上の続き※一応R15


真ちゃん、怒ってる、かな。これじゃあ襲っているのと同じだ。唇を離すと同時に立ち膝だった足が崩れ、机の向こうに座り込まれてしまった。それ以降は、ただぽかんとして、無言。深いキスは初めてではないけれど、慣れているわけでもない。それに今回は突然のことだった。真ちゃんはぱちくり潤んだ瞳をしばたかせて、まるで頭がショートしてしまったかのようだ。

「あー…、その、ごめん、」

ぎこちなく、どうにか喉の奥から声を絞り出して沈黙を破る。ちょっと急ぎすぎて、暴走してしまった感じがするのは否めなかったからだ。
しかし謝っているとしても、俺にはとても彼の顔を直視するなどできなかった。ばつが悪い、かっこわるいとかそういうのもあるけれど、それ以上に、耐えきれる自信がない。
いくら冷静になったところで、目元を朱色に染めながら口の端から滴る唾液を拭うことも忘れ肩で息をする真ちゃんは、どう見たって目に毒だ。一度燻り出した熱は、一向に収まる気配がない。また、暴走、しちまうかも。

「……俺、飲み物持ってくるな」

その場から逃げるように立ち上がる。格好がつかないけれど、こうするよりほかなかった。やっぱり真ちゃんに無理矢理、とか俺にはできないわ。出来る限り優しく、やれる範囲のことを教えてあげたい。そういうことも、きちんと同意を得てからじゃないと。
そしてその決意は、砂上の楼閣に等しい脆さだということも知っているから。濡れた唇が視界にちらつくたびに、もう一度噛みつきたくなる。だからこれは、俺の精一杯の防衛策だ。たとえ中身の半分ほど入ったペットボトルが床に転がっていようとも、俺の足は部屋の出口へと向かう。

「たかお」

くい、と服の裾を引かれる感覚がした。恐る恐る後ろを振り向くと、真ちゃんが机の向こうから手を伸ばしているのが視界に映る。呂律の回らない舌が俺の名前をなぞった。俺が俯いていようとも、お構い無しに蕩けた翠の瞳が俺の目を捉える。ああもう、なんなんだよ。お前襲われても文句言えねえぞ!

「し、真ちゃん、なに……」

「……飲み物ならここに転がっているぞ」

真ちゃんのもう片方の手は、いつの間にか床に転がるペットボトルを指差していた。うん、知ってるんだよ真ちゃん。俺はお前のためを思って外に出ようとしてるんだよ、察してくれよ。
そんなことを言ったところで、この天然鈍感大魔王が理解してくれる筈もなく。早くも砂上の楼閣崩壊の危機だ。至急補強工事をお願いします。いやまじで。

「あのね、真ちゃんさあ、そーゆーのまじやめてくんない……」

はあ、と溜め息を一つ吐いて、今度は俺が真ちゃんの肩を両手で掴む。こうなったら、しかたない、言葉で理解してもらうしかない。耐えろ、耐えてくれ俺の理性。

「あのね、真ちゃん、俺がどんだけ我慢してるかわかっててやってんの?」

「は?」

ああだからもう、そこで首を傾げんのやめてくんない。そういうのも我慢の対象に入るんだよ気づけ。可愛すぎて死にそうとかまさにこの状況をいい得て妙だ。

「真ちゃんはさ、俺が今なにしたいと思ってるかわかってる?」

「……勉強、ではないのか?」

どうしてそうなる。もう頼むからそのことは忘れてくれ。つか勉強したくて無理矢理キスするやつがあるか。いたら教えてくれ。変人のレッテルをもれなくプレゼントしよう。

「違うって!あー、なんつーか、……真ちゃんだって、えっちくらいは知ってるでしょ?……それだよ」

「なっ…」

えっち、って聞いた瞬間びくりと肩が震えて、心なしか目元の赤みが増した。そんなうぶな反応も大好きなんだよこの野郎。真面目な外見に違わなすぎて、逆に可愛い。
てか俺、言っちゃったよ。一応真ちゃんでもえっちの意味することくらいは理解しているようでひと安心だが、顔をみるみる赤くしている真ちゃんに予断を許さぬ状況である。

「……高尾、その、」

「なに?」

「そ、それ、は、男同士でもできるものなのか」

ところが真ちゃんの返答は、予想から少し外れたものであった。赤い顔を俯かせて、蚊の鳴くような声で。

「……ああ、やろうと思えばね」

なんだか彼を汚してしまうような気がして少しだけ躊躇したが、結局のところ恋愛感情の終着点にそういった欲が少なからずあるのも事実なわけで、今後付き合っていく上でどうしてもつきまとう問題だとは思うから正直に答える。ぶっちゃけ俺もネットで調べるまではどうやるのかわからなかったし、真ちゃんが知らないのも無理のないことだ。

「高尾は、俺としたい、……のか?」

「うん、」

「だったら、」

ちょ、え。なにこれ。真ちゃんの腕が首筋に伸びてきて、常の意志の強い瞳が俺の瞳を再び捉えた。そのまま頭を引き寄せられる感覚がして、湿った唇に、柔らかな感触が伝わる。

「っは…」

「ちょ、真ちゃんっ…」

ようやく冷めてきた頭がまた火照る。小鳥が木の実を啄むような、触れるだけのキスを幾つか落とされた。
引き寄せられた拍子に机に押し付けた腹が鈍い痛みを訴えるが、いまはそんなこと頭の片隅にすらのぼってこない。

「高尾」

「はいっ」

鋭い視線が俺を射抜く。その迫力に押されてつい体を強張らせ、いい返事をしてしまった。
首に回された腕はそのままで、なんだかとても、熱くてしかたがない。たどたどしく言葉を紡ぐ唇を、ただ眺めることしかできなかった。

「それは、恋人との繋がりを深める行為だ、ということくらい俺でも知っている」

「あ、ああ」

「なら、不本意だが、……お前がどうしてもと言うなら、付き合ってやらないことも、ない、のだよ」

ああもう、なんなのこれ。それっきりぷいと顔を剃らしてしまった真ちゃんの表情は窺えないが、髪から覗く耳の色が全てを物語っている。
いいのかよ、真ちゃん、そんな簡単に俺に許して。調子のっちゃうんだけど俺。

「いいの、」

「お前の様子が、いつもとは違うとは思っていた。このせいだとは思ってもいなかったが、その、俺だって男だ、恋人の望みくらい叶えてやりたいのだよ」

そっぽをむいたまま紡がれる言葉はまったく男前だし、どうすればいいの。とんだ据え膳だ。

「それに、高尾、お前のことは信頼している。……俺は初めてだし、生憎なにもわからないが、お前になら、任せてやるのも、悪くはないのだよ」

照れ隠しをするときの真ちゃんは饒舌だ。ここまで一気に捲し立てると、覚悟を決めたかのように俺を見据える。

「あー、もう真ちゃんまじ男前っしょ…」

据え膳食わぬは男の恥、これはもう頂くしかないだろう。夢なんじゃないかって思った。俺は弛む頬が押さえきれずに、にやにや気持ち悪い笑みを浮かべているに違いない。







「ん…」

痛くなるのは嫌だから、と俺がなかば強引にベッドへ移動して、向き合って正座した状態でとりあえずキスをした。やはり緊張しているのか、両手で掴んだ肩が不自然に強張る。俺の心臓も正直騒音で訴えられるんじゃないかってくらいばくばくしていて、余裕なんてほとんどない。

「はっ…」

それでも俺は、俺よりさらに経験がなくて、余計に不安だろう彼をどうにかして安心させたかった。無理してやっても、意味がないから。大切なエース様を傷つけるのだけは絶対に嫌だ。
髪に指を絡めて鋤いて、あやすように優しく触れる。その手を頬まで滑らせて、薄紅色をなぞり、再び引き寄せた。

「んっ…う」

薄く開いた唇の割れ目から、するりと舌を滑り込ませる。ふたりぶんの舌と舌が絡まって、くちゅくちゅやらしい水音が聴覚を支配した。
生理的に逃げようとする舌を捕らえたまま、薄く目を開くと羞恥に堅く瞼をとじた真ちゃんがいて、体の芯に熱が疼くのがわかる。このまま一気に食らいついてやりたい、なんて欲が首をもたげて、でも僅かに残った理性でそれを必死に押さえ込む。

「真ちゃん、安心して、優しくするから、最後までいかなくてもいいから、辛くなったら言ってね」

ゆっくりと糸を引きながら唇を離して、熱にうかされてとろりと蕩けた目を見て口を開く。これは保険だ。自分を押さえきる自信がないから、嫌ならはねのけてくれと前もって告げておく。
真ちゃんは、こくん、と小さく頷いた。肯定の意思表示に、遠慮なんてとうに忘れてしまった手が無意識に動き出す。
牡丹雪のような肌が覗く首筋を撫で、ワイシャツのボタンに指をかける。一つ一つ、恐がらせないように丁寧に胸元まで外していくと、誰にも暴かれたことのないだろう、すべらかな肌が露になった。自身の喉が、唾を飲み込んでごくりと鳴る。
真ちゃん、肌白いね、なんて参ったように呟いて、そうか、と疑問の混じった声を頭上に浴びて、でもそれには答えずに白磁へと舌を這わす。ぴくりと震える肌が愛しかった。彼は本当になにも知らない。無垢な彼に俺を刻むことができるのなら、やっぱりそれは嬉しいなって熱にほだされた頭でぼんやり思った。










(難解な言語で僕を惑わす、君に簡潔なことばをあげよう)




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