臆病者の猟師
「で?」

 メモを貰ってから早4日。結局俺は電話どころか、メールをすることすらできずに、携帯片手にメモと睨めっこをしては1つ息を吐いて携帯を閉じる。そんな日々を過ごしていた。

 メールアドレスも電話番号も登録は、した。
 何度か勇気を出して彼女の番号を押したことはある。しかし、どうしても最後の番号一つが押せない。だからと言ってメールにすれば、そもそもなんて言ったらいいのかが分からないのだ。

 元気か?そんなわけない。この前はごめん?それもなんだか違う気がする。
 そんなこと悶々と考えて4日が過ぎた。
 そして朝オフィスに入れば入り口で仁王立ちで待ち構えていたジルの言葉が、冒頭のモノなのだ。
 あぁ、4日前に聞いたセリフだ。
 そんなことを思いながら、笑顔でおはようと挨拶をしジルの脇を通り抜ける――

「わかるわよね?」

 つもりだった。
 もちろんこの相棒がそう簡単に獲物を逃がすわけもなく、俺の腕はやはり4日前と同じように強い力で掴まれていた。溜息を吐いて後ろに少し視線をやれば、不満の二文字を大きく顔で表したジルがいる。

「いったい何のこと――いっ!?」

 あえて笑顔で恍けてみれば、右足の脛に激痛が走る。犯人がジルの足だというのは考えなくてもわかる。
 痛みに顔を歪めてジルを睨みつければ、彼女はなんてことないような笑顔で口を開いた。

「わ、か、る、わ、よ、ね?」

 幼い子に聞かせるようにゆっくり、そして一つ一つ丁寧に告げられた言葉にゾワリとした恐怖を感じる。黙ったままでいれば再び細い足が後ろに下げられ、思わずコクリと頷けば、彼女は満足そうに笑って見せた。
 恐ろしい。

 このオフィスにいるジルのファンは、この状況を見て何も思わないのだろうか。すこし、いや大いに助けを求めるようにオフィスに視線を巡らせれば、明らかに顔を背けているものと、頬を軽く染めてこちらを見るものとできれいに分かれていた。
 なぜこの状況をみて頬を染めるのか、と振り返れば相も変わらず綺麗笑顔を浮かべるジル。
 あぁ、と納得の声が思わず漏れる。

「顔はいいんだ、顔は」

 もう一度、脛に蹴りが飛んだ。


 自分の席に座る俺と、その目の前に椅子を置いて座るジル。それはやはり4日前と同じ光景だった。違うのは時間帯とジルが使っている椅子の持ち主が、行き場をなくして右往左往していることくらいだろう。
 しかし、俺にはそんな哀れな椅子の持ち主に声を掛けてやる余裕はなかった。もちろん、理由は言わずもがな。

「何ッ日あったと思っているの!?」

 バンッと荒々しく音を立ててジルは机を叩いた。拳で叩かれた机はやけに痛そうにして、彼女の怒りを振動として俺の肘へと伝えた。怒りの振動はそのまま俺の腕を伝い、ひげの剃りたての顎へとジンワリとした振動を広げる。
 振動から逃げるように立てていた腕から顎を外せば、4日よ4日!と憤慨した様子でもう一度机を叩いた。俺は再び伝わってきた怒りから少しでも逃げられるように肘も机から離す。

「任務に行っている間に何かしら進展していると思ったのに、なにもしていないってどういうこと!?私はしっかりメールアドレスと電話番号の書いたメモ渡したわよね、渡したはずだわ!もう一度聞くけど私が帰ってくるまで何日あったと思っているの!4日よ、メモを渡した日を含めれば5日!!」

 一息でそれだけ告げれば、ジルの肩が大きく動いた。落ち着くように声を掛ければ、誰のせいだと!と怒りながらも、ジルは荒げた息を整えるように二、三度大きく深呼吸をする。その深呼吸の最後は確実に溜息だったのだろう。
 息を落ち着けたジルは、俺を見て一言ぽつりと呟く。

「なっ」
「あ、デイビット。椅子、返すわ貸してくれてありがとう」

 俺が目を見開くと同時に、ジルはおもむろに席を立ち椅子を返却したかと思うと自分の席へと足早に戻っていった。こちらをチラリとも見なかったジルの背中には、ありありと怒りが浮かんでいる。

 ジルに椅子を取られていた人間――デイビット――が心配そうに俺の顔を覗き込み、そして顔を青くしてすぐさま仕事に取り掛かった。きっと、それほどまでに俺の顔は恐ろしいことになっているのだろう。
 ――どうしてあそこまで言われなくてはいけないのか。
 ギリッと歯を噛みしめると苛立ちがさらに増すような気がして、俺はタバコ片手に荒々しく立ち上がった。

「どこいくんだクリス」
「タバコを吸ってくる」
「お早い休憩なこった。どーぞ、ごゆっくりー」

 デロの嫌味を背中で聞きながら、俺の足は喫煙所へとずんずんと進んでいく。

『弱虫』

 そう呟いたジルの瞳が、帰ってくれといったリンの瞳と重なり、胸の奥がいやに軋んだ音を立てた気がした。

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