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「緑間っち、見て見て!」

興奮ぎみの黄瀬から突きだされたのは、薄っぺらい紙に印刷されたいつもと変わらない仏頂面の自分、と黄瀬。まあ主体は黄瀬なのだけれど。それでも黄瀬は俺を指差し、ばしばしと音をたてながらなにやら色々賛辞を述べている。

「綺麗に写ってよかったっス!」

「そうか」

正直自分の容姿についてはどうとも言えないし(変に同意したらナルシストだ)、あまり外見を気にしてはいないので適当に返事をした。

「実はね、もう何件か問い合わせ来てるんスよ」

「は?」

「この格好いい人は誰ですかって。緑間っちまじで一緒にモデルやろうよ」

黄瀬と写った段階で、男性向け雑誌と言えども女性客がかなりくるだろうことは目に見えていた。出版社側もそれを見越して企画を組んだのだろうし。
しかし俺に興味を持つ人まで出てくるとは。物好きはやはりどこにでもいるらしい。最近そんなことばかり感じている気がする。
どんなことであれ褒められれば悪い気はしないが、それはそれで複雑である。そもそも芸能など全く関心がないし、容姿については自分が誇るものではないような気がするのだ。黄瀬がいつも肌の手入れをしているのとは違い、俺は必要もないので最低限の清潔さを保つくらいしかしていないし。

「興味がないし俺には向いていないのだよ」

「ちぇっ、また振られたっス。俺がこんなに誘って靡かないの緑間っちだけっスよ」

「妙な言い方をするな」

因みに黄瀬の誘いを断り続けてかれこれ七年程。いい加減諦めろ。この間のは報酬に釣られただけの一回限りのものなのだし。しかし彼の口ぶりは、まるで口説いているみたいじゃないか。
あ。妙な、そうだ妙なのだ。まず第一にわざわざ黄瀬のアパートまで押し掛けた動機を思い出す。二週間ぶりに会った黄瀬はやたらと構ってきたので切り出すタイミングを見失ったのだが、いつまでも流されてはいられない。

「そうだ黄瀬、お前に聞きたいことがあって来たのだよ」

「…至って真面目なんスけどね。で、改まってどうしたの?」

丁度二週間前になるだろうか。黄瀬の撮影に連れていかれた、次の夜。
脳裏に黒髪の男が浮かぶ。あいつのせいで俺はしばらくどんなに頭を抱えたことか。こうしてようやく黄瀬と会うことができたのだ、しっかり真相を確かめなくては。

「高尾のことなんだが」

「高尾っち?何かあったんスか?」

「唇を奪われたのだよ」

「は!?」

ばさり。黄瀬の手から雑誌が床に落ちた。けれど黄瀬はそれを拾う素振りも見せず、ただ唖然と口を開いたまま硬直してしまっている。
まあ無理もないだろう、俺が高尾に、だなんて。俺自身三日は状況が理解できなかった。あの後家に帰ると高尾からなんてことない『今日は夕飯おいしかったね!また行こうぜ!』と言ったメールがとどいていて、疲れが見せた幻覚なのではないかとすら思った始末だ。されど唇に残ったやわらかな感覚は確かに本物で、現実と妄想の区別くらいつくわけで。
実のところ今でも絶賛混乱中なのである。高尾はアイドル、といえば女性に好意を寄せられまくっているに決まっていて、なにをどうしたら男に転がるのか。それとも高尾の民族がそんな感じなのか。挨拶代わりにキス、僕とあなたはオトモダチですのキス。あいつはどう見ても純日本人なのだが、実はそうだったりすると言うのか。

「……唇?」

「ああ」

「……手ぇ早すぎっスよ、高尾っち…」

うぅと呆れたように声というか嗚咽に近いなにかを漏らした黄瀬が、爪の手入れも行き届いている掌で顔を覆う。動揺っぷりから察するに、高尾の行動はこいつですら読めていなかったらしい。

「どういう意味だと思う?」

「緑間っち…ソレ俺に聞くんスかぁ…?」

やけにげっそりとした黄瀬はへなへなとソファに背を投げ出した。そしてちらと俺を見上げ、大きく溜め息をついた。
認めたくはないが、高尾のアレはどう考えても好意を寄せるそれだろう。それくらい俺だって察しがつく。どうせからかわれているのだろうと結論づけたが、その後の高尾の態度がグレーゾーンなのだ。直後にメールを送ってきたりとか、まるで。この二週間の間もちょくちょく送られてきていたし。

「とりあえず高尾っちに直接確認してみるしか…」

と、いきなり玄関のチャイムが部屋にこだました。一瞬びくついた黄瀬は少し待っててと言い残し、足早に部屋のドアをすり抜ける。
そうして数秒後、黄瀬の悲鳴にも近い声で今度は俺が肩を跳ねさせるはめになった。

「どうしたのだよ!?」

「っ!その声!真ちゃん!?」

だだだだだ、ばん。俺が立ち上がり声を張り上げた次の瞬間、なにやら聞き覚えのある声がして、なにかが此方へ全速力で駆けてくる音。そして、蹴破られたのではないかと思う程ドアが勢いよく開け放たれた。

「ちょっ、高尾っち、待、」

「やっぱ真ちゃんだ!嘘、何コレ運命じゃ」

「お引き取り願います」

ばたん、だん、ぎしぎしぎしぎし。
まずい怖い。握りしめたドアノブが不自然に震えている。慌てて開かれたばかりのドアを再び閉めたものの、やはりこれは現実らしい。

「ちょ、真ちゃん、開けて!」

「断るのだよ」

いつまでもこうしてはいられないのはわかる。ただしせめて黄瀬が戻るまでは、そうでないと大切ななにかを失ってしまう気がするのだ。身の危険をはっきりと感じたと言うべきか。

「うおっ!?」

「緑間っち、もう大丈夫っスから!俺が押さえてるんでとりあえず開けて!」

ドアの向こうから高尾の面食らった声が漏れたのを確認し、恐る恐るドアノブを引く。室内よりも少しだけ薄暗い廊下を見下ろすと、床で取っ組み合う成人男性が二人。なんて情けない光景だろう。原因の半分を担う俺が言えたことではないが。
ドアが開いたのを確認すると、真っ先に立ち上がったのは高尾。まるで目が光ったのかと思う程鋭く俺を捉えて、そのまま地面を蹴って勢いよくダイブ。
……やられた。胸に一気にのしかかる質量と、身体を締め付ける二本の腕。やっぱり本物だぁとか聞こえてくるが、俺の偽者がいてたまるか。

「はいはい高尾っち、離れて離れてー」

「むぎゃ!ちょっと黄瀬、久々の再会なんだから楽しませてよ」

「もう十分ふざけたでしょ」

いつの間にか起き上がりこちらまで来ていた黄瀬が高尾のシャツの首筋を掴み、ぺりっと俺から引き剥がした。呼吸が楽になり、柑橘類の香りを孕んだ空気が肺を満たす。

「はぁ…。ま、お茶出すから二人ともそこに座ってて。大人しくしてるんスよ?」

呆れたような疲れきったような黄瀬がソファを指差し念を押した。人の家で騒いでばかりもいられないので、大人しく部屋の主の言葉に従うことにする。
やわらかなクッションに背を預け、膝の上で足を交差させた。隣からぼふんとソファに体の沈む振動が伝わってくる。言わずもがな高尾だ。

「改めまして、二週間ぶりだね真ちゃん。元気してた?」

「…のしかかるな、重い。というか元気も何も、毎日メールをしていただろう。お前があまりにしつこいから無視できなくて困っているのだよ」

「真ちゃんはしつこいと無視できねえのな。よし、もっといっぱい送ろ」

皮肉めいて答えてみたが、高尾は全く意に介さないといった様子で俺の肩にかける体重をさらに大きくした。右手で押し返そうと試みるも抵抗され、余計に強く擦りよってくる気がしたので早々に諦める。

「ねえ真ちゃん、怒ってる?」

「何をだ」

「こないだの夜のこと。言っとくけどアレ冗談とかじゃないよ。珍しく高尾ちゃん本気ですから」

覚えといてね。にやりと笑んだ高尾の骨ばった中指が、ふにと俺の唇を押さえた。
ああ、あのことか。たしかにいきなりあんなことをされては、腹立たしくもなるのだよ。しかしそれよりも。

「どちらかと言うと混乱しているのだろうな。理解できないのだよ」

怒る以前の問題だ。まずこいつの本意を理解しなければ話にならない。
その話をつけようとしたのに、高尾の言葉に尚更わからなくなってしまう。本気?あの行為が?その発言こそ本気で言っているのか。

「理解も何も、理由なんてあるっちゃあるけど上手く説明できないし。俺が真ちゃんに惚れちゃったの。それだけ」

「やはり意味がわからないのだよ」

「わからなくてもいいよ。ま、嫌がられてなかったみたいだしマジ嬉しいわ」

それだけ言うと高尾は身体を起こし、急に真面目な顔になった。切れ長の釣り目を細め虚空を睨んでいる。
なんとなく口を挟めなくて、それきり十数秒くらい数えたときだろうか。高尾は此方に向き直り、今度はにやりではなく目を細めたままぎこちない笑顔をつくり、喧しいだけと思っていたその口をひどく控えめに開いた。

「ねえ真ちゃん、俺と付き合っちゃわない?」

「は?」

思わず聞き返してしまった。つきあう。つきあうとは。
ポケットからスマホを取り出し辞書機能をつつく。つきあう、双方からつくこと。例文、角を突き合わせる。違う、これでないことくらいわかる。俺にも高尾にも角的なものはないはずだ。
ではもうひとつの方、……まじわる、交際する。
俺の知っている「つきあう」だ。しかし高尾、用法がおかしいと思うのだよ。

「俺は男だぞ」

「知ってるっつの!でも真ちゃん女の子より美人さんなんだから問題ないって。しかも俺、並大抵の子よりよっぽどできた恋人になる自信あるよ?」

あ、言っちゃいましたね。恋人って言っちゃいましたね。これはもう言い逃れできない、こいつも俺も。
というか問題しかないのだよ。お前の頭には何が詰まっているのだ。俺が女でないことがどこからどう見てもまず第一にして最大の関門だろう。

「悪いが俺にそちらの趣味はない」

「つれねえなあ。実際付き合ってみたらすぐ離れられなくなっちゃうよ?」

「その自信はどこから来る」

なんで。言っている中身は軽いが、目線だとか手の位置だとかは俺の知る限り真剣そのもので。まあその知識も小説などの受け売りなのだけれど。
ところで高尾、なぜお前の右手は俺の顎に伸ばされているのだよ。どこかで見たことのある体勢だ。ただし、今の俺のようになっているのは、皆女性だったはずだが。

「おい、」

「いいよ、わかった。なら真ちゃんが俺なしで生きられないってくらい惚れさせてやる!」

にいっと歪んだ口元に浮かぶのは宣戦布告。ちょっと待て俺の意志は無視か、開こうとした口はまた指先で塞がれた。

「二人とも、人の家でいちゃつかないでほしいっス…」

そこでタイミングがいいのか悪いのか、三つのカップが置かれたトレーを片手に乗せて黄瀬が部屋に戻ってきた。やけにげっそりとしている。
いちゃついてなんかいないのだよ馬鹿め。そんな言葉も、まだ塞がれたままの唇のなかで消えていった。



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