跡らしい。

「で、どうすればいいのだよ。急病人か?」

「いや、まあお前も見りゃわかるって」

いまいち核心をつかない答えを怪訝に思いつつ、立ち上がり青峰の示す寝台へ足を運ぶ。規則的に上下するそこには確かに誰かがいるようで、病人でなかったら何なのだろうか。驚かさないようにゆっくりと近づいて、そっと覗きこむ。
そして、思わず間抜けな声が漏れた。

「は!?」

「すげー偶然だよな。さっき行き倒れてたとこを火神、ああこの猫が拾ってきたんだよ」

寝台の中で寝息に合わせて揺れるのは、何度も見慣れた黄色と水色の髪。どうしてお前らがここにいるのだよ、という疑問は声にならず押し込められた。




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