※大学生/同棲


湯気の立ち上るカップを啜る。時計の短針は既に右側へ傾き始めていて、いつもならもう眠りに落ちているような時間だった。
コーヒーを机に置き、そろそろラストスパートだ、とキーボードに乗せた手を動かす。かたかた画面を見ながら打ち込んでいると、不意にがたん、と机が揺れた。

「うわっと。真ちゃん大丈夫?」

液晶から顔を上げると、真ちゃんがずり落ちた眼鏡の位置を直していた。机に倒れこみそうになったらしい。肘をぶつけたのか、軽くさすっている。
無理もない、普段の真ちゃんならこの時間に起きているはずがないのだから。それは俺も同じだけれど、俺の場合はレポートの期限が明日ということもあって、必死で睡眠どころではないのだ。
おまけに真ちゃんはコーヒーが苦手だ。甘党なのは昔から変わらずで、砂糖を注ぎ込めば飲めるけれど、大抵は元から甘いものを好む。さすがに夜中に汁粉を飲むことはないが、現に今も、真ちゃんの手元にはまだ温かいココアが白い湯気をあげていた。俺がついでに淹れたんだけど。

「眠いなら先寝てなって」

「……眠くなどないのだよ」

ぱらり、紙の擦れる音がする。分厚い文庫本を眺める真ちゃんは、明らかにとろんとした目をしていた。その様子では、内容もろくに頭に入らないだろうに。
いつもは俺が遅くても先に眠っているのに、今日はどういうわけか一向に寝る気配がない。パソコンと格闘を始めてかれこれ五時間くらいになるだろうか、真ちゃんはずっと俺の向かい側に座り、そこらへんにある本を読んでいた。おそらく今のは三冊目だ。
テレビをかけられるとか邪魔されているわけじゃないからいいのだけれど、真ちゃんにしては珍しいと思った。手元の本だって本棚から適当に抜いてきたものだし、読書が目的とは考えづらい。
レポートも余裕をもって終わらせるから徹夜なんてありえない、規則正しい生活を進めている真ちゃんが、なんとなくで夜更かしをするとは思えなかった。

「真ちゃん何読んでんの?」

「別に、ただそこにあったものを手に取っただけだ」

答える声にももう覇気がない。今にも眠りに落ちてしまいそうな、微睡んだ音。
やっぱ眠いんじゃん、と指摘すると、平気だと言っているだろうと返された。全然平気そうに見えないんだけど。案外強情な真ちゃんは認めようとしない。

「とにかく、お前は早くそれを終わらせるのだよ。きちんと計画を立てて進めていないからこんな時間になったんだ」

緑の目が壁の時計を見やる。ぱたんと本が閉じられて、座ったままでも手の届く本棚に仕舞われた。自由になった両手はマグカップを掴み、白い喉にココアが流れこむ。
まったくごもっともである。もっと計画的に進めていたならば、今ごろ急がなくてもすんだろうに。どうせあと数行だからいいのだけれど、確かに今回俺は人事を尽くせていなかったかもしれない。
まあその最たる原因は、研究室の集まりだとかが重なってなかなか帰れない状況が続いていたからなのだけれど。
ああ、そうか。

「真ちゃんまで無理して付き合う必要ないのに」

「無理などしては、」

「もしかして、寂しかった?」

にやりと笑って鎌をかければ、どうやら図星だったらしい。言葉を詰まらせて顔を背ける恋人に、愛しさがこみ上げてくる。
つまりは、そういうこと。俺が多忙だったせいで、なかなか一緒にいる機会がなかったから。

「高尾と少しでも一緒にいたいのだよ、なんて和成照れちゃう」

「そんなことは言ってないのだよ!」

「違うの?だったらなんで、こんな遅くまで俺が終わるのを待ってんの?」

かちりとキーを押して、黒く染まった画面を閉じた。直接向き合った真ちゃんは、カップを握りしめ目を泳がせている。

「……それは、」

「終わったよ。だからほら、一緒に寝よ?」

正直最後のほうはろくに集中していなかったから、まともな文章が書けている自信はない。けれど、今はそんなことどうだっていい。あの程度ならまあ許してもらえるだろうし、目の前の可愛い可愛い恋人を放っておくなんて、俺には無理だ。
こくりと頷いた真ちゃんに、立ち上がって手をのばす。ぎゅっと握られた指先には、もういつ眠ってもおかしくない暖かな体温が伝わってきた。
今日はこのまま眠りにつこう。手と手をからめて、同じ布団にくるまって。

「おやすみ、真ちゃん」

ベッドに着くやいなや、隣からは寝息が聞こえてきた。よっぽど眠かったのだろう、おやすみを言う間もなく意識を放りなげてしまったらしい。
すべらかな髪にそっと空いた片手の指を通すと、ふわりと優しい香りが鼻腔をくすぐる。ひさしぶりの真ちゃんの匂い。
一緒にいたかったのは俺も同じだよ、なんて囁いても伝わるはずはないから、変わりに無防備に晒された唇に触れるだけのキスをした。そのまま首に片腕を回して、自分の胸に引き寄せるように力を込める。

(おやすみなさい、いい夢を見てね)

今日はきっと、いい夢だ。







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