けたたましく鳴いた目覚まし時計を叩き、むくりとベッドから起き上がる。心地よく差し込む日射しを浴びていると、ふと何かが鼻腔をくすぐった。

(あれ…?なんか焦げ臭いような、)

未だ微睡む頭を覚醒させてまぶたを擦ると、真っ先に目に入ったのは開け放していた寝室の扉から立ち上る黒煙。え、嘘だろ、なにこれ。
慌てて部屋の窓を開け、とにかく現状を確認しようと扉に向かう。すると、煙のなかから人の声が聞こえた。

「おはようございます、宮地さん」

得意気な顔の緑間が、フライ返しを片手に佇んでいた。そのあまりに自然な動作に、とっさにおはようと返してしまう。
……いやいやまてまて。おはようございます、じゃないよね?お前を泊めたことは覚えているからいいんだ。けどさ、なんなのこの惨状は。

「緑間、どういうことだ」

「ちょうどよかったです、今朝食が出来上がりました」

朝食。と言うからには少なからず食べ物が存在しているはずだ。
ところが俺の目に映るのは、フライパンの上の消し炭同然の何か。ぷすぷす音がしそうな真っ黒なそれは、紛れもなく煙の原因に違いない。

「じゃねえよ!火事寸前じゃねえか!」

なんで「朝食」から黒煙が立ち込めているんだ。シンクの三角コーナーに棄てられた玉子の殻から、なにか玉子料理を作ろうとしていたことだけは辛うじてわかるが。
そもそも玉子って、そう焦がすようなものだっけ。独り暮らしを始めてからは自然と自炊もするようになったが、少なくとも玉子で失敗した記憶はない。

「目玉焼きを作るつもりが少し失敗してしまって」

「いや、少しじゃねえだろ」

目玉焼き、見慣れた料理だというのに目の前にそれらしきものの存在は一切見受けられなかった。消し炭を作り出すなど、少しどころの失敗ではない。
一応すまないという自覚はあるのか、しゅんとした様子の緑間にこれ以上なにかを言うのはやめた。うわ、よく見たら火つけっぱなしじゃねえか。玉子だったものはさらに消し炭に近づいていく。
とりあえず火を消して、フライパンをコンロから外す。濡れふきんの上に置けば、じゅわっと熱の弾ける音がした。

「緑間、よけいなこと考えてただろ」

「……どうして」

「らしくないんだよ、お前にしては」

緑間が料理を不得手としていることくらい、俺だって知っている。しかしこれは、どう見たって苦手とかそういうレベルじゃない。
緑間は不器用なものの、要領が悪いわけではないからきちんと手順を踏めばそれなりのものはできる。この目玉焼きだって、不器用にしてもここまで酷く失敗する要素なんてない。

「はい、……すみません」

「分かりゃいい。つーか素直に謝ってんじゃねえ不気味なんだけど」

悩むな、とは言わない。お前にそれなりのことがあったのは知っているから、そのぶんくらいは悲しむことも許してやる。
つーかなに後輩のくせして先輩様に心配かけさせてんだ埋めるぞ。生意気なのもいいかげんにしろってんだ。
手元の消し炭の端を摘まみ、ほんの少しだけ口に含んでみた。いくら咀嚼したところで玉子の味など皆無で、ただただ苦味だけが味覚を支配する。

「料理は俺がするから、お前は座って待ってろ」

服の袖を捲り、壁にかかったエプロンを掴む。目玉焼きと呼ばれたそれは、とても食えたもんじゃなかった。











「おら、できたぞ」

食パンとスクランブルエッグ、簡単なサラダを机に並べればあっという間に朝食の出来上がりだ。鼻をくすぐる香ばしい匂いに、やっぱ料理はこういうもんだよなと先程の惨状を思い返した。

「いただきます」

「残すんじゃねえぞ」

わかってます、とパンにかじりついた緑間にとりあえず一段落だと胸を撫で下ろす。昨日こいつが突然現れたときはどうしようかと思ったが、まあ案外どうにかなりそう、かもしれない。いや迷惑なんだけどね。ただ後輩を放っておくよりはまし、ってだけだ。
緑間の食欲は思っていたよりも良好だ。昨日ろくに夕飯も食わずに寝てしまったからだろうけれど、どんなときであれ栄養は取るにこしたことはないだろう。

「……悪くはないのだよ」

「素直に美味しいって言えバカ」

何様のつもりだこのやろう。けれどこれでこそ緑間、なのかもな。あんまり落ち込んで大人しくされると、なんだかすっきりしないし。
軽く緑の頭を小突くと、なにするんですかと返された。無表情のまま額を擦る姿に、今回は許してやるかと薄く笑えばなおさらわけがわからないという顔をされた。
わかんなくっていいんだよ。てかわかろうとするな。すこぶる可愛くない後輩ではあるが、それもひっくるめて、俺は何だかんだでお前らのことは嫌いになれないんだ。口になんて絶対にしてやんねえけど。
さて俺も食べるか、とスプーンを手に取ったところで、寝巻き代わりのジャージのポケットがかすかに震えていることに気付く。そうか、昨日は携帯を入れっぱなしで寝てしまったのだ。
今日の授業は昼からのはずだから、何かの連絡だろうかとポケットのなかをまさぐる。と液晶に指を滑らせロックを解除すると、画面を満たした表示に思わずうげっと声が漏れた。

「はあ!?なんだこれ」

目を疑う。なんなんだこれは、わけわかんねえ。
俺の声に首を傾げた緑間に、はたしてこれを見せていいものか。メールボックスを埋尽くしたのは、「高尾和成」の四文字だった。

「どうかしましたか?」

「ああ、ちょっと待て」

とりあえず一番上のメールを開く。スクロールする必要もない、文面は『返信ください』だけだった。
返信というのは紛れもなく、高尾から来た膨大な量のメールだろう。
指を滑らせ、メールの山を遡って行く。しばらくは『返信ください』がうざいくらい続いていたが、十数件遡るとやがて最初に送られたと見られるメールに行きついた。
『真ちゃん知りませんか。居なくなっちゃったんです』。実に幼稚な、けれど端的な質問だ。

「……ほらよ、見ろ」

「なんですか、」

画面を見たとたんに、緑間の顔つきが険しくなったのがわかる。そりゃそうだよな、いまのこいつのなかじゃ高尾は自分を捨てた男だ。

「知らないと返してください」

お前はいいのかよそれで。自ら繋がりを断つことになるんじゃねえの。
悲しい顔をしているのは、まだ切り捨てられていないからだろうが。メールを見る限り、高尾は相当緑間のことを心配しているように思える。
やはり何かの勘違いではないのだろうか。本当は浮気なんてなくて、緑間が思いこんでいるだけ、では。

「いいのかよ。高尾心配してんぞ」

「いいんです。……高尾は優しいから、」

まだ別れるとは言われていないから。
つまりあれか、こいつは高尾に会うのを怖がっているのだ。未練があるぶん、別れを告げられるかもしれないと怯えて。
しかし高尾が見知らぬ女と歩いていたというのも、また事実なようであるし。こういうとき、俺はどっちの肩を持てばいいのやら。

「つーかお前、自分の携帯は?」

「電源を切ってあります」

俯きながら答える緑間に、はあとため息を吐く。
やっぱ臆病になってやがんな。さて、俺はどうするべきか。

「…わかったよ。とりあえず、送っといてやる」

今はまだ、目の前で悲しみに暮れている後輩の味方をしてやることにしよう。どのような事態であれ、高尾が裏切ったことに変わりはないのだから。
しかしまあ、高尾もなんで俺にメールしてくるのかね。俺も暇ではないのだが。こういうときに先輩を頼るところまで、お前らは似てるのにな。








溺れてしまえ



prev:next






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -