※よくわからないファンタジー/高尾が鷹/二人とも十歳くらい/時代が謎 その少年と出会ったのは、陰鬱な森の奥深くだった。木々の色に溶け込むように、彼はぽつん、と、今にも夜に溶け込んでしまいそうに立っていたのだ。 「なあ、お前はどこからきたの、なんでこんなところにいるの」 木々の隙間を縫って、夜空からふわり、と地面に降り立った。久しぶりの、土の感触。素足の裏に湿った泥がこびりつく。 この一帯は俺の縄張りだった。それにここは森の奥も奥、それこそひとの子が入れるようなところではない。だから、へんだな、と、思った。俺じゃなくて、ひとのかたちをしたものが、ここにいるなんて。 「っ…!?……誰だ、どこにいるのだよ」 俺の声に気づいたらしく、その男の子は身体を強張らせ辺りを見回すようなしぐさを見せた。ああそうか、にんげんはこの闇のなか、この程度の距離すらうまく見ることができないんだ。でもずっとこのあたりをさ迷っていたのなら、とうに目は暗闇に慣れているはず。近くに行けば気づいてもらえるかな、くしゃりと足元の木の葉が鳴く。 「ごめん、見えないよね。俺はここだよ」 こんなところに、ひとりぼっち、にんげんだったらなおさら怖いだろうな、たぶん。だから一歩ずつ、怖がらせてしまわないように彼に近づいて行った。見たところ、俺と同じくらいの歳の子のようだ。数えで十に届くか届かないかの、ひとりでここまでたどり着けたのが不思議なくらいの男の子。 「……お前は、にんげんか?」 男の子が、俺を見つけたらしい。夜のとばりのなかでも輝いてみえる、昼間の木々と同じ色をした瞳が、とても印象的だった。彼は年相応の、その大きな瞳をしばたかせて、首を小さく傾げる。どうやら俺がいることを、彼もまた不思議に思っているようだ。 「ちがうよ、俺はにんげんじゃない。にんげんには、鷹、って呼ばれてる」 ほら、と証拠のように背中にはえている翼を彼に向けた。黒と焦げ茶の混ざった、自慢の羽。 もっとも、俺はただの鷹じゃない。翼以外はにんげんとおなじようななりをしているし、そう、にんげんに言わせるなら、もののけ、のようなものだろうか。生まれたときからこの姿だったから、よくわからないけれど。 「そうか、ならいい。にんげんに見つかったら面倒だと思っただけだ。すまなかったな」 「いいよ、気にしないで。ところでお前はひとりなの?お前は、にんげんじゃないの?」 彼の色は、人の里では見たことがなかった。だから、彼ももしかしたら、って思った。 俺は自分以外の、もののけ、と呼ばれるものに会ったことがない。森のいきものたちの噂では聞いていた。ほかにもいっぱい、もののけはいるんだって。でも、この森には俺だけらしい。どうして、と聞いたら、彼らの話では、俺が森を統べるそんざい、だからだそうだ。 「……ああ。俺はにんげんよりも、もっと遠くのところから来たのだよ」 男の子は、すこしだけ躊躇するそぶりをみせたあと、小さく頷いた。ああ、やっぱり。彼も、もしかしたら自分と同じなのかもしれない。ちょっとだけ嬉しくなって、胸のあたりがむずむずする。ひとり、だった夜の森のなかは、たとえにんげんでなくとも気持ちのいいものではなかったから。 「なら、俺の巣にこない?いくらお前がひとでなくても、夜の森でひとりで地面を歩くのは危ないよ」 ちょっとした、興味だった。はじめてみるそんざいに、好奇心がうずいたんだ。 夜の森が危ないのも事実で、げんに飢えた狼やらが彷徨いているのもさっき見かけた。空を飛ばなきゃ、俺も見つかって食べられるかもしれないのだ。 「……いいのか?素性も知れない奴を巣に招くなど」 「いいって。ここで会ったのもなにかの縁だ、ってな。俺は、もっとお前のことを聞かせてほしいしさ」 突然の誘いにぱちくりと瞬きをする男の子に、警戒心を抱かれないように精一杯の笑顔で答えた。 小さく、ほんとうに消え入りそうなくらいの声で、ありがとう、と呟く彼の肩に手をかける。俺の巣はここからさらに奥、森で一番の大樹の上にあるから、羽のない彼を連れていくには抱えて飛んで行くしかない。並んでみると彼は俺より少し背も高くて、抱えられるかな、と不安になったけれど、それは杞憂に終わった。腕に力を込めると、彼は予想よりも軽くて、すぐに身体は地面を離れた。 「大丈夫?怖くない?」 「ああ。高いところには慣れている。お前こそ、重くはないのか」 やっぱり不思議な子だと思った。翼がないのに、高いところに慣れてるなんて、へんなの。 うん、平気だよ、彼の問いに頷いて、それからは二人とも何も言わなかった。うでのなかの彼は、遥か遠く、夜空の向こうをただ見つめている。きらきら光る星と、青白い月の明かりくらいしか、見えるはずはないのに。 頬を撫でる夜風が冷たかった。俺は毎日浴びているから平気だけれど、空を飛ぶことなんてないだろう彼にはつらいかもしれない。早く暖かい巣にいこう、翼にできるだけの力を込めた。 「ついたよ、ここだ」 うでのなかの彼を落としてしまわないように、ぐっと強く抱きしめて、翼をたたんで大樹の天辺に降り立つ。木の枝を組み合わせて、枯葉と干し草の寝床を敷いただけのところだけれど、外よりは暖かいし安全だ。腕をといて、男の子を比較的柔らかい、積み重なった枯葉の上に座るように促す。俺もその隣にどさりと座りこんで、ばたん、後ろに倒れてみせた。俺のようすを見ていた彼は、少し躊躇ったあと、ゆっくりと音もなく隣に横たわってきた。 「この巣はお前がつくったのか」 「ああ、そだよ。この枯葉、自慢の布団なんだぜ。寝心地いいっしょ?」 「悪くは、ない、のだよ」 「えー、もっとほめてよ」 ああ、たしかに彼はにんげんじゃないな、ってぼんやりと感じた。俺は夜目がきくから、暗いなかでも彼のことがつぶさに見える。うっすらと、ほんとうにうっすらはにかむ彼は、今まで見たどんなものよりもきれいに映って、にんげんなんかじゃないんだなって、わかった。 「お前の質問に、まだ答えていなかったな」 「質問?」 「ああ、最初に言っただろう。俺がどこから来たのかと」 男の子は仰向けになって、真剣な眼差しで遠くを見ながら口をひらいた。ずっと彼の方を向いていた俺も、つられて上を向いてみる。巣に天上はなくて、僅かに被さる木の葉の隙間からは、夜空がとても近くに見えた。 「あれが、俺の故郷だ」 男の子が腕をあげる。夜空の黒の中に浮かぶ、白い指先が示すのは、やっぱり白く輝く月だった。 「月?お前は月からきたの?」 彼は静かに頷いた。くしゃり、枯葉の上に腕が下ろされる音がする。 月、か。たしかに想像できないほど遠い、だろうな。 「……あそこに、なかま、と、七人ですんでいたのだよ。けれど俺たちはけんかをして、もうなにが原因なのかもよくわからないけれど、いやになって、全員で、ばらばらに飛び降りてきた」 「飛び降りてここに着いたんだ」 「ああ。気がついたらな」 そっか、月ってのはきれいなところだと思うから、なんでわざわざこんなとこにきたんだろうって思ったけれど、けんかして飛び出してきたんだ。けんか、のことを話す彼の声は絞り出すようで、少し震えていて、やっぱりなかまと別れたのが寂しいのかな。ちら、と横目で彼を見たけれど、さすがにそこまではわからなかった。男の子はただひたすら、月を眺めている。いや、睨んでいるのかもしれない。 「お前はあそこにもどりたいの?」 ぽつりと、音のない闇のなかに、俺の声が染みた。 「……いや、わからない。どちらにせよ、俺の力ではあんなに遠くに辿り着けるはずもない」 やっぱり絞り出すような声が、じんわりと、無音に慣れきってしまった俺の耳を犯した。たしかに、あんなに高いところは、落ちてくるのは容易でも、昇ってたどり着くのは一筋縄ではいかないだろうな。 「……俺は?俺の翼があれば、あそこまで飛んでいけるかな」 「いいや、無理だ。あそこは、遠すぎるのだよ。この世で一番大きな鳥だって、あそこにたどり着く前に息絶えてしまうだろう」 彼は緩やかに首を振る。ぜんぶ諦めたような、そんなふうに見えた。 「頑張れば、俺も行けるかもよ」 「……無理だ。二度と、誰もたどり着くなんてできないのだよ」 それっきり、俺たちは黙ってしまった。隣に横たわる彼は、厭きないのかまだ空を見ている。夜風を煩わしく思うなんて今までなかったのに、今はなぜか煩くてしかたなかった。 無理、なのだろうか。この翼をどれだけ力強く羽ばたかせても、届くことなどないのだろうか。手をいくら伸ばしても月には届かないことは知っているけど、少なくともここからは、あの月がそんなに遠いものだとは思えなかった。 あの星を目指せ (俺の背中に彼を乗せて、いつかあそこまで届けばいいのに) prev next |