ピンポーン、と高い音が閑静な住宅街に響いた。はーい、と聞こえてきた声に女は男と顔を合わせて頬を緩める。
腕の中でママ、まだ?と待ちきれない様子の幼子をあやしていれば、彼女たちの目の前の扉が開くのはすぐの事だった。
ガチャと開いた扉。その奥から覗いたのはふわふわと踊る赤毛。男女を目に止め破顔したのは、学生時代よりも随分と大人びたリリー・エバンズ・ポッターだった。
「いらっしゃい、セブ、クロユリ!」
「なんでセブのが先なの」
「いらっしゃい、クロユリ、セブ!」
いつだかと同じようなやりとりに、ようやく満足そうな笑顔をこぼしたクロユリ。微笑みあう二人を見ながら頬を緩めた男、セブルスも、そしてクロユリもまた、随分と大人びていた。
◇
ワイワイと賑やかなポッター家。大きなテーブルを囲んでいるのは、ホグワーツで共に過ごした面々であった。
「ああんもうリリーまじ、まじリリー」
「はいはい、クロユリこれ食べる?」
「あー」
「まったく、こんなに甘えて……はい、あーん」
べったりとリリーに抱きつくクロユリ。呆れながらもなんだかんだ目一杯甘やかすリリー。その光景は学生時代と変わらない光景だが、なんと言うべきかーー
「悪化してるよね、あれ」
チョコレートを頬張ったリーマスが、真顔で呟いた。その隣ではセブルスが呆れたように溜息を吐き、リリーの隣ではジェームズが悔しそうにクロユリを見ている。
「いーじゃんいーじゃん。会えるの久しぶりなんだしぃ〜」
「そうよ、ちょっと黙ってなさいジェームズ」
「僕何も言ってないよ、リリー!?そもそも先週会っているじゃないか!むしろ毎週毎週!」
ゴロゴロと喉を鳴らし始めそうな勢いでリリーに擦り寄るクロユリに、それがさも当然とでもいうかのようなリリー。
まさしく、悪化であった。
リリーの息子とクロユリの娘を構うピーターもその光景に当てられ、今では二人を視界に入れないように背中を向けて子守をしている。
「ふふん、どお?どお?羨ましい?ジェームズちゃぁ〜ん」
「うっわー!ムカつく、なんだろう拳が震えてきた!」
「その拳を振り上げた時点で貴様の首が飛ぶと思えポッター。……なんだ、リリーその顔は」
悪化した女2人のラブラブっぷり以外にも、変わったものがあった。少し困ったように眉を寄せたセブルスの視線の先には、ニヤニヤと笑うリリーの顔。
「ふふん。どう?どう?羨ましい?セブ」
「何を……!」
バッと赤くなるセブルスの顔。学生時代から変わったもう一つのことといえば、あのリリーがセブルスをからかうようになったことだった。
これはジェームズの及ぼした悪影響だと、クロユリは言う。
"大切な幼なじみ"を無下に扱うことのできないセブルスは、ーー万が一にでも無下に扱えばクロユリから蹴りが飛んでくるのだがーーいつもモゴモゴと言葉を濁らせ顔を背けてしまう。
どうやらリリーはその反応が随分とお好みらしい。
もやっとした気持ちが湧き上がるのを感じ、クロユリは顔を上げた。なあに?と首をかしげるリリーに、クロユリは真剣な顔で口を開く。
ピーターがリーマスに「とうとう女同士の修羅場かな?」と小声で尋ねている。最近の彼のお気に入りは日本で放送されている泥沼化したドラマらしい。クロユリがちらりと見たピーターの目は、若干キラキラしている。
見るんじゃなかった。そう後悔しながら、クロユリは再度リリーを見つめる。
「リ、リリー!」
「なあに?」
「ちゅーして!」
「良いわよ」
うん、そんなことだろうと思った。なんてリーマスの呆れた声をBGMに、リリーが唇をクロユリの頬に近づける。
リリィイイとジェームズの悲痛な叫び声が聞こえ薄っすらと目を開けると、そこにリリーの顔はなく。むしろリリーの姿は少しだけ遠いところに移動している。
キョトンとしたクロユリが上を見上げると、今度は少し不機嫌そうに眉を寄せたセブルスの顔がある。
「おーいセブ。私はこれからリリーとあっついキッスを……」
「リリー、これは私のだ」
ぽぽぽぽ、とクロユリの頬が染まった。少し無理な体勢で抱え込まれたまま両頬を抑えて照れるクロユリの姿に、部屋中から溜息が聞こえる。
セブルスとの間に生まれた愛娘ですらも「ママ…」と、残念なものを見るような顔をしていた。
以前ならギャーギャーキレていたクロユリも今ではすっかり旦那となったセブルスに骨抜きにされ、家でも外でもバカ夫婦っぷりをかましている。
見ている側には随分な迷惑なのであろうが、セブルスもクロユリもそんなことは露程も気にする様子は見せない。
ふと、リリーの目が優しさを浮かべ細まった。彼女の視線の先には、剥き出しになっているクロユリの腹。
「随分と大きくなったわね」
「うん、そろそろ6ヶ月〜。たまに動くんだよー今度は元気な男の子でーす」
いぇーいと片手でピースを作り、もう片手で撫ぜているクロユリの腹には2人目となるセブルスとの宝が眠っていた。
「ついこの間メアリーが生まれたばかりな気がしたけど、時が経つのは早いね」
「ルーピン、年寄りみたいになってるぞ…」
「ま、また僕が面倒みたい!」
「ピーターお兄ちゃんは早くダイアゴン横丁のマチルダ手篭めにしてきなよ」
「ク、クロユリ!!」
女の子がなんてこと言うの、と顔を真っ赤にして慌てるピーター。はん、と鼻で笑うクロユリも随分とセブルスの悪影響を受けているとリーマスは言う。
「男の子かぁ。リリー僕らもそろそろ二人目を……」
「セクハラよ」
クロユリの腹に宿る第二児の話題で盛り上がる室内。そんな中、今までずっと黙り下を向いていた男が、声を上げた。
「俺は!納得!しないぞ!」
椅子から乱暴に立ち上がった男、シリウスはビシッと伸ばした人差し指をセブルスに突きつける。
頭上でまた一つ増えたセブルスの眉間の渓谷を、クロユリがなんともない顔でグリグリと指で押した。その指を口角を上げたセブルスが軽く噛めば、ピャッと叫び声が上がる。
「リリー、僕たちもあれやりたい」
「見てるだけでお腹いっぱいよ。リーマス、何であなたそんなすずしい顔しているの」
「薬を貰いにちょくちょくお邪魔しているからね。慣れだよ」
熱い熱いとわざとらしく仰ぐリリーとは裏腹に、リーマスはなんでもないような顔で近くにあった預言者新聞に目を通していた。ピーターもセブルスとクロユリのイチャつきには慣れているらしく、彼もなんでもないような顔で子供の相手を続けている。
「な、何やってんだお前ら!」
「えー?何って……じゃれ合い?」
「シリウス。気にしたら負けだよ。ほら、チョコレート」
「いらねえよ!」
差し出されたチョコはシリウスの手に弾かれ、コロコロと転がってクロユリの口の中に落ちた。反射的にモゴモゴと口を動かせば、セブルスから小言が溢れる。
「クロユリ、吐き出せ。バカ犬が触ったものなぞ口に入れるな」
「スニベルス!!」
シリウスの怒鳴り声が部屋に響いた。フーフーと漏れる息は正しく犬のようで、セブルスの口角が少しだけ上がっている。
「クロユリ、なんでよりにもよってこいつなんだ!こんな陰険で根暗な卑怯者のスニベルスなんだ!」
「あー、どっこいしょー」
とうとうピリ、とした空気が部屋に充満した。心なしか子供達も怯えているようで、ピーターに隠れながらシリウスとクロユリを交互に見ている。
もそもそとセブルスから離れたクロユリが、ようやくちゃんと椅子に座りなおす。頬杖をつきながらリーマスの目の前のチョコレートを奪えば、取りやすいように皿を差し出してくれた。
摘んだハート型のチョコレートをポイと口に投げ込みながら、クロユリは口を開く。
「シリウスじゃん?幸せになれよ、って言ったの」
「あぁ、言ったさ。ただ相手がスニベルスだとは思わなかったんだ!せいぜい周りの人間でそういう関係になるとしたらリーマスくらいだと……」
「僕こんなバカを嫁には貰いたくないよ」
「リーマス、マジ失礼」
ベーッと舌を出すが、場はピリピリとした空気のまま変わる事はない。
このままでは怯えた子供達が泣き出すのも、楽しかった空間が壊れてしまうのも時間の問題だ。
茶化すのもそろそろ限界かと、クロユリは諦めたようにシリウスを見つめた。
「シリウスさ。そんなに私とセブルスが結婚したのいやなの?」
「嫌に決まってるだろ」
「でも、私幸せだよ?」
とっても幸せ。
再度そう続けたクロユリの顔は、ホグワーツで好物が出た時よりも、突然の休校になった時よりも、そしてリリーに抱きついている時よりも幸せそうに緩んでいた。
もう溶けてしまうのではないか、と思うほどに緩々と緩んでいるクロユリの頬。目尻はこれでもかと垂れ下がり、それは今まで彼女が友人たちに見せていたどの表情とも違う。
クロユリは再度チョコレートを摘んだ。親指と人差し指で摘まれたそれは、また愛の形をかたどっている。
「私の幸せ、親友に祝ってもらえないの、かーなしいなー?」
「お前は、俺の気持ちを……」
「うん、分かってるよ。三回も言われちゃあさ。でも、これだけは譲れないんだよ」
ニコニコと微笑むクロユリの瞳の奥に、ちらりと見え隠れする謝罪の色。
シリウスが求めた幸せを蹴ってまで手に入れた自分の幸せ。申し訳ないと思いつつも、それでもそれは手放せないほどに大切なものとなっていたのだ。
はぁ、とシリウスの溜息が響いた。立ち上がった時と同じように、がたんと荒々しい音を立てて腰を下ろす。
「スニベルス」
「なんだ」
「クロユリを泣かせて見ろ、俺が攫うからな」
「あり得んな」
「せっかく認めてもらったのに煽んないでよセブ……」
はぁ、と今度はクロユリの大きな溜息が部屋に落ちれば、一拍のあとに笑いがその部屋を包んだ。
キョトンとしていたクロユリも、次第につられるようにして笑顔になる。
「モテモテじゃない、クロユリ」
やるわね、なんて肘でつついてくるリリー。
「シリウス、君、それなんてお父さん?」
腹を抱えて爆笑するリーマス。
「スニベルス、お父さんに娘さんを僕にくださいって言ったか〜?」
メガネを外し、笑いすぎてこぼれた涙を拭うジェームズ。
「やったね、お父さん……ププ」
珍しく便乗してシリウスを弄るピーター。
「俺は親父なんかじゃねえぞ!親ってつくのはハリーの名付け親の地位だけで十分だ!」
悪戯仕掛け人の全員に茶化され、慣れない状況に顔を赤くするシリウス。
相変わらず腹を抱えて笑うクロユリを、セブルスがそっと撫でた。
不思議なものだな、と呟かれた彼の言葉はクロユリの耳にしか届いていない。
あれほど険悪だった中のこのメンバーが、こうして全員同じ家に集まって腹を抱えて笑っている。学生時代の自分が見たら、きっと目玉を落としてしまうのではないか。
クロユリは目をこれでもかと大きくして驚く自分の様子が簡単に想像できて、余計に頬が緩んだ。
「幸せだねぇ、セブ」
「……お前はいつも周りを巻き込むな」
「幸せのおすそ分けって奴だよ」
見上げればゆっくりと降りてくるセブルスの顔。ふふ、と笑いを漏らし。もう鳥肌も立たない体でクロユリは目を閉じてその愛を受け止めた。
「……あちゃあ、あれ教育に悪いと思うんだ」
「はりー」
「なあに、めありー」
ちゅ、と軽いリップ音。途端に静かになる室内に、あちゃあと再度ピーターの声が響いた。
重なっていた小さな影がスッと離れる。
「えへへー。めありーおおきくなったら、はりーのおよめさんになるの」
ふくふくした頬をりんご色に染めて告げた愛娘の言葉に、再び部屋が騒がしくなるのは数秒後のことだった。
「ポッター貴様!!」
「いや、あれはメアリーが自分からしてたろ!」
「やだ、式場どこにしようリリー」
「そうね、どうせなら夏休みのホグワーツを借りれないか聞いてみましょうか」
「……ハリーにメアリーを取られた…先週は僕のお嫁さんになるって言ってたのに…」
「リ、リーマス落ち込みすぎだよ。きっといい人が見つかるって」
「……お前ら気が早すぎだろ」
-END-
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