階段の上から見下ろしてみると、彼は思いの外小さく見えた。踊り場で小さく顔を上げて此方を見据える真ちゃんの視線は、眉間に皺をよせるおまけつきで訝しげに歪んでいる。

「真ちゃんを見下ろすってなかなかできないよな」

若干五、六メートルではあるけれど、幾ばくか離れた位置に立つ彼に聞こえるように声を張り上げた。閑散とした廊下に自分の発した音がこだまする。俺の言葉か、それとも俺の背後にある窓からの光が眩しいからなのか、彼の揺らぐことのない翡翠色の瞳は薄く細められた。

「いきなり走り出したと思ったらわざわざそんなことを言うためだったのか」

下方から届いた声には少しだけ不満が滲んでいた。プライドの高い真ちゃんのことだから、見下ろす、という言葉に反応したのかもしれない。たぶんそうだ。眉間の皺が雄弁に物語っている。そういう意味じゃないんだけどね。
学校の階段の上と下、その差は僅か高さ三メートルにも届かない程度だ。段数にすれば十段あるかないか、たったそれだけの違いである。
別にこれくらいの距離、あえて走る必要はなかった。移動教室の帰りとはいえ今は昼休みだし、急ぐ必要さえない。
けれど俺は、走った。眼下で理解不能といったふうに首を傾げる男の、知らない姿を見られる場所を探して。

「んー、気分の問題?いっつも真ちゃんに見下されてるから仕返しってな!」

へらへら、お得意のばかみたいな笑みを浮かべながら、今昇ったばかりの段差を軽やかに駆け降りる。おまえは馬鹿か、と冷静な言葉を浴びせられても耳に入っていないふりだ。
ああ、まったく意味のない行動だ、瞬時に悟った。自分より低い位置にいた真ちゃんは、確かに新鮮で、どこか滑稽でもある。けれどだめだ。あそこは俺の場所じゃない。

「せっかく昇ったのに降りる奴があるか」

「いいじゃん別にさ。やっぱ俺には真ちゃんを見下ろすなんて大それた真似は無理だってことで」

俺にはこの位置がちょうどいい。いや、ここでなければだめなのだ。踊り場の真ん中で同じ高さに足を置いて、けれど軽く見上げるようにして。
首は少し痛くなるけれど、「小さい」は彼に似合わなかったから。






あなたの目で見える世界が好きだよ




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