真ちゃんと付き合い初めて早三ヶ月。手も繋いだし、まだ慣れないけれど唇だって何度も触れ合わせてきた。
だからそろそろ、もう一歩進んじゃってもいいんじゃないの。

「真ちゃん、今日部活のあと俺んちよってかない?父ちゃんも母ちゃんも飲み会で遅いからさ、気兼ねしなくていいよ」

何の気なしな風を装って、さもなんとなく今思い付きましたといった口ぶりで賭けに出た。演技は、まあ、下手くそなほうではない。実際は下心たっぷりなんだけれど、気付かれてはいない、はず。正直なところ、期待と不安が折り混ざって、心臓はばくばくと情けなく跳ねていた。

「わかった。丁度俺も今日は両親が出払っているのだよ。少し長居しても構わないか?」

俺の心境を知ってか知らずか、真ちゃんは相変わらずの無表情でさらっと誘いに乗った。しかも、なにやら嬉しいおまけつきで。

「えっ……ああ、うんうん!いくらでもいいよ!な、なんなら泊まってってもいいからね!」

驚きと歓喜のあまり、一瞬の間ができてしまった。長居してもいいか、って。……もしかしたら、こいつもそういうことを期待してるんじゃないの?こいつに限って、と言いたいところだが、真ちゃんの発言がもう色々とそう予想せざるを得ないようなものだったので、俺は内心ガッツポーズを掲げ、しかしここは教室だったので弛む頬を必死に抑えた。真ちゃんは「なにをそんなに嬉しそうにしているのだよ」と怪訝そうな顔で俺の顔を覗き込んでいたが、全部お前のせいだからな!こうなったらお望み通り、めいっぱい愛してやるから覚悟してろよ。






しかし俺はすぐに知ることとなる。舞い上がっていた俺の考えは甘すぎた。そう、相手はあの真ちゃんだったのだ。

「ここが違うのだよ。なぜここで因数分解をする」

俺は今切実に自分のおかれた状況を問いただしたい。なんで俺真ちゃんに数学教わってんの。なんで好きなやつと自室で二人っきりっていう最高においしいはずのシチュエーションで、べつに好きでもなんでもない勉強をしなくちゃいけないの。

「……あ、あのさ真ちゃん、せっかくうち来たんだしさ、なんか勉強以外のことしない?」

机にかちゃんとシャーペンを置いて、机越しに向かい合った真ちゃんを見つめる。突然中断を余儀なくされたからか、真ちゃんは参考書を片手に眉間の皺を深くした。言葉にでていなくてもだからお前はだめなのだよと言われている気分。
でもね真ちゃん、そんな不愉快そうにされてもね、もう俺そろそろ限界なんだけど。にわかに期待していたぶんだけ、おあずけくらうとやっぱ辛いわけで。だからお願い、感づいてくれよ。
つっても無理か、だって真ちゃん見るからになんにも知らなそうな感じするもん。そうだよな、真ちゃんなんだもん。どう育ったら高校生にもなってこんな無垢で純情になれるんだよ。ある意味健全じゃない。初めてキスしたときもぽかんとしたあと真っ赤になって固まってたもんな。
まあ、そんなとこも、少なからずいいとは思っているんだけれども。無性に可愛くて大好きだけれども。今回ばかりは、障壁にしかなりえないのが現実だ。

「どうしたのだよ。遠慮はいらん。そもそも、お前が家に誘うなど下心あってに決まっている。目当ては再来週の模試だろう?早めの対策に出たことは褒めてやるのだよ」

ふ、と僅かに表情が和らいで、お前のことなどお見通しなのだよというかのように得意気な顔で薄く笑うこの男をどうしてくれようか。お前何もわかってないからね。ほんとにここまでくると天然記念物なみの純粋さだ。
いや、下心ってのは合ってるけどね!でも方向がぜんぜん違うし、それを下心と言っていいのかすらわからない。

「だからそういうつもりじゃなくて!」

「遠慮するなと言っただろう。それと机を叩くな、字が歪むのだよ」

「あーもー、だからあ………」

駄目だ。勝てそうにない。肩を落として俯いて、さながら飼い主に怒られた犬のように項垂れる。
真ちゃんは、俺が勉強を教えてもらうために招いたのだと思い込んでいる。今時そうそういないよ?仮にも彼氏に招かれてそうとしか思わないようなやつ。しかし、こいつは俺がどれだけ弁明しようとしても聞く耳を持たない。ストイックでマイペースなところが、一気に都合の悪い方向へ働いてしまった。

「うー……真ちゃんさあ…」

そうだよ、いつも真ちゃんと一緒にいて、彼の言動を見てきた俺なら、こうなることを前もって予測できていてもおかしくなかったのに。巷ではホークアイだのコミュ力チートだのと誉れ高い俺も、恋愛にうつつを抜かしすぎてしまっていたのだろうか。
こうなるのなら、招く前に真ちゃんは絶対に持ってないだろうエロ本でも渡して予備知識をつけておくべきだったかもしれない。たぶん破廉恥なのだよとか言っておもいっきり拒否られてただろうけど。ああ、なら少女漫画とかよかったかも。いくら真ちゃんだって少なくともそういう行為があることくらいは知っているだろう。だからとにかく、恋人の部屋に二人きり、の意味するところを知ってもらわないとまずいのだ。いろいろと。

「高尾?……もしかして、具合でも悪いのか?」

項垂れる俺を不審に思ったらしい、真ちゃんが机から身を乗り出して俺の様子を窺ってきた。ああそうだよある意味具合悪いよお前のせいで。
こてん、と首を軽く傾げた仕草がなんともあざとく見える。てか顔、近くね?いくら俺が挙動不審だからといえ、そんなに至近距離で見つめられると、

「うひゃあっ!?」

「む……少し熱い気がするのだよ。顔も赤い、体温計はどこだ」

それは全てお前のおかげだよ。言ってしまいたいけれど、言えない。なにいきなりおでこ触ってきてるの。変な声でちまったじゃん。
人肌温度の融合を避けるかのように、触れ合ったところが一気に熱を増す。熱があるかどうかの確認だろうけど、その熱の発生源お前だから。俺の顔は今トマトみたいになっているにちがいない。この状況で、この近さ、もう、きついどころの話じゃないんですけど。

「っ真ちゃんごめん!」

ああもう、我慢の限界だ。こうなったら自力で教えこんでやる。押さえつけていた純情やら下心やらが混ざりあったぐちゃぐちゃなきもちが、堰を切ったように溢れだした。
一応体裁だけでも断って、随分近くにあった頭を掴んで引き寄せる。同意を得ていないから断った意味は正直ないのだけれど、そんなこと構っていられない。
唐突すぎてついてこれていないのか、ぽかんと薄く開いた口にくちづけて、閉じてしまう前に無理矢理舌を捩じ込む。逃げる舌を先回りして絡めると、部屋を支配するくちゅくちゅ湿った水音がまた余計に気分を助長させて、貪るように口内を味わった。
ぽたりと口の端から滴り落ちた唾液が、開きっぱなしの参考書に染みこむ。どん、と胸を叩かれる感覚に目を開けてみれば、うっすら涙を浮かべた真ちゃんが目でなにか必死に訴えようとしているのが見えた。苦しかったよな、ごめん、と心のなかで謝ってゆっくりと口を離す。
口と口とを繋いでいた唾液の糸がぷつりと切れて、一文字にノートの端へ垂れた。目元を紅に染め上げ、困惑したような顔で肩で息をする男は、未だ口を開かない。
あ、やば。なにしてんだ俺。少しだけ冷静になった頭は彼にぶつけてしまった情動を理解して、背筋を冷たい汗が流れた。



下のに続きます




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