空は高く、降り注ぐ光がとても暖かく感じる。風がそよげば、草花が音を立てて揺れた。
すっかり授業に出なくなってしまったクロユリは、今日も教室に顔を出すことなく中庭で自然と触れ合っていた。緑色の絨毯にも見える中庭の少し盛り上がったところ。そこに寝転ぶクロユリの頭には彼女のミミズクと、数羽の小鳥が群がっていた。
ミミズクが嘴で髪を一房摘めば、周りの小鳥も真似をするように同じ動きをする。
「……楽しい?」
呆れたような顔で愛鳥に尋ねれば、ホゥと一声だけ帰ってくる返事。
「そーですか」
再度されるがままになりながら、クロユリはゆっくりと目を閉じた。瞼の裏に浮かぶのは、昨日のお茶会。
ーー焦りすぎだよ。
リーマスに告げられた答えは、クロユリにとってあまり納得できるものではなかった。
別に、焦っているつもりではない。ただ、どうしたらよいかわからないだけで。
「……それが焦ってるってことなの、かなぁ」
「何を焦っているんだ?」
ぽつりと呟いた独り言に、返ってくるはずのない返事が返ってきた。閉じていた瞼を勢いよく持ち上げれば、目一杯に広がる青空を黒が邪魔している。
「す、ねいぷ?」
どうしてここに?そう続ければ、クロユリの視界を覆っていたセブルスが不機嫌そうな顔を更に顰めた。彼の手はクロユリに群がる鳥達を適当に追い払い、その手で彼女の腕を掴んで引く。
予想していたよりはるかに強い力で状態を起こされたクロユリは、目を瞬かせながらセブルスを見つめた。
「探していた」
うねった黒髪から覗く、髪と同じ色の瞳に映る自分の姿。それを見とめたクロユリの動機は着実に早まっていた。しかし同時に迫り上がるのは、きっと彼に探されているであろう白百合への嫉妬。それから好きな相手にそんな感情を抱いてしまう自分への苛立ちだった。
「探していたって……誰を? リ、リリーならここには」
「何言ってるんだ、お前をだ」
「え、わ、私?」
ぽぽぽ、と一瞬にしてクロユリの顔にうっすらと赤が灯る。両手で軽く頬を抑えていれば、サクと軽い音を立てて思い人の一人が隣へと腰を下ろした。
自分が探されていたこと、隣にセブルスが座ったことにドキマギとする心臓をなんとか押さえつける。チラリ、と視線を横にやれば黒い瞳と少しだけ視線が交わった。
彼もチラリチラリとこちらを見ていたのだろうか。
そう思うだけでクロユリの心拍数は確実に上がっていく。
自覚した途端、これだ。なんて単純なのだろうかと溢れたのは自嘲の笑み。それはセブルスの呼びかけにより、すぐに消え去った。
「なに?」
「何があった」
「何があった……って、どういう意味?」
はぁ、と。大きな溜息が二人だけの空間に響く。
少しだけ、嫌な予感がした。
「お前、最近おかしいぞ」
風が止んだ。先ほどまで鳴っていた草の音も、鳥達の羽ばたきも途端に聞こえなくなり、日の光すら嫌に冷たく感じた。
時が止まる、というのはこういうことなのだろうか。
ドクドクとなる心音が、耳についたように大きく聞こえる。
「お、おかしい、かな?」
「あぁ。おかしい」
「えー…、と。どこ、が?」
「行動全部だ。食事にも来ない、授業にもでない、廊下ですれ違うこともない」
それに。そう続けて、セブルスは本日一番大きな溜息を吐いて言葉を区切った。
「僕とリリーを避けている」
闇のような二対の黒が、真っ直ぐにクロユリの射抜く。それはまるで心の奥底を見透かされているような、探るような。しかし、それでいて何処かに心配の色を含んでいる眼差し。
黒い瞳に映った、明らかに同様の色を隠しきれていない自分を見とめ、クロユリは小さく息を漏らす。
息が詰まる。少しずつ、足先から血の気が引く感覚に、思考もぐるぐると渦を巻き始めていた。
胸の前でゆっくりと組んだ手は、目の前の思い人並の白さに変わり小さく震えている。
尚も心配の色を浮かべたセブルスの瞳が、その手を見た。
「あの、さ」
「あぁ」
「スネイプは、さ。リリーに……告白とか、しないの?」
スネイプの普段から刻まれていた眉間のシワが、一段と深くなる。
「な、なんだ。急に」
「私はしたよ、告白。リリーに」
彼の顔が、一瞬にして歪んだ。一度だけ見たことのある表情。それは、リリーに"スニベルス"と呼ばれたあの時に見せたものだ。
「リ、リーは、なんて……」
「何も言われてないよ。でも、私、知ってるから。リリーが、女の子に恋なんてしないこと」
そう、分かっているから。
心の中でそう呟き、クロユリは立ち上がった。丁度終業の鐘が校舎からうっすらと聞こえてくる。
見上げてくる顔は、相変わらずの表情を作っており、それがクロユリに確信に近いものを抱かせた。
ゆっくりと、口角があがる。
きっと上手に笑えている。
自分に言い聞かせ、クロユリは眉尻の下がった情けない笑顔で口を開いた。
「安心して! もう、邪魔はしない、から」
くるりと踵を返し、未だ動かないセブルスをそのままにクロユリは校舎へと足を進めていく。
熱くなる目頭。ぼやけていく視界。僅かに震える肩に、噛み締めた口の端から音にならない嗚咽が漏れていく。
セブルスが、後ろから駆け寄ってきて、この震える体を後ろから掻き抱いてくれたなら。この溢れていく涙を拭ってくれたのなら。どんなにいいか。
しかし、それはありえないことだと分かっていたし、現にそんなことが起こることもなかった。
泣きはらした目がじっと見つめるのは、鏡に映る情けない顔をした自分。クロユリはその姿をしっかりと目に焼き付けるように見つめ、そしてゆっくりと目を閉じる。
ジャキ、と刃物が擦れる音が響いた。
はらりと落ちた髪が、剥き出しの足元に広がった。
目を開き、肩上ほどになってしまった髪の自分をしっかりと見つめる。
今度こそ、厳重に鍵をかけて。もう開かないように。
一人佇む暗がりの洗面所。自己暗示をかけるようなクロユリの呟きだけが、響くことなく溶けていた。
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