夢現の白百合
 スクイブ。
 それは自身を形作っている言葉の一つだった。馬鹿にしたように飛んでくるその言葉に涙を流し、それを見られまいと俯く。

 イタズラな魔法を八方から飛ばされ。涙を零しクルクルと逃げ惑っているにも関わらず、クロユリは不思議と何処か他人事のように思っていた。


「ちょっと! あんたたち!」


 ふいに、遠くから掛けてくる荒い足音。怒気を含んだその声に、下品にゆがんでいた周りの人間の顔が引きつった。
 げ、エバンズ。そう、誰かの呟きが耳に届く。
 誰が口を開いたのか。それを確認しようと顔を上げるよりも早く、クロユリの体は後ろに強く腕を引かれ暖かい何かに包まれた。


「何してるのよ、女の子1人に寄ってたかって……最低だわ」
「エバンズ、君はそんなスクイブをなぜ庇う? 魔法の使えないスクイブで、しかも僕たちマグル生まれの魔法使いを汚れた血だと罵る純潔だ」
「この子が貴方に対して汚れた血と言ったの?」


 返事はなかった。同時に体を包んでいた彼女の腕から力が抜かれ、ようやく後ろから迫ってきた人物の顔が視界いっぱいに映る。


「やだ、怪我してるじゃない。大丈夫? 後で医務室行きましょうね。あ、私、リリー・エバンズ。リリーって呼んで」


 ペタペタと顔や体を満遍なく触り、安否を確認してくる優しさ。それは今まで感じたことのない穏やかな気持ちを、じんわりと生み出すものだった。

 それと同時に湧き上がる疑問。
 スクイブという言葉が自身の一部を形作っているのに。純潔という言葉が自身の一部を形作っているのに。
 ボソボソと疑問をこぼせば、小さな衝撃が額を襲う。


「馬鹿ね。貴女がいつも手にしているのは何? 杖よ。本当のスクイブは杖を持てないわ。貴女はれっきとした魔法使い。それに私、純潔とか気にしない主義なの」


 よかったら友達になってくれる?
 細められたアーモンド型のエメラルドグリーン。ふわふわと靡く太陽の様な赤毛。
 窓から差し込む光を背に受けて微笑む姿は、いつか本で見た聖母マリアを強く彷彿とさせた。



 ◆



 夜明けは空き教室で迎えた。ポケットから鏡を出して覗き込めば、一晩泣き腫らし寝不足も相俟ってクロユリの顔はお世辞にも可愛い、とは言えないものになっていた。
 酷い顔。そう、鏡の中の自分が呟いた。自重の笑みを零し、少し眉を寄せる。

 久し振りに見た夢に、頭が軋んだ。スクイブと言われないように勉学に噛り付いたお陰で、秀でているわけではないが人並みには魔法を扱えるようになった。

 あそこでリリーが助けてくれなければ、もしかしたら未だスクイブと罵られていたかも知れない。


 リリーに恋い焦がれるきっかけとなった出来事は、いつになっても鮮明に覚えているのだということを、夢を持ってしっかり自覚した。
 鏡に映ったクロユリの目は、リリーに焦がれ熟るんでいる。その奥ではセブルスに焦がれている色が見え隠れしており、情けなさに溜息をついて取り出したそれを再度ポケットへと戻した。




「クロユリ!聞いて聞いて!」


 寮に戻れば、リリーがすぐさま飛びついてきた。顔をあげれば、クロユリが愛おしく想っている笑顔で見下ろされている。
 じくじくと疼く胸の痛みから目を逸らして、クロユリはその顔にいつも通りの笑みを浮かべた。


「あのね、セブと仲直りができたの!」


 息が、詰まったように感じた。

 じくじく、じくじくと痛みを増して行く胸の痛み。それと同時に泣き腫らしてまで閉じた筈の蓋が、ジリジリと開き始めているような錯覚がクロユリを襲っているような。

 否、それは錯覚ではなかった。
 クロユリのおかげよ、と見せてくる笑顔に溢れてくるどうしようもない愛おしさ。


「よかった、ね、リリー」


 それから、グルグルとトグロを巻く醜く、黒いーー。


「でもさ、リリー」







 ひどい嫉妬だった。

 クロユリはひとり中庭で頭を抱えていた。
 リリーの話を聞いていて、ふと蘇ったのは昨日の和解のシーン。別に、和解して欲しくなかった訳ではない。彼等が仲良くすることはクロユリとしても嬉しいものがある。
 しかし、口から出たのはただただリリーを困らせるだけの言葉だった。

ーー私の告白は?

 驚いたように目を見開いてから、少し困ったように寄せられた眉。思い出せば後悔しかない。
 告白は? なんて聞いたって無意味だろう。たとえリリーがセブルスとくっついたとしても、そうでなかったとしても。答えは分かり切っている筈なのに。


「……あ」
「……おぅ」


 冗談だよ。そう告げて、逃げ出すようにして訪れたのは、もうすっかり常連となってしまった空き教室。その扉を開ければ、先客と目があった。クロユリにとって、あまり顔を合わせたくない人物。


「……なんだ、その。珍しいな、1人で行動してるなんて」
「ブラック、こそ。リーマス達とつるまないなんて、め、珍しいね」


 あぁ、やら、うんやら。お互いに煮え切らない返事をし合えば、ついで訪れたのは気まずい静寂だった。
 シリウスがなるべく音を立てないように椅子に腰を下ろしたのを視界に入れ、クロユリも近くの椅子に腰を降ろす。

 まさかこの部屋に自分以外の誰かが来るとは思っても見なかった。勿論ここはただの空き教室であり、巷で噂の必要の部屋でもない。むしろ今まで誰も入って来なかったことがラッキーなだけだったのかもしれない。しかし、だ。

 胸の内で小さく溜息を吐き、クロユリはチラリと先客の姿を見る。ーーよりによって、先客がシリウスだとは。


「なぁ」
「え、あ、うん。……何?」


 唐突にかけられた声に、クロユリは一時的に考えを頭の隅へと追いやりシリウスに顔を向けた。


「クロユリは、エバンスが好きなのか? あー、恋愛対象として」
「好きだよ」


 即答した答えに、思わず自嘲する。
 蓋をする、諦める。
 そんな風に思っていたが、結局はまだ女々しく諦め切れていないことをクロユリは痛感した。

 それと同時に、再び湧いてくる怒り。クロユリは眉を潜め、こちらを見ないシリウスを軽く睨む。


「また、女の子同士のよくある戯れあいだとか言いたいわけ?」
「ち、ちがう! そうじゃないんだ、そのー、あー………あれだ」


 もごもごと続けられた言葉は残念ながらクロユリの耳には届かず、それがさらに彼女の苛立ちを悪化させたようにも思える。
 彼はこんなに物事をはっきりと伝えないような人だっただろうか。内心、思わず舌打ちをしようとしたときだった。


「悪かった」


 バッと勢い良く下げられた頭。普段プライドの高い彼がこうして頭を下げるところなど、入学してから今の今まで一度たりとも見たことはなかったように思う。


「嫉妬、だったんだ。ずっと、リリー、リリーってエバンズの名前ばかり呼んでこっちには見向きもしないから」
「ブラック……」
「だから、その、前みたいに話しかけさせてくれ」


 徐々に小さくなって行く声に、思わずクロユリは噴き出した。声を抑えて笑うが、ヒクつく頬と震える方は抑えられず、すぐさまブラックにジトっと恨みがましい視線をいただく。


「ご、ごめん。いっつもプライド高いあんたがモゴモゴ言ってるのが似合わなさすぎて」
「おい……プライド捨てて謝ってんのにそれかよ……」
「謝罪するならプライド捨てるのが普通でしょ。なっに偉そーに」


 にやにやと口元を歪ませながら、クロユリはブラックを見た。


「いいよ、この前のこと。私もなんかイライラしてた時だったから、八つ当たりもあったし」
「……なら、もう一度言ってもいいか」


 ガタリ、と椅子の音がする。立ち上がったブラックの顔は真剣そのもので、リリーに想いを告げようとする自分と重なった。

 いいよ。

 ポツリと返せば、ブラックが少し驚いたような顔をしすぐさま真剣な顔で数歩歩んで来た。


「クロユリ。俺はお前が好きだ」


 ぎし、と音がした。視線をちらりと向けるが、そこには自分が入ってきた扉がキッチリと閉まっているだけで、別段何かがあるわけではない。


「おい、クロユリ?」
「ん、あぁ、ごめん。なんでもない。……ごめんなさい」


 深々と頭を下げながら告げた謝罪の言葉。視界に映ったシリウスの手は硬く握り締められており、小刻みに震えているのがわかった。


「好きな人が、いるの」
「エバンズ、か?」


 当たらずも遠からず。好きな人がもう1人いるんだ、とは言えずクロユリは無言で頭を下げ続ける。

 どのくらいそうしていただろうか。静寂を破ったのは、ブラックの大きな溜め息だった。同時に、頭に落ちてくる手の感触。


「うら、頭あげろ」
「いたたた! なっにすんの、髪引っ張んないーーで、」


 吹っ切れたような顔だった。それでも眉は少しだけハの字に下がり、刹那げに歪んでいる。
 きっと近い未来、自分も彼と同じ表情をしなければならないのだろう。


「これからも、"友達"としてよろしく頼むぜ」


 そう思えば、この言葉にクロユリは尊敬の念を抱く他なかった。
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