「蚊に刺された」

端的な言葉と共に目の前に突き出されたどっかで見たことあるチューブを前に俺は頭に疑問符を浮かべた。そうかこれこの季節になるとよくテレビでCMが流れるあれじゃん、いやまてそんなことじゃなくて。

「ごめん真ちゃん、どゆこと」

「刺されたのだよ」

「うん、それで?」

「だから背中を刺されたのだよ。手が届かないから、早く塗れ」

そう言うと真ちゃんはベンチに座ってくるりと背中を向けた。え、つまりはこの塗り薬を俺に塗れと。

「どうかしたか?」

「いや、なんでも」

恐る恐る、といった風に白いシャツの裾に手をかける。あまりに暑かったため風邪をひくからと練習後にシャワーを浴びて、そのおかげで触れたところは汗で湿ったりはしていなかった。
なんての、背徳感っていうのかね。誰もいない夜の部室、薄暗い室内、二人きり。見回りだって多分暫くはこない。

「うわ、赤くなってる」

なんて、駄目に決まってるけど。邪な感情をくしゃくしゃぽいっと丸め込んで、頭の奥に無理矢理放って。思いきって肩甲骨の辺りまでシャツをたくしあげる。この時期に二日続けて着ることはないから、多少皺になっても許して貰えるだろう。
真っ白な肌が露になって、けれどそこには点々と赤い痕が散らばっていた。見るだけでむず痒いそれらは、全て練習中につけられたのだろうか。

「真ちゃん蚊にモテんのな。俺一ヶ所も刺されてねえよ?」

「茶化すな。……蚊はO型を好むというのは迷信だったのか」

「さあねえ。でもまあ、俺が蚊だったら確かに真ちゃん刺しに行くわ」

「は?」

「冗談だって!んな嫌そうな顔すんなよ」

自分が蚊だったら、なんて考えたくもないけれど。もし、本当にもしも俺が蚊だったら、たぶん間違いなく俺みたいなただの男子高生よりも真ちゃんみたいな美人さんを刺しに行く。だからこの蚊に少しだけ同情。もちろん蚊には欠片もなりたくないが。
ぬるりと滑る薬を指に押し出して、とりあえず一番大きな傷に触れると体格のわりに細い背中が僅かに跳ねた。ああ、さっきタオルかなんかで掻いたんだな。どうりで赤い。これだけ刺されてりゃ掻かないほうがおかしいか。

「痛くても我慢してね」

「当たり前だ」

ひとつ、またひとつ傷口に指を滑らせていく。指先に触れるそこが赤みを帯びて白い肌のなか存在を主張する様に、どういうわけかくらりとした。
ああそうか、この白い素肌にあいつは噛みついたのか。そうしてこいつの生き血を糧に、いわば真ちゃんの一部で身体をつくっているってか。

「……ちょっと羨ましいぜ」

「は?何か言ったか?」

「んにゃ、なんでもないでっす」

はい終わり、と肩越しに薬のチューブを返す。
あ、うなじ、白。ここに噛みついて赤い痕でも残したら、少しは真ちゃんの一部が俺のものになったりしないかな。しないか。




不毛で結構




(まあ人間じゃなかったらこうして相棒やってらんないんだけどね!)




◆◆◆
はたしてこの高緑は付き合っているのか
title by リリパット




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