朝食を終え部屋に戻るなり、着ていた服を剥ぎ取られました。べりっと。真ちゃんったら大胆ね、まだ高尾君は心の準備ができてない、

「何をにやけているのだよ。早く後ろを向け」

「……へーい」

まあ冗談だ。ぺしりと頭を軽く叩かれて、大人しく従い背中を向ける。ちなみに剥ぎ取られたと言っても上半身だけなので、やましいことなど微塵もない。要は、傷痕に薬を塗ってもらうだけだ。
右側の羽と右腕、それから左の肩のあたり。肩の傷はもううっすらとしか残っていないのだが、腕と翼のぶんはしぶとく鈍い痛みが時折顔を出していた。
以前真ちゃんは俺の治癒力でどうにかしろと言っていたが、一緒に暮らすとなると話は違うらしい。自然の治癒力だとどうしてもその速度に限界があり完治までかなりかかってしまうので、つきっきりでいられる間は傷痕の処置をしてくれている。
真ちゃん曰く、またお前と薬草を取りに飛ぶことがあるかもしれないからお前はなるべく元気な方がいい、と。まったく、赤司から聞いていたとは随分違う。赤司は真ちゃんが俺のことをすごく心配していたと言っていたのだが。素直じゃないね、真ちゃんも。てかまた俺とお出掛けしてくれるつもりなのね。そんなところにまたにやにやしていると、さすがに勘づいたのか勘違いするなと顔を赤くした真ちゃんに怒られたのは一昨日の話だ。

「うひゃっ……、相変わらず染みるなそれ」

「仕方ないだろう、良薬は口に苦しと言う諺もあるのだし、そういうものだ」

突然翼に触れられて、背中がびくりと跳ねた。痛みを訴えても真ちゃんは遠慮なしに羽の先端に薬を塗り込んでゆく。首を回してちらりとその様子を盗み見ると、白くしなやかな腕が丁度肩へのびてきたところだった。そのまま肩にも薬を塗り込まれ、けれどこちらはあまり痛くない。傷口が完全に塞がっているからだろう。
しかし痛みのかわりに深刻なのは、じわじわ俺の胸を責め立てる激しい動悸だ。大きな翼が邪魔をするので、真ちゃんはどうしても身を乗りだして肩に触れる必要がある。そういうわけで、かなり俺と真ちゃんが密着した状態になるのですよ。どれくらいかと言えば、真ちゃんの首にかかった瑪瑙の首飾りがうなじに掠めるくらいには。
首飾りは真ちゃんの日課の星占いが示したもので、持っていると運気が上がるのだよと自信満々に言われた。占いはよくわからないが、こいつの占星術がよく当たるのは身をもって経験したので深くはつっこまないでおく。
ちなみにこの密着は、朝と夜の二回、薬を塗り直すたびに起こっている。あのね真ちゃん、和成君はそろそろあなたを押し倒したいのですが。気持ち悪いとか言うなよ、好きな子相手にこうもされたら男なんてみんなこんなもんだろたぶん。
いっそ無理矢理押し倒してその気にさせちゃえばどうにかなるかな、と邪な考えも浮かんだには浮かんだのだが、真ちゃんの嫌がることをするのは嫌だし、なによりその時偶然か通りかかった赤司に笑顔で「真太郎に手を出したらただじゃおかないからね」と囁かれてまじで背筋が凍ったのでやめておく。あれは本当に偶然だったのだろうか。はっきりと罰の内容を言わないところが尚更恐ろしい。てかあいつ俺の心読めるってのか。

「終わったのだよ」

「ん、ありがと」

かたりと薬箱を閉じる音と共に、耳にかかる吐息も離れていった。少しだけ名残惜しいな、とも思ってしまうけれどそれは胸の内に留めておく。

「……しかし天狗の翼というのも、案外面白いものだな」

「へ?」

不意に真ちゃんがぽつりと漏らした。と、同時に翼に違和感。思わず間抜けな声を上げて振り向くと、指先で羽根をなぞる真ちゃんと目が合った。

「医学書は沢山読んできたが、天狗に関する記載はほとんどないのだよ。ほら、この翼の生え際など、」

「うぎゃっ!?」

肩甲骨のところから伸びた翼の付け根を爪でちょんとつつかれた。ひかえめなそれは尚更ぞくりとした感覚を煽り、なんとも言えない。くすぐったいような、痺れるような。他人に触れられることなんてめったにないからだろうか、変な気分だ。
慌てて逃れようと思ったのだが、じいっと真剣に真ちゃんに見つめられてなかなかそうするわけにもいかない。骨格がどうのとかあの薬は応用できるかなどと呟いていて、そっか知的好奇心を刺激しちまったわけね。仕事熱心でたいしたもんだ、赤司が離さないわけだよ。狐の自慢の薬師様だ。けど、さ。
そんなに見つめられたら、ねえ。さっきまで考えていた邪な気持ちがまた首をもたげて、ああもうどうなってもしらねえぞ。まず真ちゃんは自分の姿を鏡で見るべきなのだ。そうして自分がどれだけ罪作りか自覚するといい。

「……真ちゃん、そろそろ」

「ああ、すまない。つい夢中になってしまったのだよ」

そろそろ、俺が限界だ。これは許しておけないな。そうだ、と咄嗟に頭に浮かんだ遊び心半分照れ隠し半分の作戦を実行するとしよう。なんてな。

「だーめ、許せない。うりゃっ!仕返しだ!」

「っ!?」

ぱっと手を離し申し訳なさそうにする真ちゃんに飛びついて、後ろに回り込み両腕を細い腰に回す。いきなりの俺の行動に驚いたのか真ちゃんは身をよじりのがれようとするので、脚でもってがっちり捕まえて身動きをとれなくしてやった。

「っ、なにをするのだよ!」

「へへっ、さっきの仕返しなのだよ!」

ひどく焦った様子で振り向く真ちゃんににいっと笑顔を向けて、上着の裾を通り彼の腰から流れるふさふさの尻尾を右手で掴む。逃げられないように左手は腰に回したままだ。

「へえ、案外柔らかいのな」

野生の獣とは違う、手入れされた毛並み。ふわふわとした感覚が掌を擽って、それが楽しく何度も手で鋤いた。
好奇心の面なら俺も負けないのだよ、真ちゃん。一度触ってみたかったのだ。まあ「仕返し」ってのは口実で、要は俺の下心からくるそれなんだけれど。先に手を出したのはそっちなんだから、俺が同じことをしたっていいんだよな。おあいこだぜ、なんて、実に都合のいい解釈である。
絶対俺今気持ち悪いくらいにやけてるよなと思いつつ、ふと目線を上に上げた。で、硬直。え、なにそれどうしたの真ちゃん、頭のなかがぐるぐるして、不覚にも沸騰しそうになった。

「っは……、たか、いいかげんに、」

「え、あ、っごめん!」

慌てて両手を離し、混乱しかけた頭を叩く。俺としてはほんの、軽いいたずらのつもりだったんだけど。変な気分だとはいっても翼を触られたときは余裕で耐えられる程度のものだったし、これもそんなもんだと思ってた。過去形。
だって俯いた真ちゃんの首筋はうっすら赤くなって、よく見ると小刻みに震えている。俺を制止したその声は、熱を孕んでうまく舌が回っていない。
……なんというか、すごく背徳的な気分だ。いけないことをしてしまったみたいな、てか真ちゃんの表情がやばい。肩越しにこちらを睨む瞳はうっすら涙の膜を張り艶やかで、思わず下腹部がずくりと疼いた。

「真ちゃ、その、調子乗って悪かった、」

「……獣の尻尾は弱点のひとつだ。覚えておけ」

「はい」

乱れた息を調えながら話す姿に俺まで赤面してしまう。そっか、弱点なのか。また一つ勉強になった、じゃなくて!
こう上手く言えないけれど、なんだか俺はとんでもない発見をしてしまった気がする。ばくばくと煩い心臓はむしろ爆発してしまいそうだった。意外すぎるというか、なんというか。
真ちゃん、所謂性感帯ってやつでしょ、それ。弱点ってそういう意味。どうしよ、こんな姿見せられちゃあ苛めたくなるのが男の性。反省は口ばかりに、自由な右手は緑の尾の上をさ迷っていた。理性とかそういうのをなしにした、もっと本能的なぶぶんで歯止めがきかなくなりそうで、

「高尾君、いるか……、」

どんな偶然だよと疑いたくなる程の間のよさで、がらりと襖が開いた。涼やかな男の声が降りかかり、けれど途中で硬直したかのように途切れた。

「あ、かし…?」

名前を呼ばれたのでとりあえず返事をして、冷や汗を浮かばせながら顔をあげる。真太郎に手を出したらただじゃおかないよ、脳裏をあの台詞が掠めた。ちなみに部屋の畳の上には頬を紅潮させ俺を睨み付ける真ちゃん、その背中に張り付いて腰に手を伸ばす俺。故意でないにせよ、どこからどうみてもこれから手を出す体勢ですよねわかります。……高揚してなかば暴走しかけた気分が、一瞬にして冷めていった。えも言えぬ恐怖感によって。

「高尾、ちょっと来てくれるかい?」

あれ、なんか呼び捨てになってる。このまま俺を燃やしそうな雰囲気を纏った赤司の笑顔は、胆が冷えるどころじゃなかった。ごめん真ちゃん、俺死ぬかも。
けれどやっぱり冷静になった頭の底に残るのは彼のことで。まずい、もう友達のままとか我慢できないかもしれない。本気、出しそうだわ。




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