扉を開けたら仁王立ちの相棒。ここ数日だけで何度も見たことのある光景に、俺は疲れ切った体がさらに疲れたような気がした。
「お疲れ様、クリス」
にっこりとした笑顔とともに、いたわりの言葉が掛けられる。しかしその言葉を放った本人を見れば、その顔に労りなんてものは浮かんでおらず、明らかに苛立ちだけが見えていた。
一晩の眠りだけでは取れなかった体の重みが増すのを感じながら、俺は礼の言葉と朝の挨拶を零し足取り重く自分の席へと向かう。当然のようについてくる足音は、もちろんジルのモノだ。
あの説教以来、一切言葉を交わそうとしなかったジル。今回の任務は俺だけだったからよかったものの、これでいつものごとくペアで任務を出されていたらきっと良いことは無かっただろう。
いや、言いたいのはそういうことではない。問題はそこまで呆れや怒りを露わにしていたジルが、こうして声を掛けてきたということだ。
また小言だろうか。
少なくとも、あまりいい話ではないような気がした。
どかり、と俺が自分の席に腰を下ろせば、ジルもいつだかと同じようにデイビットの椅子に腰を掛ける。さも当たり前かのように座られたその席の持ち主は、既にこの状況に諦めがついたように、ほかの同僚のもとへと去って行っていた。
「それで」
長い足が組み、ジルが口を開く。
何が言いたいのかなど、この流れは考えずとも分かっていた。
「何も」
電話もしていない。メールも、送っていない。
そんな意味を込めて一言だけ返せば、大きな溜息が俺たちの周りの空気を沈めた。
「……リン、明日退院だって」
「明日?」
月末退院ではなかったのか、と返せばリンが強く望んだ結果なのだとジルは告げる。自分の目がゆっくりと驚きに見開かれる。
リンが望んだ結果だとが言うが、彼女の顔の火傷は完治なんてしておらず、目は多分、ないままだ。
今の技術ならせめて火傷くらいなら移植で何とか、目は義眼を入れるくらいならできるだろう。彼女は、それをしないまま退院するつもりなのだろうか。
そんな俺の考えがわかったのか、ジルは自分だってそれは思ったのだと小さく呟いた。
「昨日お見舞いに行ったときに、ちゃんと治してから退院しなさいとは言ったわよ。でも、あの子なんて言ったと思う?」
このままがいい。このままでいいの。
「包帯でぐるぐる巻きになっているのに、あの子、笑うのよ?それも、諦めたような笑顔じゃない。心からこれでいいんだって納得した顔で。そんな風に言われてみなさいよ、止めることなんてできないわよ」
ジルは机に荒々しく肘をつくと、溜息と共に目を覆った。
手で作られたその暗闇の中で考えるのはその時の光景か、止められなかった自分自身への苛立ちか。俺にはわからない。
それでも、彼女も俺と同じようにリンに対して一言では表せない複雑な感情を抱いているのは、手に取るようにわかった。
ジルにとっては親愛とも友愛ともいえない、しかしそれに限りなく近い感情なのだろう。しかし俺から見れば、それは愛しい異性の為に抱く愛のようにしか見えず。とめどなく湧き出るどす黒い感情に、俺は無意識に下唇を噛みしめた。
「あの子、あの怪我と一緒にBOWの被害にあった人たちを癒すための活動を始めるんだって。自分に出来ることならどんなことだってしたいって」
強いわね。とつぶやかれた言葉に、俺は反応を返すことができず、自分の手をぼんやりと見つめる。
また傷つけるかもしれないと俺が怯えている間に、リンはいつの間にか立ち上がり先を見ていたのだ。あれだけ身も心も傷ついたというのに。
最後に病室を出た時間から動けない自分自身が、どうしようもなく情けなく思えた。
「あの子は、ここまで立ち直って、ここまで前を向いてる。先へ進む、生きる覚悟を決めたのよ。……あなたはいつまで腐っているつもりなの?」
がた、と音を立ててジルが立ち上がった。つられるようにして上へ顔を上げれば、見慣れた瞳が俺を見下ろしていた。
俺へ向けた感情が込められた瞳。しかし、そこに込められているのは失望でも呆れでもない。
「もう、答えは出ているんでしょう」
質問のはずなのに疑問符の感じられないその言葉に、俺は膝の上にあった拳をギリと握りしめた。
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