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「さ、真ちゃん召し上がれ」

何がいったいどうなったのだよ。テーブルを挟んだ向かいに座る男と、そのテーブルの上に広がる和菓子をやけにぼんやりとした思考で交互に眺めた。お汁粉にあんみつ、恐らく抹茶味だろうパフェまである。ひとつひとつは小さいが、それでも種類があるのでなかなかに圧巻だった。

「どういうことだ」

「どうって、俺の奢りだから食べて?」

腕時計を見ると、時刻は午後の三時を少し回ったところで。確かにお菓子を食べるにはもってこいの時間帯だろう、いやまて違うそうじゃない。

「お前は暇なのか?」

「ぶはっ!暇なわけねえじゃん!俺、これでも今をときめくアイドルなんだぜ?」

そう言ってからからと笑う男は、スマホを開いてスケジュールを見せてきた。びっしりと埋まったその予定になおさら首を傾げるはめになる。
ことの発端はつい先程。今日の講義を終え帰路についた俺の前に、一台の車が立ちはだかった。そしてその車から出てきたのがこの男、高尾である。まさか昨晩のメールの通りに現れるとは思わなかった。ただの冗談かと思っていたのだが。
それからはなし崩し的に車に乗せられ(昨日の借りがあるので強く出られなかったからだ)、気がつけばこのお高そうな甘味処に連れてこられていたのである。

「お前が忙しいのは十分にわかったのだよ。なら尚更、なぜわざわざ俺を連れてきた」

「いいじゃん。真ちゃんと遊びたかったのだよ」

ああ、世の中の少女たちが見れば歓喜するような笑顔なのだろうな。ただし生憎俺は全く興味が無く、眉間の皺が深くなるだけだ。
そもそもなぜお前が講義の終わる時間を知っている。それに、ここは元から黄瀬に奢らせるはずだった店で、……そうか黄瀬か。あいつが俺の個人情報を流したのか。後で笠松さんに通報してやる。存分にしばかれろ。

「ほら、甘いの好きなんでしょ?遠慮しないで食べろって」

「遠慮など、……いただくのだよ」

とりあえず向こうが奢りたいと言うのなら、貰える甘味は貰っておこう。滅多に食べられるものではないのだし。
なぜ高尾が俺を誘った(というより無理矢理連れてきた)のかは謎だが、もしかしたら一般人と遊んでみたいだとかそういう気持ちもあるのだろうか。芸能人も大変だ。同情はしないけれど。

「……おい」

「ん?なあに?」

「落ち着かないのだが」

しかしこれはさらに理解できなかった。高尾はと言うと、先程から俺がスプーンを口に運ぶ様を机に両肘をついてにやにやと見つめてくるのだ。どうにも居心地が悪い。

「食べたいのか?」

「ううん、俺甘いの苦手だし。真ちゃんが幸せそうに食べてるからさあ」

答えはすぐに返されたのに、何が言いたいのか全く掴めない。小さな子供や可愛らしい女性が食べているのならそれこそ絵になるのだろうが、今お前の目の前で洒落た和菓子を咀嚼しているのは紛れもなく大人の男である。それも、かなり大男の部類に入るような。とても見ていて楽しいものだとは思えない。
ならあれか、他人の幸せは私の幸せですと胸を張って言えるタイプなのだろうかこの男は。それは大層素晴らしい人間性だろう。しかし、なぜそれを俺にまで当てはめる。やはり理解不能なのだよ。

「物好きだな」

「なんとでも。それより真ちゃん、この後ヒマ?」

散々頭を悩ませたお返しだと言わんばかりに皮肉を込めて呟くと、あっさりとかわされて逆に聞き返された。唐突すぎる。 暇?と疑問系ではあるが、暇であることを確信したような口ぶりだ。

「別に暇というわけではない。予定はないが、することがなければ明日の予習をするまでなのだよ」

「ならいいじゃん。ちょっと俺に付き合ってくんね?」

少しくらいいいでしょ?と微笑みながら高尾がちらつかせたのは、俺の腹に収まったものたちが運ばれてきたときにさりげなく渡された伝票だった。ぱっと見た段階で、今の所持金では賄えない額だと悟る。さすが高級店、桁がひとつ間違っているのではないのか。高尾が唯一頼んだコーヒーですら、自販機のそれが十本近く買えるだろうお値段である。
……はめられた。なんとなく、そう直感した。この男は人の良さそうな笑顔を張り付けて、静かに布石を打っていたのだ。

「……何が目的だ」

「着いてきたらわかるよ。真ちゃんにちょっとお願いしたいことがあんの」

さすがに犯罪性のあるものではないだろうが。それでも警戒していると、怖がるようなことじゃねえよとけらけら笑いながら返された。






俺は何をしているのだろう。切り揃えてあった前髪は半分を後ろに流され、ワックスで固められてしまっている。頭に妙な異物感を与えるのは、茶色い洒落た(と思われる)小ぶりの帽子。名前はあるのだろうが、生憎俺にはわからなかった。
眼鏡をかけたままでいることを許してもらえたのは、不幸中の幸いかもしれない。ちなみに昨日の眼鏡は確保したと先程黄瀬から連絡が入った。今かけているのはスペアである。

「じゃあ今度は二人で肩組んでみてねー」

ずしん、と肩にのしかかる重み。と、同時に眩しいフラッシュが視界を白に染め上げて、瞬きをしているとようやく撮影終了の合図が耳に入った。

「お疲れ真ちゃん」

「疲れたにも程があるのだよ。お前も黄瀬も、頭は大丈夫なのか?」

もう終わったと言うのに高尾はまだ俺の首に腕を回している。爪先立ちのまま。そんな様子を軽く睨んで、借り物の帽子を取り近くのテーブルに置いた。
まさか二日続けてこんなことをするとは思わなかった。黄瀬もこいつも物好きな。二人とも人気があるだろうに、一般人なんかと写って売り上げが落ちても知らないのだよ。
あの後結局流されるままに高尾の車に乗せられ、気がつけば昨日と同じ場所に来ていた。なんでも高尾が今度出すらしい個人写真集の撮影だそうだ。
しかし何を血迷ったのか、高尾は俺に一緒に写れと言い出した。お前正気か。そう返すと、高尾は自信満々にスマホの画面を見せてきた。そこには黄瀬と並んで無愛想にカメラを見つめる自分がいたわけで。黄瀬から送られてきたらしい。で、高尾はそれを酷く気に入ったのでぜひ自分もと。よけいなことしてんじゃねーのだよ黄瀬め。笠松さんだけでは生温い、後で俺も合流してしばいてやる。

「いやあ、真ちゃんと写れて楽しかったぜ。滅多にいねーもんこんな美人!」

「高尾……一度病院に行け」

「いや頭は平気だから!ねえおねーさん、緑間君ってすごい美人さんですよね」

らちがあかないので脳外科の受診を勧めると、高尾は通りすがりの女性に声をかけた。無視してもいいのに、スタッフの一人だろう彼女は俺をじいっと見つめてくる。なるほど、視線が痛いとはこういうことか。

「最高ね。どう緑間君、うちの事務所のオーディションうけてみない?」

「……は?」

「ほらね真ちゃん!真ちゃんは満場一致で美人さんでっす」

高尾が高らかに宣言すると、うんうんとスタジオのあちこちから相槌の声が聞こえてきた。同時に舐めるような視線に晒されていることも理解する。なんだこのスタジオ、みんなで変なキノコでも食べたのではないのか。
今日はスタッフの大半が女性だったことがせめてもの救いかもしれない。まだ視線にも耐えられる。しかし時折聞こえてくる「緑間君は受け」というとてもデジャヴを感じる言葉は何なのだろう。昨日の柔道説からいくと大変不本意なのだが。まだ勝負すらしていない上、自分とこんなに身長の離れた男に負けるとは思えない。

「……あんま無遠慮に見られんのも癪だな」

「高尾?」

「いや、何でも。それより真ちゃん、予想以上に良いもん撮らせてもらったお礼に夕飯奢るから行こうぜ?」

何か呟いているようなので尋ねると、やわく首を振られて否定された。そして、高尾がまた強引に腕を引く。更衣室に向かうのだろうが、それくらい自力で行けるのに。
スタジオを離れる際、お疲れ様でしたーと笑顔を振り撒く高尾は正真正銘違う世界の人間なのだと改めて思う。理由は知らないがそんな奴がわざわざ俺に目をつけるとは。やはり相当の物好きだな、と一人ごちた。







「というかいきなり俺を連れていって良かったのか」

「元々普段の俺を撮りたいって注文きてたんだよ。だからお友達連れてきますってことで」

ヘッドライトの群れが薄暗い夜を照らすのをぼんやり眺めながら、隣でハンドルを握る高尾に尋ねた。帰路につく車の中でラジオから流れる静かなバラードは、夕食を終えくつろいだ身体に眠気を誘う。高尾の答えはと言うとまあ割りとまともな理由で、少しだけに安堵した。

「意外だな。お前はもっと交遊関係が広いのではないのか?」

本当のところは知らないけれど、いかにも友人が多そうなタイプに見えるのだが。そのなかに誰一人としてある程度のルックスを持つ輩がいなかったということはあるまい。こいつや黄瀬はやれ人のことを美人などとほざいているが、それもなかばからかいみたいなものだろうに。

「友達は普通にいるけど。でも真ちゃんと写りたかったんだよ」

「意味がわからないのだよ」

「……鈍すぎだろコイツ」

首を傾げて高尾に目をやると何かぼそりと漏らしたようだ。しかしエンジンの音に掻き消され、俺の耳に届くことはなかった。
それからはなんとなくラジオから流れる音楽に身を委ねて、うとうとしながら車に揺られていた。眠ることはなかったけれど、それでもいつの間にかアパートの近くの交差点に差し掛かっていたことに気づく。少し細い道を入るのでここでいいと慌てて高尾に告げると、彼は小さく頷いてちょうど側にあったコンビニへ車を寄せた。

「じゃ、またね真ちゃん」

「ああ。機会があればな」

「冷てえの。あ、そうださっきの続きだけど」

続き?と尋ねるより先に、車から降りる最中の腕を強く引かれ阻まれる。まただ、とこういう時に限って役に立たない頭は隅の方で働いていた。ぐらりと体が傾くのがわかる。慌てて左手を座椅子について体勢を立て直し、何事だと文句の一つでも言ってやろうと顔を上げる。
そうして、唇にやわらかな感触。

「は、」

「つまりそーゆうこと。じゃあまたね真ちゃん!」

にっこりと屈託のない笑みで高尾が手を振り、思わずつられてああと手を振り返してしまった。全く働かない脳で現状を必死に整理しようとして撃沈。去り行く車のライトは、妙にちかちかと目に眩しかった。



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