どのくらい、そうしていたのだろうか。数秒か、数分か、数十分か。私が意識を戻したのは、研究室の扉の向こうから聞こえてくるゆったりとした足音だった。
私はゆっくりと立ち上がり、扉から距離をとる。
足音は、1つ。
クリスとジルなら足音は2つだろうし、ウォルは、もう、いない。ならば、この足音の持ち主はいったい誰なのだろうか。
ふと頭をよぎったのは、クリスの言葉。
――誰かがウイルスをばら撒いたんだ。
コツ、コツと確実に近づいてくる足音。
まさか、バイオハザードを起こした張本人、か。
体が一瞬にして恐怖に包まれた。こんな地獄を作り上げた犯人が、こちらに来る。
私は試験管と缶箱を血だらけの机に投げ出すようにして置き、恐怖に促されるようにして近くにあった扉のノブをひねった。少しだけ隙間を開け、そこから体をねじ込むようにして部屋に入り込みすぐ近くにあった棚の影へとしゃがんで身を隠す。
カチカチとなる歯を押さえつけるようにして口を両手で塞ぎ、目を閉じてただ足音が去るのを待つ。
心臓の音が大きく聞こえ、涙が閉じたまぶたの中で溜まるのを感じた頃。カチャリと研究室の扉が開いた音がした。思わず、息を呑む。
コツ、コツ。
静かな足音は変わらずゆったりとした足取りで、薄い壁を一枚隔てた向こう側を進んでいた。やがて、その足音がぴたり、と止まる。
それはちょうど、私がいる部屋へと続く扉の前だった。
どんどん心音が早く、大きくなっていく。こんなに心臓の音が大きかったら聞こえてしまうのではないか。そんな不安が私を襲うが、今は腕はおろか、指一本動かせない。恐怖だけが、私を強く強く縛っているのだ。
閉じた目に力をいれると同時に、足音がふたたび移動を始めた。それは真っ直ぐに研究室の扉へと向かっている。そして、
――ガチャリ
研究室の扉は閉められた。
「ふ、ぅ…・・・!」
こらえていた涙が、ボロボロと零れだした。たった1時間にも満たない間に、いろいろありすぎたのだ。
バイオハザードに巻き込まれ、クリスたちと出会い、校舎を駆け回り。そしてこっちの校舎についてからはウォルが――
あ、れ。と違和感が思考をとめた。
――ウォルは、なぜ無事だったのだろうか。
それはロッカーに隠れていたからで。しかし、教室にはゾンビの死体しかなかった。それならば、隠れていた意味はないのではないだろうか。むしろ隠れているより脱出する方法を考えたほうが早くはないか。あそこは2階だ。飛び降りるなりすれば逃げられるだろう。
――なぜ、2階にはゾンビの死体だけだったのだろうか。1階はゾンビで溢れ返っていたとクリスが言っていたではないか。3階にだってゾンビはいる。しかし、2階には死体しかなかった。
それは2階の中央階段だけが、制御室に行く前からシャッターが閉まっていたのを、走りながら見ただろう。
――なぜ、閉まっていた?なぜ連絡通路は静かだった?なぜ鍵の掛かっているはずの制御室が簡単に開いた?なぜ、両方の校舎から鍵が掛かっている4階の連絡通路に入れた?
なぜ、なぜ、なぜ。挙げだしたら切りがないほどの疑問の山。
そういえば、違和感を感じ始めたのはウォルと出会った頃からだった。
まさか。
信じられない現実を見なければいけない、そう言うように顔が上がり、目が開いていく。
「き、きゃああああああああああああああ!!!」
目の前に飛び込んできたのは、入ってきたときは焦っていて気がつかなかったゾンビの死体の山。強烈な死臭の原因が、そこにあった。
私の叫び声に反応したように山が少しだけ崩れ、ごろごろと転がってきた死体は私の足にぶつかり止まる。
キィ、と扉が開く音がしっかりと聞こえた。
コツ、コツとゾンビだらけの部屋に響く音。
ゆったりとした歩みで近寄ってきた影は、私の視界から体を使って積み上げられたゾンビの山を消して見せた。
嘘だ、嘘だ。そうは思っても、現実なのだ。
信じたく、なかった。
「みーつけた」
――ウォルが、犯人だなんて。
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