この三日間降り続く雨は、開花して間もない校庭の桜さえも淋しい姿に変えてしまった。雨粒に濡れたアスファルトにこびりつくように広がる桃色は、ただ空気に虚しさを撒き散らすだけだ。
部室の窓ガラスを叩く水の粒が不協和音を奏でる。風も激しさを増し、このままでは明日までに桜の木は丸裸になってしまうに違いない。

「このぶんじゃ今週はリヤカー無理だな」

窓際に歩みよった高尾の指先がとん、とガラスを控え目につつく。安い蛍光灯の光に照らされた部屋は、恐らく外から見たらここだけが明るく見えることだろう。
自主練をしていたからだけではなく、外での活動が主な運動部たちはこぞっていつもより早く切りあげてしまっている。つまりは、部室棟はおろか下手をしたら学校にいる生徒は俺達だけなのかもしれない。

「雨は嫌だねえ、真ちゃん」

上履きを摩るようにくるりと踵を返した高尾は、ぺたぺた此方に近づいてくる。一年間履き続けてよれてしまった上履きからは、情けない音しか出なかった。

「憂鬱ではあるな」

「ぷっ…憂鬱て!今時の高校生はんな言葉いわねえよ」

やっぱ真ちゃんおもしれー、などと馬鹿げたことを呟きながら、高尾は俺の座るベンチに腰を下ろした。こいつは笑い飛ばしたが、憂鬱なものは憂鬱だろう。リヤカーに乗れないのはなかなかに不便であるし。

「なあ真ちゃん」

「何だ」

「二人っきりだねえ」

「そうだな」

「桜散っちゃったねえ」

「ああ」

「雨だねえ」

「さっきも聞いたのだよ」

「真ちゃん真ちゃん」

「……何なのだよ」

視界の端に高尾の腕がよぎったかと思うと、むぐ、と口に何が押し込まれる。ころんと口内で転がったそれは、微かに甘い香りがした。

「飴玉、やるよ。妹ちゃんから貰ってさ、ほら」

からから高尾の手の中で音を立てるのは、色とりどりの粒に満たされたガラスの小瓶。ラベルの文字は見たところドイツ語で意味はわからなかったが、少なくとも男子がわざわざ自分で買うようなものではないだろう。なんであれ、高尾の兄妹仲は良好らしい。

「……甘いのだよ」

「そりゃそうだろ、飴だもん。でも真ちゃん甘いの好きっしょ?」

ころころ口のなかで甘いそれを弄ぶ。唾液に混ざり徐々に溶けだしてきた蜜は、なんてことない、砂糖の塊の味だ。
好きな味であることには変わりないのだが。

「なぜ飴なんだ」

「んー、飴と雨を掛けました?」

「はっ」

「ちょっとお!?鼻で笑うことねえじゃん!」

くだらない、と意趣を込め笑うと、高尾は大袈裟に怒る仕種を見せた。生憎欠片も怖くないのだが。無視して爪を研ぐ手に集中すると、ひでえよ真ちゃん、と恨めしそうな声がした。

「せっかく真ちゃんを楽しませようとしたのにさあ」

「捻りがなさ過ぎるのだよ。もっと頭を使え」

「ちぇっ…てかなんで俺プレゼントしたのに説教されてんの」

項垂れる高尾は未だぶつくさ文句を漏らしている。そのままぐでっと身体の均衡を崩し、雪崩れるように俺の肩によりかかってきた。

「なー真ちゃん、おいしい?」

「……ああ」

「じゃ、俺も1個食おっかな」

瓶の蓋は高尾が軽く捻るだけで簡単に口を開けた。赤、青、黄、緑、橙、桃、表面に見えただけでこれだけの色が輝いている。
高尾はそのうちの一粒を指先でつまむと、蛍光灯の光を反射する透き通った色のそれを目の前にかざした。

「ほら真ちゃん、緑なのだよ」

「何が言いたい」

「真ちゃんの色、ってな」

ちろ、と高尾の舌が覗き、薄く飴玉の表面を舐める。唾液に濡れた部分は余計に輝きを増し、本当は安いただの砂糖の塊なのに、まるで宝石のようだ。

「ん、真ちゃん甘っ」

今度は丸ごと口に放る。高尾の右頬が不自然な曲線を描き、がり、と歯と結晶がぶつかる鈍い音がした。
俺は甘くない、お前がただ単に俺を連想する色の飴玉を選んだからだろう。おいしいね真ちゃん、などと茶化す高尾を一瞥し眼鏡を押し上げる。
というか高尾はあまり甘いものが得意ではない筈だ。いくら可愛がっている妹がくれたとはいえ、これは見た目重視でのど飴のような酸味もないし、すぐに舐め飽きてしまうのではないのだろうか。

「……うう、ごめん前言撤回。やっぱ甘過ぎんだろこれ」

いくらもしない内に懸念は現実となった。ほら見たことか。眉間に皺を刻み、高尾はううとくぐもった声を漏らした。

「俺には丁度いいのだよ」

「そりゃあ真ちゃん甘党じゃん?俺辛いのの方が好きだしさ」

一応一度口にしたものを吐き出すほど非常識ではないらしく、高尾は不満を溢しながらもからころ飴を転がし続けている。かくいう俺もなかなか溶けきらない飴をひたすら転がしているのだが。

「……なあ真ちゃん、俺の飴も」

「言わせねーのだよ」

何気ない素振りで近付けられた頭を片手で押し退ける。むぎゃ、と締まりのない呻きがしたかと思うと、高尾に押し付けていた腕を掴まれた。

「えー、だめ?」

「……初めからこれが目的か」

「なんでわかんの。真ちゃんエスパー?」

唇を尖らせながらからかうように笑う男に溜め息が出る。予想外ではあったが、あまりにお約束なのだ。

「でも真ちゃんの大好きな甘い味よ?」

「もう一つ舐めているのだよ。遠慮しておく」

「んなこと言うなって。それにせっかくの二人っきりなんだぜ?」

ぐ、と再び頭が寄せられた。腕から肩へ移動した高尾の手に、痛くない程度であるが力が込められる。突き出された舌には、先程よりも幾分小さくなった緑の粒がちょこんと乗っていた。
まったく、こいつの思考は時折理解しかねる節がある。二人きりもなにも、あくまでここは部室であるのだし。

「高尾、」

「こういうときくらいいいだろ、真ちゃん」

噛みつくように唇を塞がれ、粒が強引に口内へと転がりこむ。追いかけるように侵入してきた舌に絡んだ水分に、火照るような甘ったるさを感じた。

「……っは、」

「おいしい?」

「…息苦しいのだよ」

一瞬口が離されたかと思うと、またすぐに勢いのままに塞がれた。二つの飴玉が口腔で混ざり合い、二人ぶんの唾液に溶かされていく。ああ、くらくらする。
苦しい、の意味を込めて高尾の胸板を拳で叩くと、猛禽の瞳が三日月を描いた。愉しいを隠すこともせずひとの口を蹂躙するこの男には、ここでやめる気など毛頭ないらしい。

(雨がすごいな)

ぜんぶ、飲み込んでしまうくらいに。ぼうっと霞む意識の端で、ざあざあ降り続く雨が聴覚を支配する。そういえば、今日は雨の日だった。
この空間を覆い隠すように、雨粒は地面を叩く。窓から見えた桜には申し訳ないが、悪くは、ないかもしれない。
俺の口から滴る雫も、目尻から溢れ出る水滴も、部屋を満たす水音も、ぜんぶ雨が隠してくれる。



20130414/5000打記念




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