大きな揺れに目を覚ますと、周囲は皆寝静まっていた。遠征の帰りのバスの中、意識があるのは恐らく俺だけ。フロントガラスの前に掛けられた時計によると、学校への到着予定時刻にはまだ大分ある。もうしばらく眠っていればよかったと後悔しても、なまじ覚醒してしまった頭が再び微睡むことはないだろう。
今日は練習試合とはいえ、随分遠くまで来た。早朝から深夜近くまで組まれたタイムテーブルに辟易したのを覚えている。試合自体も全力で挑んだため、体には目に見えて疲労がたまっていた。それは他の仲間も同じなようで、こういったことに慣れているはずの先輩方ですら今は夢の中だ。先程の俺のようにたまたま目を覚まさなければ、到底起きそうもないだろう。
二人がけの席で俺の隣に座る真ちゃんも勿論例外ではない。バスが揺れるたびに身じろぎはするものの、一向に起きる気配はなかった。
珍しい。こんな風に気を抜いた真ちゃんを見るのは、よく考えたら入学して二ヶ月ちょいだけど初めてかもしれない。いつもはお堅いその表情も眠っている間くらいは和らぐようで、普段のきつさはどこからも感じられなかった。
本当に、常にこの状態ならば並々でなくもてると思うのに。真ちゃんは周囲に敬遠されがちだ。嫌われているわけではなく、真面目さと少々奇抜な言動による近寄り難さで。だから部活のよしみで俺が甲斐甲斐しく世話を焼いたり、馴れ馴れしく真ちゃんと呼ぶと不思議がられる。そんなにこいつが分からないのかね。誰よりも努力家、尊敬に値するからこそ俺も従うというのに、多分彼等は気付いていない。まあ、今はそんなことどうでもいいか。
こうして近くで改めてよく観察すると、実に綺麗な顔である。格好いいというよりも、むしろ美人ってかんじ。決め細やかな白い肌と、目覚めているときは強い眼差しを光らせる翡翠を覆い隠した長い睫毛は、俺の知る限り並大抵の女子では敵わない。てかそれ本当につけまとかじゃないんだよな。疑ってしまいそうだ。

「ん…」

ぼんやりとその顔を眺めていると、不意に真ちゃんが身じろいだ。その拍子にかくんと頭が俺の方へと傾いてきた。悔しいかな身長差が普通じゃないため肩に頭を乗せられることはなく、代わりに肩と肩が触れ合ったところに体重をかけられる。しかしそのお蔭で真ちゃんの顔が俺の顔のすぐ真横に倒れてきているってわけで。
横目でちらと様子を伺うと、相変わらず幸せそうな顔で眠っていた。おしるこ飲んでるときと同じようなかんじ。緩んでいるわけではないけれど、いつもより優しい無防備な顔。
その様子に少しだけ安堵した。都合のいい解釈かもしれないが、プライドの人一倍高いこいつが無闇に寝顔を晒せるくらいには、俺は心を許されているのだと思うと自然と口元が弛んだ。
車窓の外から差し込む夕陽に照らされた緑の糸がきらきら光を反射する。オレンジと緑のコントラストがとても美しい。気づけば俺は、半ば無意識のうちにそこへ手を伸ばしていた。
すべらかな髪に指を絡めて柔くすいてゆく。短めのそれはするすると指の間をすり抜けて心地よい。 優しく触れているとはいえ、真ちゃんはぴくりとも動かない。寝相は相当いいと聞いているから、きっと安眠中なのだろう。それさえも嬉しかった。こうして気安く触れられるくらいには、俺はお前に近付けたんだと思っていいんだよな。



道路の陥没を通過したらしく、バスが大きく揺れた。その弾みで熟睡中の先輩方も起き出したようで、バスの中がにわかに活気づき始める。揺れのせいかはたまたざわめきによってか、隣からもごそごそ動く気配がした。

「…たかお?」

「あ、おはよー真ちゃん。よく眠ってたね」

眠気の隠せていないとろんとした目を擦りながら真ちゃんがこちらを向く。数度目をしばたかせたあと、ふと気がついたように首を傾げた。

「…このてはなんなのだよ」

手。ああそっか、ずっと撫でていたままだった。少々名残惜しいけれど、髪に絡めていた指先を離す。って、何で惜しんでるの俺。男の髪なんて触って嬉しいものじゃない筈なのに。確かに真ちゃんはお気に入りだけど、これじゃ好きの意味が違ってくる。断じて俺はそういう趣味ではない。ああそうだ、普段は人間相手に不器用な真ちゃんが珍しく隙を見せてくれたから、不覚にも和んでしまったのだ。親心みたいなものなんだよ、たぶん。

「あー、埃ついてたからさ」

見え透いた嘘を吐いて誤魔化すが、意識のはっきりしていないらしい真ちゃんには見破られなかったらしい。いくら距離が前より縮まったからって、綺麗だったから、可愛いと思ったから触れたとか言えるわけないじゃん。照れ臭い上に、男に言われても気持ち悪いだけだ。言ったら真ちゃん怒るだろうな。

「そうか」

そう言うと真ちゃんは前に向き直って、がさごそと鞄の中を漁りだした。几帳面なこいつのことだ、荷物の最終確認かな。薄暗い外の景色はもうすっかり見慣れたものになっていた。もう暫くもしないうちに学校につくだろう。普段の様子が、戻ってくる。
先程まで触れていた右手を軽く握りしめた。人肌の仄かな温もりが僅かに残ったそこに薄く笑みが零れる。人に頼ることを許さない真ちゃんが、少しだけだけど俺にもたれてくれたことが嬉しかった。今でも真ちゃんは俺の目標だけれど、いつも一緒にいるんだから頼って欲しいのも本音なわけで。
少しは頼りにしてもらえていると自惚れてもいいだろうか。真ちゃんが誰にでも甘えを見せたりしないことは知っているから。
これが相棒としての特権ならば、もっともっと、近くに行きたい。今よりもっとこいつのことを知って、自信を持って隣に立てるようになりたい。














「お前ら起きろ!もうすぐ到着だ」

バスの内部に大坪さんの声が響く。よく通ったそれに眠り続けていた最後の数人も動き出す。車内は完全に活気を取り戻していた。









無意識に高尾に甘えてくる真ちゃん。高尾はたぶんもうすぐ自分の気持ちに気づきます。





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