姉妹と日記
 ――おねぇちゃん。おねぇちゃん。
 誰かが、私を呼んでいる気がした。
 ――くるしいよ、こわいよ。
 聞き覚えのある声だった。
 ――おねえちゃん、たすけてよ。
 忘れるはずのない声だった。
 ――みんなを、たすけて。
 

「――ニーナッ!!」

 叫びに近いような声を上げながら私は勢い良く飛び上がった。その拍子でベッドが大きく軋む。ハッハッと上がった息が、いつの間にか降っていた雨音に混じって溶ける。
 バクバクと駆け足で鳴る心臓を押さえつけて、私は大きく息を吐いた。
 今のは、何だったのだろうか。夢の中で私に助けを求めていた声は、確実に幼い妹のものだった。助けて苦しい、と私を呼ぶ声はとても怯えたもので。
 
 この村に来てから、私は妹を見ていない。いや、妹だけではない。子供を、老人を一切見ていないのだ。
 考えたくはないが、他の村人たちのようになってしまってもおかしくはないのに、そんな姿さえ見かけることはなかった。まさか、どこかに集められているのだろうか。

 最後に話した時にはまだ幼くて泣き虫だった大切な妹。村を出て行く日だって、泣きじゃくって私の出発を嫌がった。そんな妹が、必死に助けを呼んでいたのだ。早く、早く、助けてあげなくては。

「ニーナ、今どこに……」

 私の呟きと共に、パッと辺りが明るくなった。思わず顔を上げるのとほぼ同時に、爆音のようなものが当たりに響く。どうやら雷が落ちたようだ。
 怖いなと思いながらも、その音で、ようやく私は我が家にいることを自覚した。辺りを見渡して目に入る家具は、どれもこれも見覚えのある懐かしいものばかりだ。

 しかし、私は何故家にいるのだろう。確か、溺れていたはずなのだが。
 思い出されるのは、あの濁りきった冷たい水と、最後に見えた伸ばされた手。
 きっと溺れている私をレオンが助けてくれたのだろう。ならばきっちりとお礼を言わなくては。彼は何処にいるのだろうか。
 私を助けてくれたであろうブロンドヘアーを捜そうとベッドから降り、そして息を呑んだ。

「レオンさん!!」

 驚きで上ずった声が唇を割って出る。
 私が寝ていたベッドのすぐ傍の床に、彼は伏せていた。探そうと思っていたブロンドの髪は、汚らしい床へ無造作に投げ出されている。
 慌てて転がせば、胸が僅かに上下していることに気がついた。よかった、生きている。思わず、安堵の息が漏れた。
 とりあえずこのまま床の上に無造作に転がしておくわけにはいかない。かといって、先ほど私が寝ていたベッドに寝かせようにも、力的に無理なのは明らかだ。
 どうするか、と考えた末に私が手に取ったのは、先ほど眠っていたベッドの掛け布団だった。
 私は手に取った若干薄い掛け布団を手早く畳み、尚も意識の戻らないレオンの頭の下に入れる。
 あまり状況は変わっていないような気もするが、それでも固い床を枕にするよりはマシだろう。仕上げに今まで羽織っていたジャケットを脱ぎ、それをレオンにかけた。

 それにしても、懐かしい。
 私はゆっくりと室内を歩き始めた。机も、棚も、懐かしいものばかりだ。しかし、どれもこれもボロボロになってしまっている。使い物にならなくなってしまっている物もいくつか目に入る。いくら元から古かったとはいえ、手入れは行き届いていたはずなのだが。
 懐かしい面影を残しつつも変わり果ててしまった家に少し顔をしかめながら、私は近くにあった棚を何気なく開けた。

「これ……」

 出てきたのは一冊のノートだった。普通のものより少し分厚いソレは、どうやら母の日記らしい。そういえばつけていたな、と思いながら私はその日記を開いた。

 書かれていたのは、何気ない日常のことだった。妹の誕生日を祝っただとか、収穫祭が楽しかったとか。本当に些細なことも、楽しそうに、悲しそうに、愛おしそうに書かれており、思わず私の頬が緩む。
 いつのまにか、父は城で発掘作業をしていたようだ。毎日、疲れたように、しかし名誉なことだといいながら帰ってきていたらしい。

 数ページほどめくり続けた頃、日記の内容が不穏なものとなってきた。父が母や娘を殴ったりして、突然暴れだすようになったと震える字でつづられている。あの温厚な性格の父からは想像できないようなことだ。
 しかし、眉を寄せる私を余所に、日記の内容はどんどんと悪くなっていく。


『○日 罪深き私達。明日、血の浄化の儀式が行われる。これで魂が救われ、更なる幸福が訪れるのだろう。サドラー様が仰っているのだから間違いない。夫は罪深い。私を殴り、ニーナも殴る。サチエも罪深い。村が一つになる為には誰一人欠けてはいけなかったのにあの子は村を出て行った。だがそれも明日で終わりだ、明日には全てが浄化される。ありがたいことに、罪深きサチエも、帰ってきたら儀式を受けさせていただけるという。罪が重くなる前に、早めに帰ってくるように手紙を送っておかなくては』


 私は思わず目を見開いた。なんなのだ、この日記は、この母は。明らかに、洗脳されているではないか。
 私は腹の底から湧き出てくるサドラーへの怒りを、壁を殴る手に込めた。強く握りすぎていたのか、殴った拍子に爪が手のひらに食い込む。きっと手を開けば半円の傷がいくつも出来ているのだろう。しかしそんなのはどうでも良かった。

 母の日記は何故か血の浄化の儀式が行われたであろう日から、文字には見えないくらいにグチャグチャとしたものでつづられていた。どうにも読める文字ではない。やがてそんなページが続き、諦めて閉じようとしたときだった。
 ミミズが這ったような線が沢山書いてある中、一箇所だけかろうじて読めるものが目に止まる。

『ごめんなさい。でも、永遠に愛しているわ、サチエ』

 日記はそこで終わっていた。この後、母がどうなってしまったのかは、考えなくてもなんとなく、分かっている。
 私は静かにノートを閉じた。
 悔しさも恐怖も悲しさも怒りも、全ての原因であるサドラーに思い知らせるから。
 もう使われることのない日記の前で、私は1人、胸に下がっていたペンダントを握り締めた。


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母、父、妹が家族です
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