オオカミの爪
 足を踏み入れた校舎は、鼻が曲がるのではないかと思うほどの匂いが充満していた。匂いの正体は先ほどまでいたところでも漂っていた、死臭。しかし、不思議なのはこの校舎にはゾンビの死体が一切落ちていないのだ。どこかに溜まっているのだろうか。

「鼻が曲がりそう……」
「え?何か臭う?」

 ぴたり、と足が止まる。瞬きを何回か繰り返し、ウォルを見ると彼は自分の腕や辺りをクンクンと嗅いでいた。どうやら、聞き間違いではないらしい。
 数秒クンクンとあたりを嗅ぎまわり、ウォルはいつものように困った顔を浮かべて首をかしげた。あれだけ嗅いで、まだ分からないのか。

「腐ってるような、臭い、なんだけ、ど」
「あ、あぁ〜本当だちょっとするね。僕今鼻が詰まってて分かりにくいんだよね」

 鼻が詰まっているってだけでこの匂いが分からないものなのだろうか。
 もしかして鼻炎?と冗談で聞けば、あ、うん。と苦笑いが帰ってきた。

「まーいいじゃん。すぐ出るでしょ?B.O.Wに襲われる前にさっさといこうよ」
「まぁ……はい」

 ふたたび腕を引かれて私は言及することをやめた。

 電気がついていないせいか、ぼんやりと暗い校舎。時間的にも西日になっているから本校舎の影もあってより暗いのだろう。
 どれだけ歩いてもやはりゾンビの死体はなく、代わりといわんばかりに壁には三本の引っかき傷のようなものがいくつか見られた。それもずいぶんと大きな。もしかしてゾンビがいない原因はこの傷をつけた主のせいなのだろうか。
 いろいろと不安が掻き立てられる校舎だが、私が一番気になるのはやはり――

「うっ……」
「わっ!だ、大丈夫?リンさ……うわ!顔真っ青だよ」

 ウォルに腕を引かれて進むほどにひどくなっていく死臭。最初は我慢できていたが、進むにつれ入ってきたときの比ではないほどの臭いに、私はとうとう膝をついてしまった。
 吐き出さなかっただけ、まだいいと思いたい。しかし、あまりこの臭いを嗅いでいると戻してしまうのもきっとすぐだろう。

「リンさん、もう少しだけ頑張って。もうすぐ研究室だから、そこで休もう?」

 頭を撫でてくる手に、思わずゾワリとした。
 入ってすぐの臭いを、彼は鼻が詰まっていて分からないと言っていた。しかし、彼は今も何も変わらず息をしている。顔色も白いがそれは本校舎にいるときからだあり、ここに来てから悪くなっているとは思えない。
 そもそも、鼻が詰まっていてもそうして喋っていれば口から吸い込んでわかるだろう。私はそれすらも嫌で喋れないのだというのに。
 どんな神経をしているんだ、と顔を上げて。そして、固まった。

「リンさん?」

 ウォルの呼ぶ声が聞こえないほどに、私はそれに釘付けになる。
 ピチャリと滴る赤。じわり、じわりと天井を這い近づいてくる赤い影。
 そして、それは、前触れもなく、動けない私の“目の前”に降ってきたのだった。
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