会いたい人
 純白のウェディングドレスに身を包んだリリーは、今まで見たどんなものよりも綺麗で、そして神々しかった。
 初めて会ったあの日、聖母マリアだと感じたのはやはり間違いではなかったとクロユリは笑みを浮かべる。

 ゆったりとした歩みで一歩ずつジェームズの元へと進んでいくリリーが、こちらに気がつき、幸せそうな笑顔を見せた。


『幸せになれよ』


 シリウスが去り際、耳元に残していった言葉を思い出す。リーマスが願っていることも、きっとこれなのだろう。

 親友だと言ってくれた。幸せを願ってくれた。
 それがありがたく感じると同時に、クロユリの中にはとてつもない申し訳なさがあった。

 きっと、彼らのその願いが叶うことは、もう当分ーーいや、一生叶わないかもしれない。

 リリーの幸せが、私の幸せ。

 昔、事あるごとにリリーに告げていた言葉。今もそのままであれば、すぐにでも叶えられた願い。
 しかし、今ではすぐには叶えられそうもない。
 今、クロユリの幸せは別の場所にあるのだ。

 真っ黒でねっとりとした髪。大きな鉤鼻。魔法薬学と闇の魔術に没頭していて。陰険で、根暗で、少し茶化せばすぐに呪うと脅しをかけてくる。さかし不器用な優しさを持っている。そんな人の元に、自分の幸せがあるのだ。
 そう、昨夜しっかりと理解した。

 優柔不断の恋。同じくらいに焦がれていたはずのそれは、気がつかない間に大きな差が開いていたらしい。
 今更気がついても、もう遅いんだけれども。

 不意に隣に腰を下ろす影が見え、少しだけ席を詰めた。こうして遅刻してくるのは大方ジェームズの友人である。先ほどからチラホラと、何人か見たことのある顔が遅れて式場に入ってくるのを、クロユリは視界の端で捉えていた。

 しかし、その中にやはり求めていた姿はなく。大きなため息と共に、クロユリはそっと目を閉じる。


「逃がした魚はおっきいぞ、ってか……」
「魚釣りがお好きとは。また、変わったご令嬢ですな」
「おうおう随分と失礼な言い、ぐ、さーー」


 すべての音が消えたように思えた。神父の声も感極まって啜り泣く声も聞こえなくなり、聞こえるのはドクドクと激しく動く己の心臓の音だけ。
 ゆっくりと顔を上げていけば、そこには相変わらずねっとりしているうねった黒髪。そして大きな鉤鼻。


「スネ、イプ……?」
「なんだ、そのゴーストでも見たような顔は」
「いや、あの、えっと。……なんで、ここに」
「リリーから招待状が届いたのでな」


 遅刻してしまったが、とリリーを見つめる目は相変わらず柔らかいもので。彼の意識はまだリリーに向けられているのか、とクロユリは内心落胆した。
 あらかた予想はついていたことだが、こうも突きつけられるとかなりきついものがある。

 どさりと背もたれに背を預け、再度小さく溜息を漏らしながら前を見た。

 粛々と進められている儀式は、そろそろ誓いのキスだろう。前の方の席で、感極まったのか既にぐずぐずと鼻を鳴らしているピーターが目に入る。


「いいの?スネイプはこれで」
「何がだ?」
「リリー。好きなんでしょ?」


 諦めるの?
 そう尋ねれば、隣からクッと殺したような笑い声が聞こえた。

 なんだこいつ。人が気を使ってんのに。

 ジロリと横を見れば、そこには案の定吊り上がった口の端を握った拳で隠しているセブルス。リリーが結婚するショックで頭のネジでもぶっ飛んだのではないだろうか。


「随分と昔の話だ」
「昔?」


 ホグワーツを卒業してから、まだ何年も経っていないはずだ。それを彼は"随分と"と付けた。
 意味がわからず再び横を見るが、彼の視線は未だリリーへと向いている。


「それに」
「それに?」
「今は他に好きな女がいてな」


 鈍器で殴られたような衝撃がクロユリの頭を襲った。セブルスの顔はリリーを見つめていた時と同じ優しい顔つきになっており、今の言葉が決して嘘ではないことを示している。


「そっか」


 出した声はか細く、震えていた。
 やはり、シリウスとリーマスの願いは叶えられそうにない。


「底抜けた明るさで、思えばそこにいるだけで周りの人間を笑顔にさせていた。不真面目に見えるが陰では一人努力をしているという奴でな」


 次々と紡ぎ出されるセブルスの"思い人"の人物像。
 誰にでも好かれるような奴だの、一筋な奴だの、たまに見せる優しさは相手に気を使わせないように普段通りの言葉に隠されている、だの。
 

「あぁ、魔法薬学は少し苦手そうだったな」
「そ、か」


 どこまで人の傷を抉ってくるのだこの人は。
 耳を塞ぐわけにもいかず、延々とセブルスの恋を聞かなければいけないクロユリは、下を向いて溢れそうな涙を堪えるので精一杯だった。

 おかしい。前ならば「惚気とかうざい」って茶化せたはずなのに。
 恋は人をこうも変えてしまうのか。
 膝の上で握りしめていた拳は、小さく震え始めていた。


「随分と騒がしい奴だったな」
「……もう、いいよ。お腹、いっぱーー」
「今では随分と落ち着いているようだが」


 握りしめた拳に重ねられた体温。人より低いその体温にハッとして、今まで溜めていた涙が反動でぼたぼたと手の甲に落ちた。少しカサついた親指が、水滴を拭うようにして手の甲を撫でる。


「学生時代につるんでいたのはリリー以外はお前だけだし、誰かさんが素っ気なくなってからも毎年クリスマスとバレンタイン、誕生日とカードを送り続けていたのになぜ気がつかないかが分からんな」


 カード、と言われて思い当たる節がないわけではなかった。しかし、それにはーー


「差出人、書いて、なかったし」
「お前に季節も考えずに真っ黒なカードを送るのは私くらいだろう。察しろ」
「なにその無茶苦茶」


 軽く腕を引かれ顔を上げる。リリーを見ていたあの優しい眼差しは、今はクロユリだけに向けられていた。


「随分と泣き虫になったのではないか?」
「誰の、せいだと」


 セブルスの唇が、クロユリの目の横に寄せられる。ボロボロと溢れる涙を拭っているようだ。
 手でやればいいのに、と思ったがどうやら彼の両手はクロユリの両手を握るので忙しいらしい。


「病める時も健やかなる時も、共に歩むことを誓いますか?」


 お決まりとなった神父のセリフが、教会に響く。
 誓います、とジェームズとリリーの声が聞こえる。
 ああ、これでリリーは名実ともにジェームズのものとなってしまう。リリーをこの目に焼き付けなければ。そう思っているのに、クロユリの目は間近にあるセブルスの顔から逸らせずにいた。


「では、誓いのキスをーー」


 ドクドクと鳴り響く心臓。ゆっくりと近づいてくるセブルスの顔。鼻先がふれあい、吐く息がお互いの顔にかかる。顔に熱が集まるのを、腕が震えるのを、クロユリは確かに感じた。


「おめでとうございます!!」


 わぁっと、感性が響く。割れんばかりの拍手と、再度降り注ぐ花々。壇上ではリリーとジェームズが少し照れくさそうに微笑み合っていた。


「……は、」


 クロユリが止めていた息を吐く。間近にあるセブルスの顔。その彼の口元にはーー


「……おい」


 クロユリの両手が押し付けられていた。ストールで隠されている彼女の二の腕には、薄っすらと立つ鳥肌。

 ずっと女性に恋をしていたクロユリの体は知らず知らずの間に、男性に拒絶を表すようになっていた。スーパーでうっかり男性と手が触れあおうものならば蕁麻疹が現れ、クロユリに惚れた男が調子に乗って頭を撫でようものならば本人目の前にしてゲロを吐く。

 シリウスやリーマスのように学生時代の友人には免疫があると発覚した今日だが、キスとなると話は別らしい。
 ーーそれでも薄っすらとした鳥肌で済んでいるのは、やはり相手がセブルスだからなのだろうか。彼はもしかして運命の相手なのかもしれない。

 なんて乙女思考に潜り込みたいところだが、悲しいことに状況がそうはさせてはくれなかった。


「あ、はははー……」


 ごめん、つい。
 えへ、なんて言ってごまかしてみるが、セブルスの眉間の渓谷は深まるばかりで、心なしかこめかみもピクピクと動いている。
 遠くからきっと見ていたのであろうリーマスの、珍しく大爆笑する声が聞こえた。


「だだだだって、心の準備ってもんが!」
「知らん。させろ」
「それ問題発言!バーカバーカ」
「呪うぞ」
「さーせん!」


 とうとう杖を取り出したセブルスの腕を抑えれば、片腕だけの防壁など脆いもので。再度じわじと近づいてくるセブルスの顔。怒りの中に確かに見える熱に、クロユリの顔の温度が再度上がっていく。同時に再度立つ鳥肌。


「ス、ススススネイプ!」
「なんだ」
「あ、あの……つ、続きは、本番でぇ!」


 目を思い切り閉じ、緊張で掠れた声で苦し紛れに言った言葉。それに返事はなく、相変わらずリリーたちを祝福するざわめきだけがクロユリの耳に入る。

 呆れられてしまったのだろうか。とうとう思いが伝わったというのに。

 恐る恐る顔を上げてみれば、やはり至近距離にあるセブルスの顔。


「ほう?」


 しかしその顔は先ほどとは打って変わり、随分と悪どい笑顔だった。
 地雷を踏んだかもしれない。そう、クロユリは本能的に悟った。

 とたん、ぐいと腕を引かれ、そのまま倒れ込んだのはセブルスの胸。緊張のボルテージが既に振り切ったかのように顔を真っ赤にしたクロユリの頬に、軽いリップ音とともに柔らかい何かが押し付けられた。

 肩を押され、真っ白になった頭に流れ込んできたのは、やはり一種の呪いであった。


「続きは本番で、な。楽しみにしている」


 ニンマリと片側だけ吊り上がったセブルスの口角。鳥肌の立っている手で、とうとうトマトも顔負けなほどに真っ赤になった頬を抑えているクロユリ。

 クルクルと降る花はいつの間にか、降る量も足元に落ちている量も増えていた。カランカランと祝福の鐘が大きな音で歌い出す。開け放たれていた戸や窓からは白い鳩が飛び込んできて、真っ白な羽根を降らせる。

 感涙の声、幸せそうな笑い声。新たな二人の門出を祝うには最高の状況の中で、おめでとう、と新郎新婦を祝う言葉が、気がつけば出来立てのカップルを祝う言葉になっていた。
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