高尾は恋をした。
なんて、不朽の名作の冒頭みたいに言ってみたところでどうしようもないのだけれど、冗談めかして笑うしかなす術が見当たらなかった。自慢の鷹の目も当てにならない。なぜなら俺の負けはほぼ決まったようなもなのだから。
なにを以て敗北とするのかと言えば、決まっている。失恋だ。失恋を乗り越えて人は強くなるとも言うが、俺の場合ただ恋を失うだけでは済まされない。
俺は恋をした。それはまあ、この年頃には言ってしまえばよくあることだ。しかし、問題はその相手である。それこそが、俺がこんなにも頭を悩ませる原因なのだ。

「はー…」

「どうしたんだ高尾、溜め息なんか珍しいな」

「いやー、真ちゃんってまじかわいいっすよね」

そう言うと、律儀にも俺に話しかけてきた宮地先輩は心底微妙な顔をした。蛙の死体を見たような、そんな顔。
そう、相手は親友だと思っていた男だった。いや、今でも親友だと言い張れるのだが、それでも俺には恋心の方が勝っているのである。
突然同性の友人に愛の告白を受けたら、普通どんな反応をするのだろうか。決まっているだろう。気持ち悪がって絶交される未來が目に見えている。勝率が果てしなくゼロなのは、じゃんけんだけではないらしい。
だから俺は、この思いを墓場まで持っていくつもりだった。

「……お前あんま気色わりい冗談言ってんじゃねえよ、埋めるぞ」

「酷い!てか冗談って思うんなら笑って下さいよ」

「お前の場合、冗談じゃないかも知れないから怖えんだよ」

「もー、なんすかそれ」

冗談、だったらよかったのにな。ほんとにさ。宮地さんなら冗談だと思ってくれると確信しているからこそ、こんなガス抜きまがいのことができるのだけれど。あれだ、王様の耳は驢馬の耳ーって叫んだ床屋の気分。
なんつーか、うまくいかない。なにもかも。押さえ込んで心の奥に埋めて隠して、二度と日の目を見ないようにするはずだった気持ちは、俺の意志とは無関係に無情にも膨れ上がる一方だった。たまに抜いていかないと、張り裂けそうになる。
ならいっそ晒けだしてしまったほういいのではないかと言ったら、そういうわけにもいかないだろう。現状のままの方が、離れるよりも百倍ましだと思えるから。
冗談なんかじゃ、ないんすけどね。一番言いたい言葉は、言えるわけがない。







「真ちゃん、おまたせ」

着替えを終わらせ部室から出ると、冷たいコンクリートの壁に背を預けて真ちゃんが腕を組んで佇んでいた。傍らにはユニフォームやらが詰り質量を増したエナメルと、ご存じラッキーアイテム。今日も抜かりは無いようだ。さすが真ちゃん、鮭を加えた木彫りの熊がこちらを睨み付けている。
彼を見た途端、先程までの宮地さんとの会話が思い出され軽い罪悪感が首をもたげた。ここは真ちゃんの定位置で、なにも知らない真ちゃんは、早く支度を終えてもここで俺を待つ。気づいたら習慣になっていた。主に送迎が目的なのだけれど。とにかく、友人(下僕とか言われたこともあるけどそれはお得意のツンデレだと解釈することにする)として俺を待っていたのだ。真ちゃんが俺のために、というのが重要である。単純にも、俺はそれだけで心が弾むのだから。
しかし、同時にどきりともした。友達と下校する、なんてのはごく普通のことだ。気心の知れた相手となら、何てことない帰り道でも自然と楽しくなる。けれど、そんな相手に邪な感情を抱かれていると知ったら、彼は俺を避けるだろうか。普通はそうだろうね。その光景が想像に難くなくて、上向いた気分もいつしか落ち着いていた。

「行くぞ」

俺の姿を確認するなり、真ちゃんは腕をほどき歩き出した。片手に納めるには些か大きすぎる熊を小脇に抱えながら。
悲しいかなコンパスの違いすぎる俺たちでは、自然と歩く速度に違いが出てくる。少し駆け足で追いかけて、きりりと前を向いて歩く長身に肩を並べた。
信頼は、されていると思う。付き合い始めの頃は、まともな会話と呼べるものすらなかった。それが今は、部活での連携はおろか日常生活まで隣に立つことが許されている。周囲からも、緑間とまともに付き合えるのはお前くらいだと言われ、密かに優越感を抱いたこともあった。
最初はただ単に追い越したい、認めさせたい奴だった。それがいつしか彼は一緒にいて楽しい存在なのだと気付き、もっと傍にいたいと思うようになった。そして、近くにいることで見える努力家なところやストイックなところ、少し我儘なところ、でも実は優しくて、人より素直でないだけなこと、挙げればきりのない、緑間真太郎を形作る全てにいつのまにか惚れ込んでしまって、気がついたらこの様だ。
自覚したのはいつだっただろう。ともかくそこからだ、柄にもなくもだもだ悩むようになったのは。女好きとはいかないまでも、今までは普通に女の子にどきどきしたりしていた筈なのに。
真ちゃんが俺に歩幅を合わせることはない。今でも俺は少し早足ぎみだ。それでも彼は、一度たりとも振り返らない。まるで俺がついてくることを疑わないかのように。
そんなことにすら心の奥の方が疼いてしまう自分には、もう笑うしかないかもしれない。いっそ笑え。どんだけ真ちゃんのこと好きなのよ俺。

「高尾、なにを呆けているのだよ」

「うおっ!?ああ、ごめんぼーっとしてたわ」

いつの間にか駐輪場までたどり着いていた。無意識のうちであっても、習慣化され体に染み付いた道を辿るなど容易い。
駐輪場の錆びたプレハブ屋根の下から自転車とリヤカーを引きずり出して、サドルの砂ぼこりを払う。ハンドルを支える片手にはずしりと重みが伝わってきた。

「よっし、じゃんけんするか」

サドルについていた片手を上げて顔の横で振り上げる。ちなみに俺は一度もこのじゃんけんで勝ったことはない。もうただの儀式のようなものだ。俺に勝つと、真ちゃんは当然なのだよとお決まりのように毎回毎回言う。そして俺も毎回のように大袈裟に悔しがる。軽口たたいて、あきらめてサドルに跨がって、ペダルを勢いよく踏む。
うん、やっぱりこの習慣を手放す勇気は俺にはない。頭の中で続く終わりの見えない押し問答に無理矢理終止符を打つ。ついでにこれも毎日考えている。そして、毎日同じ結論を下すのだ。

「ほら真ちゃん、早くじゃんけんしようぜ」

真ちゃんも何も言わずに左手を差し出す。少しの乱れもなくぴっちりと巻かれた真っ白なテーピングが俺には眩しかった。




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