強くありたい。誰かを、何かを守れるだけの力を持っていたい。
テレビに出てくるような、完全無欠のヒーローになりたい。
俺の心の中に常にある願望がそれだった。
鍛え上げた体が自慢だった。
悪と部類されるものを弾圧することが正義だと疑わなかった。
ヒーロー気取りか。
いつだか捕まえた、とあるテロ組織の男がそう吐き捨てたことを覚えている。
あの時は何を言っているのだろうか、と疑問にも思ったが、今は違う。
男の言う通り、俺はいつだって“ヒーロー気取り”だったのだ。
いくつも掻い潜ってきた戦場、負けの数より多い勝ちの数。銃の馴染む手。
そんないくつもの経験が自分を憧れていたヒーローだと錯覚させていた。
そんないくつもの経験の上に、俺は安心して胡坐をかいていたのだ。
その結果がこれだ。
惚れた女の顔に二度ともとには戻らない傷を作るきっかけを与え、彼女の瞳を涙で濡らした。
あの事件があった日から何度自分の不甲斐なさに嘆いただろう。
傷つけてから、自分が驕っていたことに気が付き、何度も壁を殴った。
リンが目を覚ましたことは、とても嬉しかった。だからこそ、放たれた拒絶の言葉が幾重にも俺にのしかかり、あの日から動けないのだ。
なんとも情けない男だと、自分でも思う。ジルが怒りを露わにするのも当然だろう。
弱虫。
その言葉に苛立ったのは図星だったから。
俺は図星を指されて尚、動けずにいる弱虫だったのだ。
それがどうだ。俺が傷つけたはずのリンはいつの間に立ち上がり未来への一歩を既に踏み出していたのだ。
俺は自嘲の笑みを漏らしながら、靴紐を結ぶために俯いていた顔を上げた。腰を上げれば、全身がとても軽く感じる。
扉にかかった鏡に映る綺麗に髭の剃られた俺の顔は、自嘲の笑みを浮かべているはずなのに、どこか吹っ切れたような顔をしていた。
時計に目をやれば、そろそろ9時を示そうとしている。
俺は自分の服装を上から下まで見直し、満足げに吊り上がる口角と、やけに軽い体を引き連れて外へと続く扉を開けた。
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手には花束。ちらちらと交互に見るのは、自分の腕時計と既に開かれている病院の扉。
病院の門の近く、排気ガスやほこりで汚れた白かったであろう病院の塀に沿うようにして、俺の足はあっちへウロウロこっちへウロウロと落ち着きなく動いていた。
そして抑えきれない気持ちに押しつぶされるように、ついに俺はその場にしゃがみ込んだ。周りの視線が、少し痛い。
リンの見舞いに行こう。そう決めて颯爽と家を出てきたはいいものの、いざ病院を前にすると俺は緊張で進めなくなっていた。
かれこれ30分くらいはこうしている。わざわざ買った花束が、すこし元気がなくなっている気がするのも頷けるだろう。
また帰ってくれと言われたら、とか、また嫉妬に駆られて傷つけてしまったら、とか。ぐるぐると考える頭に、思わず俺は笑いを零した。
30分うろついて急にしゃがみこみ、笑いを零す。そろそろ不審者として通報されても可笑しくない気がした。
流石にそれはまずい、とスクッと立ち上がり、そしてまた力の抜けたようにその場にしゃがみ込む。
「……さっきから何してるのよ」
不意に落ちてきた影と見知った声に、俺ははじかれるように顔を上げた。
旨い具合に逆光になり見えないが、この声の持ち主は知る限り一人しかいない。
「ジル」
「さっきから見てればウロウロウロウロ。リンのお見舞いに来たんじゃないの?うだうだ何してるのよ」
呆れたような声で吐き出された言葉に、何一つ言葉を返すことができず、うっと声が詰まった。
しゃがんだまま見上げていれば、やはり呆れたような顔をしたままのジルが徐に俺の腕をつかみ引き上げるように腕を引いた。抗うことなく体が持ち上がり、俺はようやくしっかりと立つことができた。
自分の体重がわかっているだけあって、この体を片手で立たせたジルが恐ろしく思える。実は怪力なのかも知れない。
――なんて考えたのが悪かった。
俺は顔に出やすいタイプなのだと、どうしてこうも忘れてしまうのだろうか。
脛から伝わる強烈な痛みに、顔が歪んだ。
「弱虫筋肉ゴリラさんは顔の筋肉も鍛えているのね」
「ひどい言いようだな」
「昨日何か決めたような顔しながら帰って行ったからお見舞いに行くんだろうかとは思ったけど……こんなところで詰まっているなんて見に来て正解ね」
俺の抗議はさらりと流され、ジルの話は進んでいく。俺の相棒はいつの間にこんな扱いをしてくるようになったのだろうか。
しかし、ジルが来たことで安堵したことも確かだった。きっと彼女が来なければ俺はリンに会うこともなくとぼとぼと帰っていただろう。
「もう、仕方ないわね。病室の前まで一緒に――」
腰に手を当て心底呆れたようなジルの言葉を遮ったのは、やけに低い音。ブー、ブーと震えるその音は俺のズボンのポケットが音源だった。
慌てて鳴きつづける携帯を取り出しディスプレイをみて、俺の動きが止まる。
いや、そんなまさか。
目を見開いて動かなくなる俺に不思議に思ったのか、ジルが不思議そうに俺の手元を覗き込み、そしてニンマリとした笑顔を浮かべた。
「一緒に行く必要、なさそうね」
小刻みに震える携帯が映し出す名前に高鳴る心臓を落ちる気ながら、俺はディスプレイを軽く指ではじき、恐る恐るそれを耳へと当てる。
紡がれるはずの声を待ちわびて、すべての神経が耳に集中するような感覚が俺を襲った。
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